イスタール年代記-快楽の修練者と藍色に染まる少女たち- 作:錫鹿とらちよ
「なんで私……あんな事を言ってしまったんだろう……」
帰路についたキルヴィは先ほどポーターとルーアンにぶつけた自らの態度を激しく後悔していた。
本当は二人に礼を言いたかった。いや、謝罪したかったのだ。
ガトン収容所にいた頃、子供のような体型の自分や少年のような風貌のミニスは性欲を晴らしにくる男たちの標的になることは多くなかった。
彼らが好んで選ぶのは、女性らしい豊満な肉体を持つルーアンや可愛らしく愛くるしいポーター、そして美しいセイレンのような者たちだったからだ。
加えて自分は反抗的な態度を取ることが多く、殴られて顔を腫らすことはあっても興を削がれた男たちは結局彼女たちの方へ流れていった。
それが申し訳なくてたまらなかった。
次に会う機会があればその時のことを謝ろう。そう心に決めていたはずなのに…。
いざ再会した彼女たちがこの街の生活にすっかり馴染んでいる姿を目にした瞬間、胸の奥から反射的に刺々しい言葉が飛び出してしまった。
「上手くやっているということよね……」
きっと彼女たちはこの街で女性に課せられた役割――自分が拒み続けている「修練」とやらも受け入れ、主とも良好な関係を築いているのだろう。
自分にはどうしてもそれが受け入れられない。
「ただいま戻りました、エリオ様」
屋敷に着いたキルヴィは、果物と野菜を詰め込んだ買い物かごをテーブルに置き、奥の部屋で書類に目を通している初老の男性に声をかけた。
「ん、ああ……おかえり、キルヴィ」
イスタール人特有の藍色に白が混じった髪を上品に整えたその男、エリオは彼女に顔を向ける。
かつては他の同族と同じく戦闘や房中術の手練れとして国に尽くした男だったが、今は一線を退き修行者や受け手の女性たちを管理する職に就いていた。
「キルヴィ、一息ついたらこちらに来なさい」
その声の響きで察した。またあの話だろう。
「何でしょうか」
一息つく間もなくエリオの机の前に立つキルヴィ。
「ん……ああ、まあその……また催促が来てな。そろそろ君にも修行者の『修練』の相手を……」
「嫌です」
彼女は真っ直ぐに、その提案を切り捨てた。
エリオは書類に目を落としたまま、重いため息をつく。
「はあ……。そうか、仕方ないな…今回も見送らせてくれと伝えておくか」
諭しても無駄だと悟ったのか、すんなりと拒絶を受け入れ書類を書き進める彼を見てキルヴィは唇を強く噛みしめた。
彼には感謝しているのだ。
地獄のような監獄から救い出され、衣食住の全てを保証され、仕事まで与えてもらった。
何よりこの男は自分のような生意気な女に対しても常に優しく、根気強く向き合おうとしてくれている。
おそらく自分が修練を断り続けることで主である彼の立場も悪くしているに違いない。
それが悔しく、申し訳なかった。
(どうして自分は上手くやれないのだろう……)
キルヴィは床を睨みつける。
「私たちとしても君のような女性に無理強いをするつもりはない。なんとか誤解をしている部分もあると分かってくれるといいのだけどね」
誤解、しているのかもしれない。
エリオとこの屋敷で過ごすうちに、彼や他のイスタール人が決して悪人ではないことは理解できていた。
ただ彼らもまたその立場を利用し、自分のような身分の女を性的な目的のために「使う」つもりなのだという事実がどうしても許せなかった。
「どんな過酷な仕事でもします。お給金も自分の部屋もいりません。生意気だと思われたなら殴っていただいて構いません」
キルヴィは毅然と言い放つ。
「ただ、修練というものがどういうものか詳しくは分かりませんが…無理に私を性の対象にするというなら……舌を噛んで死にます」
もうあの収容所の時のような思いは二度と御免だ。
この街の男達はあの監獄の奴等よりは大分マシなのかもしれないが、女性を都合良く使うという点では同じ事。
彼女の決死の覚悟を聞き、エリオはついに降参した。
「分かった。もういいよ、夕飯の支度の時間まで部屋で休んでなさい」
キルヴィは彼にぺこりと頭を下げ、自分に与えられた部屋へと戻った。
彼女に与えられているのは必要最低限の家具が置かれた、質素だが清潔で柔らかなベッドのある日当たりの良い部屋。
彼女はベッドに腰掛け、恩人である主への申し訳なさと、どうしても折れることができない自らの頑固さの板挟みになり瞳に涙を滲ませた。
(どうして私はこうなんだろう……。ミニスは…ミニスはちゃんとやっているかな)
脳裏に浮かぶのは真っ赤な髪をした収容所時代唯一の友人。
彼女も優しい主に引き取られ、酷い目に遭っていないことを願わずにはいられなかった。
部屋から漏れ聞こえる小さなすすり泣きを耳にし、エリオは深く考え込む。
(あれは相当に深い傷を負っている。何とか彼女の心をこれ以上傷つけずに上手くいく方法を考えねばな……)
初老の男は、それでもなお孤独な少女を心から案じていた。