※この作品はR-18です。

Teaching Sweet Feeling   作:こまごめピペット

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あの人にお礼を言えた日。

 診療所の朝は、薬草の匂いから始まる。

 棚の瓶を拭きながら、ラベルの字を目で追う。


 

 読める字が、少しずつ増えていた。

 

 この字は「煎じ」。

 その隣は、たぶん「根」。

 

「よし……ん?」

 

 

 蹄の音がしたのは、その時だった。

 チャカポコ、チャカポコと、石畳を叩く規則正しい音。


 雑巾を持った手が止まる。肩の力が、わずかに入る。

 

 ……あの音だ。

 


 揺れる荷台の隙間から、白く濁った空を見ていた日。

 色を失ったまま、運ばれていった日の音。

 

 けれど、足の裏は冷たくならなかった。


 あの荷台は、あの家から出るための荷台でもあった。

 

 扉が叩かれ、彼がカルテから顔を上げた。

 


 目が合う。


 

 何かを察したのか、彼は立ち上がり、私の頭を撫でた。

 

「大丈夫か?」


「……はい。大丈夫です」

 

 手が髪をすり抜けていく。

 


 彼が扉を開けると、土や、馬、油を引いた革、わずかな香辛料の匂いが流れ込んできた。

 

「ご無沙汰しております、先生。頼まれていた薬草が入りましたので」

 

 聞き慣れた声だった。


 荷台の外で、何度も聞いていた声。

 

 商人は箱を持ち、足を止めた。


 

 その視線が、私へと向く。

 

「これは。見違えましたな」

 

 

 変わったのは服だけだと思うのに、その目は、服を見ていなかった。

 

 

「……あ、あの日は、ありがとうございました」

 

 言ってから、自分の声に驚く。

 

「いやいや、私は商売をしただけでして」


「それでも、です……あなたのおかげで、ご主人様に逢えたんです……」

 

 箱がカウンターに置かれる。


 乾いた根と、葉の束。紙の包み。

 貴方が受け取るたびに、薬草の匂いが濃くなっていく。

 貴方は何も言わなかった。


 

 ただ、もう一度だけ、私の頭に手を乗せた。

 

「……お礼を言われる筋合いはありませんよ。まぁ……お元気そうで、何よりですが……」

 

 商人は貴方の耳元へ顔を寄せた。

 何か、短く告げる声。


 私には、聞き取れなかった。

 

「……ああ」

 

 貴方の返事も短かった。

 

「では」

 

 商人は帽子を直し、診療所を出ていった。


 蹄の音が遠ざかる。


 チャカポコ、チャカポコと。
 聞こえなくなるまで、私は扉を見ていた。

 

 カウンターに残された領収書に、商人の名前が書かれていた。

 

「ふ、フェル……ムさんかな」

「お、読めたのか。偉いな」

 

 ◇◆◇

 

 日が傾く頃、納められた薬草を棚へ仕舞った。


 読める字の瓶は、読める場所へ。

 まだ読めない字の瓶は、貴方に聞いてから。

 

「それは、右の二段目だ」

 

 後ろから声がして、振り返る前に、貴方の手が肩越しに伸びた。


 袖を捲った前腕が、視界の端を横切る。

 手の甲に浮いた筋。節の立った、長い指。

 

 私の手元にあった瓶を取り、棚の右二段目に納める。

 

 貴方の香りが、顔のすぐ横で薬草と混じり合った。


 背中には、触れてもいない体温だけが、淡く伝わってくる。

 

 腕が下りるまでの、ほんの数秒。


 私は、息を止めていた。

 

 ……この字は、あとで覚えよう。


 

 そう思うのに、ラベルの字は目に入らず、私の視線は、いつの間にか、貴方の手を追っていた。

 


 あの手が、私の頭を撫でる。そう思っただけで、耳の先が熱くなった。

 

 

 

 

シルヴィになんて呼ばせよう……

  • ご主人様
  • 先生
  • 貴方(様)
  • 旦那様
  • グリス
  • その他(コメントとかマシュマロから)
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