イスタール年代記-快楽の修練者と藍色に染まる少女たち- 作:錫鹿とらちよ
翌朝、昨夜の情事の余韻をほのかに身体の芯に残しながらルーアンはデリーの屋敷を後にした。
向かう先は、親友であるポーターが身を寄せているフェリオ家の屋敷である。
イスタールの陽光が降り注ぐ中、彼女の足取りはどこか軽く友人に会える期待に胸を躍らせていた。
フェリオ家の立派な門をくぐると一人の使用人が彼女を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました。フェリオ様、およびポーターがお待ちしております」
そこにいたのは、まだあどけなさを多分に残した、年下の少年――ルッツだった。
(……っ、か、可愛い……!)
ルーアンは思わず、その愛らしい顔立ちに見惚れてしまった。
主であるデリーの屋敷には自分以外の使用人はおらず、日常的に接するのはたまに立ち寄るデリーの部下、屈強な軍人やあるいは修練の相手となる青年の修行者たちばかりだ。
それゆえに、ルッツのような可憐で礼儀正しい少年の存在は彼女の目にとても新鮮で物珍しいものとして映った。
「あの、まずはこの屋敷の主であるフェリオ様にご挨拶をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
「はい、承っております。こちらへどうぞ」
ルッツの案内で、ルーアンは屋敷の奥へと通された。
重厚な扉が開かれ、彼女はポーターの主であるフェリオと初めての邂逅を果たす。
(……か、格好いい……)
ルーアンはまたしても目の前の男性に見惚れてしまった。
そこにいたのは、藍色の髪を隙なくオールバックに整えた知的な雰囲気を纏う男性だった。
ルーアンの主であるデリーも軍人らしい荒々しさと色気を兼ね備えた相当な伊達男だが、目の前のフェリオという男は、それとはまた異なる物静かで洗練された「大人の男」の魅力を全身から漂わせている。
その立ち居振る舞いの一つ一つに気品が溢れており、ルーアンは一瞬で彼が持つ高潔なオーラに圧倒されてしまった。
「ポーターとは仲良くしてくれているようだね。彼女から君の話はよく聞いているよ。礼を言う」
「い、いえ! 私の方こそ、ポーターにはいつも助けられてばかりで…。丁寧にご対応いただきありがとうございます」
フェリオの穏やかでいて芯のある声に、ルーアンは居住まいを正して深々と頭を下げた。
(ポーターったらこんな素敵な主様や、ルッツさんに囲まれて暮らしているなんて…羨ましいわね)
ルーアンは後で散々問い詰めねばと考えながら部屋を後にした。
短い挨拶を終え、再びルッツに導かれたルーアンは親友が待つ応接間へと足を運ぶ。
どうやら例の「話がある」という人物は、すでに到着しているようだった。
扉が開かれるとそこには桃色の髪を揺らす親友、ポーターの姿があった。
そして、彼女と向き合うように座っていたのは記憶にある鋭い眼差しを持つ少女。
水色の髪の小柄な少女――キルヴィだ。
さらにその隣には、同じく小柄で、短い赤髪をした少女が気まずそうな顔で座っていた。
(あー……やっぱり、ね)
ルーアンは心の中で小さく呟いた。
なんとなく、予感はしていたのだ。
以前、街で見かけた際に声をかけた時にあからさまに嫌悪感を剥き出しにして、ひどい悪態をついてきたあの子。
名は確か、キルヴィ。
そしてその隣にいる赤髪の少女にも見覚えがあった。
彼女もまた、あの忌まわしきガトン収容所に囚われていた一人だ。
言葉を交わしたことは少なかったが、解放された後、イスタールの大浴場であの地獄の汚れを共に洗い流した記憶が鮮明に蘇る。
彼女も無事にどこかの屋敷に引き取られ、生きていたのだ。
「では、僕は一旦席を外しますね。ごゆっくり」
4人分の紅茶を用意したルッツが気を利かせて退室し、部屋には四人の少女だけが残された。
ルーアンはポーターの隣に腰を下ろし、二対二で向かい合う形となる。
静寂が流れる中、最初に口を開いたのはポーターだった。
「えーと……あは、何か空気が重いけど、今日は何か用事があって来てくれたのよね?」
気まずそうにそうキルヴィに向かって問いかけると、彼女はポーターとルーアンに向かい口を開いた。
「あの……先日は、本当に失礼な態度を取ってしまって…ごめんなさい」
キルヴィは椅子から立ち上がり、消え入りそうな声で、しかし真っ直ぐに二人を見つめて深々と頭を下げた。
そして、訥々と、自分の中にあった葛藤を吐露し始めた。
あの頃の自分は、この街の掟も、「修練」という行為の真意も何も理解できていなかったこと。
ただ、地獄から救われたはずなのに進んで修練を受け入れ、それ順応し、染まってしまっているように見えた二人の姿がどうしても許せず恨めしく思ってしまったこと。
しかし、自分自身も先日「修練」を受けその本質に触れたことで考えが劇的に変わったこと。
今は前向きにこの街で生きていこうと思っていること。
「だから……せめて、あの時の無礼をきちんと謝りたくて。本当に、ごめんなさい」
キルヴィの切実な言葉を聞き、ルーアンはパッと表情を明るくした。
「そんなの、全然気にしてないわよ! 全くもう、わざわざそんなに深刻に謝らなくていいのに!」
ルーアンは快活に笑い飛ばした。
「そうよ、キルヴィ。あなたが前向きになれたのならそれが一番よ」
ルーアンの底抜けの明るさに救われるように、ポーターも穏やかに微笑んで頷く。
「あ、あの……僕からも、謝りたいことがあるの」
次に口を開いたのは、赤髪のボーイッシュな少女――ミニスだった。
彼女はキルヴィから聞いた収容所時代の「不都合な真実」について語り始めた。
収容所にいた頃、女性としては魅力に欠ける身体と少年のような風貌のミニスや、激しく反抗し続けたキルヴィは、性欲を処理したいだけの男たちにとっては「興が削がれる」存在とみなされる事もあった。
そのため、彼女たちは凌辱を逃れることが数度あったという。
だが、その男たちの牙は代わりとして、愛くるしい容姿のポーターや若くして豊満で魅力的な身体を持っていたルーアンへと向けられた。
「僕たちが反抗したり、可愛げがなかったせいで……その分、あなたたちが余計に酷い目に遭わされてしまったんじゃないかって……ずっと、申し訳なくて」
ミニスもまた、沈痛な面持ちで頭を下げる。
しかし、今度はポーターがその言葉を遮るように優しく首を振った。
「それこそ、気にしないで。ミニス。あの地獄のような場所で誰がどれだけ辛かったかなんて…比べても仕方がないことよ」
ポーターの瞳には、強い意志が宿っていた。
「私は、あそこを共に耐え抜いた他の四人をずっと仲間だと思っていた。だから、みんなが解放されてこの街でそれぞれ前向きに幸せに生きていけるようになること。それをずっと願っていたの」
「そうよ。私たち、もうあの頃とは違うんだから。過去の傷を分け合うんじゃなくてこれからの楽しみを共有しましょうよ!」
ルーアンも強く同調した。
重く冷たい空気が、少しずつ温かなものへと溶けていく。
四人はようやく、過酷な地獄を潜り抜けた戦友として、そしてこれからを共に歩む友人として、心から笑い合うことができた。
しばらくすると、ルッツが用意してくれた色とりどりのお菓子と温かい紅茶を四人で楽しんだ。
先ほどまでの神妙な空気はどこへやら、テーブルは一気に賑やかな談笑の場へと変わる。
特にルーアンはミニスの瞳の奥に自分と同じ「快楽への渇望」を感じ取ったのか、すかさず彼女の隣を陣取りヒソヒソと声を潜めて淫らな話題――「猥談」に花を咲かせ始めた。
「ねえミニス……単刀直入に聞くけど、もうクライス様の相手はした?」
唐突な問いかけに、ミニスは頬を赤く染める。
「う、うん……。クライス様……その、凄くて……」
「そうよね! 分かるわ。私も今のところ、技術も器の大きさもあの方が一番だと思うの。……でもね、実はレオン様の『快楽』の修練も、もの凄かったわよ?」
「そ、そうなの……? 僕はまだ、レオン様という方はお相手したことがなくて……」
「ふふふ……覚悟しておいた方がいいわよ。あの方は……とてつもないわよ。身体の奥の奥まで、甘い毒で溶かされちゃうような感覚なんだから。お相手をしたらぜひミニスの感想も聞きたいわ…」
妖艶に目を細めて笑うルーアンと、羞恥に震えながらも興味津々でその禁断の話に聞き入ってしまうミニス。
そんな二人を横目に、キルヴィは呆れたように紅茶をすすった。
「まったく……お昼間から、なんて会話をしてるのよ、あの二人は」
「あはは……。ルーアンは前から、そういうお話が大好きだから。……なんだか、うちの友達がごめんなさいね」
ポーターは困ったように、しかしどこか楽しげに眉を下げて笑った。
「ミニスもよ、ごめんなさい。あの子、ああ見えて一度火がつくとそういう話に目がないのよ」
キルヴィもふっと、硬かった表情を緩めて小さく笑う。
対照的に、キルヴィとポーターはお互いの屋敷での仕事の内容や、街でお勧めのお店のことなど、年相応の少女らしい健全な会話で盛り上がっていた。
キルヴィお勧めの書店や、ポーターはお気に入りの飲食店や雑貨屋の情報を交換し、今度休みが合えば一緒に巡ろうという話が出るまで仲を深めた。
一通り談笑した後、ふと、キルヴィが何かを思い出したように表情を引き締める。
「そういえば、ポーター。……ルーアン」
その改まった呼びかけに、ルーアンもミニスとの猥談を止め、キルヴィの方を向いた。
「あともう一人……銀髪の、物静かな子がいたわよね? 彼女はどうしているか、何か知っている?」
キルヴィが切り出したのは、あの収容所にいた最後の一人――五人目の仲間「セイレン」のことだった。