「てか、お前は現場に行ったのか?」
勇也が投げかけた問いに、陽はどこか他人事のように「行ったよなー」と頷いた。その曖昧な返答を補ったのは、隣にいた澪の冷静な言葉だった。
「行った時には既に捕まってたから、そのまま帰ったのよ」
「なーる」
勇也は納得したように首を鳴らす。一段落ついたところで、今度は京子が義宗へと視線を向けた。
「次の依頼はもう貰ってるの?」
「あぁ、貰ってるぞ。明日の朝八時に庭掃除の依頼だ」
「庭掃除かー……」
勇也が、隣に座る陽のことをチラチラと盗み見てくる。その視線に含まれた意図を察し、陽は観念したように息を吐いた。
「はいはい、俺たちが行ってきますよ」
「さすがー、話が早い!」
おどける勇也を余所に、澪は実務的な詳細を確認する。
「場所は?」
「小町駅から少し歩いた所なのですけど、駅に着き次第、私がサポートします」
里奈の頼もしい言葉に、澪は「なら心配ないわね」と小さく頷いた。
二十分後。
事務所のソファには、微かな寝息が漏れていた。
「爆睡だな」
勇也が呆れたように、しかしどこか楽しげに呟く。京子もその様子を見て「気持ち良さそうね」と頬を緩めた。
陽はよほど疲れが溜まっていたのか、深い眠りに落ちている。
「まぁ、明日のための体力温存だな。もし起きなければ事務所に泊まるか? 鍵を渡しとくが」
義宗の提案に、澪は静かに首を振った。
「解散する時に起こすから大丈夫よ」
「そうか」
義宗は短く応じると、眠る陽を気遣うように、それ以上深くは追求しなかった。
窓の外では、明日という一日の足音が、少しずつ近づいてきているようだった。
「……」
澪は、吸い込まれるような沈黙の中で、ただじっと陽の顔を見つめていた。その視線の熱に気づいた京子が、小首をかしげて問いかける。
「どうしたの? ずっと陽を見て」
「……赤子の時から、この寝顔だけは変わらんね」
澪の慈しむような呟きに、傍らにいた勇也と義宗が興味深げに身を乗り出した。
「なぁ澪さん、コイツが小さい時はどんな奴だったんだ?」
「俺も気になる。伝説の妖怪にそこまで言わせる陽の幼少期というやつをな」
義宗が冗談めかして言うと、澪はどこか遠くを見るような目で微笑んだ。
「バカなだけだったかもしれないけれど……とりあえず、不思議な子だったわ」
そんな穏やかな空気の中、里奈がふと、以前から抱いていた疑問を口にする。
「あの、澪さんって本当に昔は凶悪だったんですか? 陽さんと友達になった時から、そんな風には見えませんでしたけど……。」
「私らもそう。全然イメージ湧かないよね」
京子の言葉に、勇也も「ああ」と深く頷いた。
「だが、澪は『白面金毛九尾の狐』なんだろう? まあ、
その立派な尻尾を見れば、格の違いは納得できるがな」
義宗が指摘すると、京子は「はくめんこんもー……きゅーび?」と不思議そうに言葉をなぞった。
「最強クラスの妖怪のことだ」
「……そうなの?」
目を丸くする京子を余所に、澪はふわりと尾を揺らし、はぐらかすように笑った。
「和尚が勝手に言っていただけよ。信じなくていいわ」
澪は話題を変えるように、少女たちへ視線を移した。
「それより、京子と里奈。あなたたちも、小さい時の彼らのことを教えてよ」
「あたしはね、気がついたら和尚さんに呼び出されてて。目の前にいたのが、まだ真っ赤な赤ん坊の勇也だったの」
「私も同じです。生まれたばかりの彼を見た瞬間、守ってあげなきゃって強い使命感に駆られて……。今では逆に、守られてばかりですけど」
里奈が照れくさそうに微笑むと、澪の表情が柔らかく緩んだ。
「お互いを気遣い合えるなら、それが一番じゃない」
「そうよ、仲良しが一番なんだから!」
賑やかな笑い声が響く中、澪はふと、静かな声で核心を突く問いを投げかけた。
「……ちなみに二人とも、和尚に呼ばれる前の記憶はあるの?」
「いえ、無いですね」
「無いわ」
迷いのない二人の答えを聞き、澪は短く「そう」とだけ返した。
(……やはり、記憶があるのは私だけか)
記憶の糸は、二十年以上前の夜へと遡る。
午後十一時二十三分。深夜の産婦人科の一室。
「男の子ですよ!」
医師の弾んだ声と、世界を震わせるような産声が響き渡った。
「ハァ……ハァ……。可愛い……」
体力を使い果たし、脂汗を浮かべながらも、母・真理子は愛おしそうに我が子を見つめる。
「頑張ったな、真理子!」
「あなた……早く、護り人を……」
切迫した真理子の願いを受け、部屋の隅で静かに時を待っていた和尚が一歩前へ出た。
「こちらで呼び出しましょう」
「……お願いします」
父・大輔が深く頭を下げる。
和尚は床に、この世のものとは思えない独特な紋様の陣を刻み、静かに印を結んだ。
唇から漏れ出す祝詞は、現世と隠世の境界を揺らしていく。
それは、ひとつの命にひとつの影が寄り添う、「守護」という名の契約が結ばれた瞬間の記憶だった。