<パプアニューギニア3日目>
明日は帰国日となる。
昨夜日付が変わる前に渡辺の視線が気になりながらも大学を後にして、それからホテルに戻った。
夕食は渡辺の大学仲間が作ってくれた現地の料理を食べる。
一之瀬が人気で、食堂に入るや否や多数の人に囲まれていた。
渡辺からの紹介を簡潔に終わらせ、俺は渡辺と二人で会話を楽しんだ。
一之瀬がいたたまれなくなり、すぐにこちらへ来るかと思ったがそうではなく、現地の学生としっかりとコミュニケーションを取っている様だった。
男子とは連絡先は交換しなかったが、女子数名と連絡先を交換しているのが印象的だった。
渡辺以外にも日本の大学から留学してきている女子がいたので、肌は焼けて現地民の様になっていたが顔立ちからして日本人という事が分かる。
夜はまた一之瀬が求めてきたため対応して眠りにつき、次の日は午前午後と予定していた事をする。
午前中は大使館に顔を出し、午後は民族の長に会いに行った。
午前中は形式的なものだったが、午後はそうではない。
一か八かのものだったが、上手くいっただろう。
少々身体を動かしたため、汗をかいた。
帰る時間帯に一之瀬に連絡をしてホテルに戻る。
こちらでやり残したことはもう終えた。
電力会社については、あとは一之瀬が上手くやってくれるだろう。
英語でのやり取りを楽しそうに行っていた一之瀬は、ビジネス英語のアプリをダウンロードして学習していた。
夕食を食べた後は軽い談笑をして、次の日は朝早くに空港に行くため早く眠りについた。
4月の3週目の月曜日の朝9時。世界であるニュースが流れる。小さい記事だったが、相当なインパクトのある内容であった。
[世界の大富豪ランキング、30位に日本人の20歳がラインクイン]
名前を綾小路清隆。資産7兆円。430億ドルの資産所有者として、日本1位のビリオネアと認定された。
これは金融市場に導入されたAIがいち早く導き出し、イギリスのニュースサイトが報じたものだった。
SNSでもフォロワーの少ないメディアだったが、チェックする者は多かった。
外のランクインしたビリオネアは、各々が小売業、や、IT企業などといった業種が追記で書かれていたが、彼には何も記載をされていなかった。
電気自動車の所有権も資産に入れられたか。
さすがに誤魔化しきれなかったな。
いろいろと予想外な事は多いが、すべてのお金がインターネット上で数値化される現在、大枠でランキングを作成するメディアは機械的に綾小路を選定した。
◇
羽田に到着し、迎えに来た櫛田によるところがあるという事で一之瀬と別れて行動する。
既に夜21時を回っていた。
俺は神田にある、あるライブハウスに向かう。
ライブも終わる時間帯だろうが、入口にはあるアイドルのファンと思われる人垣が少しだけあった。
アイドルのファンと言ってもオタクの様な格好ばかりではなく、サッカーをやってそうなイケメンもいるんだなと思いながら、地下のライブハウスに入っていく。
既にライブは終わり、各アイドルとの交流の様な事をしていた。
5人グループのアイドルには、各々ファンは数名のグループを作り、会話を繰り広げていた。
「初めてご参加の方ですか?すみませんが、ライブは終わってしまいまして…」
アイドルグループの所属する芸能事務所の社員だろうか。
黒いスーツを着た若い男性が声をかけてくるのに返事をする。
ある用事が出来て遅れてしまった旨を伝えると、快く向かい入れてくれた。
俺は5人の内の一人に目を向ける。
彼女は俺の知っている眼鏡をかけておらず、白いワンピースの衣装を着ていた。
胸部を抑えるような器具を付けているのだろうが、そのスタイルを誤魔化すことは出来ない模様。
万人受けのする笑みをファンに向けてサインや握手、写真撮影を行っている。
邪魔をしてはいけないと、近くの椅子に腰かけて、携帯をいじり始める。
今日は流石に月曜日なので家での飲み会はないらしいが、一之瀬は家に泊まるようだった。
だから今家にいるのは櫛田と軽井沢、そして一之瀬の三人。
今日の芸能事務所との商談はどうだっただろうか。
今日の9時のニュース後に鬼の様にメッセージを送って来る櫛田をスルーしつつ、そろそろ迎えに来てもらおうか、それとも電車で帰ろうかと考える。
「あ、あやのこうじくん??」
「…佐倉か。俺の事、良く分かったな」
「…う、うん。あの…どうしてここに?」
少し強張った声音が目の前から発せられる。少し怒っているようにも見えた。
「俺はお前のファンだからだ」
俺はスマホを見る目線を外し、彼女を見る。
ファンは既にポツポツと帰っていた。
彼女以外のメンバーが集まってこちらを見ているのが見えた。
面倒くさいファンに見えたのだろうか?しかし、運営の社員は何も言ってこなかった。
「30分…いえ、15分で出られると思う。だから…裏口にいて?」
「分かった」
彼女が耳元でささやいてくれる。
俺は立ち上がり、出口に向かった。
*
30分以上かかるかと思われたが、佐倉が10分程で裏口に来た。
厳密にいうと、俺が裏口だと思って待っていたところは裏口ではなかった。
雑居ビルの多い土地だし、仕方がないと思うものの、それでも申し訳なさが勝つ。
出待ちをしていた複数名がたむろっていた所が裏口だったのか。
「お、お待たせ」
「いや、待ってないぞ。早かったな」
彼女を見ると急いで制汗スプレーをかけた跡が首に残っていた。
すぐ消えるだろうが白い跡になっている。
眼鏡をかけず、髪をまとめて帽子を被っていた。
アイドルを呼び出してしまって申し訳ない気持ちがあるため、まずは自身の用件のみを簡単に伝える。
「久しぶりだな、佐倉。今日ライブを行う事は知っていたんだが、所用で遅れてしまってな。それでも一目だけでも見たいと思って来たんだ。だから、そんなに慌てて来ることはなかったんだが」
「いえ…その。大丈夫です。わたしも…会いたかった。久しぶりだね、綾小路くん」
「あぁ、元気のようで安心した。実は何年か前からネットの情報は見ていたんだが、遠くへ行っていて。会いに来るのが遅れてしまった。申し訳ない」
「う、うん。波瑠加ちゃんから、ちょっとは聞いていたんだよ。でもこんなに早く会えるなんて思わなかったよ…」
「そうか?俺は高校を卒業したらすぐにでも会うべきだと思っていたんだがな。それにしてもネットで見ていたから分かるが、頑張っているんだな」
「ありがとう…」
そういって佐倉が俯いた。後ろを振り返ると、さっきまで佐倉と話していたファン達が通りがかった。
俺は邪魔してはいけないと足早に帰ろうかと話をまとめようとしたが、先に話し出したのは佐倉だった。
「あ、あの…。私まだご飯食べてないから、ご飯食べながら話せ…ないかな?」
「良いのか?」
佐倉はアイドルだし、写真で撮られて人気が出なくなることもあるだろう。
男と二人でライブの後に居酒屋にでも行った日にはファンが離れていっても仕方がない事だ。
そういった事も含ませて一応確認をしておく。
「うん、綾小路くんが大丈夫なら…私は大丈夫かな?」
なぜ疑問形なのかは分からなかったが、そういう事ならと櫛田に送る所だった[お迎え]メールを削除して、佐倉に向き直った。
「分かった。それでも念には念を入れてちょっと離れたところにしないか?佐倉は今どのあたりに住んでいるんだ?」
「私は日暮里に住んでいるよ」
「日暮里…羽田に行く途中に見たことがあるな。それなら日暮里駅の駅前の店でも行くか?タクシーは別々に乗っていく事にしよう」
「うん、分かった。あ、日暮里駅だとはぐれちゃうかもしれないから、日暮里駅前の第一ビルという所で待ち合わせで良いかな?」
俺は了承し、佐倉を先にタクシーを捕まえさせ、その後別のタクシーで日暮里駅まで行くことにする。
第一ビルで集合し、挨拶をした後で佐倉は先に歩き出す。
そして10分と歩くと人通りの少ない通りに出て、安めの居酒屋の個室に入った。
事務所の人と良く使っている所なのだろうか。
歩いている途中で、寮に住んでいる事は知っていた。
佐倉もアイドルだが、アイドルの卵とアイドルの違いが曖昧だ。
もしかしたらテレビ上でのアイドルも、アイドルの卵も同じ寮に住んでいるのかもしれないな。
タッチパネルのメニュー表で飲み物とご飯を頼む。
「一目見たら満足だったのに、佐倉はファンサービスが良いな。他のファンに恨まれないか?」
「だ、大丈夫。それに、綾小路くんはファンと言うより…同級生だし」
「確かにそうだな」
注文した飲み物が来たので、乾杯をし飲みあう事にした。
「うん、それに、私のファン、そんなに多くないし…」
「数少ないファンの一人だなんて、嬉しい限りだな。ライバルが少ないから」
「あ、でも結構コアな人もいてね。身体目当てみたいな人もいてね…。も、もしかしたら喧嘩しちゃう事もあるかもしれない」
「佐倉ならそういった事もあるかもな。喧嘩はしたくないが、ファンとしては譲りたくない気持ちも強い。身体目当てみたいな人は困るな」
「うん…。流石にお父さんくらいの年齢の人に、舐めまわすように見られるのはね…。そういった仕事だって分かってはいるんだけど」
「ファンが増えるとそういう人もいるだろうな」
「うん。結構粘着質なタイプもね。最近は上手く交わせるようになってきたけど。流石にしつこいとちょっと嫌になっちゃうかも」
「そうだな。しつこいと嫌だ」
うん、うん。と佐倉が頷いてくれる。
ここまで話す佐倉を始めてみたかもしれない。
彼女の空気に合わせたかったので、俺は彼女から目をそらしてご飯を食べる。
佐倉は飲み物は飲むが、目の前のご飯に手を付けていなかった。
「…うん。この前、テレビで知り合った男の人の部屋に誘われてさ…」
「え?急にか?」
「そう、その人、人気なんだけど家に誘うのがすごい軽い感じだったし、仕事も欲しかったからちょっと迷ったんだけど、悩んだ結果行かなかった」
「行かなかったのか」
「うん。私、綾小路くんにファンだって言ってもらえてすごく嬉しいんだけど、たまにテレビのバラエティに出してもらえるけど上手く喋ることが出来なくて…なかなか上手く行かないんだ」
深刻な話なのだろうが、笑いながら話す佐倉が目の前にいた。喋る声を俺は待つ。
「中学のころからグラビアをやっていたからね。胸が大きいから…体型は男受けするんだろうけど、有名になるのはまだまだだなぁ。事務所は一応月給制だから、生活する分には問題ないんだけど…。ちょっと際どい仕事が増えてきちゃって」
「…際どい仕事?」
「う、うん。知っているかどうか分からないけど、結構露出の多いモデルの仕事…とかね」
「俺も佐倉の仕事を全て知っているわけではないが…少なくともネットで見る限りは元気にやっているように見えていた。しかし、話を聞くと、想像していなかった見えない苦労が見えてくるんだな」
「そうなの。私も今年で20歳の年だから、売れない私をそろそろ事務所が見限ろうとしているのかも…」
「そんなことないだろう?」
「…ううん、どうなんだろうね。ただでさえ売上が下がっているらしくって。最近オーナーも変わったみたいだし。新オーナーの方針によってはクビにされちゃうかもしれない。あはは」
「それは急な話だな」
「うん、最近あっという間に色々決まっていっちゃって…」
「しかし大丈夫だ。佐倉はクビになったりしない。逆にモデルで起用される事が多くなるかもしれないぞ」
「…そ、そうかな。でも、ありがと。綾小路くんのいう事は不思議と信じられちゃうね」
佐倉はそう言ったかと思うとご飯を少しずつ口にし始めた。
もともと口下手の佐倉だ、今までも話した回数は数えるほどしかない。
こうして腰を据えて喋ったことなど片手で収まるくらいではないだろうか。
無言の時間が続くが、不思議と苦にはならない。
話題などいくらでも出てきそうなものだったが、とりわけ話そうと思わなかった。
もう少しお互いがご飯を食べる時間でも問題はなかったのだが、意を決したのか佐倉から話題が振られる。
「綾小路くんは、今は何をしているの?大学生?」
俺は口に含む唐揚げを急いで噛み、飲み込んでから返答し始めた。
「大学は終わったんだ。今は医者をしている」
「イ、 イシャ??」
「あぁ。病院の勤務医だ。佐倉は、大学は行かなかったのか?」
「…う、うん。元々この業界に入っていたからね。そのまま契約社員として働いているよ」
すぐには腑に落ちなかった様子の佐倉だったが、話を振られたため質問に答えてくれる。
「それにしても、お医者さんかぁ。やっぱりすごいね、綾小路くん」
「そうだな。俺も俺で、佐倉程じゃないが頑張った成果だと思う」
「私はそこまで頑張った訳じゃないけど…人より物覚えも悪いし。でも綾小路くんならちょっとした頑張りですぐに出来ちゃいそうだよね」
おや?と思い佐倉の方を盗み見る。
元気がない。
と言うよりも自信を無くしているのだろうか。
自分自身を卑下して他人を持ち上げる。
彼女の悪い癖が出ている気がしてしまう。
ご飯を食べ終え、箸を置いた。俺は飲み物を一口飲む。
「俺は佐倉愛里のファンだと言ったのは覚えているか?」
ご飯を食べ終わる残り1割くらいの佐倉が、箸を止めてこちらを見た。
「う、うん。ちょっと信じられないけど…」
「ファンとして言わせてもらうが、俺はそんな頑張っている所を応援したい」
「え、うん…」
「辛い事でも、苦しい事でも良い。なんでも言ってくれたら、ファン冥利に尽きる。だが、俺が佐倉の頑張りを見て、応援しているという気持ちだけは、否定しないで欲しい」
数秒の沈黙が流れた。
佐倉は言葉を噛みしめ、喉に流し込んでいるように見えた。
「あ、ありがとう。そんな風に言ってもらえるなんて…思ってなかったから」
「気にするな。お前とこうやって一緒にいるだけでも、嬉しいんだ」
う、うん。と佐倉は頷き、俺と同じ唐揚げ定食を食べる。
居酒屋にも関わらずお酒を飲まずにウーロン茶を1杯と、定食。一人1,000円くらいの金額だった。
「すまないが、明日も早いからそろそろ帰るぞ。残念だが意外と仕事が忙しいんだ」
「あ、そうなの?確かに…通知がたくさん来ている様だったけど…」
「あぁ、医者という職業上、通知を切ることが出来ないからな」
そっかぁ。
と残念そうにする佐倉が、バッグに入っていたスマホを取り出す。
「ここは大丈夫、わたしが払うから…」
「そうなのか?ありがとう。この貸しは必ず返す」
「いやいや、良いよ。いつも使っている所だから…。その代わりに連絡先…教えて?」
「俺もそう聞こうと思っていたところだ」
恥ずかしそうにする佐倉に、プライベート用のスマホを取り出し連絡先を交換する。
連絡先を教えるのは二度目だった気がする。
彼女は初めて会った時から変わっていなかった。
佐倉を残して店を出ると目の前に車が停まっている。
俺は足早に助手席に乗り込んだ。
乗り込むと同時に車が発進したためシートベルトを装着する。
「遅かったね。誰と会っていたの?」
「推しのアイドルとだ。迎え、助かった」
「…いえ。ひとまず、おかえりなさい」
あぁ、と返答する。櫛田には全く返信していないメッセージがいくつかあった。
今直接聞いてくるのかと思いきや、そうではなかった。
「ねぇ綾小路くん。一之瀬さんとエッチしたの?」
想定していない内容の話題だった。
ビリオネアの件とか、合併の件とか、坂柳の件とか
聞くことは山ほどあるだろうに、櫛田の選択した話はまさかの一之瀬だった。
「どこからがエッチになるんだ??」
「え…?そりゃ挿れたらなんじゃない?」
「なるほど。ならエッチはしていないな」
「いや…おかしいでしょ」
あの一之瀬の慌てようはエッチをしたという事だと櫛田は確信した。
一之瀬が帰宅して、軽井沢と三人一緒にご飯を食べている最中に、ご飯時にする話題じゃないと思いつつも一人カクテルを飲む軽井沢がさりげなく聞いた事だった。
しかし、と櫛田は考える。
一之瀬は曖昧に返答したが、その分誇張表現を増長させた可能性が高い。
その代わり綾小路は明確に『していない』と答える。
こういった場合、信用できるのは綾小路の方だった。
「…質問を変えるけど、あなたは過去一之瀬さんとエッチをしたことがありますか?」
「おい、なぜエッチの話をするんだ」
「若い男女が複数人同じ家で暮らすんだから、貞操観念のルールは重要でしょ?堀北も、ちょっとあった感じを出していたし…」
「なるほど。それは当然だ。だが、一之瀬が話していない事を答えるつもりはないな」
櫛田は流石だと思った。
確かに女子が多い会社。
一人の男が勝手に女子の秘密を話すことは良くない行為だ。
しかし、興味関心がない訳ではない。
逆にいうと、仕事を除いた興味関心など、それしかないと言っても過言ではなかった。
だから櫛田は攻めた。
「これ以上…教えてくれそうにないから、これ以上詮索はしないけど、一つ良い?」
「なんだ?」
「あなたってインポなの?」
「いや、インポテンツはないが」
「いやいやいや!!おかしいでしょうよ。私が住み始めてから一度も肌に触れた事なかったし、際どい服で家をうろうろしていてもチラと見るだけで興味なさそうだったし。そもそもプールは入らないし…!!」
「良く分からないが、なんだ?手を出されないことに怒っているのか?」
「いやぁ~~~そー言われればそうなんだけどぉ…」
悔しそうな顔をする櫛田。
仕事でストレスが溜まっているのだろうか。
「でもお前、女子は許した相手以外肌に触れられたくないもんなんじゃないのか?」
「…いや別に良いけど…でも私経験ないから分からないかなぁ。っていうかその理屈だと一之瀬さんには許されたと解釈しているの?」
「なんとも言えないな」
「そ!まぁ…良いわ」
櫛田がそっぽを向いた。
これはじっくりと話を聞く必要があるかもしれない。
海外から帰って来たばかりで早く横になりたい気もするが、日本から飛行機に乗る前に櫛田には少々嫌味を言ってしまったからな。
「明日は早いのか?」
「…いつも通り好きな時間に起きて鬼の様なタスクを進めるだけだけど?」
「なら、パプアニューギニアからのお土産があるんだ。お前の好きそうなラム酒もある。まだ肌寒いが、一杯どうだ?」
「良いね、やろう」
少し、気分を持ち直した櫛田が家に車を走らせた。