1
橋本と分かれ、警察と話した後にクラブに戻って携帯を回収した。
会計をしようとしたが、支払い済みだという事で了承する。
傘を買いにコンビニに行くか、タクシーで家に帰るか。
もしくはもう少し渋谷の街を歩いて、見てみようか。
そんな事を考えていた。
そういえば今日は全て橋本待ちだった。
後でお礼だけ言っておこう。
今日使ったのは電車代だけの、数百円。
高育の時から必要なもの以外は買わないと習慣が身に付いている。
アメリカの投資家仲間から、服にお金を使った方がいい、人は身なりで判断するからとアドバイスを受けて、見た目には気を遣っているが、今日は安物のシャツと、スラックスというラフな格好だ。
それは櫛田や一之瀬に会いに行った時に見た大学生のスタイルを真似ている。
食事についても今日はその辺の牛丼で済ますつもりだ。
それでも外食を一人で行うのはまだ無駄遣いだと抵抗はある。
この金銭感覚は大事にしたい。
*
橋本の話したことは、すぐには変えられない事だ。
先進国の行く末なんて分かり切っている。
フランスに行った櫛田には、移民がどう過ごしているかを詳しく見て来て欲しいと依頼を出している。
問:人は平等か否か。
高校1年生の時に出した答えとは異なる答えを俺は導き出そうとしている。
世界は平等になりたがるという意思。
人や国の不平等を無くそうという17の目標。
人々は、そんなの偽善だと、虚像だと笑うだろう。
笑えばいい。
笑ったとて、世の中の動きは変えられない。
ユニセフが打ち出した偽善は、世の中を変えたのだ。
少なくとも、「弱者に手を伸ばすべき」という主張は再度世界に通知されることになった。
そうなると、弱者に手を伸ばさない人間は恥ずかしいと言う風潮になる。
誰も大っぴらに人は不平等だと口に出来なくなった。
そして、インターネットを通じて世界中の人間が等しく世界で勝負が出来る、選択肢を与えられるようになった。
生活保護は移民にも与えられ、
苦境に立たされている貧しい民は、こぞって保護を求めて来る。
苦境に立たされていない側より、富を得るのも、逃げれば簡単に可能になる。
貧しい国の民は、逃げることで富を得る。
つまり、物事から逃げるとうま味を得られると学習し、よりうま味を得られるようにと、新しい拠点を探し始める。
新しい拠点を提供する側は、利益を失い賞賛を得る。
失った利益以上のものは決して得られない。
富は無限ではないのだから。
それに、逃げて富を得た貧しい国の民は、感謝をしない。
いや、しているかもしれない。が、言葉や態度に示すだけでなく、施し授けてくれた人に感謝し、貢献しようという気概がない。
同じ国の人間とグループを形成することで、アチラ側の、権利を主張するだけの人間になる。
始めは持っていた、貢献したい動く気持ちも、同じ立場の人間と会話をすることで当然になって行く。
努力をせずに、逃げることで楽を覚えた人。
[b:[[emphasismark:彼らは人だと定義付け出来るのだろうか。 > ﹅]]]
国家間の豊かさは日々変化する。
始めは先進国の依頼で、時給3円で働いていた貧民国の人々。
それがあるきっかけで、時給を上げるに至り、今では先進国と同じ給与にすべきだという動きも活発化しつつある。
そうなると時給1500円以上は払わなければならない。
あるきっかけというのは、出会いであるという事だ。
人は人に会い、会話をすることで特別感を得られ、その結果資産が流れることになる。
「……あ……あやのこうじ……先輩?」
コンビニで傘を買おうと歩いていると、路地裏で男5,6名に囲まれる見知った人間を見つけた。
ツインテールの少女は胸倉を掴まれていた。
立ち止まると、少女の目がこちらを捉えた。
「おいてめぇ!知り合いか?コイツ、金持ってねぇんだよ、お前が代わりに賠償しろや!」
詰め寄って来るその内の一人に胸倉を掴まれる。
「……金額は?」
「ご、ごめんなさい、先輩、ごめんなさい……」
「聞いて驚くな、2,000万だ!!」
男の口からは強く、甘い匂いがした。
それはアメリカのスラム街で嗅いだものと、同じものだった。
いつもニヒルな笑みをこちらに向けて来た後輩が、塩らしい顔をしているのが、癇に障った。
──そう、人は出会いをきっかけに、資産が動き、富はより平等に分配される。
2
豊かな事は幸せな事と限らない。
昔の人は生きることで精いっぱいで、米を作ったりジャガイモを作ったりと大変だった。
天気に祈り、土と会話をし、食料を得た。
目的があるから生きる。
生きるために動くのだ。
それなら今、動かなくても生きることが出来るなら?
それは実質的な死なのだろうか。
否、豊かになれば生活が変わる。
人はより豊かになろうと比較し合い、争い、どんどん世の中は便利になった。
でも、あたしのような人間は、常に目的がないとダメなタイプに生きてしまった。
幼少期の成長過程で、刷り込まれてしまった。
生きる目的がないと、胸にぽっかり穴が空いた様で、埋めることは出来ない。
なんて不幸な人間なのか。
両親はいない。
いるんだろうが、誰かは知らない。
会いたいとも思えない。
高校では1年も満たずにホワイトルームに帰って行った拓也と比べて、どちらが不幸なのかなぁ。
ぐるぐると頭を駆け巡る。
学力の高いあたしでも答えの出ない問題はある。
少し考えれば誰にでもわかる事。
良い大学に入って、沢山ある選択肢から一つ選べばいい。
そうして気に入った男と結婚して、子供を産み、時には旅行したり遊んだりして人生を全うすれば良い。
でも、良い大学に行った先、何かを選択しなければならなくなった時、あたしの欲しい選択肢がなかったら?
その時あたしは正気でいられるだろうか。
拓也が壊れてしまった時の様な、ホワイトルームで脱落していった子供の様な、狂人の様な、そんな慟哭。
もう、壊れてしまうかもしれない。
*
身なりがボロボロのあたしを遠巻きに警察がマークしているのは分かっていた。
5月。
金がなく、シャワーを浴びれないあたしにとって、この太陽は堪える。
じわりと暑く、湿度の高い気温。
「お嬢さん、良い働き口があるんだけど、どうかな?」
一度話を聞いてみて逃げてからはこの手の誘いは断ることにしている。
風俗の勧誘というヤツだ。
ナンパをされる事は多いが、声をかけてくる男のレベルが徐々に落ちている。
見た目、服装、歩き方、背丈、胸の大きさ。
それをつぶさに確認され、様子を見て勝手にジャッジされる。
キャリーケースが重い。
当てもなく歩く。
ただただ目的なく。
最後に飲んだアイスコーヒーが、最後のお金だった。
警察に言えば、少額なら貸してくれると言う話。
携帯で電話をすれば、七瀬ちゃんが来てくれて保護してくれるだろう。
なんなら高育を頼っても良い。
誰かに頼れば助けてもらえるとは分かっていた。
でも、やらないのは今、生きるつもりがないという事だ。
「いやでも七瀬ちゃんくらいには頼っておこうかなぁ……」
卒業前に手紙を貰い、連絡先は入手済み。
お人好しなあの女なら、しばらく住む場所を提供してくれるんだろう。
そうは思うが、身体が重く気が乗らなかった。
気が乗らないならする必要はない。
だってあたしは自由なんだから。
3
大きな街に付くと色んな人がいる。
東京は日本で一番人口が多いと言うが、だからと言って自然と人間関係が作られる訳ではない。
人口の少ない町の方が挨拶をし合い、自然と人間関係が作られる。
夕方、少し怪しく見えたあたしは警察の職務質問を受けた。
長谷部先輩との会話から、3日後の事だった。
「え?警察が、なんでですか?あたし何か迷惑かけるような事しました?」
「あ~、気にしないで良いですよ、皆さんにしている簡単な質問ですから」
制服に身を包んだ30代前半くらいのお姉さんと、後ろに控える屈強な男性警官の二人組。
「ええと、あなた年齢は?」
「18歳ですけど」
「そう、本人確認は出来る?」
本人確認書類。
そういえば、卒業後に案内があった。
家の住所に書類が届いているから、受け取る様にと。
それに、ホワイトルームからも書類が届いていた。
新しい住所と、住民票は移動済みであるとの書類。
完全に実家から別れを切り出された様な、それでいてそこまでショックではない届け出。
思い出すまでは良かったものの、まだ新しい住所に行っていない。
「今はないですね」
そう返答すると女警官は手元にある用紙に何か書きこんだ。
「そう、それじゃあ名前は?」
「あまさわいちかって言います」
「あまさわさんね。ここで何していたの?」
「何って、歩いていただけですけど……」
なんだこの女。
ぐいぐい個人情報を聞いてきやがって。
警官というヤツは、人を苛立たせるのが仕事なのか。
「───さわ……あまさわさんッ?」
「あ、いえ。ええと、あたし3月に高校を卒業してから家に帰る途中で」
かろうじて聞こえていた、「どこに向かっているの?」という質問に返答する。
そう返答し、怪訝な目を向けて来る女性警官が、とりあえず納得した様子を見せた。
その後、私物チェックを受けた後、解放されてその場を後にした。
*
ともかく、家に帰るべきだ。
しかし金がない。
ホワイトルームから受け取った手紙の中で、新しい住所は教えてもらっていた。
上野駅から歩いて10分程のマンション。
鍵はポストに入っていて、ポストの番号は記憶にある。
渋谷から上野は電車ですぐ。
とりあえず家に帰るべきだ。
そう思い、歩き出そうとしたその時──。
「いってーなコラ!!」
肩がぶつかり、男が詰め寄って来た。
「はぁ?いや、あんたがぶつかってきたんでしょう?」
「ふざけんな!おい、見たよな今?」
と男はそういって、取り巻き連中に声をかける。
すると取り巻き連中はニヤニヤ笑いながらこちらを見て来た。
「あぁ、見てた見てた。間違いなくその女からぶつかった」
「絶対ぶつかっていない……」
「おい、ふざけてんじゃねぇぞ、コラ」
「へぇ、やるっていうの?」
「あん?なんだお前、格闘技経験者か?」
「別に。喧嘩なら買ってやるって言ってんのよ」
「良い度胸だ、ちょっとこっちこいよ」
そういって男たちと路地裏に歩いて行った。
それに、気付いていた。
職務質問してきた警官とは別の警官、数日前に張り付いているヤツが、今の現状を見ている事に。
*
「やるだけ無駄だと思うけどね」
そんな事を言ったと思う。
その言葉に釣られて、男は駆け出して来た。
あたしはその瞬間、男を躱す。
しかし、その瞬間──。
取り巻きの一人があたしのキャリーケースに駆け出し、掴み、走って行った。
「ちょ……あッ!!」
「よそ見してんじゃねぇ!」
と、少しボクシングを齧った事がある風な男が、距離を取って来る。
動けば一発殴ると、そんな様子だった。
でも、この喧嘩は先に殴った方の負け。
だからあたしは、男を睨み、そして盗まれたキャリーケースを取り戻そうと、走った。
雑居ビルを抜けて、10メートル先に見えた、見た目には急いでいる人間。
取り巻きのその一人は地味な大学生の様な、無垢な姿をしており怪しむ人はいない。
大事にもしたく無い。
いろいろ考えながらの行動だったのだろう。
あたしは躓いた。
そして、
「あッ!!!!!」
原付バイクがあたしを避けようとして、転倒した。
転倒したのは若い、地味な女の子だった。
「おい!何してんだお前!」
取り巻きを1人失い、キャリーケースを持っていった男が追いかけて来てそういった。
あたしは女の子のケガの状態を見る。
ヘルメットをかぶっていたから良いものの、打撲か骨折はあるかもしれない。
「……なんで……」
そう呟いた。
後ろで喚く男がウザかった。
だから──。
「お前、ちょっとうるさいよ」
足が勝手に動いていた。
あたしの左腕が振りぬかれ、男の顔面を強打する。
男は殴られた拍子に後ろの取り巻きに項垂れかかった。
騒ぎを見て駆けつける警官。
逃げるあたし。
「おい、待て!!!追え!!」
リーダーが気絶し、2番手が叫ぶ。
数名の足音が追いかけて来た。
4
足は速い方だった。
それでも男の足には叶わない所もある。
更に言うと、少し疲れていた。
走った先、撒いたと思った後、安心したのもつかぬ間の事。
「おい!!見つけたぞ!!」
と、取り巻き連中に胸倉を掴まれていた。
「触るな!」
「ダメだ!お前、何やったか分かってんのか?スクーターの運転手へのケガ、暴力、警察も見てただろ、逃げられる訳ないだろ?」
「はぁ、そっちが悪いんでしょ!あたしのキャリーケース盗んだんじゃん!」
「知らねーよそんなの。お前、キャリーケースなんて持ってたか?」
「え……?」
呆然としていると、男は高らかに宣言した。
「そっちが急にこっちにいちゃもん付けて、リーダーを殴ったんだろ!?スクーターの姉ちゃんは巻き込まれただけだよなぁ?」
「金払えよオイ!!」
「まじヤベェやつだなコイツ……」
「見てくれはすげぇ良いんだけどな」
「おい、お前ちょ……はええって……」
取り巻き達が口々にそう言って来る。
「払える金がないって言うんなら、オレタチの相手をしてもらうしかねぇよなぁ」
あぁ、ネットで見た事のあるような、分かりやすい典型的なトラブル。
それに巻き込まれたんだ。
きっと地味な男と、スクーターの地味な女もグル。
もしかして警察もグル、もしくは見逃している所もあるのではないだろうか。
反社が大っぴらに活動が出来ない今、半グレ集団が渋谷にいるって聞いた事がある。
少なくとも、駆けつけて来た警官はスクーターの女の対応をしているのだろう。
「……そう言う事ね……」
観念しようとしたその時、取り巻きの一人が携帯のカメラを向けて来ているのに気付いた。
「逃げようたってそうはいかねぇぞ……ネットにさらしてやるからなぁ」
「……変態」
気付くことが少なかった。
慢心していたのか、もしくはあたしが気付く前からこういったシステムが出来上がっていたのか。
あたしは今携帯以外持っていない。
持ち歩き鞄と、キャリーケースは分けて管理していたが、歩き辛く、財布にお金も入っていないため全てキャリーケースに入れていた。
残念なことにキャリーケースにロックもかけていない。
金目の物。確かに鞄は高級品。あたしの身に着けているのも高級品。
偽物の可能性を考慮しつつも、高級なキャリーケースだけでも盗めば御の字という事でマークされたのかもしれない。
あぁ、あのバッグ、お気に入りだったんだけどな。
もうどこに行くことも出来ない。
彼らを振りほどいたところで、ネットに晒されてしまえば終わり。
あたしが男を殴ったところを切り取られ、拡散されるんだろう。
櫛田先輩のSNSを見るようになって、SNS上のニュースを見るようになった。
東京都内で行われる若者の奇行。
まさか自分が受けるとは思わなかった。
証拠は残っていないんだろう。
現場で指揮を執るリーダーとは別に、どこか海外で指揮を執る、本願のリーダーが指示をしていると耳にした。
犯行は露呈してからは、賢いやり方だと思った事を覚えている。
「逃げ場はないかー…」
「ああ、逃がさねぇからなぁ!」
「逃がさないだなんて、スケベなんだね?そんなにパンツ見たい?」
「そういうのは後のお楽しみだぜぇ」
覗き込んでも良いよと、言うだけの余裕はない。
身体の脱力を感じた。
手の先、そして足先から冷えて行った。
気付かぬ間に雨も降っていた。
髪が濡れ、足元がびちゃびちゃだ。
周囲を仰ぎ見る。
そして次の言葉を話そうとした時。
人の往来から離れ、人目があまり付かない場所にも関わらず。
もしくは、こういった行為が日常的に行われているからか、知らぬ存ぜぬを付き通す通行人が多い場所なのだろうと、分かっているのにも関わらず。
こちらを見て来た人がいた。
彼は普段通りの声でこちらに話しかけて来た。
「天沢か。何してるんだこんな所で」
彼は綾小路清隆。