5時半になり、私は目を覚ましました。
誰かと一緒にいたぬくもりが、それでもぽっかりと残されたような、胸の痛みを感じました。
出来る事ならこのまま眠ってしまいたい。
でも、このまま眠ったら、起きることが出来なくなってしまいそうで。
起きて、服を着て、そして、ポーチを持ち、部屋を後にしました。
宿舎の食堂で眠っている石崎君に気付くこともなく。
手に持っている鍵を、西野さんの靴に入れて、パンプスを出して、履きました。
まだ、ボーっとした頭を、そのままの状態にして、一度家の最寄り駅に到着します。
始めて嘘を付いて、泊まった日。
私は駅に到着して、改札を出ます。
*
改札はよそよそしい顔で、朝帰りを責められた気がした。
わたしはゆうべの服のままで、浮かれたワンピースがまぶしい。
風邪をひきそうな空、一夜にして、街は季節を超えたらしい。
まだ、あなたが残ってる。
からだの奥に残ってる。
ここもここも、どこかしこもあなただらけ。
でも、忙しい朝が連れて行っちゃうの。
いかないで。
いかないで。
いかないで。
いかないで。
わたしまだ、昨日を生きていたい。
駐輪場で鍵を探すとき、かき氷いろのネイルが剥げていた。
造花のひまわりは、わたしみたい。
もう夏は寒々しい。
誰かがタバコをけしたけど、わたしの火はのろしを上げて燃え続く。
まだ、耳に残ってる、ざらざらした声。
ずっとずっと近くで聞いてみたかったんだ
あぁ
首筋につけたキスが、じんわり。
いかないで
いかないで
いかないで
行かないで
秋風が街に馴染んでいく中で。
わたし、まだ昨日を生きていた。
*
私は純正のイヤホンから流れて来る音楽を聴く。
家の途中のコンビニで、勘のいい母を欺くために、穴の開いているコンドームをそっと捨てた。
それは、昨夜の出来事をなかったことにするためではありません。
むしろ逆でした。
なかったことになんて、出来るはずがなかったから。
私はずっと、物語を読む側の人間でした。
本の中の誰かが泣いて、笑って、恋をして、傷ついて、取り返しのつかない選択をしても、私はいつだってページの外側にいました。
安全な場所から、登場人物たちの人生を眺めていた。
失敗しても、私の傷にはならない。
誰かが誰かを裏切っても、私の手は汚れない。
恋が終わっても、私の心は置いていかれない。
そう思っていました。
でも、違いました。
昨夜、私は初めて知ってしまったのです。
物語の中で起きる出来事は、ページの向こう側だけのものではないのだと。
誰かを好きになること。
その人の言葉に救われること。
その人の温度に縋ってしまうこと。
朝になって、それでも隣にいない現実に胸を痛めること。
それは全部、私の中で起きてしまった物語でした。
だから私は、ただ読むだけの人間ではいられなくなった。
与えられた文章をなぞって、誰かの結末に頷くだけではいられなくなった。
この痛みを、寂しさを、どうしようもなく残ってしまった昨日を、私自身の手で言葉にしなければいけないと思いました。
そうしなければ、私はきっと、ずっと昨日の登場人物のままになってしまう。
読者として、誰かの物語を読むのではなく。
作者として、自分の物語を書いていく。
たとえそれが、綺麗な恋ではなくても。
正しい選択ではなかったとしても。
誰かに笑われるような、未熟で、苦しくて、情けない一ページだったとしても。
それでも、私は私の手で続きを書きたい。
椎名ひよりという人間が、ただ静かに本を読んでいるだけの少女ではなく、自分の人生を選び取る一人の人間になるために。
私は昨日を、忘れない。
そして今日から、その続きを書く。