1
「2000万、その内訳を聞きたいところだが…教えるつもりはないみたいだな」
綾小路はそういって天沢に近づいた。
いつもの散歩コースを歩くような、そんな呑気な歩き方だった。
「おいッ!なんだお前!」
男の声が綾小路に投げられるが、彼は気にず、胸倉を掴むその手を上から掴む。
ぐぐぐと力を籠めると、自然と外れる手。
見開かれる目。
「ぐッ……お前……」
「服が伸びてるじゃないか」
ポカンと口を開ける天沢に、声をかける。
胸元を見られていると気付き、慌てて胸元を隠す。
「あッ、おひさしぶりです」
「?なんか変な感じだな、元気がない様だが、何かあったのか?」
肩を触られ、少しビクッとする。
そして、取り巻き連中を見て、いろいろと察する。
どこか休む場所を、と周囲を見回すと、目に見えたのはネオンが光るホテルだった。
仕方がないと綾小路は思い、ポケットから1万円札を5枚取り出した。
「良いか天沢、見ての通り俺もあまりお金が無い、今[[emphasismark:手元にある全財産だ > ﹅]]」
「あッ、ありがとうございます」
「携帯番号を教えてもらえるか?こいつらを処理したら電話をする。すまないが、あそこでシャワーを浴びれると思う。そこまで一緒にいけるか?」
と言って、ラブホテルを目で誘導した。
「ま、まぁ、はい」
「お前たちも良いだろ?後は俺が責任を持つ。2000万だろうが、警察だろうが一緒に行ってやる」
そういって二人はラブホテルまで行った。
幸いなことに部屋は空いており、受付でカードキーを貰う。
充電器も失くしたとのことで、充電器も借り、更にホテル内で食事を取る様に言う。
その間も監視がついていて、常にカメラで動画の撮影をされていた。
「あや、綾小路先輩……ホント、すみません。あたし、高校卒業したばかりで身分証とかも持ってなくって…」
「気にするな。後輩の面倒くらいみてやる」
「ホント、すみません…」
「それに、卒業後に迎えに行ってやれなくて、すまなかったな」
そういって綾小路は取り巻き連中と外に出て行った。
2
「とりあえずアジトに来てもらうぜ」
と言って男は綾小路の腕を掴む。
綾小路は頷いて着いて行った。
アジトは遠くなく、歩いて3分位の雑居ビルの地下1階。
内装はバーだが、値札のないメニュー表が、怪しさを醸し出す。
座っていると数分で、顔に包帯を巻いた男が現れた。
「お前があの女の保護者か…?名前は?」
「綾小路だ」
「ほう、下の名前は?」
「清隆」
なぜ下の名前を聞いたのかというと、証拠に残すためだろう。
向けられるカメラは、ずっと撮られていた最新のスマートフォンと、もう1台のカメラも向けられていた。
一昔前なら、銃口を突きつけられている状態なのかもしれない。
「そうかそうか、綾小路清隆さんね。あの女はな、スクーターの女にケガをさせて、この俺の顔面を殴ったんだ。そこのスマートフォンに録画されてるから、言い逃れは出来ない」
「そうなのか」
「あぁ、流石に乗り物に乗っていた女のケガだ、2000万位用立てして貰わないとダメだ。分かるよな?」
「分かっている。警察と救急車の対応はどうするんだ?」
「それは心配しなくても良い。俺が直接仲を取り持った。女のケガについては俺を通して払うから、ひとまずここで示談と行こうじゃないか」
そんな偶然があるのか?
と思うだろうが、綾小路は言葉を飲み込むことにした。
「それなら良い。でも一応、被害者と謝罪目的で会ってみたいのと、警察にはどう事故処理されているのか聞かないと信用できない」
事故を起こした本人がいないため、綾小路には被害者側の話をうのみにするしかなかった。
せめて国の機関にはどう処理されるのか。
また、スクーターに乗っていた女は、どう思っているのか。
本当なら今、天沢は警察の取り調べを受け、救急車に乗って行った女性のケガの状態を待つしかない。
保証人がいるのであれば、連絡をする必要も出て来るだろう。
だからこそ、目の前の男の脅し文句とは別に、はっきりさせるべき所は把握しとかなければならない。
「お前が受けたケガと被害者が受けたケガの請求は受ける。それなら問題ないだろう?」
「あぁ、問題ない」
抑揚に頷く男。
やがて、「じゃあこの場で2000万、払ってもらおうか」と言い出す。
「今は無理だ、手元にある金は全てあいつに渡してしまったからな」
「じゃあ、証人を付けるしかねぇな」
といって、どこかに電話をし始める。
*
数分後、現れたのは弁護士と名乗る男だった。
男は名刺を差し出した後、2枚の紙を持って綾小路の前に出す。
「損害賠償金ですが、2000万円でよろしいでしょうか?」
「あぁ、大丈夫だ」
「かしこまりました。そのように書きます」
そして書いている時に綾小路が聞いた。
「ちょっと待て、あの男に払う金額が入っていないが?」
「え?そうなんですか?」
「あぁ、男は天沢に殴られたと言っていた。その分を後で請求されたら困る。今入れてもらわないと」
「分かりました、少々お待ちください」
そういって男は席を外す。
思ったより、完成されたシステムの様だ。
目の前の男が本当に弁護士なのかは分からない。
それでも、文書発行をしている分、署名してしまったらこちらが不利になるのは間違いない。
2000万円を払う事など、天沢は納得がいかないだろう。
納得はいかないが、払うしかない。交通事故というのはそういうものだからだ。
ふとしたよそ見、眠気、携帯の操作をしていた等で、人を轢いてしまえば、損害賠償の支払い義務が生じる。
やがて弁護士を名乗る男が戻って来て、別の2枚の紙を持ってきた。
「こちらが、先ほどの男性の分です」
書いてあるのは500万円であった。
合わせて2500万円。
「こちら読んでいただいて、署名と拇印を貰えば終了です」
「あぁ……確認する」
書いてある内容はシンプルなもの。
詳しい事故内容は書いておらず、支払いますと言う念書の様なものに近い。
テーブルの上には朱肉とスタンプ台が置かれている。
「確認した、こちらで良い。だが、一つ良いだろうか?」
「まだ何か?」
「俺はこれで控えを貰って、後日振り込む。であっているな?」
「はい」
「振込先の口座情報と、被害者側の署名、押印がない。これではどこの誰に振り込めば良いのか分からない。それでは今この時間に終えることは出来ない。そうだろ?」
考えればすぐに分かる事。
ちなみに署名捺印には住所と連絡先が必要で、目の前の紙は空白であった。
「あぁ、そうですね、確かに。少しお待ちください」
スーツ姿に身を包んだ男は、今度は持って来た4枚の書類を持って奥に引っ込んだ。
20分程席を外し、戻って来る。
その間俺はとある人に連絡を取った。
<あと10分位で突入させてくれ>
返って来たのは、<承知いたしました。>という返事。
「お待たせしました、これでいかがでしょうか」
「分かった。確認する」
文章は変わっていない。
被害者の署名、捺印も確かに存在する。
なぜ?
スクーターに乗っていた女は、今は病院にいるはずだ。
ならば、代筆の可能性が高い。
「こちらのスクーターの方は……奥にいないだろ?」
「先ほど電話で確認を取りましたので、大丈夫かと。代筆の許可も得ております。私が間に入って、振込先を確認したので、そちらも心配いりません」
「なるほど。分かった。だが、細かいことなんだが正式な手続きのために疑問は払拭しておきたい。あなたは、弁護士なのか?」
「と、言いますと……?」
「分からないか?分からないのも無理はないかもな。お前は弁護士ではないからだ」
「?失礼ですね、弁護士バッジを付けている、弁護士なのですが?」
そういって男は不機嫌な顔を覗かせた。
「弁護士が間に入る場合は、弁護士の口座情報を使う筈だ」
「え、いや……?」
「それに、名刺。調べたが、お前の名前の弁護士は存在しない」
「……ネットには出していないんです」
「それは出来ない。弁護士会に登録をして初めて弁護士と名乗れる。やむを得ずに登録が出来ない場合、公表できない場合を除くことは出来ない。これは弁護士を守るためのものだ。弁護士ならそれくらいのことは知っているんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「偽装するならせめて弁護士会に登録のある弁護士にすれば良かったな。だが、不幸中の幸いというヤツだ」
「ッ……不幸中の、幸い?」
目の前の男の考えている事はすぐ分かった。
どうにかして暴力の力を借りるか、うやむやにして減額するかを考えている事だろう。
でも、こいつらは俺とこのフィールドで戦う事を選んだ。
それなら、同じフィールドで勝負をするのみ。
「一つ罪を減らすことに成功したからな」
──そう俺が言った時。
1階から地下に降りて来る、静かな足音が、4つ。
入って来る警官。
それは、橋本といたクラブの外で会話をした男であった。
「け、警察がなぜ……!?」
男はこちらに目くばせをすると、偽弁護士に向き合う。
そして、テーブルにあった紙を目にし、その後店全体に向けて声をあげた。
「住民から通報があった。動くな!この室内にいるものは速やかに出て来て貰おう」
慌てる偽弁護士を前に、男警官は颯爽と紙を回収する。
後ろにいた3人の警官の内、2人が奥に入っていくと、「何も触るな!!手を上に挙げろ!」という声が聞こえて来た。
残りの1人は入口を閉め、扉の前に立っている。
すごすごと出て行く取り巻き達が、バツの悪そうな顔でこちらを見て、舌打ちをして連行されていった。
3
「捜査へのご協力、ありがとうございました」
そう頭を下げる、男警官。
「犯罪も日々、複雑化しておりましてな。証拠も残さない事が多くて、中々尻尾が捕まえられませんでした」
「そうですか。それにしても、何人か薬をやっている人もいたみたいなんですけど、そういうのは見逃されているんですか?」
そう聞くと、男警官は神妙に顔を横に振った。
「いいえ、今回たまたま捕まえることが出来ましたが、敢えて見逃していたのは所轄の警察の様です」
そういって身元を少し明かしてくれる。
そして表情を崩して、ニヤリとした。
「わたしはこれでも、少し偉いのです。とある人から直接指示されて、動いていた。今回の逮捕はたまたまです。所轄の刑事も罰則を受けることはあると思いますが、すみませんがそれを保障することは出来ません」
警察にもいろいろと権力争いや、派閥があるのだろう。
派閥ごとに暗黙の了解が存在し、上は上で争い合っている。
別の派閥から罰則に難癖をつけられることがあれば、罰則自体が覆る可能性も高い。
警察は一枚岩ではないという事の証明だろう。
こういった穴をついて、見逃されていたり、見逃されていなかったりする。今回はそういうケースだという事だ。
「そうですか、とある人とは?」
事情は理解してやると思い、それでも気になった事を聞く。
少し、聞いてほしそうに見えたのもある。
「それは言えません」
そういった男警官は少し胸を張っているように見えた。
口の堅い男。というよりは、主人に仕える兵隊といった所か。
「分かりました。でしたら聞きません。ですが、捜査には協力しますし、事故の件についても、加害者はこちらで保護しますので、連絡いただいても構いません。[[emphasismark:とある人 > ﹅]]を通じて、コンタクトを取っていただければ、ですが」
「承知いたました。預かった証拠はこちらで処分しておきましょう。念の為、所管の警察ではなく、我々の方で。」
「そうしてもらえると助かります。[[emphasismark:手間が省けて楽 > ﹅]]だ」
そういうと、男警官は帽子を被り直した。
「では、失礼します」
そして彼は去って行った。
一人残された綾小路。
鍵……?どうするんだ?
とは思ったが、俺は気にせず出ることにする。
バーの中は、強く甘い匂いが充満していた。
4
店から出ると天沢のいるラブホテルに戻る前に一本電話をかけようと思い立つ。
先ほどチャットを飛ばしたのと同一人物だ。
念のため、その後に天沢にも電話し、確認してから向かった方が良いだろう。
コールを鳴らすと1コールで相手が出た。
「坂柳か」
『電話をくれると思っておりました。綾小路くん』
「……余計な事をしてくれたな……」
『お膳立てくらいしても、怒られないんじゃないかと思いまして』
「あの警官を俺につけてたんだな。目的はなんだ?」
『ふふふ、しつこい女は嫌いですか?』
バレバレだった。
橋本と俺がクラブにいる時、男警官は俺を呼び出したのだ。
始めから、橋本が出て来ると思っていなかった。
なぜなら、俺の顔を見て、名前を当てて来たからだ。
『綾小路くんは、覚えておられない様ですね。私が嫉妬深いという事を』
「覚えているもなにも、思い当たることがないんだが」
『そうですか、でしたら、この借りは櫛田さんに返してもらわなければなりませんね』
「櫛田、なぜ櫛田なんだ?」
『さぁ、それは自分の胸に聞いてみてください』
そういう坂柳のねっとりを含んだ物言い。
『天沢さんを獲得することは出来ませんでしたが、どこからどこまでを読まれていたんですか?タクシーについている監視カメラは、私が管理する会社で確認しているのですが…?』
「いや、読むも何も、偶然が重なっただけだ」
『本当にそうでしょうか?』
そういって、電話の奥では何かを飲む音が聞こえて来た。
紅茶を飲む音だ。
そして、カチャという音を耳にする。
極力音を出さない様に配慮するその空間で、その静かな音だけは、異様に聞こえた。
「答えなくて良い。白石がいるんだろう?」
『……』
「まぁ、良い。一応お礼を言っておいた方が良いのか?」
『いえ、お礼を言われるほどのことではありません。ですが綾小路くん。あなたは政界に進まれるかと思っておりました。そのために、私も準備をしておりましたが……少し方向転換を図ったのですか?』
「特に考えていない。自分の学力で進める、一番学歴の高い大学に行ったまでだ。本当は10年位あっちにいようかと思ったが、思ったより俺は優秀だったらしい」
『なるほど、そういう事ですか』
「すまないが、まだ会う事は出来ない。ゴールデンウィークは予定が入っていてな。お前もどこかに出かけるのか?」
『そうですね、麻布十番辺りには行こうかなと思っていますが……』
「来ても俺はいないかもしれないぞ」
『気にせずとも大丈夫です。ご自宅のカギは、私も持っておりますので、シャワーを借りて、友人とお茶をしようかと』
櫛田め。
坂柳に屈したか。
既に自室以外はフリースペースに成り下がった自宅を思い出す。
「そうか、それならいつでも来ると良い。良い茶葉を用意してあるし、今は対応する人間はいないが、場所は分かっているんだろう?駐車場の番号は分かっているか?」
『当然です、私の運転手も知っています』
「……マジか」
『番号を変えても無駄です。コンシェルジュに言えば、櫛田さん経由で教えてもらえますし、坂柳家はあの辺りだと少々顔が利くのです』
やはりマスターキーを掘櫛に渡したのは間違いだったかもしれない……。
しかし、会社で購入した以上、社員である二人には物件管理者から見ても俺と同じ権利を持つ。
それに櫛田はきっと、コンシェルジュや管理者と懇意なはずだ。
仕方ない。想定内だったことだ。
「話は分かった。来れる時に来てもらって構わない」
『はい』
「それと、一応お礼を言っておこう。助かったぞ、坂柳」
『……とんでもない事です』
坂柳から間が空いた返事を貰う。
じゃあと言って俺は電話を切った。
そういえば、橋本はノータッチだった。
既に、坂柳の中では見切ったのかもしれない。
そう考えると、橋本が少し不憫だ。
時間が出来たときに、バイト先の居酒屋にでも顔を出そうか。
高校の時と変わらず、ツーブロックの短いポニーテールの金髪。
チャラく見えた男は、最早生粋のチャラ男に進化を遂げていた。
今後、どこかで交わることはあるのだろうか。
神崎経由でも、何かに活かすことは出来ないだろうか。
そう思いながら、俺はコンビニでホットコーヒーを購入した。
雨に濡れて身体が冷えていた。
天沢の服も、俺の服も買わなければならない。
コーヒーを飲んで一息つき、俺は天沢の電話番号を入力した。