夢のようなアルバイト 作:倉羅
時刻は午後八時四十八分。
夜の静寂が包み込み始めた住宅街を、潤は月島家の令嬢・玲唖と肩を並べて歩いていた。
「送ってもらう」という本来あり得ない状況に戸惑いつつも、潤の胸の内には、抑えきれない高揚感が滲んでいた。隣を歩く彼女の気配が近くて、どうしても意識せずにはいられない。
「玲唖お嬢様」
「ん?」
「寒くないですか? 夜風が出てきましたけど」
「大丈夫よ、このくらい平気♪」
玲唖は軽やかな声で笑う。
潤が抱いていた「お嬢様」という概念は、常に豪奢なドレスやワンピースを纏っているイメージだった。しかし、今の彼女は驚くほど軽装だ。水色のTシャツに、ショート丈のデニム。
(やっぱり、家では私服なんだな……)
街灯に照らされ、デニムの裾から伸びる白く滑らかな太ももが、嫌でも視界に入ってしまう。あまりにも眩しいその曲線に、潤はドギマギと視線のやり場に困った。
「潤くん……さっきから、どこ見てるのかなぁー?」
悪戯っぽく、すべてを見透かしたような玲唖の視線が潤を射抜く。
「あ、着きました! ここですっ!」
心臓が跳ね上がり、潤は半ば逃げるように声を上げた。
「お、この団地なの?」
「はいっ!」
あからさまな話題逸らしだったが、玲唖は特に追及することなく、目の前にそびえる団地を見上げた。
どうにか理性を保ったまま、二人は無事に目的地へと辿り着いた。
「104号室ね、覚えておこっと」
玲唖が軽やかな声でそう呟くと、潤はどこか照れくさそうに「ありがとうございます」と頬を緩めた。
「じゃあ私は帰ります♪」
玲唖が踵を返したその時、潤は慌てて声をかけた。
「あ、お嬢様! ちょっとお待ちください」
「……うん?」
潤は急いでキッチンへ向かい、冷蔵庫の中から一つの箱を取り出した。それを大事に抱え、玲唖の元へと歩み寄る。
「これどうぞ」
「これは?」
「いちごタルトです。皆さんで食べてください。綾芽お嬢様が気に入ってくれれば良いのですが」
潤の差し出した手土産に、玲唖は「あら、ありがとう♪」と微笑んだ。しかし、ふと思い出したように苦笑いを浮かべる。
「でも、綾芽はケーキにうるさいので……言っちゃ悪いけど、あんまり期待しないでくださいね(汗)」
「大丈夫ですよ。では、気をつけて帰ってください」
「はい、潤くんまた明日ね♪」
満足げな笑顔を残して、玲唖は夜の闇へと消えていった。
「よし!」
潤は小さく気合を入れる。そして、遠ざかる玲唖の背中に気付かれないよう、静かにその後を追って歩き出した。