12月21日、午後8時14分。
凍てつくような冬の風が吹き抜ける、某ビルの屋上。
「澪、双眼鏡になれる?」
「ええ。」
隣に立つ女性――澪が淡い光に包まれる。彼女の実体は一瞬で輪郭を失い、俺の手に馴染む精巧な双眼鏡へと姿を変えた。
俺はそれを構え、夜の街をレンズ越しに覗き込む。
「どれどれ……。あー……」
「……どうしたの?」
「もう捕まってんな。ちょうど警察が突入してるところだ」
どうやら、俺たちの出番はなさそうだ。
「なんだ。じゃあ、このままおうちに帰りましょう?」
「事務所に寄ってからな」
「えー、このままじゃダメなの?」
甘えるような澪の声が脳内に響くが、俺はわざと意地悪く口角を上げた。
「……澪。最近、ちょっとお腹周りがぷにぷにしてきてないか?」
「チッ……」
短い舌打ちと共に、双眼鏡がふわりと形を変える。
元の姿に戻った彼女は、不機嫌そうに俺を睨みつけた。
彼女の名前は、澪(みお)。俺の『護り人』であり、筋金入りのマイペースだ。
見た目は30代のおっとりとした美女。だが、他の護り人とは決定的に違う特徴がある。頭には柔らかな狐の耳がつき、背後には九つの豊かな尻尾が揺らめいている。
人や物、何にでも化けることができる特殊能力。そんな稀代の力を持ちながら、彼女は今日も俺の隣で、どこか間の抜けた空気感を漂わせていた。
「陽」
背後から、澪のゆったりとした声がかけられる。
「んー?」
「お腹、空かない?」
言われてみれば、胃のあたりが妙に軽い。任務の様子を窺うのに集中していて、食事のことなんてすっかり忘れていた。
「ああ、そういやまだ食ってなかったな。澪はお腹空いたか?」
「空いたー」
間延びした返事がいかにも彼女らしい。
「確か事務所にカレーの残りがあったはずだ。温めて食うか」
俺の名前は堂本(どうもと)陽(はる)。二十二歳。
護り人である澪とは、たまに子供じみた喧嘩もするが、付き合いが長い分、気心は知れている。二年前から二人暮らしをしているが、この界隈はとにかく家賃が高い。その支払いを支えるために前職を辞め、今は昔からの友人と立ち上げた「少し危ない仕事」で、それなりの報酬を稼いでいる。仕事の詳細は、また追々話すことにしよう。
カツッ、カツッ、カツッ……。
夜の静寂に足音を響かせ、ようやく目当ての雑居ビルに辿り着いた。
「あー、着いた着いた」
重い足取りで階段を上がり、事務所のドアノブに手をかける。だが。
ガチャ……。
「…………げ」
ノブはびくともしない。もう一度、力を込めて回してみる。
ガチャ……ガチャガチャ……。
「まじかよぉぉ…」
このタイミングでの締め出しは精神的にくる。情けない声を上げる俺を、澪が不思議そうに眺めていた。
「珍しいわね、そんなミスするなんて」
「うるさいよ……。なあ澪、キーピックになれるか?」
「そんな細かい物にならなくてもーー」
「?」
彼女の意図が掴めず俺は首をかしげる。