イスタール年代記-快楽の修練者と藍色に染まる少女たち- 作:錫鹿とらちよ
「凄かったわ、本当に……」
ベッドの上で、もはや指一本動かす気力さえ残っていないほどに果てたミニス。
彼女に毛布をかけ、その上から華奢な太ももを慈しむように優しく擦りながらキルヴィは呟いた。
とても自力では立ち上がれそうにない親友の代わりにキルヴィは修行者クライスに向かって一礼した。
彼は一連の「務め」を終え、同じくキルヴィに礼を返す。
乱れた衣服を整えながらもその立ち振る舞いには一切の卑猥さがなくただ落ち着いた空気を纏っていた。
彼を見送り、部屋の外で待機しているであろうアロンへの対応を確信しながらキルヴィは改めてクライスという男の技量に圧倒されていた。
クライスは修行者の中でも間違いなく手練れであった。
並の修行者や駆け出しの者ではミニスの魔性に取り込まれてしまう恐れもある。
だが、熟練者の彼はミニスとキルヴィの状況を理解し、修行者として完璧に修練をやり遂げたのだ。
「あは……今さら、なんだか…すごく恥ずかしくなってきた」
キルヴィを見上げミニスは力なく、けれど穏やかに微笑んだ。
「僕のあの姿を見て……どう、思った? キルヴィ…」
ミニスは少し真剣な面持ちになり親友の反応を確かめるように尋ねた。
「そうね…。あなたの言う通り、あの牢獄での行為とは根本から全くの別物だと思ったわ」
クライスの一連の行為を見てキルヴィは気づいたことがあった。
確かに彼らは自らの技を磨くために女性を「修練の受け手」として利用する。
その仕組み自体はいまだに納得がいかない。
けれど、その「技」自体がそもそも男性の欲を満たすためのものではないのだ。
彼らの技術は全てが女性側の欲求を満たすことに特化している。
身勝手に己の性欲を解消し、女性を排泄の道具として扱う収容所の男たちとは根本的に違うのだと理解できた。
おそらくクライスの最後の射精ですら、彼自身の快感のためではなくミニスにより深い快感を与える道具として使われたに過ぎないのだろう。
「私……受けてみるわ。その、修練というのを」
キルヴィはミニスを見つめ静かに、揺るぎない決意を口にした。
「ほ……本当にっ!? …あ、あの、今日のクライス様は今までで一番上手な方で……あの人だったらキルヴィも安心かもしれないし、あ……でも、まずは上手すぎない人の方がいいのかな…一度受けてみて、それでも違うと思ったら……っ」
ミニスはガバッと半身を起こし、興奮した面持ちで言葉をまくしたてた。
その様子にキルヴィは苦笑して親友の頭を撫でた。
「慌てないで……。ええ、私なりに考えていることもあるから」
「修練を受けます」
翌日、オイラーの執務室を訪れたキルヴィはその場に響く凛とした声で告げた。
部屋には主のオイラーと報告のために訪れていた使用人のアロンがいたが、キルヴィの申し出に二人は顔を見合わせて驚いた。
「そ、そうか……。うーん、ミニスの捨て身の方法が実を結んだ、ということかな」
オイラーは感心するように言った。
「はい。あの子の献身的な努力の結果です。ですからぜひ彼女に良い評価を与えてあげてください」
キルヴィはオイラーを真っ直ぐに見据え親友への労いを求めた。
自分の修練を受ける姿を見てほしい――。
その大胆なミニスの作戦はキルヴィの心を動かすに十分すぎるほどだったのだ。
「そうか。それでは早速…予定を決めようか。君がようやく受け手として務めを果たす気になったと知ればエリオ先輩も喜ぶだろうよ」
満足げなオイラーの言葉は恩人である主に負い目を感じ続けていたキルヴィの心を少し晴れさせた。
けれど、それはあくまで自分が「務め」をしっかりとこなせた場合の話だ。
自分に上手くできるかはまだ不安が残る。
「む……ごめんよ。少し、こちらが焦りすぎたかな」
キルヴィの様子を見て、オイラーは声をかけた。
イスタールの男性は本当に察しが良い。
「まずは一度、愛情の修練を受けてみるといい。それで自分が何を感じるか…その先どうやっていけるか、少しずつ考えていこうか」
「お気遣いありがとうございます、オイラー様」
キルヴィは頭を下げる。
「何か質問や不安なことはあるかい? 可能な限り、君の望む条件も叶えたいと思っている」
オイラーはなるべく彼女に寄り添いながら話を深めようとしていた。
彼としてもこの気難しい少女が心変わりしないように慎重なのだ。
「条件などと、今の私が言える立場ではありません…。ただ、もし可能であれば……その、お相手の方を……」
「ああ、心得ているよ。なるべく熟練の、扱いに慣れた修行者にお願いするつもりだ。アロン、修行者たちの来週の予定を……」
主の言葉に従い、傍らで控えていたアロンが書類をめくり始めた。
「最初の相手は……アロンにお願いしたいです」
キルヴィは、書類をめくる手を止めた少年の瞳を真っ直ぐに見つめ、はっきりと言い切った。
「ア、アロンさんと!!?」
「声が大きいわ、ミニス」
ミニスとの休日。
二人は街の飲食店で食事を済ませ、お茶を楽しみながら語らっていた。
「ご、ごめん……。でも、アロンさんは確か、修行者になるのはまだ先だと聞いていたけれど……」
「どうせあと一年もかからないのだから早めの修練開始ということで別に構わないだろう、とオイラー様は軽く仰っていたわ」
いかにもあの主が言いそうな台詞に、ミニスはその場の光景を容易に想像してしまった。
「そ、それで……アロンさん本人は、なんて?」
ミニスはテーブルから身を乗り出して尋ねる。
「何か色々と難色を示していたけれど、結局はオイラー様に上手く丸め込まれていたわね」
キルヴィはそう言いながら静かに紅茶を口にした。
受け手としての務めを決心し腹を括ったのだろうか。
その堂々とした佇まいにミニスは深い感銘を覚えた。
それにしても、キルヴィとアロンが――。
ミニスは生まれて初めての感情で胸がいっぱいになる。
自分にとって最も大切な親友と、とにかく世話になり敬意を抱いている先輩が、修練という場で男女の関係になる。
この感情は驚きなのか、あるいは喜びなのか。
とにかくむず痒く胸が膨らむような気持ちになり、謎めいた高揚感に居ても立ってもいられなくなる。
「えー、ええ……。ひゃぁー……っ」
両手で口元を押さえ赤くなるミニスを見て、キルヴィは呆れたように言う。
「盛り上がっているところ悪いけれど、私は私でこうして落ち着いているように見えて……内心は緊張でそれどころじゃないのよ」
キルヴィはそう言って冷めかけた紅茶を飲み干した。
数日後、修練の夜。
かつてミニスが快楽の濁流に呑まれ、乱れきっていたあのベッドの上に今度はキルヴィが腰掛けていた。
(不思議なものね……。あの時は、自分がこの場所で同じことを行う日が来るなんて思いもしなかった)
キルヴィは指先で真新しいシーツの感触を確かめるように撫で、心の中で静かに呟く。
清潔な布の匂いがこれから始まる未知の儀式への緊張をより一層際立たせていた。
(コン…コン)
しばらくして、静寂を破るように扉が控えめにノックされた。
キルヴィが「どうぞ」と促す声を上げるとガチャリと音を立てて扉が開く。
「あー……お待たせ」
そこに入ってきたのは、どこか居心地が悪そうにバツの悪そうな顔をしたアロンだった。
あの日、彼を相手に指名して以来、この端正な顔立ちをした長髪の少年とは仕事中もろくに言葉を交わすことができずにいた。
「随分と色気の無い言い方をするのね」
キルヴィが少し呆れたように軽口を叩く。
「仕方ないだろう。そういう空気作りや機微はあと一年かけて学んでいこうと思っていたところなんだから」
アロンはそう言って困ったように頭を掻いた。
その飾らない様子が張り詰めていたキルヴィの心を少しだけ解きほぐす。
「とりあえず、座ったら?」
キルヴィが自分の隣をポンポンと叩くと、アロンはそこから拳一つ分ほど慎重に距離を置いて腰を下ろした。
お互いに並んで座ったまま言葉が見つからず、部屋にはしばらく無言の時が流れる。
「……なんで、僕なんだ?」
その重苦しい沈黙に耐えきれずアロンが核心を切り出した。
あの日、オイラーの部屋でキルヴィが予想外の提案をした際、アロンは真っ先に反対の意を唱えた。
自分はまだ修行者になるための学びを積んでいる最中の身だ。
特にキルヴィのように修練に対して強い抵抗や不安、そして不信感を抱いている女性に対しては修行者の中でもとりわけ経験を積んだ熟練者が臨むべきだと彼は強く主張した。
しかし、オイラーの考えは違った。
彼はキルヴィが再び心を閉ざしてしまうことを何よりも危惧していた。
修行前の者たちの中でも特に優秀で、かつ彼女が気を許しているアロンであればその不安を払拭できるはずだと。
アロンは彼女を大切に思うがゆえに自分よりも優れた者をと進言したのだが、結局はオイラーの巧みな言葉に言いくるめられてしまったのだ。
「そうね……。初めての修練とやらを受けるのであれば、全く知らない人より好感を持てる身近な人の方がいいなと単純に思っただけよ」
キルヴィは視線を合わせないままポツリとそう伝えた。
「好感」という響きに照れくささを覚え、アロンは返す言葉を失って再び沈黙に沈んだ。
「……私ね、あなた達には本当に感謝をしているの」
次に沈黙を破ったのは、キルヴィだった。
「エリオ様も、オイラー様も……そしてあなたも。あの地獄のような場所から私とミニスを救い出し、こうして良くしてくれている方々には感謝してもしきれないわ」
そう、かつてはどうしても理解できなかった「修練」という一点を除けば彼らには一生をかけても返しきれないほどの恩がある。
そして今、その最後の一点に対しても彼女の心は変わりつつあった。
「私、すると決めたからにはとことん務めるつもりよ。でも、さすがにエリオ様たちは修行をとうに終えている身のようだし……。お相手を選ばせてくれると言うのなら、私にはあなたしかいないの」
この部屋で二人になって初めて、キルヴィはアロンの瞳を真っ直ぐに見つめた。
その顔を改めて至近距離で見つめアロンの心臓は激しく高鳴る。
ミニスと同じように幼さを残した、華奢で小柄な少女。
しかし、彼女の芯の強さを物語る切れ長の瞳も、小さく整った鼻筋も、控えめで可愛らしい唇も。
その全てが「可憐」という言葉では足りないほど魅力的な一人の女性として彼の目に映った。
「私を好きなようにして。あなたが技を磨くために必要だと思うことがあるなら、私の身体で全てを叶えて。……あなたが研鑽を積むために私が役に立てるなら、どんな無茶なことでも受け止めるわ」
キルヴィはそう言って、アロンの手に自らの手をそっと重ねた。
「無茶なことなんて……しないよ」
「私、アロンが思っているよりずっと丈夫よ? それだけ厳しい目に遭ってきたのだから」
自虐的に、どこか寂しげに笑う彼女の手を今度はアロンが強く握り返した。
「あなたはこういう事は初めてよね。ごめんなさい……私ったら、あんなにたくさんの男に乱暴されて……。そういう意味では私の方が先輩かしらね」
緊張をほぐそうとしているのか、彼女は寂しく笑いながら自虐とも取れる冗談を続けた。
だが、アロンは彼女が過去に触れても一つも表情を曇らせることはなかった。むしろ、彼女を心から安心させるような、穏やかで包容力に満ちた眼差しで真っ直ぐに向き合う。
「でもね……。この前のミニスの修練を見て気づいたの。ああ、私にもまだしたことがないことがあったんだって。初めてのことが残ってたんだって…」
「初めてのこと?」
アロンが優しく、促すように尋ねる。
「その……。男の人と、優しく……唇を重ねること…」
そこまで言うと、キルヴィは途端に頬を赤く染め、恥ずかしさに耐えかねて俯いてしまった。
その愛らしい仕草に、アロンの理性が微かに揺れる。
彼は指先で俯く彼女の顎をそっと掬い上げ、吸い寄せられるようにその小さな唇を優しく、熱く塞いだ。