※この作品はR-18です。

夢のようなアルバイト   作:倉羅

9 / 17
月夜の涙と、特別な約束

 

 

鼻歌まじりに、夜道を軽やかに進む令嬢――玲唖お嬢様。

その無防備で愛らしい後ろ姿に、尾行(といっても護衛のつもりだが)していた俺、潤は思わず心の声が漏れた。

 

 

「可愛いなぁ……っ」

 

 

その瞬間、玲唖が「!!?」と鋭く反応し、こちらを振り返る。

やべっ! 俺は心臓をバクバクさせながら、反射的に電柱の影へと身を隠した。

 

 

「気のせい……かしら」

 

 

彼女が再び前を向いたとき、最悪のタイミングで「それ」は現れた。

 

 

「おうおう~、お姉ちゃん!」

 

「あ……」

 

 

街灯の少ない暗がりに、酒の臭いをプンプンさせた酔っ払いの男が立ちふさがる。玲唖は引きつった笑顔で、なんとかその場をやり過ごそうと試みた。

 

 

「こ、こんばんは……失礼します」

 

「こんな人気のねえ所を一人で歩いてるってこたぁ……そういうことだろぉ? んん~?」

 

「い、嫌です!」

 

 

男の卑俗な言葉に、玲唖の声が震える。距離があるせいで会話の細部までは聞こえないが、不穏な空気だけは痛いほど伝わってきた。玲唖が男の脇をすり抜けようとした、その時だ。

 

 

「ガシッ!」と、男の汚い手が彼女の腕を力任せに掴んだ。

 

「少しくらい、させてくれてもいいじゃねぇか……ハァハァ……」

 

「やっ! 離してください!」

 

 

悲鳴に近い拒絶の声。それを聞いた瞬間、俺の頭の中で何かがブチ切れた。

 

 

「あんにゃろう……っ!」

 

 

隠れていた電柱を蹴り飛ばすような勢いで、俺はアスファルトを蹴った。

全力疾走。思考よりも先に体が動く。

 

 

「おらあああぁぁ!」

 

 

加速を乗せた渾身のドロップキックが、男の脇腹に深々と突き刺さった。

 

 

「ぐはっ!!」

 

 

男は無様に地面を転がっていく。突然の乱入者に、玲唖は呆然と立ち尽くしていた。

 

 

「ぐぅ……お、お前……誰だ……」

 

 

地面を這いながら男が呻く。

誰だ、と言われても困る。正式な執事として認められているわけでもない、ただのしがない使用人見習いだ。だが、ここで引くわけにはいかない。

焦りと高揚感で、俺の口から飛び出したのは最低で最悪な「言い訳」だった。

 

 

「この姉ちゃんは……今から俺が食うんだよ! さっさと消えな!」

 

(……何言ってんだ俺はー!?)

 

 

内心で猛烈なセルフツッコミを入れるが、もう遅い。

あまりの剣幕と支離滅裂な台詞に恐怖を感じたのか、酔っ払いは千鳥足で夜の闇へと逃げ去っていった。

静まり返った夜道に、俺の荒い息遣いだけが響いている。

隣には、顔を真っ赤に(あるいは真っ青に?)して固まっている玲唖お嬢様。

……俺の執事人生、始まったばかりで終わったかもしれない。

 

 

「潤……くん?」

 

 

不意に名を呼ばれ、潤は弾かれたように我に返った。

 

 

「あ、すみません!」

 

 

呆然と立ち尽くしていた自分を恥じ、慌てて取り繕おうとしたその瞬間。潤の視界から景色が消え、柔らかな温もりがその胸に飛び込んできた。

 

 

「へはっ……!?///」

 

 

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。潤の腕の中にいたのは、あろうことか玲唖お嬢様だったのだ。彼を抱きしめるその細い腕に力がこもる。

 

 

「れ、玲唖お嬢様……?」

 

 

戸惑いながらも問いかけると、潤の胸元から震える声と、小さな啜り泣きが聞こえてきた。

 

 

「グスッ……グスッ、ヒック……」

 

「お嬢様……」

 

 

潤はそれ以上、何も聞かなかった。ただ、彼女の心が落ち着くまで、その場に立ち尽くしたまま。震える背中を、壊れ物に触れるような手つきで、優しく、トントンと叩き続けた。

十分ほど経っただろうか。ようやく顔を上げた玲唖の瞳は、涙で少し赤くなっていた。

 

 

「潤くん、ごめんね……」

 

「何で謝るんですか? 汗」

 

「迷惑、かけちゃったから」

 

 

玲唖が伏せ目がちに呟くと、潤は困ったように笑って首を振った。

 

 

「一応、今日からお嬢様方の執事なんですから。迷惑なんて、いくらでもかけてください! それに、俺の方がよっぽど迷惑をかけてますし……」

 

「そんなことないよ。私を守ってくれたんだから」

 

 

真っ直ぐに自分を見つめる玲唖の言葉に、潤は気恥ずかしさと喜びを隠しきれず、顔を赤らめた。

 

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 

その後、一人にするのが心配だった潤は、玲唖を屋敷まで送り届けた。夜の道を二人で歩く時間は、先ほどまでの緊迫感が嘘のように穏やかに流れていく。

 

 

「ありがとうね♪」

 

「いえいえ」

 

 

屋敷の門前に着くと、玲唖は少し申し訳なさそうに微笑んだ。

 

 

「潤くんを送った意味、なくなっちゃったね。汗」

 

「でも、楽しかったですよ!」

 

 

潤が本心を伝えると、玲唖はパッと表情を明るくした。

 

 

「そっかぁ! あ、そうだ!」

 

「はい?」

 

「連絡先頂戴っ」

 

 

思いがけない申し出に、潤の心臓が大きく跳ね上がる。

 

 

「い、良いのですか!?///」

 

「もちろん!」

 

 

潤の頭の中は、一瞬で歓喜の渦に包まれた。執事として仕える初日に、お嬢様との直接の連絡先を交換できるなんて、夢にも思わなかった。

夜の静寂の中、二つの端末が静かに情報を交わす。

玲唖と連絡先を交換し終えた潤は、足取りも軽く、心地よい余韻に浸りながら家路へと就くのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。