夢のようなアルバイト 作:倉羅
時計の針は、午後7時を回ったところだった。
「――以上で、主要な部屋の説明は終わりです」
結局、屋敷の案内にはたっぷり二時間もかかってしまった。
「そんなに部屋数が多いのか」って? いや、実はそうじゃない。
そのうちの一時間は、沙矢さんの自室に連行されていたのだ。そこで俺は、彼女がクローゼットから恭しく取り出した一着のドレスを前に、延々と講釈を聞かされていた。
「猪瀬くん、見てください。このお洋服、これ一着で百二十万円もするんですよ。この刺繍の細かさ、そして生地の光沢……」
……それは案内というより、もはや服の価値についての熱烈な自慢話(?)だった。
案内を再開した今、沙矢さんはふと足を止めると、どこか落ち着かない様子で俯いた。
「あの……ごめんなさい」
「へ?」
「猪瀬くん、ひきましたよね。私の部屋での出来事……つい、好きなものの話になると止まらなくなってしまって」
しょんぼりと肩を落とすその姿は、先ほどまでの凛としたメイド長とは別人みたいだった。
隙のない美人が見せた、年相応の弱音。……正直、めちゃくちゃ可愛い。不覚にもキュンときてしまった。
「いえいえ! 沙矢さんの服、どれもすごくセンスが良くて可愛かったです」
「……本当ですか?」
「はい。でも――」
俺は本音を隠さず、真っ直ぐに彼女を見据えて言った。
「沙矢さんは、やっぱりそのメイド服が一番似合ってるし、可愛いと思います!」
あ――。
言ってから、心臓が跳ねた。初対面に近い相手に、しかも上司にあたる彼女に「一番可愛い」なんて、デリカシーがなさすぎただろうか。
気まずい沈黙が廊下に流れる。俺は自分の失言を呪いながら、冷や汗が止まらなくなっていた。
「……嬉しいです///」
沙矢さんは、先ほどまでの沈んだ表情が嘘のように、頬を林檎色に染めて俯いた。その初々しい反応に、俺は心の底から安堵する。
(よかった……。でも、お世辞抜きで本当に可愛いんだよな、この人のメイド服姿)
「だから、そんなに落ち込まないで、元気出してくださいね?」
「はい……///。あの、屋敷の案内について、何かご質問はありますか?」
「大丈夫です。ばっちり覚えました!」
「そうですか。では、残りは諸条件のお話をして今日は終わりにしましょう。ロビーへ戻りましょうか」
「はいっ!」
彼女の案内に従い、広々としたロビーへと戻る。促されるまま高級そうなソファーに腰を下ろすと、沙矢さんは手元の手帳を開き、居ずまいを正した。
「では、時給と休日、それからお仕えするお嬢様方についてご説明しますね」
「はい、よろしくお願いします」
背筋を伸ばして聞き入る俺に、彼女は淡々と、しかし衝撃的な数字を口にした。
「まず時給ですが、朝5時から9時までの4時間勤務で、一日2万8千円となります。こちらでよろしいでしょうか?」
「に、に、に、2万8千円……!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
頭の中で素早く計算する。4時間で2万8千円ということは、時給換算で……7千円!?
(待て待て、執事ってこんなに稼げるのか? いや、それとも月島家がとてつもない富豪すぎるのか……?)
「……少ないでしょうか?」
不安そうに首を傾げる沙矢さんに、俺は慌てて首を横に振った。
「いえいえ! とんでもないです。あまりに高待遇すぎて、腰を抜かしそうになっただけですから!」
「それなら良かったです。次に休日ですが、猪瀬くんはどの曜日をご希望ですか? 週に二日、自由にお選びいただけます」
「えーっと……それじゃあ、土曜日と日曜日にしていただいてもいいですか?」
「承知いたしました。では、最後に――」
沙矢さんの表情が、少しだけ引き締まった。
「これから猪瀬くんが担当することになる、お嬢様方についてお話ししますね」
「はい、お願いします!」
俺はゴクリと唾を呑み込み、この屋敷の主たちの名前が語られるのを待った。