※この作品はR-18です。

Teaching Sweet Feeling   作:こまごめピペット

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貴方に引き取られた日

 

 チャカポコ、チャカポコと、馬車は町の入口へ向かって進んでいく。

 

 荷台の隙間から見える空は……白く濁っていた。

 揺れが止まった。

 ただそれだけが、かすかに意識の端に届く。

 

 商人が何か言葉を交わしている。門番だろうか。声が遠い。

 荷台の中で僕は身体を丸めたまま動かない。

 

 ……痛みはもう感じない。

 寒さも、空腹も、どこか遠い出来事みたいだ。

 

 馬車は再び動き出す、今度は硬い石畳の上を。

 

 市場の喧騒が遠ざかり、人の気配が薄れていく。

 馬車は静かな通りへ入り、石畳を叩く音だけが規則正しく響くようになった。

 

 やがて、止まる。

 

 扉を叩く音。聞き慣れた商人の声と、それに応える別の低い声。

 

 会話が続いている。

 ただ、僕にとっては意味をなさず、音の塊として流れていく。

 

「おい、降りろ」

 

 布が捲られ、光が差し込む。眩しさに目を細めた。

 声に従い、考えるより先に身体を動かす。

 這うようにして荷台の縁まで移動し、足を下ろす。

 

 ……石畳が冷たい

 

 立ち上がると、視界がぐらりと揺れた。

 けれど、止まらない方がいい。止まれば、何をされるか……。

 

「こっちへ来い」

 

 肩を掴まれ、前へ押し出される。

 数歩、よろめきながら進めば視線が交わった。

 

 扉の前に、男が立っている。

 

 商人や前の主人とも違う。

 それだけは、直感的に分かった。

 

 男の目を見た瞬間、何かが引っかかった。

 

 それが何なのかは分からない。

 ただ、今まで向けられてきた、獣を見るような、あるいはモノを査定するような視線とは違う。

 怖くない。冷たくない。けれど、優しいとも言い切れない。

 

 名前のつけられない何かが、そこにあった。

 僕は、その目をただぼーっと見つめ返していた。

 

「最近、ある資産家が事故で亡くなりましてね。

 近しい家族がいなかったものですから、役所やら、親類を名乗る連中が寄ってたかって財産をさらっていきました。私もちょっとしたコネでおこぼれを頂戴したのですが、代わりに厄介な『在庫』もいくつか押し付けられてしまいまして」

 

 商人の声が続く。けれど男は、僕から視線を外さない。

 

「……そうか」

 

 低く、静かな声。

 

「見たところ、先生は相変わらずお一人で暮らしているようですし、少々寂しい生活をされているのではと思いまして。急な話ですが、こいつを引き取ってはみませんか?」

 

「先生」と呼ばれた男は、ようやく視線を外し、思案するように顎に手を当てた。

 

 沈黙。

 

 僕は息を止めて待つ。この人に売られるのだろうか。それとも、ここで拒絶されるのか。

 

 ……僕はまた、あの様な場所に戻るのだろうか。

 

「……」

 

 男が再び僕を見た。今度は、先程よりも長く。

 頭から足先まで、品定めではなく、観察するように。

 

「分かった。彼女を引き取ろう」

 

 男が小さく頷いた。

 

「そうですか。……ええ、助かります。私も、こいつも」

 

 商人が安堵したように言葉を継ぐ。

 

「こいつは身寄りもない奴隷です。家の手伝いをさせてもいいし、先生にその趣味があるなら、おもちゃにしたって咎める者はいませんよ。詳しい話は、こいつから直接聞いてやってください」

 

 おもちゃ。

 

 何度も投げつけられてきた、手垢のついた言葉。

 けれど今の僕には何の感情も呼び起こさない。

 

「……ああ」

 

 男は短く応じ、また僕を見た。

 目は合わせず、僕は足元の石畳を見やれば継ぎ目に、小さな草が生えていた。

 

「では、お願いいたします」

 

 足音が遠ざかり、馬車の音が響き出す。蹄の音がチャカポコ、チャカポコと遠ざかって……消えていく。

 後に残されたのは、耳が痛いほどの静けさだった。

 

「……おいで」

 

 声がする。

 

 顔を上げると、男が扉を開けて待っていた。

 また、痛いことをされるのかもしれない。でも、逆らえばもっと痛い。

 

 一歩、踏み出す。また一歩。扉をくぐった。

 

 ◇◆◇

 

 部屋の中は薄暗かったが、外よりは幾分か温かそうに見えた。

 

 背後で、重い扉が閉まる音がする。

 

 カチャリ、と鍵の回る音が静かな室内に響く。

 外界とは切り離された、逃げ場のない密室。

 

 身体が強ばり、少し息が詰まる。

 けれど何も無かったかのように振る舞う。

 

「……改めて、初めまして。シルヴィと申します」

 

 僕は新たな主人の前で、深く頭を下げた。

 

 声に抑揚はない。感情を乗せる必要もない。

 決められた通りに口が動いた。

 

「引き取っていただいて、ありがとうございます。私は……」

 

 途切れ途切れに、けれど淀みなく、自分という「モノ」の扱い方を口にする。

 

 力仕事は満足にできない。

 だが、家事や雑用であれば一通りこなせる。

 

 そして──。

 

「……前の主人は、私の悲鳴を聞いて楽しむことが、一番価値のある使い方だと言っていました。……お手柔らかに、お願いします」

 

 淡々と報告を終える。

 

 この声も、この手も、意識せずとも勝手に動く。

 脳の片隅で、冷めた意識が自分の言葉を眺めていた。

 

 ……これでいい

 

 何をされるかは分からない……けれど、どうでもいい。

 

 どうせ、この身体は誰かのものだ。

 

 顔を上げず、視線を床に落としたまま待つ。

 次にくるのは、痛みだろうか。それとも、熱か。

 僕は、石畳よりも冷たく固まった沈黙の中で、次の「痛み」が降るのを待っていた。

 

「……っ、?」

 

 頭に、何かが触れた。

 

 指。温かい。大きくて、少し節くれ立っている男の手。

 

 反射的に肩が跳ねたが、痛みはなかった。

 ゆっくり、ゆっくりと、その指先はまるで壊れ物のように、僕の銀の髪を梳くように滑り落ちてくる。

 

 初めての感覚に、身体が強張る。

 恐る恐る視線を上げると、男と目が合った。

 

 彼は、笑っていた。慈しむように。愛おしむように。

 

 優しい目をしていた。

 僕は、この目の意味を知らない。

 だから、どう反応すればいいのかも分からない。

 

「……まず、身体を拭こうか。湯の準備をしてくるから適当な場所に座っていてくれ」

「あ、はい……承知しましたご主人様」

 

 僕は視線を逸らして答える。

 

 男は満足そうに……いや何か言いかけ、飲み込んだように頷いて奥の部屋へと消えていった。

 

 言われた通り、邪魔にならない壁際のチェストの前にそっと腰を下ろした。

 

 埃っぽい匂いが鼻腔をくすぐる。

 

 それは決して不快なものではなかった。むしろ、前の主人の家を満たしていた酒と、脂と、錆びた鉄の臭いとは無縁の、清潔な匂いだ。

 

 静かだ。

 

 奥から聞こえる、薪が爆ぜる音と、時折混じる衣擦れの音。

 

 ……これから熱湯を被るのだろうか。

 

 やがて、重い足音が近づいてくる。

 僕は反射的に肩を硬くし、床を見つめた。

 

「待たせたね。……少し、熱いかもしれないが」

 

 視界に、湯気を立てる洗面桶と、清潔そうな白い布が映る。

 その横に、男が膝をつく気配がした。

 

「失礼。……まずは、顔から拭いていこうか」

 

 そっと顔に触れようとする男を、僕は咄嗟に制す。

 

「ご主人様のお手を煩わせる訳にはいきません……自分で出来ますから」

 

 冷静に、丁寧に、怒らせないように。

 しかし、男は首を横に振る。

 

「いいんだ。その傷も診ておきたいからね」

 

 有無を言わさぬ優しい圧力。

 僕はそれ以上何も言えず、言われた通りに身体を緩める。

 

 温かい布が、薬品で焼き溶かされた痛々しい火傷の跡を包むように拭われる。

 痛みはない。

 ただ、温もりだけがじんわりと皮膚に滲みてくる。

 

「沁みたりはしないか?」

 

 囁くような声に、僕は小さく頷くしかできなかった。

 

 首、肩、両手。薄い奴隷服は避け、両足まで同様に優しく拭われていく。

 汚れている部分を丹念に拭き取られる。

 

「……うん、良かった。包帯は必要なさそうで」

 

 男はそう言って、心の底から安心したように笑った。

 

 どうして、そんな顔をするのか分からなかった。

 

 

シルヴィになんて呼ばせよう……

  • ご主人様
  • 先生
  • 貴方(様)
  • 旦那様
  • グリス
  • その他(コメントとかマシュマロから)
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