1
「──ひより?久しぶりだな」
「……綾小路くん?」
視線が合った。
焦点の合わない、良く分からない子。
そう思われている二人。
目の焦点は合っていた。
「あなたは確か……学力Aの……椎名先輩?」
腕にくっついていた天沢が、ひょいと顔を上げて椎名を見る。
綾小路は小銭入れを出して、自販機に入れた。
「えっと、何、してたんだ…?」
「あの、私、今高育でアルバイトしてて。その帰りなんです」
気まずそうに話し始める二人。
天沢は始め、あまり仲の良くない同士の出会いなのかと思った。
しかし、会話はどんどん進んでいく。
「バイトをしているのか。書店か?」
「はい、良く分かりましたね、その通りです」
「お前と良く行った場所だからな。流石に図書館ではないと思ったが」
そういうと椎名は嬉しそうに微笑んだ。
「ちょ──っとちょっと、お二人ってお知り合いって感じです?長くなりそうなら、座られては?綾小路先輩」
「あぁ、ひよりが、良いなら大丈夫だ」
「──私も、時間はありますから」
「へぇ、[[emphasismark:ひより > ﹅]]……ね」
「何か言ったか?天沢」
「いえいえ、何でもないですよ。あ、あたし、ココアが飲みたいです」
そう言いながら綾小路はココアのボタンを押す。
綾小路は椎名の手元のタンブラーを見て、自分のコーヒーを押した。
そしてそのまま一人分の席を離して座る。
天沢は綾小路にくっつくように座った。
「1年振り、ですね」
「あぁ、そうだな。元気だったのか?龍園や石崎、山田や伊吹とは仲良くやっているのか?」
「はい、職場が無くなりそうな事以外は元気です。大学も無事、単位は順調ですし、龍園君たちとも、上手くやっているかと思います」
相変わらずおっとりと、マイペースな話しぶりのひより。
綾小路は懐かしい気持ちを思い出す。
「そうか、それなら何よりだ。職場が無くなりそう?というのはどういうことだ?」
「ええ、ケヤキモールに入っている書店が、私のアルバイト先なのですが、どうも売上が悪いようで……」
そこまで言って綾小路は察する。
「そう言う事なら心配しなくても良い。書店は無くならない様に手配しよう」
「……?どういう事ですか?」
「ここにいる天沢が、一部高育の運営に携わっていてな、確か、書店がすぐになくなるという話は聞いていない。よな?」
「……」
綾小路は天沢の方を振り返り、聞いた。
「天沢?」
「あー…はい、そうですね、綾小路先輩」
そして、椎名の方をまた振り返った。
「聞いた通りだ。これでひよりの心配事はなくなったと判断しても良いか?」
「それが本当ならば、大きな心配はなくなりました」
そう聞くと、綾小路はコーヒーを一口飲んだ。
「ですが、もっと大きな心配が出来てしまいまして」
「大きな心配だって?」
急に投下される爆弾。
今先ほどのやり取りで、障壁はなくなったはずなのに。
すると恥ずかしそうに椎名は、今度は天沢の方をおずおずと見た。
「……あの……」
言い辛そうにする椎名を見て、綾小路は思い出した。
アレは確か、3年生に上がった時だったか。
椎名達Bクラスに誘われていたにも関わらず、Aクラスに移動した後。
それに、軽井沢と付き合ったと公表した2年生の2学期。
似たような、ひよりの表情を見た。
「あぁ、天沢は面倒を見ている後輩だ。少しトラブルに巻き込まれていたところを助けた。コイツとは子供の頃近くに住んでいた事があってな、腐れ縁と言うヤツだ」
「そうですねぇ、手取り足取り、いろんなところもお世話になっていますぅ~!」
「手取り、足取り……ですか……」
「ひより、真に受けないでくれ、天沢とはそんな関係ではない」
呆然とする椎名を前に、慌てて誤解を解こうとする綾小路。
その様子を見て、訝し気に見ていた椎名が、パっと笑顔になった。
「それなら良いんです。すみませんでした、変な事を言ってしまって」
「いや、誤解が解けたようで何よりだ」
と、会話を続けようとすると、天沢が綾小路の袖を引っ張った。
「先輩先輩、そろそろフランス組を迎えに行かないと……」
「そうだったな…。ひより、すまないが、俺達は次の予定が入っている。石崎とも連絡を取っているし、グループチャットでも俺の存在は薄々分かっていると思う。ひよりはこれから帰るだけか?」
「それは、忙しいのですね…。はい、もう帰りの電車待ちです」
「じゃあ、車に乗って行かないか?途中まで送らせてくれ」
と、ただの同級生とは思えない提案をする綾小路に、天沢は少し驚く。
確か、綾小路と同じクラスだったり、リーダーだったりする存在ではない。
しかし、このふわふわの女、食えない点がある。
先ほどから綾小路先輩の方が、女を引き留めようと必死だったからだ。
「良いのですか?では、お言葉に甘えさせていただきます」
そして、この女も……。
綾小路先輩を──。
胸にズキィっと痛みを残し、天沢の黄色い瞳が、黒く濁って行く。
天沢は綾小路の袖を強く掴み、歯を噛んだ。
2
5月3週目。
ゴールデンウィークに橋本、石崎、そして綾小路グループに声をかけられていた。
石崎と電話で話した時に、3週目なら予定が取れそうだったため了承する。
ひよりとのちょっとした約束もあるし、出来るだけ手助けをしてやりたい気持ちもある。
とりあえずラフな、作業出来る格好で来るように言われ、俺はジーパンとジージャンのコーディネートで来た。
これは軽井沢に相談して決めたもので、中は通気性の良いシャツになっている。
指定された所まで、外車で来るというチグハグに、流石に違和感を抱きつつも、東京から車で1時間程。
ここが恐らく龍園や三宅、時任の地元なのだろう。
指令された場所は、木造アパートの寮の様な場所で、駐車場が広く、建設作業員の宿舎だと思われる。
綾小路の高級車が1台置かれている他は、軽トラック、軽自動車、ハイエースなどのバンが中心であった。
1台大きな積載車もあり、ブルドーザーやショベルカーを運んでいるものと思われる。
車を端に停めて、宿舎の中央まで歩き、言われてはいなかったが軍手を持って待っていると、1台の軽トラが入って来る。
「綾小路!久しぶりだな!!」
と、声を大にして呼びかけて来るのは石崎であった。
エンジンの大きな音を響かせ、近くに停める。
「石崎、元気そうで何よりだ」
「おう!俺は相変わらずよ。今日はありがとうな、猫の手も借りてぇ。とりあえず乗れよ!綾小路ッ!!」
そう言われ俺は石崎の隣の席に乗り込む。
軽トラのドアが軽く、座高が高く、男心をくすぐられる。
「今は昼の休憩中だ。お前暇だって言ってたからよ!バイトして行けよ!龍園さんが仕切っている現場だ」
確かに空いているとは言ったが、強引なものだ。
だが、こんな強引さは嫌いではない。
「まぁ、服装は良いだろうが、足元がな……足袋と、ヘルメットを貸してやる」
と言いながら、石崎は軽トラを片手で回しつつ、後ろから靴下の厚めのものと、傷がついた白いヘルメットを出してくれた。
「現場は4時半まで!とりあえず何も分からないだろうから、ゴミの回収と、あと足場だな!」
満面の笑顔で言われたら従うしかない。
俺は「あぁ」と言って、石崎と一緒に現場に参入した。
◇
石崎は現場で結構幅を利かせていた。
龍園が仕切っていると言っていたが、石崎が仕切っているんだろう。
龍園は大本の会社の代表だと思われる。
現場の責任者ポジションに石崎がおり、指揮を取っていた。
「綾小路!お前筋が良いな!初心者なら持てねぇぞそんなに!」
と、適度におだてられながらも、出来ることをやる。
現場のゴミ掃除、そして足場建設が中心だ。
大型のショッピングモールが建つというこの場所で、コンクリートのゴミを回収して一か所に集めたり、建設途中の建物の足場を作る。
「綾小路がこんなところに……?」
作業をしていると、知り合いに声をかけられた。
「時任。ここにいたのか」
「あぁ、なんやかんやあってな、龍園と葛城の会社に世話になっている」
見回してみると、元1年Cクラスの生徒も複数人見かける。
それに、気にかかる点もあった。
「龍園と葛城の会社?」
「あ?お前、知らなかったのか…?」
と、ため息を吐きながら、一緒に足場材を運ぶ。
時任の話によると、龍園と葛城は起業をした。
高育の卒業時に使用できる特典で、初期費用を捻出。
会社を設立後、龍園の地元のコネクションを使って建設会社を始め、売上を確保する。
決算は終わらないまでも、月の売上を大きく上げることが出来たため、事業拡大のために資金調達に踏み切った。
しかし。
「1年経った時だ。龍園がオレに頼んできたんだ、助けてくれってな」
と、時任が話し始める。
「龍園が…?」
「あぁ、なりふり構わず事業拡大をしてな、取り過ぎてしまった様だ。地元の工務店や同業者から総スカンを食らったようで、人が足りないという話だ」
確かに、現場には親方が数名いるが、大型のショッピングモールにも関わらず、人が少ない。
期間が決まった工事。
工期を延長する事は出来ないのだろう。
止む無く龍園は同級生を頼ったのだ。
「オレ達の給料は必ず払うって言うが……別にオレは払われなくても構わねぇ。龍園とは高校時代揉めたがよ。筋を通すなら話は別だ」
と、額の汗を拭いながら時任は話した。
「ってか……綾小路、お前汗一つかいてねぇな……バケモンかよ」
「そんなことは無い。表情に出ないだけだ」
「すまん、ちょっと一服させてくれ」
「時任、お前未成年じゃないのか?」
「現場なら普通だ。大学生なら1年生ですら吸ってるぜ」
と言って、時任は喫煙所の方へ歩いて行った。
3
4時半に業務が終わると石崎と一緒に寮に帰る。
「どうだったよ?初日は?」
「言われたことはとりあえずやったつもりだ」
ヘルメットを取った時、足袋を脱いだ時、解放感に包まれる。
同じように石崎も足袋を脱ぎ、ヘルメットを外し、軽トラで寮まで送ってくれる。
「へへ、まさか一緒に遊ぶかと思ったか?お前も暇な大学生だろ?オレは就職したけどよ、時任や三宅なんかは大学生だからな。ところで、お前1年間どこに行ってたんだ?探したんだぞ?」
「1年は海外に行っていた」
聞きたい事はいろいろあるが、とりあえずそれだけを返答する。
「そうか、高育で散々争ったがよ。今は龍園さんを助けてやってくれよ」
そういう石崎の目は大人だった。
「石崎は、龍園の会社に就職したのか?」
「あ?あぁ、時任か。そうだ、葛城と龍園さん、それに俺も取締役に入っている。3人で、プライベートポイントのボーナスと、特典を使って立てた会社だ。勿論龍園さんがトップだがよ」
「時任から聞いたが、地元企業から嫌われているんだって?」
そう聞くと、石崎は苦笑いをした。
「嫌われているってんなら、そうなんだろうな」
「違うのか?」
「違わねぇ。でもな、きっと連中は若造が嫌いなんだ。出る杭は打たれるっていうのか……始めは歓迎ムードだったよ。4月登記の、3月決算だ。1年目の売上も5億を超えてな、上々だろ?龍園さんの力と葛城の知恵でどんどん従業員も、事業も増やして行った」
思ったよりも会社経営をしっかりやっている様だ。
石崎も取締役を遊びでやっている訳ではない。
明確に数字を把握している。
「でもな、連中……上のヤツ等が、急に単価を下げやがったんだ」
疑いようもなく、一番売り上げを上げているのは建設事業なのだろう。
「最低賃金以下。小売や飲食の分も回しても、赤字が続いている。既に、年間を通して赤が確定したんだ」
「木材や鉄の高騰が原因か?」
ニュースで連日やっている物価の高騰、それに資材が足りない現象。
資材を元請けに依存している建設会社ならば、突然の金額交渉があったとて不思議ではない。
「それは分かっているがよ……でもな、オレには分かる。ハメられたんだ」
静かにそういう石崎。
彼は今、社会を知っている最中なのだろう。
それでも、我慢するしかないと知っている。
それが、大人というものなのだから。
しばらくすると寮に到着した。
石崎は俺を置いて、会社にでも戻るのかと思われたが、駐車場に停めて一緒に降りる。
「綾小路、お前パジャマとか歯磨きとか持ってきてねぇだろ?家までどれくらいかかる?」
「車で1時間くらいだな」
「なら、コンビニに行くか。その前に部屋を案内する。ちょっとこっちに来てくれるか?」
まさか泊まるつもりではなかったが、乗り掛かった舟だ。
石崎の後ろを歩いていく。
こうやって石崎の大きな背中の後ろを歩くと、逞しい気持ちがした。
4
「え、マジ?綾小路じゃん」
宿舎に連れていかれると、西野武子と会った。
「西野、1週間綾小路がバイトするから、週払いで手続きしてやれ。バイト代少し色付けてやれよ!」
「……あんた、そう太っ腹なのは良いけど、結局こっちにしわ寄せがくるんだからね」
と、キッと石崎を睨む。
睨まれた石崎は少し焦った様子を見せた。
西野の、平坦な、気だるげな声が聞こえて来る。
「ってか……綾小路って、良いの?噂によるとあんたって相当偉いんじゃないの……??」
「俺の事は気にしなくて良い。西野がアルバイトの手続きをしてくれるのか?」
「あのバカが強引に進めたの?ホント、断らないとダメだよ…あぁ、うん。あたしが総務」
そういうと、西野は3枚の紙を出した。
「これ、労働条件と、口座の情報書いて。毎月25日振込だから」
「振り込まれる口座の情報はあるのか?」
「変な事を聞くね。質問に合っているか分からないけど、龍園と葛城の会社から振り込まれるよ、どこの銀行でも、手数料の心配はいらないかな」
俺の聞きたい情報じゃなかった。
だが、俺は深く追求することなく、労働条件通知書と、振込口座の記入を進めた。
「西野は卒業後からここで働いているのか?」
「うん、あたしも大学進学ではなくって、龍園に着いて来た感じ。伊吹も、あ、あと椎名もたまに遊びに来るよ」
「伊吹は今、何をしているんだ?」
堀北と櫛田と犬猿の仲だった伊吹。
今でも顔を見せあったら喧嘩が始まるのだろうか。
それに、ひより。
ひよりも今でも元1年Cクラスに縁を感じて、力を貸しているのか。
「伊吹は大学生だけど……どうだろうね、単位が取れないみたいで、退学するかもね。笑える」
笑い事ではない気がするが。
「綾小路!とりあえず寝間着だ!スウェットで良いだろ?」
と、石崎が、俺のパジャマを用意してくれる。
石崎のもので、洗濯したばかりのものなのか。
柔軟剤の匂いがした。
スウェットを俺が書いているテーブルに置いて、またドタドタとどこかへ歩いて行った。
歯ブラシでも探しているのだろうか。
西野がそんな石崎の様子を目で追っていた。
「綾小路、あんたに言って良い事か分からないけどさ。龍園達、助けてやってくれない?真面目にやってんだよ」
ポツリとこちらに向かって言って来る西野。
俺は口座の情報と、日付、そして名前を書き終える。
やがて返答する。
「俺に助けを求めて来るのなら、助けてやってもいい」
「……そっか、あんたら、そういう感じだもんね。でもあたしはきっと、あんたが助けてくれるって信じてるよ」
と、西野は微笑んで、証拠のない事を言って来た。
「少なくとも、椎名はそう思っているって前、言ってたよ?」
西野は口角を上げて、確信したかのように、意地悪な女子の様にそう言いのけた。