※この作品はR-18です。

夢のようなアルバイト   作:倉羅

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傷痕に溶ける甘み

 

 

「ただ少し焦りました……」

 

 

手当てを受けながら、潤は小さく息を吐いた。玲唖は申し訳なさそうに眉を下げ、「あらかじめ言っておいたほうが良かったね、ごめんなさい」と謝った。

 

 

「いやいや! でも、なぜ綾芽お嬢様のお腹にあんな切り傷が……」

 

「前に一度だけ、葉瑠と綾芽が月島家の財産狙いで誘拐されたことがあったの」

 

 

衝撃の事実に、潤は言葉を失う。玲唖の話によれば、誘拐犯から逃げる途中に葉瑠が転んでしまい、彼女を庇った綾芽が犯人の刀で斬られたのだという。

 

 

「沙矢さんがすぐに二人を見つけてくれたお陰で、綾芽は何とか無事だったの。犯人も沙矢さんが撃退して、警察に引き渡してくれたわ」

 

 

なるほど、と潤は胸の内で合点がいった。あの傷は、妹を守り抜いた誇り高き証だったのだ。

 

 

「あっ、血が止まった! 良かった!」

 

「お、ありがとうございました!」

 

「あまり無茶しちゃダメだよ?」

 

 

玲唖は手際よく潤の頬にガーゼを貼り、優しくそこを撫でた。その慈しむような仕草に、潤は「すみません……///」と顔を赤らめる。

 

 

「綾芽お嬢様のところへ行っても良いですか? どうしても心配で、謝りたいんです」

 

「……わかった。また暴れだしたら大変だけど、気をつけてね」

 

 

玲唖の許可を得て、潤は広大な屋敷の廊下を抜け、綾芽の部屋の前に立った。緊張しながらドアをノックする。

 

 

「良いぞ」

 

 

中から聞こえた声は、先ほど葉瑠を招き入れた時と同じものだった。潤が失礼しますと入室すると、綾芽は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに冷ややかな視線を戻した。

 

 

「お前か、何の用だ」

 

「心配だったので。それに、ちゃんと謝らなければいけないと思いまして」

 

「別にお前に謝られても何とも思わないし、気にしなくていい」

 

 

突き放すような物言いだが、そこに先ほどの狂気はない。潤が礼を言うと、彼女は「もう疲れたから寝る、出て行け」と背を向けた。

 

 

「あ、あと……ケーキを持ってきたんですけど、寝ちゃいますか?」

 

「待て、食べる」

 

 

即答だった。あまりに素早い反応に、潤は思わず口角を緩めた。嵐のような一夜は、甘い香りと共に少しずつ穏やかさを取り戻していくようだった。

 

 

「今日はシンプルにショートケーキにしてみました。あと、紅茶もどうぞ」

 

 

潤は丁寧に、一切れのケーキと紅茶を差し出した。対峙するのは、気難しいことで知られるお嬢様、綾芽だ。

 

 

「ショートケーキはあまり好きではないが、一応食べてやる」

 

「ありがとうございます!」

 

「不味ければ残すからな、悪く思うなよ」

 

「大丈夫です!」

 

 

潤は内心で、さっき味見をした時の感触を思い出していた。急いで作ったとはいえ、味には自信がある。

綾芽は無造作にフォークを動かし、ケーキを口へと運んだ。

 

 

「…………」

 

 

潤はその様子を、固唾を飲んで見守る。

 

 

「これ、結構時間置いただろ」

 

「……はい、すみません」

 

 

綾芽の冷徹な指摘に、潤の肩がわずかに落ちた。

 

 

「悪いが、食べられない」

 

「そうですか……。大変申し訳ございません」

 

 

不合格。その言葉にショックを受けつつも、潤は深々とお辞儀をして部屋を去ろうとする。

 

 

「歯磨きをして寝るから、出て行っても良いぞ」

 

「はい、失礼しました」

 

 

だが、扉に手をかけようとした瞬間。

 

 

「味は良かった」

 

 

背後から届いたその一言に、潤は勢いよく振り返った。

 

 

「ありがとうございます!!!」

 

「声が大きいんだよ、お前は……(汗)」

 

 

呆れたように溜息をつく綾芽だったが、潤の喜びは隠しきれない。

 

 

「やったぁ……!」と心の中で快哉を叫ぶ潤に、綾芽が追い打ちをかけるように言った。

 

 

「ちょっと待て」

 

「どうしました?」

 

「頬の傷を見せてみろ」

 

 

潤の頬には、先ほど負った傷を保護するガーゼが貼られている。

 

 

「玲唖お嬢様が手当てしてくれたので大丈夫ですよ」

 

「違う」

 

 

歩み寄ってきた綾芽の手が、潤の頬にかかる。

 

 

ベリッ!!!

 

 

「いっ……!」

 

 

容赦なくガーゼを剥がされ、潤は思わず声を上げた。綾芽はじっとその傷を見つめ、苦しげに眉をひそめる。

 

 

「……傷、残るな」

 

「残ると良いですけどね」

 

「は? なんでだ?」

 

 

理解不能といった表情の綾芽に、潤は穏やかに、けれど真っ直ぐに答えた。

 

 

「綾芽お嬢様の痛みを私も味わって、少しでも楽になってほしいからです」

 

「……馬鹿だよな。知り合って二日目の私になぜそこまでするのか」

 

「大切なお嬢様方の執事ですから」

 

 

その言葉に、綾芽はふいっと顔を背けた。わずかに耳たぶが赤くなっているのを、潤は見逃さなかった。

 

 

「下がっていいぞ……」

 

「かしこまりました」

 

 

部屋を出た潤は、綾芽が残した皿を手にキッチンへと向かった。そこで待っていたのは、無邪気な末っ子お嬢様、葉瑠だ。

 

 

「あー! せっちゃんだー♪」

 

「あ、葉瑠お嬢様」

 

「そのケーキどうしたのぉ?」

 

「これは、綾芽お嬢様が残されたものです」

 

 

食い入るように皿を見つめる葉瑠に、潤は微笑む。

 

 

「美味しそう……」

 

「葉瑠お嬢様と玲唖お嬢様の分も作ってありますよ」

 

「えー!? これせっちゃんが作ったの?」

 

「はい。少し時間が経ってしまっていますが」

 

「絶対食べる~!」

 

 

とはしゃぐ葉瑠を、潤はやさしく嗜めた。

 

 

「お夕食がお済みになられたらお出ししますね」

 

 

主の不器用な優しさと、小さな傷の痛み。それらを大切に胸にしまう。

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