イスタール年代記-快楽の修練者と藍色に染まる少女たち- 作:錫鹿とらちよ
「こっちのワンピースはどう?」
活気あふれる洋品店の店内にルーアンの弾んだ声が明るく響き渡る。
街の昼下がり、ポーターとルーアンは休日を合わせかねてからの約束通り二人で服を買いに商店街を訪れていた。
「は、派手じゃないかな…」
ルーアンが勧めてくれた鮮やかな黄色の生地を見て、ポーターは気恥ずかしさに戸惑う。
だがルーアンは自分の服を選んでいる時よりずっと楽しげに、次々とポーターに試着を勧めてくる。
「ポーターは可愛らしいし、髪も明るいからこれくらい爽やかな色の方が絶対に似合うわよ!」
こんなに明るく可愛らしい服を着て屋敷に戻ったらフェリオやルッツはどんな顔をするだろうか。
ルッツはきっと手放しで褒めてくれるような気がする。
けれど、あのフェリオは……。
ほんの少しでも良い反応をしてくれるだろうか。
ポーターは期待と不安を混ぜ合わせながらも胸の内に確かな楽しさと嬉しさを感じていた。
目の前で快活に笑う褐色の少女と共に過ごす時間は、あの監獄で凄惨な日々を送っていた頃からは到底考えもつかない奇跡のような日常であった。
「それで、例の『快楽の修練』を終えたのよね?……どうだった?」
買い物を終え買ったばかりの服に着替えて二人でお茶を楽しむ店内の片隅で、ルーアンは待ちきれないとばかりに小声を潜めてポーターに聞いた。
不意の問いに、瞬時に頬を赤く染めるポーター。
しかし、彼女も今日はそれを訊かれるだろうと覚悟を決めていた。
周囲に悟られないよう同じく小声で慎重に言葉を紡ぐ。
「あのね……一言で言うと凄かったわ。すごい、その……とても、気持ちよかったの」
ぽつりぽつりと、記憶を反芻するように告白するポーター。
その言葉を拾うごとにルーアンの表情にはさらなる好奇心が色濃く現れ身を乗り出してくる。
「でも……私ね、やっぱり…『愛情の修練』の方が、好きかなあって思ったの」
ルーアンは以前、自分は快楽の修練の方が肌に合うと言っていたがやはりポーターにとってはあの深い幸せの中で快感に浸るかけがえのない体験こそが何よりも心地よいものに感じられていた。
「あははっ、やっぱりね! ポーターはそっち派かなあって思ってたわ」
予想通りの答えが聞けたのか、ルーアンは満足げにけらけらと笑う。
「そ、そう思ってた?」
「うん、私にだって『愛情の修練』の素晴らしさは分かるもの。ポーターは穏やかな性格だから、そういう心の繋がりがある方が好きなんだろうなって」
満足げに紅茶を啜るルーアンを眺めながらポーターは照れくささに身を縮める。
「もう…恥ずかしいから、この話はここまでにしましょう」
うつむきながらも、ポーターは内心で温かな充足感を感じていた。
自分に課せられた深い役目について、同じ境遇にある少女と想いを共有できることがこの上なく心強かった。
買い物をしてお茶を楽しみ、ポーターは先日受け取った給与の大部分を使い尽くしてしまった。
「明日からもしっかり働かなきゃ」
ルーアンと肩を並べて帰路につきながら、ポーターは明日からまた始まる労働の日々に向け気持ちを切り替える。
それとともに、忙しくも報われる毎日を送る自身に僅かな誇りも持ち始めていた。
(こんな私がしっかり働いて、正当な対価を得て…お友だちとお買い物までできるようになるなんて)
満たされた新しい生活への充足感を噛みしめているポーターに、ふとルーアンが声をかけた。
「ね、ポーター……あの子」
ルーアンが指さす先を見てポーターははっとして僅かに目を見開いた。
そこには薄い水色の髪を二つにまとめ、普段の自分たちと同じく使用人の服を纏った小柄な少女がいた。
ガトン収容所で何度か見かけ、共に救われ、あの大浴場で共に身体を清め合い…そして別の主に引き取られていった少女だ。
「私っ、声かけてくるねっ」
「あ、私もっ……」
ルーアンが小走りで少女に駆け寄るのにポーターも続く。
この褐色の少女は自分以外の四人がその後どうなったかを誰よりも気にかけていた。それはポーターも同じ気持ちだった。
「ねえ、あなた」
水色の髪の少女にルーアンが声をかける。
その声に振り向き二人を認めた小柄な彼女の顔は、一瞬、はぐれた仲間を見つけたかのような驚きと喜びを見せた。
だが、水色と黄色の明るい洋服を纏った二人を見た途端、その瞳はすぐに怪訝な表情へと一変する。
「あなた、あの時収容所から一緒に連れられて…この街に来た子よね。えっと、たしか……」
ルーアンは再会を喜ぶように明るく話しかける。
だが、その少女の態度はポーターの時とは明らかに違っていた。
「……キルヴィ」
彼女は短く名前を答えるが、その様子は明らかに強く警戒している。
射抜くような鋭い目つきは相手を拒絶し睨みつけるかのようにも見えた。
「キルヴィね! 私はルーアン、この子はポーター。私たち、あの時の子たちを探していたの」
「あの…私たちは、あの日一緒に連れられて、それぞれの主様に引き取られていった他のみんながどうなったのかずっと心配していたのよ」
ポーターもルーアンに続き歩み寄るように優しく話しかける。
「そう……あなたたちは、すっかりこの街の人間に染まってしまったのね」
キルヴィと名乗った少女は二人から冷たく目を背けた。
「えっ……」
思ってもみない拒絶にポーターとルーアンは当惑して顔を見合わせる。
「可愛い服まで買ってもらって……男に媚を売っているの? きっと、彼らの言う『修練』とやらにも熱心に励んでいるのでしょうね」
二人の新調した服を見遣り、彼女は吐き捨てるようにそう言い放った。
「な、なによ……そんな言い方っ」
ルーアンが思わず食ってかかるが、彼女は取り合うこともなく「フン……」と言い捨て、二人に背を向け去ろうとする。
「私は……男なんかに染まらないから」
冷たい一言を残して去っていくキルヴィの背中を見て、残された二人は、楽しかった一日に重い陰りが差すのを感じていた。
恵まれた毎日に覆い隠されていたが、自分たちにはまだ「奴隷」という逃れられない属性がまとわりついているのだ。
それを嫌というほど自覚させられるような感覚が、二人の足元に暗く横たわっていた。