6月の後半
坂柳成守のケーキの借りは大きかった。
母娘の手術をし、1週間後。
その間いくつか借りを返せと言われ、言われたことをやった。
*
「結婚相手を選ぶ?そんな権利俺にはないが」
「では、誰を選ぶつもりだったと?」
「誰も選ぶつもりはない、誰かを選ばなければならないのなら、俺は誰も選ばないつもりだ」
「しかし、あの時、あの場所で、誰を選ぶつもりだったんですか」
*
復帰した坂柳とそんな会話をした。
椎名と坂柳が、珍しく言い争ったと、そんな事を聞かされた日だった。
*
「婚姻法は重婚を禁止しています。綾小路くんが複数人から想いを寄せられているとはいえ、犯罪者にすることは出来ませんよ」
「それならどうするんだ?」
「どうしようもありません。重婚が定められている国に行きますか?それとも誰も選ばないか。その二択しかありません」
「まぁそうだよな」
なんの話かと言われれば、結婚の話である。
社会人として、それに生物として子供を産み育てるという事は目が離せない事。
なのだそうだ。
行為自体は何回か経験があるとしても、実際に子供が出来たことはない。
出来てしまったのならば、仕方ないと言えるだろうが。
それならそれで精一杯育てるだけだ。
アメリカの投資家の友達は16人の子供がいる。
すると、坂柳がスラスラと法律を話し始めた。
「日本国憲法 二十四条
〇婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
〇配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」
「あぁ、その通りだ。よく覚えているな」
「そして、婚姻届けの提出時、戸籍の確認がされ、重婚は出来ない決まりとなっています。もし、他国で現地妻を調達し、綾小路くんがエロい事をしたとしましょう。エロい事というのは抽象的でよくありませんね。しかし、直接的な表現も良くないでしょう。つまり、イノシシがイノシシ肉にかぶり付くという事ですね。おや、分からないという顔をしていますね……では、[乱れ牡丹]という言葉を?そうですか、存じ上げませんか、綾小路くんも知らないことがあるのですね。一つ勉強になりました。それでも無駄なことは一つもないでしょう。わたくしの愛読書にこんな文章があります。[彼の膝の上に、女はおもむろに身をあずけ、同じ方を見やりて座しぬ。室の内はしじまにて、ただ衣のすれる音のみ、かすかに耳に残りけり。女、ためらひがちに身をひらき、重きをあづくるほどに、心の内もまた揺れ動くがごとし。男はこれを拒むでもなく、ただ静かに抱きとめ、そこに在ることを確かむるばかりなり。言の葉は交はさねど、互ひのぬくもり、ひそやかに伝はりて、胸の鼓はやや高まりゆく。前を向きたるまま、同じ景色を眺むれど、その心はすでに一つに重なりぬるかのやうに覚えられけり。]と、おっと、少し熱くなってしまいました。大変失礼いたしました。えっと、話に戻りましょうか。日本の法律の話でしたね。はい、婚姻を結んだとしても、日本では重婚とみなされ処罰の対象です」
俺は頷いた。
途中、呆気にとられたこともあったが、乱れ牡丹という言葉だけは覚えておこうか。
決して調べてはならなそうな気がしたが。
つまり、本来、日本だけであれば重婚罪は適用されない。
現地妻という言い方は気になったが、他国の存在が明確になってから定められたルールだという事が分かる。
「そうだな、だからお前がさっき言った二択しかない」
と、俺は返答した。
しかし、坂柳は別の選択肢を提示してきた。
二択に絞った先のもう一択。
それは──。
「出来るとしたらこれしかありません。女性側が嫌がるのですが。結婚の予約。ですね、契約書を交わさない方が良いものです。口頭で、暗に、いずれ結婚すると仄めかして、一人と結婚し、離婚します。最近の法改正で、婚姻を結んだものは一日またずとも離婚できるようになりました」
確かにルール上は出来る。
だが、倫理的にはどうなのか。
「明治時代は半年間の禁止期間があったのですが、遺伝子検査が発達したからでしょう。科学の勝利です」
再婚禁止期間は、生まれてくる子の特定をするために半年から100日に縮小された。
が、目的を達せる別の方法が発展したため、ルールも変わった。
「大正時代初期に制定された、未成年者飲酒禁止法、通称ミイキンも正式に成人年齢の18歳まで引き下げられましたし、最近の政府はやる気まんまんですね」
通称ミイキン……?
なるほど、やはり俺の知らない間で動きがあったというのは確かだったのだろう。
「そういえば、この間鬼島にあったな」
「内閣総理大臣に?流石ですね、なんておっしゃってましたか?」
総理はそういえばノーパンしゃぶしゃぶについてしか話してなかったかもしれない。
あとはざっくりと、日本にお金を使ってくれという話はしていたか。
「いや、なんでもない」
と、返答すると、「そうですか」と返される。
「要するに綾小路くんは、誰とでも、何人とでも結婚が出来る。という事です。時間的制限はありますが」
「まぁ、そうだが」
倫理観のある人間ならまず考えつかない発想。
1度にかかる時間は何時間だろうか。
婚姻届けを書く、証人2名のサインを貰う。
役所に提出する。
そして、離婚届を書く、証人2名のサインを貰う。
役所に提出する。
役所の手続きに時間がかかるだろうから、やはり1日が限度、長くとも1週間は考えておきたい。
頭の中で計算をする。
60歳までだとして、俺は20歳だとする。
〇40年間×12か月=480か月
〇40年間×52週間=2080週間
つまり1週間まてば、2080回の婚姻をすることが出来るのだ。
いや、阿呆過ぎる。
法律の穴でもなんでもない、倫理観の問題。
人殺しをしないのは当然だ。
だが、ルールに記載しないわけにはいかない。
なぜなら、分からない人間がいるからだ。
とはいかない。
分かり切っているルール。
そもそも、婚姻は男女でないといけない。
男は財産を度外視すれば、女と公然の肉体関係が結べるためメリットはある。
しかし、女側のメリットがはてしなく少ない。
複数の女子が一人の男を求めているときの、女子同士のピり付き具合。
あれは影で噂をしていたのは、平田好きな女子だったが、司城好きな女子だったか。
もしくは、意外とファンのいる、須藤の後輩女子二人だったか。
「お前の話は突拍子もないな…そんな──」
「政界に進まない綾小路くんなら、そんな世間の目を気にしなくても良いかと思いましたが?」
「とはいえ、そんなことは出来ない。そもそも、したがる女子はいるのか?バツが付く前提の婚姻なんて、あり得ないだろ」
病気が治ったからテンションが高いのか?
手術は長かった。
それでも俺の専門分野である。
治せない手術ではない。
俺は理事長に貸しを作ったと言ってもよい。
大きな借りを、もう返した。
もう、終わりで良いだろう。
「したがる女子がいるのか?」
と、声に出したのは坂柳有栖。
俺の言葉をなぞる目の前の女。
「なんだお前、お前がそんなみっともない女になるとでも?俺の結婚相手に立候補してみるか?」
「──はい、喜んで」