Teaching Sweet Feeling 作:こまごめピペット
森から帰る頃には、日はもうすっかり高く昇っていた。
袋いっぱいのピンクと青の花を、台所の隅に並べる。
簡単な昼食を済ませ、彼は早速、お茶を淹れる準備を始めた。
「今日はこれを試してみよう」
ポットに茶葉と刻んだピンクの花弁を入れ、お湯を注いだ。
次第に甘い香りが台所を満たしていく。
「……いい香りですね」
「そうだな」
しばらく蒸らしてから、彼は二つの器に、色づいた液体を注ぎ分けた。
淡いピンク色が、湯気と一緒にゆらゆらと揺れている。
彼は香りを楽しみながら、自分の器に口をつけた。
僕もそれに倣い、一口含む。
温かい。
ほのかに甘く香り、後味に紅茶の渋みが残った。
「……美味しいです」
「そうだな、なかなか良い」
彼は満足そうに頷くと、残りをゆっくりと飲み干した。
僕も同じように、器を空にする。
しばらくは、いつも通りだった。
彼は片付けの手を止め、椅子に座ったまま、今日採ってきた薬草の使い道について話し始めた。
「これだけ採れれば、しばらくは持つな。乾燥させてすり潰せば薬にもなるだろうな」
「はい……乾燥は、どうやってするんですか?」
「なに、陰干しにするだけだ」
そんな、いつもと変わらない会話が続く。
窓の外では、午後の光が少しずつ角度を変えていた。
けれど、少しずつ。身体の芯に火が灯り、じわりと熱が滲み出してくるのが分かった。
最初は、日向にいるような、ただの暖かさだと思った。
でも、それにしては様子がおかしい。
肌の表面が、薄い布越しにも敏感になっていくような感覚があった。
心臓が、少しずつ速くなっていく。
「……あの」
「……シルヴィ、大丈夫か?」
僕は、すぐには答えられなかった。
光がやけに眩しく感じる。
喉の奥が、いやに渇いている。
「……分かりません。なんだか……身体が、熱っぽくて……」
彼の手が、そっと額に触れる。
少しひんやりとしていて、その冷たさが心地良かった。
「……確かにな……瞳孔も開いてる」
じっと僕を見つめる彼。
……顔が近い。
「……今日は、別で寝ます、早めに……風邪だった時ご主人様にうつすといけませんから」
「……そうか」
彼の手が、額から離れる。
その一瞬の喪失感に、自分でも戸惑った。
離れてほしかったはずなのに。
「……無理はするなよ。何かあれば、すぐに呼んでくれ」
「……はい」
僕は、逃げるように席を立った。
彼の視線が、背中に張り付いている気がした。振り返らずに、台所を出る。
廊下を歩く間も、足元がおぼつかない。壁に手をついて、なんとか自室まで辿り着いた。
部屋に戻ると、僕は扉に背をつけたまま、そのまま座り込んだ。
心臓が、痛いくらいに速い。
薄い布越しに、自分の身体の輪郭を感じてしまう。
……おかしい。
こんな感覚、知らない
いや——知っているはずだった。
かつて、僕という人間だった頃、こういう熱は知っていたはずだ。
でも、今のこれは、何かが違う。
覚えている感覚と、今この身体が訴えてくるものが、噛み合わない。
どこに触れれば楽になるのかさえ、上手く思い出せない。
僕の知っている身体は、こんな形をしていなかった。
ベッドに倒れ込むようにして、膝を抱える。
薄闇の中、自分の手を見た。
細い指。白い肌。かつての僕のものではない、この身体。
それなのに、今、これほど鮮明に「自分のもの」だと感じたことはなかった。
喉から、小さな声が漏れる。
……止まらない。
頭の芯まで、朦朧としてくる。
私なのか、僕なのか。
境界が、溶けていくようだった。
ただ、身体だけが、何かを求めて疼いていた。
あの時みたいに、この指先で、私自身を慰めていた。
どれくらい、そうしていただろう。
息が上がり、視界がぼやける。
羞恥も、迷いも、熱の底に沈んでいく。
やがて、少しだけ波が引いたとき——扉の外で、小さな音がした。
「……シルヴィ?」
扉の隙間から覗かせる影、そして彼の声。
びくりと身体を強張らせた。
返事をしなければ。
そう思うのに、声が出ない。
息が、まだ整わない。
「……入るぞ」
返事を待つ間があった。数秒か、もっと長かったのか、分からない。
扉が、静かに開いた。
薄闇の中、彼の輪郭が浮かぶ。
僕は咄嗟に、身体を丸めて顔を伏せた。
「……っ、見ないでください……」
声が、震えていた。
こんな姿を、見られたくない。
なのに、身体はまだ、疼きの余韻から抜けきっていなかった。
彼が、部屋の中に一歩、足を踏み入れる。
その気配だけで、また心臓が跳ねた。
「……苦しそうな声が聞こえたが……大丈夫か」
その声は、静かで、けれど、いつもと同じようには落ち着いていなかった。
僕は、答えられなかった。
ベッドの端で身体を丸めたまま、乱れた息だけが、部屋に響いている。
シーツが、汗でわずかに湿っていた。
彼が、こちらへ近づいてくる気配がする。
一歩、また一歩。
やめてほしいのか、そうでないのか、自分でも分からなかった。
「……すまない。様子だけ見たら、すぐ戻る」
その声は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
彼が、ベッドのすぐそばで立ち止まる。
薄暗い中でも、彼の呼吸が、いつもより浅いのが分かった。
「……ご主人様も……辛いんですか……?」
顔を伏せたまま、そう尋ねる。
答えは、返ってこなかった。
代わりに、小さく息を呑む音がした。
「……ああ」
短い、掠れた声だった。
沈黙が落ちる。
どちらも、動けなかった。
僕は、恐る恐る顔を上げた。
薄闇に慣れた目に、彼の表情が映る。
いつもの穏やかさの下に、何かを堪えるような、余裕のない色があった。
彼も、僕と同じだった。
それに気付いた瞬間、身体の奥の熱が、また一段、強くなった気がした。
彼が、一歩、近づいた。
距離が、また縮まる。
なのに、その手は、伸びてこなかった。
触れられるかと思って、僅かに身体が強張った。けれど、彼の手は、僕の頬の少し手前で止まったまま、動かない。
「……ご主人様?」
彼は、何かをこらえるように、目を伏せた。
「……悪い。今日は、これ以上……近づかない方がいい」
その声は、絞り出すようだった。
いつもの、僕の意志を尊重する声。
分かっている。これは、彼の優しさだ。
なのに。
喉の奥から、勝手に言葉がこぼれた。
「……どうして、触れてくれないんですか……?」
自分の声とは思えないほど、掠れていた。
彼が、僅かに息を呑む。
「シルヴィ、それは……」
「……嫌、じゃないです」
言葉が、堰を切ったように止まらなかった。
「奴隷だから、とか……お返しだから、とか……そんなことじゃなくて……もっと……触れて欲しいんです……」
言ってしまってから、自分の言葉の意味に、遅れて気付く。
男だった頃なら、こんな風に……いや、奴隷になった頃から、誰かを求めることなんて、なかったはずだ。
誰かに触れてほしいと願う感覚も、こんなに素直に口に出せる感覚も、知らなかった。
それなのに、今、この身体は、確かにそれを求めている。
僕なのか、私なのか。
もう、その境界はどうでもよかった。
ただ、目の前にいる彼に、触れてほしかった。
彼が、僕をじっと見つめる。
その目に、迷いと、堪えきれない何かが、同時に揺れていた。
「……本当に、いいのか」
静かな、けれど確かめるような声だった。
「あの茶のせいだと、後で思わないか」
僕は、首を横に振った。
「はい、あのせいじゃ、ないです」
これだけは、はっきりと言えた。
「もっと……そばに、いさせて、ください」
声が、震える。
「ずっと……ずっと、前から……こうしたかった……」
沈黙が落ちる。
彼の喉が、小さく動いた。
「……分かった」
彼の手が、ようやく、頬に触れた。
温かい。
その温もりに、身体の奥の熱が、違う質のものに変わっていくのが分かった。
「……ご主人様……」
恥ずかしい。あんな姿を見られてしまった。秘めていたつもりはなかったけれど……。
それでも、嬉しかった。奴隷だった僕に、触れてくれることが。女として見てくれていることが。
そして——怖い。
知識としてなら、知っている。男だった頃にも、そういう話を聞いたことはあった。
けれど、自分が女として、誰かに触れられることなんて知らない。
この身体が、どんなふうに感じるのか。
僕自身にも分からなかった。
シルヴィになんて呼ばせよう……
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ご主人様
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先生
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貴方(様)
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旦那様
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グリス
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その他(コメントとかマシュマロから)