1
椎名と愛車に乗り込み、慶應義塾大学病院へ向かった。
唯一の趣味と言ってもいい、ドライブ。
ゆらりと動くタイヤ、重いハンドル。
隣に女の子を乗せて。
これはリア充というヤツなのではないだろうか。
いや、そんな訳はない。
俺たちは読書友達。
2人とも陰の者。
何も話さず微笑みを浮かべている椎名。
このまま病院に行かず、ドライブをしていても良かったかもしれない。
わざわざ遠回りをして40分。
車を出して一番近くのコーヒーショップのドライブスルーで、キンキンに冷えたアイスコーヒーを頼む。
車から聞こえてくる、ポップの王様が、世界平和や愛を語りかけてくる。
台風が来ているのか、晴れ間にも関わらず奥で曇天な雲が見え隠れしていた。
椎名は、前会った時と同じ服装をしていた。
水色のワンピースに、白いカーディガン。
グレーのタイツに、パンプス。
そして、水色の、そこまで主張しないネイル。
どこかで見たことのある服装。
2年前か。
高校の時に、1度?
ともあれ、椎名は同じアイスコーヒーを頼んだ。
鏡の中の男という曲に、身体を小刻みに揺らす椎名がいた。
ふと信号で停まった時に目の端に浮かんだものだ。
「将来についてだが、椎名は何か考えているのか?」
「考えていますよ?」
「教えてもらえるか?」
少しもったいぶった言い方をする。
椎名はそれでも、正直に言った言葉なのか。
焦点の定まらない視線を前に向けて将来の考えを教えてくれた。
「──私は今、綾小路くんとこうやって気ままにドライブして、気ままに音楽を聞いて、恥ずかしいですけど身体を揺らすのが、一番幸せなんです」
椎名がボケたのか?
将来の事を聞いたのに、今の事、幸せについてを教えてくれる。
ちぐはぐな回答。
しかし、質問も、答えもあっているように思われた。
俺は「そうか」と返事をする。
そして、聞いた。
「幸せの順位はどうやってつけるんだ?」
すると椎名は良く分からないような顔をし、「不思議な質問ですね」という事をいった。
なぞなぞ。
堀北学の質問を思わせられる。
「椎名、一つ聞きたい」
大学病院まであと10分というところで、俺は椎名に知恵を借りることにする。
椎名は返答しなかったが、肯定したと捉えた。
「何者かになれなかった人間が、何者にもなれないと思ったときに、得るものは、なんだ?」
堀北学のなぞなぞは、答えがあって答えがないもの。
きっと、俺自身で見つけるしかないものだ。
それを言ったときに、椎名は考えを巡らせているように見えた。
そして、助手席の右側に映る、景色を見た。
今、国道246号。表参道、外苑前、青山1丁目付近を通行している。
「問題文が違う、と思います。そもそも、誰も、[[emphasismark:何者 > ﹅]]にはなれません」
「どういうことだ?」
「それはつまり、人は人だからという事ですね、一人一人に名前が付いていて、名前を呼びあっている。尊敬する人、なんて言いますが、それは尊敬する人であって、その人ではありません」
もっと詳しく聞きたくなる。
椎名ならその先に辿り着けるかもしれない。
もしくは、俺に足りない何かを知っているのかもしれない。
俺が黙っていると彼女は続けた。
「文章をそのまま解釈するのならば──」
景色を見ていた椎名が、視線を前に向けた。
「──虚無、徒労、後悔、怒り。いえ……孤独、でしょうか」
何者かになろうとしたものが、何者にもなれないと思ったとき。
何も残っていないが、何も残っていないを得た。
椎名らしい言葉だと思った。
0を初めて定義したのは、ブラーマ・グプタという、インドの数学者だったか。
グプタはバラモン教、ヒンドゥー教徒だったか。
分からないが、少し進展した。
考えていると目的地に到着した。
2
車を敷地内の駐車場に停めているとき、椎名が気を利かせて先に受付を済ませると言って歩いて行った。
車を停めて玄関から中に入る。
すると前から見知った顔の一団が目に映った。
「やぁ、久しぶりだねぇ、綾小路ボーイ」
高円寺六助は1年前と変わらない笑みを浮かべて声をかける。
彼は、黒のスーツに黒のネクタイをしていた。
見ると、後ろに控える強面の男性陣も同様だった。
高円寺が立ち止まると皆が立ち止まる。
しかし、通行人の邪魔にならないように、高円寺がケガをしないように守っていた。
「結婚相手は決まったのかな?」
「相変わらずだな、病院になんのようだ?」
「質問に質問で返すとは、良い度胸だねぇ。だが、特別に教えてあげよう」
どういう風の吹き回しか知らないが、高円寺をそういうと両手を高く上げた。
「父が、殺されたのさ」
なんとも急な、突然、危険なことを言う。
「殺人か?」
「あぁ、父は幻影に追われ、自ら命を絶ったのさ」
「どういうことだ?それなら自殺じゃないのか」
「さてね、定義なんて私にはどうでもいいことだよ。私がどう思うかが重要なのさ」
相変わらず自由なヤツだ。
「おや?綾小路ボーイ……雰囲気が変わったのかい?」
「いや、お前が少し、羨ましくなってな」
「まぁそうだろうね。私を羨むなんて、キミも見どころがある、という事だろうね」
そういって、高校の同級生が久しぶりの再会を味わうように、バシッと俺の肩を叩いた。
痛い。
それに、どういう言葉の使いまわしなのか分からない。
こいつは一貫して、自分の都合ばかりを考えていた。
「父の事はニュースになるだろう。ニュースで見ると良い」
「高円寺」
「ん?」
「父親が殺されたというのに、騒がないんだな」
自殺が濃厚。しかし、誰かに殺された。
そういう高円寺は、殺人だと考え、犯人捜しをするのだろう。
誰が殺したか騒ぎ、高円寺グループや、政治を巻き込み、やっきになるはずだ。
しかし、こいつはその選択を取らない。
次にいう言葉は、同級生の俺は予想できる。
「あぁ、どうでも良いからねぇ。私は私が一番であるという事を、私が一番知っているから。それ以外の事は些細な事なのさッ」
そういって高円寺は右手を挙げて、「結婚パーティには呼んでくれよ」と言って帰っていった。
高校の時は孤高を気取っていたが、先日の池と篠原のパーティにも律儀に来ていた。
そういうところは高円寺らしくないと思われたが、同級生のお祝いをしない高円寺もいまいち想像出来なかった。
呆気にとられた俺は、受付へ歩みを進めた。
3
受付へ行くと、椎名が立っており、病室の番号を教えてくれる。
それを聞きながらエレベーターに乗った。
エレベーターの乗り一番奥のグランというサイズの病室に向かう途中。
1人の少女と出会う。
椎名はチラリとそちらに目を向けた。
考え事をしながら、椎名の後ろをついていた俺は、気付かずにすれ違いそうになった。
瞬間──ガっと手を急に引かれた。
「先輩、お久しぶりです」
「お前は……」
久しぶりに見る顔立ちで、年齢は10代後半。
若く見え、高校生と言われても全く不思議ではない。
彼女はつい2か月前まで高校生だったのだから。
眠そうな瞼からまっすぐと目を見られる。
それよりも目を引くのは手に、活けられた花瓶を持っているという事。
「それは、桜か?」
「この部屋に飾られていたんだけど、ちょっと水を替えさせてもらったの。ちょっと前に判明した姉の好きな花で。もうすぐ診察から戻ってくるはずだよ、会ってく?」
「いや、俺は別の患者の……」
と、言いかけたところで、椎名が声をかける。
「お久しぶりですね、椿さん」
「椎名先輩」
2人は面識があったのだろうか。
どちらも目立つ存在ではなかったように思える。
どちらも、眠そうな視線を交わしながら、微笑む椎名と、飴を器用に舐める椿。
「会っていかれたら良いのではないですか?坂柳さん、女子には、準備がありますので、私先に行って声をかけてきますから」
「あぁ、理事長……父親がいたら、1時間後に病室ではない場所で会話をしたいと、伝えてもらえるか」
そういって椎名は奥の病室へ向かっていった。
残された俺と椿。
変な空気が流れる。
椿はじっとりと俺の上から下までを見回した。
「ま、及第点ってところかな」
「何の話だ?」
「ワイシャツの濡れ感、黒でサイズの合ったスラックス、そして磨かれたそれはジョンロブの……靴?一見好青年に見えるけど、持っているものはバケモンだね。やっぱり噂は本当だったんだ」
椿がファッションデザイナーのような事を言い出す。
その間もコロコロと飴を転がす。
「時計はしてないけど、何それ……紐?」
すると左腕を見て、聞いてきた。
付いているのは輪ゴム。
そういえば、昨日、森下に渡されたものだったか。
少し伸びているが、腕を縛るものではない、余裕のある大きさの輪ゴム。
色とりどりで、輪ゴムのオレンジに黄色っぽいもの、そして、ピンク色のなんの変哲もない輪ゴム。
違うのは数種類混ぜられていることだろうか。
元1年Aクラスであり、3年Cクラスの後ろの席の生徒の趣味。
「輪ゴムだ。貰った」
と返答した。
その時、ガラッと、反対側にあったらエレベーターが開かれ、椿に似た女の子が目を見開いてこちらを見ていた。
「先輩、こっち来て」
と言い、椿は病室の扉を開けると、サイドテーブルに花瓶を置いた。
「──清隆……」
彼女の名前、ホワイトルームから脱落した人。
彼女の名前は、雪。