一之瀬と道中で一通りの1年間の話をした。
なぜ20才なのに医者なのか。
アメリカでは何をしたのか。
医療法人のオーナー兼医者であることも仕事の一部だと聞かされ、一之瀬は目をぐるぐるさせていた。
彼女は有名私立大学の2年生のようで、無事入学自体は出来たが家賃と母の治療費を捻出するためにカラオケでアルバイトをしているようだ。
カラオケの夜勤の時給が高いからという事らしい。
いつもよくしゃべる一之瀬が、車の中では大人しくしているのが印象的だった。
途中目についたレストランでランチを食べて、目的地に向かう。
俺たちの会話はゆっくりで、一之瀬がポツリポツリと漏らしていく会話に合わせる形になった。
お金で全てを解決したんだろうが、一之瀬自身解決していないことがあるのだろうか。
踏み込むことは今出来ないような気がしたため、一之瀬と会話を合わせることで、心をちょっとずつ開いていくことにする。
これから会う人物に、一之瀬を連れて行く事に多少の抵抗感はありつつ、それでも仕方がないと頭を振り払い車をパーキングエリアに止める。
「あれ?ここ私の大学だ」
「そうなのか、大学名は有名だから分かるんだが、場所と名前が一致しなくてな」
「流石アメリカの大学卒生だね。ここの通う生徒って言ったら…そういう事だよね」
家からも近い新宿に近い位置にあるその大学は、キリスト教系の大学で女子の割合が多い。
「あぁ、今日ここで会うことを決めている」
「そっか…。それじゃ、私はちょっと散歩してくるから、その間に会いに行ったら良いんじゃないかな?1時間後にここで待ち合わせで良い?」
「そうだな、そうしよう」
と、俺が同意した瞬間の出来事だった。
「あーっ!帆波―!!!」
「久しぶり~~!!!」
女子たちとの会話が始まる。俺は巻き込まれたくないのでそそくさとその場を後にした。
*
講義が終わり、生徒達が出てくる。
その一部の学生たちを構内から見ていた。
目的の人物は一年生と一緒に必修科目を受けていた。
後輩の女子と仲良くなり、今年度こそは必修科目を取らなくてはならないが、ため息が出るのだろう。
選択必修ではなく必修科目なので替えが効かない。
背伸びをして難しい学部に入らなければ良かったと後悔してしまう。
構内を出ると人だかりが出来ていた。
芸能人?カッコいい?そんな声が聞こえてくる。
カッコいい人間なんて、綾小路以外いない。
アレほどカッコいい人間なんてどこにもいない。
私の白馬の王子様は彼で、それ以上はいないのは分かっているから、恋愛にも踏み込めない。
そろそろ身の丈をしらなければ先に進めないことは分かっているのに。
そうは思っているがカッコいいと呼ばれている人をチラと見る。
その瞬間気付く。
その彼は人とは異なる雰囲気を持っており、手足がスラっと長く、まるで特別な人間のような、そんな様相で、チラと見てすぐに逸らすつもりだったが、目が離れない。
目が見開かれてしまう。
───似ている。
───私の大好きな人に。
───4年以上恋をしたままの、あの人に。
彼のいる部分だけが光がさす。
今まで色付いていたはずの人生が、途端に空虚になり、新たな迷彩が、私の人生に刻み込まれて行く。
彼は人垣に囲まれ、目の前の女子の質問に丁寧に答えていた。
返答出来ない質問も多いだろうが、それでも一つ一つの質問に丁寧に答えるようにしていた。
カッコいい人がいるから、声かけてみようよ!
そんなことを言い出した、女子の割合の多いこの大学が、女子高のノリで声をかけたのが始まりだったのではないか。
しかし、なぜ彼がここに…?
それになんで私以外の女の子を見ているのか…。
イラっとしてはいけない。つい癖が出てしまう。
高校を出たら真っ先にまた、告白しようと伺っていた。
彼は卒業後、あっという間にどこかへ行ってしまった。
1年間。
そういえば先週?
麻耶ちゃんからに連絡がなぜかちょっとよそよそしかった様な気がした。
めったに個別メッセージをしない、堀北さんからも最近の様子を聞かれた。
目的は言わずに。
親友だからこそ分かる違和感の結論を見つける。
そういえば、あからさまにスケジュールを聞いてきて、前日にも講義に参加するか念押ししてきた意味を理解した。
「───ちょっと!!!どいて!!」
人垣を抜けるように彼の元へ向かう。
そして、彼が、こちらに目を向ける。
目の前の女子たちに謝り、こちらへ歩いてくる。
私たちは視線を集めてしまう。
まもなく彼がこちらに近づいてしまう。
「あ、あ、あ…綾小路くん!!!」
「軽井沢、久しぶりだな」
「う、うん。ひさし…ぶりだね」
「お前に会いに来たんだ。ここじゃ人が多いから、ちょっと歩かないか?もちろんお前が嫌じゃなかったらな」
「うん、全然嫌じゃないよ…。本当久しぶり。思っていたよりチョーカッコよくなってんじゃん…」
後半は聞き取れなかったが、嫌われている訳ではなさそうだ。
大学のキャンパスを歩くもなぜか視線を集めてしまうので、どうしようか迷っていた。
そういえばと思いキャンパス内のパーキングの方へ歩みを進めると、一之瀬との約束を思い出す。
歩みのゆったりとした軽井沢へ言わなければならない。
「軽井沢、お前もう大学の授業は終わったのか?」
「え、うん。今日は3限だけだからもう終わったけど?」
「そうか、今日この後予定はないのか?ここに二人でいると何かと良くないから、カフェにでも行こうと思うんだが、仕事の都合で一度家に帰りたいんだ。お前と話もしたいし、そのあとでも良いか?」
「大丈夫、家まで着いて行くよ。電車?」
「いや、車なんだ。そして、実は連れが一人いてな。二人きりで家に行くよりもお前にとっては安心だろ?だからせっかくなら二人とも一旦家に帰ろうかと思ってな」
「別に…私は二人きりでも気にしないけどね…」
「お前がそうでもお前の彼氏はそうは思わないんじゃないか?」
「…彼氏いないし…。あや…綾小路くんこそ、大丈夫?彼女が不審に思うんじゃないの?」
「いや俺は彼女いないから問題ない」
「ふ…ふぅん…。そうなんだ…。それで、連れって誰?」
「こんにちは!軽井沢さん!!」
「いっ!!一之瀬さん!?!?」
後のことは女子に任せよう。
そう思い俺は車のロックを外し、乗り込んだ。
しばらく言い争っていたが、軽井沢が助手席に、一之瀬が後部座席の俺の後ろに乗ることで落ち着いたようだ。
軽井沢が隣で、話しかけてくる。
「なぁにこの車…凄いね。奮発したの?」
「そうだな。借金生活だ」
「初めて乗るよ。フカフカだし…。あんた大学の女子たちに人気だったし、今まで何やっていたの?」
「あー、私も何人か友達に連絡先教えてって言われたよ」
「コミュ障だから連絡先を教えるのはやめてくれ。俺と会話したら幻滅すると思うしな。高校卒業してからの1年間はアメリカに行っていたんだ」
「お医者さんだもんね!」
一之瀬が途中で茶化してくる。
「いっ!医者ああ!?」
「それもなんと!!病院の理事長なんだよ!」
フフンという音が聞こえてきそうに、一之瀬がなぜか鼻高そうに口にする。
「ちょっと頭が追い付かない…。なんで一之瀬さんはそんなに知っているの?二人はいつ会ったの?」
「今日の午前中だな。M&Aで買った病院に一之瀬のお母さんが入院していてな。そのお見舞いの後なんだ」
「あんた…。やるヤツだと思っていたけど…」
付き合っているときの距離感で軽井沢が話しかけてくる。微笑ましい気持ちで俺は軽井沢を見る。ちょうど信号が赤になった。
「何…じろじろ見てんの?」
「相変わらず可愛いな」
「ッッ───!!!」
軽井沢の顔が赤い。
「…綾小路君…私は…??」
背後では眼が決まった女子に問い詰められる。
「一之瀬は今後ろにいるし、運転中に後部座席を見る事は法律違反になるからちょっと分からないな」
「ふぅん…。じゃあ車を降りたら沢山見てもらうしかないかぁ」
「そういう…」
「いや、そういう事じゃないからね??」
軽井沢の軽快な突っ込みが、場を明るくした。
「そういえば軽井沢はどこに住んでいるんだ?」
「私?私は実家から通っているよ。都内だし、大学まで電車で30分位だからね」
「そうなのか。頼もしいな」
「頼もしい??」
「あぁ、先週アメリカから帰ったばかりでな、しばらく東京を拠点に生活をしたいと思っていたから、いろいろ案内をして欲しいんだ。どうだ?」
「え??私で良いの??」
「軽井沢がもし良かったらで問題ない、時間あるときに案内をして欲しい。俺も会社経営をする身だ。報酬は払う」
「会社経営…?いや、別に報酬はいらないけど…」
「綾小路くんは病院経営以外にも何かやっているの??」
「俺の本業はベンチャーキャピタリストだから、事業投資がメインだな。まぁ小規模だけでなく将来的な成長見込みのある事業を買ったり売ったりする。売ることは今のところ考えていないが」
「へぇ、そうなんだ。その一環で病院の購入もしたんだね」
「そういう事だ。あの病院はまだまだ病床使用率が上げられる可能性が高いからな。医者の腕も良いし、何より経営理念が良いだろ?」
「うん、お母さんも親身になってくれるって言ってた」
「ちょーっと待って!!付いていけないから!!えっと、綾小路君が日本でやろうとしている事って、何なの?」
「俺はまずは目の前の人を本当の意味で救おうと思っている」
「本当の意味で救う…?」
「あぁ、まだまだ模索中だし、言えることと言えないことはあるが、まずは身近な人間に貢献してみている最中だ」
「つまりは裏から社会を良くする様なイメージかな?」
「裏でも表でも良いが、俺は表に出るタイプではないだろ?だから屋台骨となって、身近な人を支える努力を、まずはしたいと思っている」
「…そうなんだ。良いね。屋台骨。堀北クラスにいたときも、綾小路君が陰ながらクラスの屋台骨になっていたから、頑張って来れたんだよ」
「お前は単純で良いな」
「え!?せっかく褒めてあげたのに!!」
「良いなぁ綾小路君と同じクラスで2年間もいたのは…」
一之瀬も当時を懐かしみながら会話を聞いていたようだ。
*
そんな話をして間もなく家に到着する。
距離的には短いが、信号や歩行者も多く15分位かかってしまった。
今は午後3時を回ったところか。
俺は1階にある車用のエレベーターに車を入れてそのまま最上階に運んでもらう。
マンションに入ってから軽井沢が声なき声を、一之瀬が人生初の絶叫をしたのは記憶に新しい。
「なにここーーっ!!!」
「ぅぇえええええええええ!?!?」
「セキュリティに特化したマンションだ」
三者三様の態度を見せるが、二人とも流石にテンションが高い。
いや軽井沢の場合は低いのか。
身体が小刻みに震えていた。
確かに佐藤がここに乗ってきたときはガクガクしていたような気がする。
最上階の自室に着き、家に入ると、誰かがプールに入っている音が聞こえる。
見ると堀北と櫛田、更に佐藤も来ている様だった。
後ろで呆然と立っている軽井沢をよそに、一之瀬はマンション内を歩いて回っている。
「二人とも自由にしていていい。俺はちょっと仕事をするから。2時間ほど待っていてくれ。部屋も空いているから好きに使ってくれ。───櫛田はプールか。詳しくは櫛田に聞いてもらえば問題はないはずだ」
と、説明をしていると一之瀬がプールの方へ向かい、櫛田と合流をしていた。
軽井沢が一人残されたように立っていた。
「軽井沢?どうした?具合が悪いのか?」
「…こんなの…こんなの…反則でしょうがあああああ!!!」
マンションの最上階で軽井沢の言葉がこだまする。
ややあって佐藤が慌てて軽井沢に駆け寄ってくるのが見えた。
俺はその様子を見て、書斎に入っていくのだった。
*
書斎に入ってから1時間半が経った。
この書斎は防音性能が非常に高く、中の音は外に漏れない。
俺はこれからの事を考える。
日本でやりたいこと、会いたい人間、そして目的。
どれもが大きな事でもあるし、些細な事でもあると考えられてしまう。
どのアプローチが一番インパクトがあるのか優先順位を付けなくてはならない。
あわよくば三権分立、国会、内閣、裁判所に身近な人間を置いて行く末をコントロールするのが望ましいだろう。
特に法律を制定する国会に身近な人間がいることは今後の活動を行う上で大きなアドバンテージになる。
更に国民の目を集めることも重要だ。司法権の最高権力は国民の声に非常に敏感だからだ。
そんなことを考えていると、軽井沢とのカフェの時間がくる。出歩いたので軽くシャワーを浴びて、髪を乾かしリビングに向かった。
「綾小路くーん!!お久しぶり~!!」
「網倉か、久しぶりだな」
元一之瀬クラスの生徒がリビングで寛いでいるのが目についた。
元堀北クラスの人間ばかりだったからな、櫛田に許可をとって一之瀬は網倉を呼んだんだろう。
見てみると堀北と櫛田、軽井沢と佐藤、一之瀬と網倉といった二人組が3つのグループを形成している。
言わずもがな堀北と櫛田はダイニングテーブルで仕事中。
一之瀬と網倉、軽井沢と佐藤はリビングの一つのテーブルでお菓子をつまみながらジュースを飲んでいた。
確かに書斎にこもっている最中に、一之瀬から部屋に連絡が入り、麻子ちゃんを呼んでも良いかと聞かれた覚えがある。
櫛田だと思った俺は少しぶっきらぼうな対応をしてしまったと思い直す。
焦って適当に問題ないとだけ返したが、アレは網倉の事だったのか。
「網倉が来るのは予想していたが、元気そうだな」
「本当は後数名呼ぼうかなーなんて思ったんだけどね、迷惑がかかるかなと思っちゃって」
「確かに一之瀬なら俺の家など埋まるくらいの人を呼ぶことが出来るな」
「ふふふ。だからね、麻子ちゃんだけ呼んだんだよ」
「綾小路くん、お邪魔してますッ!!」
「全然気にしなくても良い。俺も1週間前に買ったばかりの家だ。周りを見れば分かるだろ?家にあるものは自分のものだと思って使ってくれて構わない」
「太っ腹だね~!!ありがとう!さっき水着貰っちゃった~!!」
水着?水着は櫛田が買ったものか?…ま、まさか経費なんて言うんじゃないだろうな。
「麻子ちゃんも、久しぶりに綾小路君に会えるのを楽しみにしていたみたいでさ!」
「そうなのか?」
「ちょっと!!帆波の方がそうじゃん!!毎日電話で綾小路君の話ばっかりだったんだから…!!」
「へへへ」
親友の裏切りに微笑みで返す一之瀬は流石だ。
一之瀬には過去、悪いことをしたと思っていたのだが、本人からも、本人の親友からもフォローしてもらえるのはありがたいな。
「二人には嫌われていると思っていたからな、網倉も来てくれてありがとう。他人の家だと気を使うこともあると思うが、本当に気にしなくて良い。一之瀬も、ここには誰を呼んでもらっても構わない。俺はお前を支えるために戻ってきた。嫌われていると思っていたが、俺を受け入れてくれて感謝する。小さなことでも良い。気になることがあったら都度教えてくれ」
「…あ、ありがとう…」
ちょっと湿っぽい話をしてしまったのだろうか。
俺をまじまじと見つめる網倉とは対照的に目を伏せる一之瀬を残し、俺は他のグループへ顔を出す。
「仕事は片付きそうか?」
「いや無理!!」
「全然進まないのよ…」
「堀北がいても進まないのか??」
「農業法人なんて分からないよ~!!初めての事だし…」
堀北と櫛田が額を寄せ合っている所に行くと二人は書類と向き合っていた。
「今回ウチが難しい書類を作るわけではないし、精査だけで良いんじゃないのか?」
「そうなんだけど…なんというか購入後のビジネスプランが思い浮かばないっていうか…」
「精査については私が行ったから問題はなさそうなんだけど、購入する側、あなた側にとってのメリットが少ない気がするの…」
堀北も中立な立場で仕事に参加してくれているようだ。
櫛田は器用だが、物事にのめり込みすぎる気がする。
マルチタスクなのはそうなのだが、専門的に特化していない分、やりきれずに放置してしまう事も多い。
彼女に任せているのはほとんど俺のための仕事なので、決裁する俺が巻き取れれば良いのだが、今回の農業法人のM&Aはひとまず櫛田に任せたいところがある。
そこまで大きな案件ではないが、全部任せることが社員を育成していくために必要な事だろう。
決して面倒だからということではない。
買収後のビジネスプランについて、どう考えてどう向き合っていくのかは櫛田に任せると決めている。
「今回の案件はお前に任せているんだ。予算も組んでいるから予算内でプランを作ってくれれば問題ないし、予算が足りないならば交渉してくれれば良い。俺も企画書には目を通すから、大船にのったつもりでいれば良い」
「面倒くさがってるだけでは?…しかも!…綾小路君は私の船が沈没しようが気にしないと思うの…」
「それについては同意するわね。あとカッコよく任せると言うけれど面倒くさいからカッコつけてるだけ」
櫛田の事だ、沈没までは行かないまでもギリギリの所で踏みとどまる可能性が高い。
どのようなビジネスプランを持ってくるのか楽しみだ。
王道だろうと、外道だろうと構わない。
やりきることが重要なのだから。中途半端に行ってしまう事は、ちゃんとした反省にならないからな。
「今回お前に託した事はやりきることだ。どんな結果になろうと、最後までやれ。途中で面倒になろうがそれはそれでいい。とりあえず終わらせろ。結果がどうなろうと問題ない。そして、やり切るためにお前の仕事の一部を俺が巻き取ろう」
「え?何を巻き取ってくれるの?」
「従業員を一人増やしたいと言っていたな、それを俺が巻き取る」
「えええ~!!嬉しいありがとう!!でもでも、一人じゃなくて二人増やしてくれない?」
「二人?」
「うん!私の補助と、私と同じで案件を動かす人でどうかな??ほら、今進めている別の案件を任せるのはどうかな!?」
「お前、やりたくないだけだろ」
「他にも購入予定の会社があるの?うちも一枚嚙ませてもらえないかしら??」
「そうだな、今進めている案件はこちらから企画書を提示する予定だ。他に候補がいなかったら堀北の所に頼むとしよう。そして櫛田、まぁ良いだろう。二人採用で動くことにする」
「ありがとう!!綾小路くん!!」
「ちなみに購入希望額はどのくらいなの?」
「今進めているのは50億くらいの規模なものだな」
「…ッシ!!ここまで来た甲斐があったというものね…。というか、流石に凄すぎ…。うちの法律事務所が扱っている案件は20万位が良い所なのに…50億…」
「堀北の秘めた喜びは置いておいて。櫛田、お前の会社の個人口座のお金の減りが早いんだが、もうちょっと節約するようにしろ。水着は流石に買いすぎだ」
俺の会社の法人口座は、メイン口座とは別に社員個別の口座が紐付けられている。
社員からメイン口座にアクセスすることは出来ないが、メイン口座から子口座へはいつでもアクセスすることが出来る。
会社のお金の流れをリアルタイムで見る事が出来る。
「うげぇ…普段億を動かしているのに数千円の水着の購入がバレているなんて…」
「流石にM&Aの会社が水着を買うなんて経費になる訳ないだろう?それなら芸能事務所でも化粧品会社でも、出版者でも良いからそれっぽい会社のM&Aを検討するんだな」
「…いや、それもそれでどうなのかしら??」
そんな堀北の言葉を聞き流しながら、俺は最後のグループの方へ向かった。
「悪い、待たせたな」
「ぜ、全然待ってないよ!!」
「綾小路くん、お邪魔してま~す!!」
「佐藤は三日ぶりか?この前も遊びに来ていたな」
佐藤と軽井沢はプールのシャワーの後だろう。
首に水滴が垂れ、タオルを首に巻いていた。
髪は乾き切っているものの、まだしっとりしている状態か。
どこかよそよそしい軽井沢に対して佐藤は慣れ切った様に見える。
佐藤はこの家に来るのも3回目。
俺の知らないところで何回か来ていたのかもしれない。
軽井沢と出かける予定だったが、佐藤が一人になってしまう。
ここでちょっと二人と会話をして探った方が良いだろうか。
「佐藤はアルバイトはどうなんだ?この前行ったとき相当慣れている様だったな。先日は助かった。おかげで良い物件を見つけてもらえたな」
「いやいやいや!!こちらこそチョーありがとうね!…実は今、行ってないんだ。しばらく行かなくても給料を払ってもらえるから自由なんだよね。綾小路くんとの契約で会社内での売り上げがヤバい事になったからさ…」
俺は佐藤の先輩の見積書や申込書を思い出す。
見積内の仲介業者のサービス手数料は最低限だったが、それでも良い売り上げになっただろう。
「シフト入ってないのに、会社からの連絡が多いんだよね~!綾小路くんを紹介しろって先輩から。でも大丈夫、勝手に連絡が行く事はない様に言ってるから」
「会社は利益をあげるものだから仕方ないとしても、気を使ってもらえるのはありがたいな」
「ち、ち、ち、ちなみに…なんだけど、他にも物件を探していたりする??」
「今はあまり思いつかないが、仕事の一環で不動産を購入することは今後もあるかもしれないな」
「へぇ!そうなんだ、とりあえず今は拠点が見つかれば良かった感じかな??」
「そうだな、アメリカとの打ち合わせを少なからずしないと行けないから、落ち着いて活動出来る拠点が必要だったんだ」
「すご…!!書斎でやっていたのかな?オンライン会議ってヤツ?」
「あぁ、あっちでも色々動いていたからな。言っただろ?1年間はアメリカにいたって」
「聞いたけど…色々と凄すぎて良く分からないの…」
「そんなに大したことはしていない。日本に影響を与えるためにアメリカから行った方が良いと思ったからな。ついでに大学も卒業したかった。それだけの事だ」
「なんか言おうとしている事は分かるけど…!!」
佐藤とばかり喋ってしまった。
軽井沢は借りてきた猫の様に大人しい。
軽井沢を連れ出してカフェに行く約束だったが、このままでは佐藤も一緒に行く流れになりそうだ。
佐藤を一之瀬達、もしくは堀北達に合流させるか?
いや堀北達は仕事をしているし、一之瀬は一之瀬で女子トークに入っている。
佐藤と一之瀬の仲は悪くはないのだろうが、流石に一之瀬と網倉のように親友と呼べる距離感にない。
約束の時間がまもなくくるため、俺は意を消して佐藤に言った。
「佐藤、悪いがそろそろ軽井沢とカフェに行く予定をしていてな」
「うん、聞いてるよ、恵ちゃんも行ってらっしゃい。楽しんで」
ニヤリとこちらを向いて表情を変えたかと思いきや軽井沢に向き、小声で何かを言う。
軽井沢は相変わらず目を伏せがちだ。
「軽井沢、体調が悪いなら、今度にするがどうだ?ちょっとドライブがてら、外の空気を吸いに行かないか?行きたい喫茶店もあるしな」
「え?う…うん。行く…けど…」
「この時間帯になるとすぐ夕食の時間になるな。門限があるなら家まで送っていく」
「いや…門限とかないし…」
「そうか、それなら、軽井沢の準備が出来次第、でかけよう。準備が出来たら声をかけてくれ」
「も…もう出られるよ!」
「そうか?」
俺ははっきりしない軽井沢を見かねる。
空気に飲まれているのが良く分かる。
他の人間はリラックスしている様子が見て取れるが、軽井沢はそうではないのだろうか。
そんな軽井沢を見かねて俺は彼女の手を取った。
「えっ!?えっ??」
「行くぞ」
「ちょ、ちょっとぉ!!!」
「いってらー」
俺ははやし立てる佐藤をよそに軽井沢の手を取って車庫に向かったのだった。
*
俺は黙ったままの軽井沢に、こちらから話しかける事なく車のナビゲーションにドライブスポットを指示する。
軽井沢との雰囲気を緩和するためにちょっと長いドライブをした方が良いだろう。ナビは『桜木町』をお勧めしてきたためそちらに向かうことにする。
カフェに行くと言った以上、カフェにもよらなければならないだろう。俺は車を走らせてまもなく、ドライブスルーのカフェによる。
「何か飲むか?」
「…キャラメルマキアート、トール」
「じゃあそれを二つだ」
飲み物もそろったため、キャラメルマキアートという飲み物を飲みながら、エスプレッソにキャラメルとミルク…甘すぎると思いつつ適当に音楽をかける。
数年前に流行った曲が流れてきて、高校時代の思い出が脳裏に浮かぶ。
10分も20分も喋らない時間が流れたが、苦ではないと感じる。
ボーッと景色を見ながら軽井沢は窓の外を見ていた。夕日が沈んでいく。言葉を交わさない時間を俺自身も楽しむ。
もしかしたら人間は言葉を交わさないことで愛情を知ることが出来るのかもしれない。
そんな変なことを考えながら俺は軽井沢が話始めるのを待っていた。
「…大きすぎるよ」
ポツリとそんなことを漏らす。
「ちょっとは追い付けるかなーなんて思ったのに…。綾小路君の背中は圧倒言う間に小さくなってしまって…」
聞こえるか聞こえないかの声だったが、BGMはそれほど大きくないので聞き取れる。
「慣れない勉強を克服するために大学に入ったんだけど、大変でさ…。今1年生と一緒に授業受けてるんだよね。アルバイトもしてるんだけど、1日1日を過ごすことが結構大変で、人付き合いにも疲れちゃう。それでも綾小路君に追いつきたいって思って、その一心で頑張ってきたんだけど…。変だよね。会える補償なんてなかったし。もう別れちゃったのに」
「今、会えているじゃないか」
「うん。今日会った時から夢を見ている気分だったよ。気付いたら大学内で話題になっちゃっているし、身長も伸びたよね。なんか醸し出すオーラっていうの?すごい感じだし」
「別に俺自身は変わっていないけどな」
「そうなのかもね…。付き合っていた1年間。ずっと一緒にいたからこそ、私だけに分かるのかな…。でも、なんていうかこんな大きな背中見せられたら…」
「恵、そんなことはない。俺は変わらない。それは1年間一緒にいて、お前だけが分かっている事だ」
俺は明確にそれを口にする。
「…清隆…?」
「恵がどう思おうとも構わないが、俺も当時は勉強不足だった。恋愛について、今後についてもそうだ。俺自身、過去の事は良い思い出だと思っている。反省したと言い換えても良いが。悪い思い出だけにはしたくない。あの1年間、俺たちは付き合っていた。いい思い出だった。一緒にいて、不快な思いをしたことがないし、お前に助けられたことが多かった。感謝している」
「うん…うん」
「1年間離れてみて、一から考え直したんだ。どんな形であれ、お前と離れたくはないと、そう思ったんだ」
「…うん」
「付き合ったという過去は消せないが、消すも消さないも俺たち次第だろ。消さないまでも、関係を維持することは出来るはずだ」
「それって、今の清隆にも私が必要ってこと?」
「そうだ」
「…何が出来るか分からないけど…。うん。分かった」
「俺はそう思っているが、恵がどう思っているかは分からない。だから結局俺は拒まれても仕方がないと思っている」
「そんな…ことない……けどぉ…」
「いや、それだけの事をしたんだろ。そうでなければ、恵にここまでの事は言わせちゃいけないんだと思う」
「さすが元カレだね」
「背中が遠くなったなんて言うな。俺はいつまでもお前の近くにいる」
沈黙が流れる。
BGMが、やはり3年前のものを中心に流れてくる。
一之瀬が乗った時に選んだものだったか。
俺は車の音楽を決めていない。
それならば誰か。
悶々とする恵を横目に見ながら、俺は黙って桜木町の道を行く。
やがて、腑に落ちたのか、恵がしゃべり始めた。
「音楽変えていい?最近洋楽にハマってるんだ」
「あぁ、好きにすると言い。携帯と連携して音楽を流すことが出来る。充電は大丈夫か?」
「大丈夫―!!」
恵らしくなってきたな。
俺はそう思う。恵は備え付けられている大きなナビを操作し、自身の携帯と連携をする。
そうすると小気味よい洋楽が流れてきた。
口ずさむ恵を見て、俺は嬉しくなった。夕日が沈み、夜が来た。
英語は分かる。
恵が分かるのかは分からないが、歌詞に深い意味はないだろう。
だが、楽しそうに歌う彼女の横顔が印象に残った。
*
桜木町の港付近のパーキングに停めて、一通り景色を堪能した後だった。
「そういえば、恵、家はどの辺なんだ?もう夕食の時間だから、そろそろ帰った方がいんじゃないか?」
「ん~、今日は良いかなー」
「大学の講義の用意も必要だろう?それに親御さんも心配するんじゃないか?」
「え~??そんなに私を早く帰らせたいの?」
「そういう訳じゃないんだが…急ぎ決裁をしなければならない案件があるから、一度家に帰るが、恵はどうする?一之瀬や堀北は帰ったと思うが…佐藤はまだ家にいるのか?」
「うん、まだいるみたいだね」
「ウチを気に入ったようだな」
「あのさ…櫛田さんに聞いたんだけど、部屋余ってるって??」
「あぁ、余っているな」
「じゃ、じゃあさ!私も引っ越していいかな!?家から電車で通うより楽だし…、家賃も払うし…。少しだけど…」
「恵が良いなら問題ない。親の了承を取れるならな」
「両親の事なら大丈夫だよ!!やったー!!へへへ」
「そうか、引っ越し準備が進んだらいつでも来ると言い。ウチにあるものは恵の好きにしてもらっても構わない。家賃についても払わなくて良いが…そうだな、俺の仕事を少し手伝ってもらうか」
「え?私に出来るかな…」
「大丈夫だ。そんなに難しい仕事じゃない」
櫛田も人手を欲していた。
ちょうど良いだろう。
「恵はアルバイトはやっているのか?」
「私?私なにもやっていないよ。前アパレルの販売員やっていたけど、大学が忙しくなったから辞めちゃったし」
「そうか、大学の授業のスケジュールはどんなもんなんだ?」
恵の予定を聞いていく。
土日は休むとしても週に2日は働けそうだ。
他の3日も講義が詰め込まれている訳ではないので気にしなくて良いだろう。
後は恵がどのような仕事を希望するかも大事だが、俺が任せる仕事の内容の方が重要そうだ。
「じゃあ一旦帰ることにするか」
「うんッ!!」
そういって恵が俺の腕に手を絡めてくる。
付き合っている時と元通りとは行かないが、恵なりに関係を取り戻したと言ってよいだろう。
それは恵が楽しそうにしているから分かる。
俺たちは来た道を自宅に向けて車を走らせた。