※この作品はR-18です。

Teaching Sweet Feeling   作:こまごめピペット

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貴方に食事と寝床を貰った日

 男は、淡々と仕事をこなしていた。

 患者が来れば応じ、いなくなれば静かになる。

 

 その合間に、僕へ短く言葉を投げる。

 内容は簡素で、命令でも確認でもない。

 返事を求めているのかすら、分からない。

 

 そして、時折──

 

 頭に、手が触れる。

 

 不意に。

 何の前触れもなく。

 

 その度に、身体が強張る。

 けれど、やはり痛みは来ない。

 

 撫でる、という行為。

 それが何を意味するのか、僕は知らない。

 

 ただ、殴られないという事実だけが、

 少しずつ、理解できない形で積み重なっていく。

 

 そうしているうちに、日は傾いていった。

 

「シルヴィ、テーブルに着いてくれ」

「……はい」

 

 僕は、男の言われた通りに席に着いた。

 何も考えず、ただ座っていると、男がテーブルに湯気を立てる皿を並べていく。

 

 パスタ、サラダ、スープ、そして水。

 とても豪華な食事だ。

 

「……今日は、お客様でもいらっしゃるんですか?」

 

 続けて、どこかに隠れた方がいいかと尋ねると、

 男は虚を突かれたような顔をして、それから静かに首を横に振った。

 

「いいや。来客の予定はないよ」

「……では、その……」

 

 言葉が続かない。

 

 卓上に並ぶ皿を見る。

 量が多い。種類もある。

 

 やはり、一人分ではない。

 男は短く言った。

 

「君の分だ」

「……私の……食事、ですか……? 前のご主人様がくれたのは、パンと水だけでしたが……」

 

 僕は視線を落とし、皿と自分の手を交互に見た。

 こんなものを与えられる理由が、どこにも見当たらない。

 

「……これを……食べていいんですか?」

 

 何か言いたげな表情を浮かべ、それから小さく息を吐くと、男は静かに頷いた。

 

「ああ。食べてくれ」

「……いただきます」

 

 僕はフォークを手に取った。

 手が震え、ぎこちない動きでパスタを巻き取り、口に運ぶ。

 

 ──温かい。

 

 味がする。塩味。トマトの酸味。何かの香草。

 喉を通り、胃に落ちる。

 そこから、じんわりと熱が広がっていく。

 

「……」

 

 毒は、ないのだろうか。

 

 スープを飲む。野菜の甘みが舌に広がる。

 サラダに手を伸ばす。瑞々しい。

 パンを千切る。ふんわりとした感触。

 

 全部、知らない。

 

 ──いや、違う。

 きっと、遠い昔に──。

 

「……美味しいかい?」

 

 男の声が、思考を遮った。

 

 顔を上げる。

 男は、自分の食事には手をつけず、ただこちらを見ていた。

 

「……はい」

 

 声が、かすれる。

 

「良かった」

 

 男が微笑み、それから自分の皿に目を落とした。

 

 空だった胃が満たされていく。

 こんな感覚、いつぶりだろう。

 

 いつから、パンと水だけだったのか。

 思い出せない。

 

「……無理に全部食べなくてもいいからね」

 

 男の声。

 

「……いえ、食べられます」

 

 反射的に答えた。

 残すと、怒られる。

 そう教えられてきたから。

 

 だが、男は何も言わなかった。

 ただ静かに、自分の食事を続けている。

 

 食器の触れ合う音。

 スープをすくう音。

 窓の外から聞こえる、虫の音。

 

 静かだ。

 

 痛みも、怒声も、何もない。

 ただ、温かい食事と静けさだけがあった。

 

 やがて、皿が空になる。

 

「……ご馳走様でした」

「お粗末様」

 

 男が皿を下げようとする。

 

「あ、私がやります」

 

 咄嗟に立ち上がった。

 

「いいんだ。座っていてくれ」

「ですが……」

「いいから」

 

 男の口調は穏やかだったが、有無を言わせない響きがあった。

 

 仕方なく、席に戻る。

 男が洗い物を片付ける音が響く。

 

 僕は、それをただ見ていた。

 

 何もすることがない。

 けれど、何をしたらいいのかも分からない。

 

 やがて男が皿を洗い終え、タオルで手を拭いて戻ってくる。

 

「……あの、ご主人様。こんな美味しいご飯、初めていただきました……。お腹いっぱい食べられたのも初めてです……ありがとう……ございます」

 

 

 僕は礼を言いながら、思わず胸元の服の端を強く握りしめた。

 

 この食事の後には、きっと──

 

 以前の主人と同じように、

 僕はまた、使われるのだろう。

 

 

 


 

 

 

 外はもう暗い。

 男は寝支度を整えていた。

 

 ……僕の寝床だけでも聞いておこう。

 

「ご主人様、私はどこで寝ればいいですか……?」

「ん、ああ……そうだな……」

 

 そう呟きながら、男は部屋を見回す。

 

「ちょうどいい場所がある。おいで、シルヴィ」

「……はい……?」

 

 男に導かれ、一つの部屋へ入る。

 

 少し進んだ先に、

 一人用のベッドと、チェストが置かれていた。

 

「この部屋を使ってくれ」

「……この部屋を、ですか……? それに……このベッドを……?」

 

 視線が、自然と床へ落ちる。

 

「……私は、床で構いません」

 

 男は、わずかに視線を巡らせた。

 

「診療所は別にあるが……ここにも用意してある。急患のためだ」

 

 簡潔な説明。

 

 使われていない部屋。

 整えられたままの寝台。

 

 ──そのための場所。

 

「だから、遠慮はいらない。使ってくれ」

「……では、使わせていただきます」

 

 ベッドから視線を外し、僕は一歩だけ後ろに下がった。

 

「……あの」

 

 声が、わずかに掠れる。

 

 言葉が詰まる。

 喉の奥に引っかかっていたものが、ようやく形になる。

 

「……ご主人様」

 

 声が、少し震えた。

 

「私は……これから、どうなるんですか」

 

 間を置く。

 

「……何か……その……苦しいことや、恐ろしいことを、されるんでしょうか……」

 

 視線は上げない。

 上げれば、顔色を窺ってしまうから。

 

 男は、少しだけ眉をひそめた。

 

「……そういうことは、しなくていい」

 

 短く、しかしはっきりと否定する声。

 

「ほ、本当ですか?」

 

 思わず顔を上げてしまう。

 

 男の表情を読む。

 怒っているのか、呆れているのか──それとも。

 

 分からない。

 

 だから、言葉を重ねるしかない。

 

「私、痛がってご主人様を喜ばせることが出来ます。前のご主人様も、悲鳴を聞いてとても嬉しそうでしたし……」

 

 喉が乾く。

 それでも、止めない。

 

「出来ることなら、他のお手伝いもします」

「ご飯も、少しで大丈夫ですから……」

 

 これは、正しいはずだ。

 こう言えば、機嫌を損ねずに済むはずだ。

 

「だから、どうか……お手柔らかにお願いします」

 

 言い終えて、視線を落とす。

 

「……」

 

 返事が、来ない。

 

 沈黙。

 

 短いはずの時間が、やけに長く伸びる。

 

 何も言われない。

 

 怒られもしない。笑われもしない。

 

 ──分からない。

 

 何が正解だったのか、分からない。

 

 その「分からなさ」が、じわりと胸の奥を侵していく。

 

「……あ、こ……ごめんなさい……」

 

 言葉が、勝手に漏れた。

 

 何に対しての謝罪かも分からないまま、口が動く。

 

「……その、おやすみなさいませ……ご主人様」

 

 逃げるように言葉を切り上げる。

 

 これ以上ここにいると、何かが崩れる気がした。

 

 僕は視線を逸らし、ベッドの端へと身体を寄せた。

 

シルヴィになんて呼ばせよう……

  • ご主人様
  • 先生
  • 貴方(様)
  • 旦那様
  • グリス
  • その他(コメントとかマシュマロから)
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