※この作品はR-18です。

Teaching Sweet Feeling   作:こまごめピペット

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貴方と初めて出かけた日

 その男は、僕の頭を軽く撫でると、一言二言だけ言葉を残して仕事へ戻っていく。

 

 手伝いを命じられることもない。

 怒鳴られることもない。

 

 ──放っておかれていた。

 

 せっかく引き取ったはずの奴隷を、使おうともしない。

 ただ時折、頭や髪を撫でるだけ。

 

 理解できなかった。

 

 何のために、僕はここにいるのだろう。

 

 食事は出される。

 寝る場所もある。

 殴られることもない。

 

 けれど、それだけだった。

 

 ここへ来て五日ほど経った頃。

 恐る恐る、何か手伝えることはないかと尋ねると、男は少し考えてから、

 

「ふむ……掃除と、皿洗いを頼む」

 

 そう言った。

 

 力仕事のできない僕でもできる仕事だった。

 

 それから数日。

 僕は掃除と皿洗いをするようになった。

 

 失敗をしても怒鳴られることはなく、仕事が終われば、男は時折僕の頭を撫でた。

 

 ……不思議な人だ。

 

 

 ◆◇◆

 

 

「今日は買い出しに行くよ」

 

 朝食の席で、その人はそう言った。

 

「……お仕事のほうはどうするんですか……?」

「午前中は休んで、午後はゆっくりしようか」

 

 その人は穏やかに微笑んだ。

 

「……わかりました。行ってらっしゃいませ」

 

 すると、その人は不思議そうに目を瞬かせた。

 

「ん? シルヴィ、君も一緒に来るんだ」

「……え? 私もですか……?」

 

 市場の賑わいや活気のある声は、前の主人のところでも嫌というほど聞いていた。

 

 けれど、“自分が行く”という発想は、今まで一度も無かった。

 

 奴隷が主人と並んで、買い物に出かける。

 

 そんなこと、あっていいのだろうか。

 

 小さく頷き、僕が食べ終えた食器を洗い終えると、「ほら、行こうか」とその人は立ち上がって手を差し伸べた。

 

 一瞬、躊躇った。けれど、断る理由も思いつかない。

 僕はそっと、その大きな手に自分の手を重ねた。

 

 その人の手は、暖かかった。

 今まで僕に触れてきた手とは違う。

 

 痛めつけることも、何かを要求することもない。

 ただ、そこにあってくれるような温もりだった。

 

 通りに出ると、喧騒が僕たちを包んだ。

 大きな噴水、行き交う人々の足音、店先から聞こえる威勢の良い呼び込みの声、馬車の車輪が石畳を軋ませる音。市場は活気に満ちていた。

 

 気付けば、僕はその人の手を少し強く握っていた。

 

 人混みではぐれないように。

 

 ……たぶん、それだけだ。

 

 その人は、僕の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれた。

 人混みの中で迷子にならないように、しっかりと手を引いてくれる。

 

 

 

 市場の人々は、僕のような奴隷の姿を見ても、特に気に留める様子はない。

 奴隷を持つのは珍しくないからだろう。

 

 だけど、僕たちの歩き方は、きっと奇妙に映ったに違いない。

 主人と奴隷という関係にしては……あまりにも距離が近すぎた。

 

 ◇◇◇

 

 買い物を何とか終え、喧騒を縫うようにして人混みを抜けていくと、それまでの活気混じりの匂いとは違う、不意に甘い香りが鼻をくすぐった。

 ──焼き菓子の匂いだ。

 

 気付けば、僕はそちらへ視線を向け、足を止めた。

 

 通りの先、小さな喫茶店の窓際で、何人かの客が楽しそうに皿を囲んでいる。

 

 その人は、僕の視線の先を追うように喫茶店を見た。

 

「あ……ごめんなさい、なにも無いです」

「そっか……少し早いけれどお昼にしようか」

「え……?」

「ちょうど休憩したいと思っていたんだ」

 

 そう言って、その人は喫茶店の扉を開けた。

 扉を開けると、外の喧騒が少し遠ざかり、美味しそうな香りと少し変わったウェイトレスさんが迎えた。

 

「いらっしゃいませー?」

 

 木の机と椅子が並ぶ、小さな店だった。

 昼前だからか客はまだ少なく、穏やかな空気が流れている。

 

「お二人様ですねー? こちらへどうぞー?」

 

 少し変わった店員に連れられ、席に座ると

 

 その人はメニューに目を通し何を注文するか考えているようだ。

 その合間、視線が自然と周囲の卓へ向く。

 

 丸く焼かれた生地。

 四角いバター。

 甘い香り。

 

 さっきから、どうしても気になってしまう。

 

「……すみません」

 

 その人はウェイトレスを呼んで、何かを注文していた。僕はぼんやりとそれを聞き流しながら、窓の外へ視線を向ける。

 

 

 ……しばらくして、甘い香りと一緒に皿が運ばれてきた。

 

 丸く焼かれた生地の上に、四角く切られたバターと蜜がかかっている。

 甘い匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。

 

 その皿は──その人の前ではなく、僕の目の前へと置かれた。

 

「……え?」

 

 思わず、その人の顔を見る。

 

「シルヴィの分だよ」

 

 穏やかな声だった。

 

「これ……私に……?」

 

 奴隷が、こんなものを食べていいのだろうか。

 

 こんな綺麗な店で。

 主人と同じ席について。

 甘い菓子を食べるなんて。

 何か裏があるのだろうか。

 

 戸惑っていると、その人は少し困ったように笑った。

 

「嫌いだったかな?」

「ち、違います……」

 

 慌てて首を横に振る。

 

 嫌いなわけがない。

 むしろ、さっきからずっと気になっていた。

 

 僕は恐る恐る、フォークを手に取った。

 

 柔らかい生地を切り分け、そっと口へ運ぶ。

 

 ──甘い。

 

 温かくて、柔らかい。

 

 バターの油分。

 蜂蜜の花の香り。

 ふわふわとしたパンケーキが、口の中でゆっくり溶けていく甘さに、思わず動きが止まった。

 

 こんなもの、食べたことがない。

 

「……おいしい?」

 

 その人にそう聞かれ、僕は少し迷ってから、小さく頷いた。

 

 その人は、どこか安心したように微笑んだ。

 

 その笑顔を見た瞬間、僕の胸の奥で、何かが静かに、けれど確かに融け始めていくのを感じた。

 

シルヴィになんて呼ばせよう……

  • ご主人様
  • 先生
  • 貴方(様)
  • 旦那様
  • グリス
  • その他(コメントとかマシュマロから)
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