午前10時15分。
「よし、洗濯終わり」
陽は、洗い終えたばかりの籠を抱えて小さく息を吐いた。いつもなら澪がこなしてくれる家事だが、今日はどうやら疲れが溜まっているらしい。珍しく、彼女はいつまでも深い眠りの中にいた。
「……おはよ」
噂をすれば、というタイミングで澪が寝室から姿を現す。寝ぼけ眼の彼女を見て、陽は自然と口角を上げた。
「おはよう。朝食できてるから食べな」
「事務所……、行ったの?」
「おう、早めに切り上げて帰ってきたんだ」
「そう」
短く答えると、彼女はまだ微睡みを引きずった足取りで洗面所へと向かった。しばらくして戻ってきた彼女は、椅子に座り、陽が用意した朝食をゆっくりと口に運び始める。
「明日の仕事、うちらだけで事務所に居る事になりそうなんだ」
陽が切り出すと、澪は手を止めて視線を上げた。
「他の全員は休みなの?」
「大地も出勤なんだが、あいつは既に依頼が入ってるんだってさ」
陽は、いつも慌ただしい義宗にゆっくり休んでほしいという本音を、彼女に漏らした。
「本当は休みなんでしょ? ならいいじゃない。」
澪は淡々と、けれどどこか慈しむように頷いた。
「だよな」
その一言に、陽の心は軽くなる。明日は二人きりで忙しくなるかもしれないが、彼女が納得してくれているのなら、それも悪くない。
「洗濯してくれたのね、ありがとう。夕飯は私が作るわ」
「お、楽しみにしてる」
午後の穏やかな時間が、部屋の中をゆったりと流れていく。何気ない会話を重ね、二人でまったりと過ごしているうちに、窓の外には茜色が広がり始めた。気が付けば、もう日が沈もうとしている。
午後5時45分。
部屋には、夕暮れ時特有の穏やかで少し物悲しい空気が流れていた。
「……」
「ん~っ…さて、作ろうかしら」
不意に澪が立ち上がり、キッチンへと視線を向けた。
「冷蔵庫にあるもので作るね、さっき覗いたとき材料もあったから」
「あいよー」
澪は台所に行き、手際よく料理を始める。トントンと野菜を刻む小気味よい音が、静かなリビングに響き渡った。
「俺も何か手伝おうか?」
「大丈夫、おこたに入ってテレビでも見てなさい」
「りょー」
陽はこたつの温もりに身を沈め、リモコンを手に取った。背中越しに、澪の独り言のような呟きが聞こえてくる。
「久々に真理子と料理したいわ」
「そういや前母さんと電話したけど、母さんも澪と料理作りたい言ってたよー」
「そう」
午後6時32分。
キッチンから香ばしい匂いが漂い始め、料理が完成したことを告げる。
「陽ー、机に運ぶの手伝ってー」
「おぅー」
しかし、陽の目はテレビの画面に釘付けになったまま動かない。
3分後……。
「はーるー手伝ってよー」
なかなか動かない陽にしびれを切らし、澪がエプロンを外してリビングへと戻ってくる。
「どうしたの?」
「澪、ちょいちょい」
「?」
陽に促され、澪がテレビを覗き込む。そこには、見慣れたはずの通りの風景が、警察車両のライトに照らし出されていた。
「ウチの近くで事件っぽい」
平和な夕食の時間を切り裂くように、画面の中では緊迫したニュースキャスターの声が流れていた。