イスタール年代記-快楽の修練者と藍色に染まる少女たち- 作:錫鹿とらちよ
案内された食堂は簡素ながらも手入れの行き届いた木の家具が並ぶ落ち着いた空間だった。
テーブルの上には派手なご馳走こそないが、湯気を立てる大きな鍋と籠に盛られた数種類のパン、そして皿に並べられた厚切りの加工肉が用意されていた。
「座りなさい。まずはそのスープからだ」
ランセルが静かに椅子を引く。
ポーターたちが吸い寄せられるようにパンへ手を伸ばそうとすると彼はそれを手で制し、穏やかな、しかし強い口調で言った。
「こら、焦るんじゃない。ひどく飢えていた身体にいきなり固形物を詰め込めばかえって身体を壊すことになる。まずはこのスープをゆっくりと一口ずつ喉に流し込むんだ」
促されるまま、ポーターはおずおずと木の匙を取りスープを口に運んだ。
根菜の甘みと肉の出汁が溶け出した温かな液体。
それが喉を通った瞬間、身体の芯がじわりと熱くなった。
ガトン収容所での腐りかけた配給とは比べものにならない「食べ物」の味が胃に染み渡っていく。
「…っ、う…」
隣ではセイレンが堪えきれなくなったように小さく声を漏らしていた。皆、無言だった。
ただ、一口ごとに命が吹き込まれていく感覚を噛み締めるように味わっていた。
スープで胃が落ち着いたのを見計らい先ほど「修行前」と呼ばれていた少年がパンと加工肉を切り分けた。
「よし。次はパンを小さくちぎって食べるんだ。よく噛むように。…君たちが健康を取り戻すことが我々の最初の目的だからな」
久しぶりに味わう柔らかなパンの弾力、塩気の効いた肉の旨味。
ポーターは一口食べるごとに自分という人間が少しずつ地上の世界に引き戻されていくのを感じていた。
食事が一段落し彼女たちの顔にわずかな赤みが差した頃、ランセルは傍らに立ち静かに本題を切り出した。
「さて。身体が温まったところで君たちの今後について話そう」
ポーターは匙を置き姿勢を正した。
やはり、ただで食事を与えられるわけがない。
「君たちはこれからそれぞれ別の屋敷へ引き取られることになる。そこで君たちはイスタールの有力者や相応の地位にある者を主人として暮らすのだ」
ランセルの言葉は淡々としていた。
「仕事は主に屋敷の使用人だ。掃除や洗濯、手伝い……。君たちに僅かだが月ごとの給与も支払おう」
給与。その言葉に五人の間にさざ波のような動揺が走った。
「個室も与えるし週に一度の休日も保障しよう。街の外には出られないが街中であれば自由に歩き回っても構わない。数年後、役目を終えて自立を望むならそれを助けるための一般的な教養も学ばせよう」
(…信じられない)ポーターは向かいに座る赤髪の少女と一瞬だけ視線を交わした。彼女の瞳にも驚愕と、それ以上の疑念が浮かんでいた。こんな好待遇、裏がないはずがない。
「…だが、条件がある」
ランセルの声がわずかに低くなった。
「誤解のないように行っておくが君たちの立場はいまだに奴隷だ。君たちはこの国が古くから守り続けている『技』を継承するための一助とならねばならない。週に一度――君たちは修行中の若者の『房中術』の練習相手を務めてもらう」
その言葉の響きに、ポーターの背筋に冷たい緊張が走った。
「…それは、看守たちがしたことと同じですか?」
「いや、根本から異なる」
ランセルは真っ直ぐにポーターを見据えた。
「我らイスタール人の修行者は女性の心と身体の声を聞くことを第一とする。痛みや屈辱を与えることは、技の未熟さを証明する恥辱だ。彼らが君たちに捧げるのは、ひたすらなる心身の悦びだけだ」
「悦び…」
「そうだ。君たちは、ただ身を委ねていればいい。彼らの技術がどれほど正確に君の欲求を捉えているか、それを確かめるのが君たちの役割だ」
ポーターは拳を握りしめた。暴力ではなく悦び。
支配ではなく奉仕に近い行為。
それが何を意味するのか、今の彼女にはまだ想像もつかなかった。
けれど、さきほど自分の身体を丁寧に洗ってくれた少年たちのあの透き通った瞳を思い出すと不思議と「汚される」という嫌悪感だけは湧いてこなかった。
「…わかりました」
ポーターが代表するように答え他の数名も頷いた。
「賢明な判断だ。…では君たちの主人を紹介しよう。すでに彼らは扉の外で待っている」