※この作品はR-18です。

夢のようなアルバイト   作:倉羅

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月夜の弱みと、お嬢様の強引な誘惑

 

「……っ」

 

 

潤は、自分の不甲斐なさに耐えかねるように深く俯いていた。視線の先には、かつての形を失い、無残な破片へと成り果てた芸術品。床に落ちたその欠片は、冷たく、そして鋭く光っている。

そんな彼の絶望を払拭するように、玲唖は屈み込み、下から覗き込むようにして花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 

 

「潤く~ん?」

 

「本当に……すみませんでした……」

 

 

消え入るような声で、潤は絞り出す。しかし、玲唖の声に険しさはない。

 

 

「気にしなくても大丈夫よ。花瓶を一つ割ったくらいで、あんなに怒鳴る哲也さんの方がおかしいよ」

 

「ですが……これ、相当高価なものだと伺いました」

 

「大丈夫よ、心配しないで」

 

 

潤は拳を握りしめ、覚悟を決めたように顔を上げた。

 

 

「……すみません。働いて、必ずお返しします。いつか、絶対に」

 

「これからは気を付けてくれればそれで良いのよ」

 

 

慈愛に満ちた玲唖の言葉が、潤の荒んだ心に染み渡っていく。なんて優しい人なのだろう。自分のような至らぬ使用人に、これほどまでの慈悲をかけてくれるなんて。

 

 

「玲唖お嬢様……っ」

 

 

潤の瞳が、じわりと熱いものに潤み始めた。

 

 

「潤くん、泣きそうよ?」

 

 

そう言って楽しげに笑う玲唖だが、その頬は微かに赤らんでいた。潤の純粋な反応に、彼女もまた密かな愛おしさを感じずにはいられない。

 

 

「本当に、ありがとうございます……! 玲唖お嬢様たちにご迷惑をかけないよう、精一杯頑張ります!」

 

 

潤が潤んだ瞳を輝かせながら決意を伝えると、玲唖は優しく、それでいてどこか甘く頷いた。

 

 

「ええ、期待しているわ。わからないことがあったら、何でも私に聞いてくださいね?」

 

「はいっ!」

 

 

主従の絆が、割れた花瓶の代償以上に、より深く、より危うく結ばれた瞬間だった。

 

 

「では、失礼します。今日は本当に……ありがとうございました!」

 

 

深く一礼し、潤は辞去の挨拶を告げた。割った花瓶のショックを抱えつつも、玲唖の慈悲深さに救われた思いで、足取りはどこか落ち着かない。

 

 

「潤くんのお家、ここから近いの?」

 

 

背後からかけられた玲唖の弾んだ声に、潤は足を止めた。

 

 

「はい。歩いて五分ほどの場所です」

 

「じゃあ、送っていってあげる♪」

 

「……えっ?」

 

 

潤の思考が一瞬、停止する。名家・月島家の令嬢が、一介の使用人を自宅まで送り届ける? あまりに常識外れな提案に、潤の背中に冷や汗が流れた。

 

 

「いやいやいや! 滅相もありません! 外はもう真っ暗ですよ。まだ八時とはいえ、不用心すぎます!」

 

「大丈夫よ、そんなの。気にしすぎ!」

 

 

玲唖は事もなげに笑うが、潤は必死に食い下がる。

 

 

「ダメですよ! 玲唖お嬢様は月島家の大切な身の上なんです。いつ、どこで不逞な輩に攫われるか分からないんですよ!?」

 

 

潤の必死の形相。それを見た玲唖は、ふい、と拗ねたように頬を膨らませた。そして、悪戯っぽく、しかし抗えない響きを込めて、あの一言を口にする。

 

 

「……花瓶~……」

 

「ギクッ」

 

 

潤の心臓が跳ねた。弱みを握られた、という明確な自覚が彼を硬直させる。

 

 

「ふふっ。決まりね。さあ、潤くんのお家に向けて、レッツゴー!」

 

 

勝利を確信した玲唖は、上機嫌に歩き出そうとする。慌てて潤がその後を追った。

 

 

「ま、待ってください! せめて沙矢さんか哲也さんに一言伝えておきましょう? 騒ぎになりますって!」

 

 

「いいのいいの。あとでメッセージ送っておくから」

 

「は、はぁ……」

 

 

潤の肩がガックリと落ちる。

夜風に当たりながら、彼は心の中で自分を呪った。

 

 

(うぅ……あの花瓶さえ割らなければ、こんなことには……!)

 

 

街灯の下、意気揚々と歩く玲唖の影と、その後ろを申し訳なさそうについていく潤の影が、夜の道に長く伸びていた。

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