【完結】Angel-04 この世界の女には人権がない 作:コベヤ
声なき花弁
重たい身体を背中の壁にゆだねて、天井を仰いだ。
吊り下げられたペンダントライトは黒ずんだ埃がこびりついていて、そこから漏れる光は濁ったように黄ばんでいた。
カチャカチャと皿が擦れる音。
遠くのテーブルから聞こえるアルコールに浮かされた男たちの下卑た笑い声。
木製のテーブルは妙にベタベタとして、冷えた唐揚げにレモンのしずくが染み込んで湿っていた。
大学のゼミが終わった後、発表資料を片付けている最中に、知り合い以上友達未満の気安い男──たしか佐伯という名前だった──に誘われて、気づけば俺は飲み会に参加させられていた。
氷の溶けかけたハイボールを片手に、誰かの話に誰かが笑っている。
俺もそれに倣って、笑ってみせる。
頭がずきずきと痛む。
アルコールが苦手なわけじゃない。
ただ、人と話すのが苦手で、手持ち無沙汰にひたすら酒を胃に流し込んでは一人で顔を赤らめて、あいつは酔っているんだと笑ってもらうことしかできない。
そうすれば、不器用な沈黙も許してもらえるような気がして。
俺は窓側の壁にもたれて外の景色をぼんやりと眺めていた。
星も見えない真っ暗な空に繁華街の無遠慮な光が伸びて、地上に見下ろす人々はどこからともなく現れて、どこかに向かって歩いていく。
空のコップを口に当てて、一つ、大きなため息を吐いた。
「おい、性処理所行こうぜ」
声を掛けてきたのは佐伯だった。
「嫌だよ。頭痛くてそんな気分じゃないし。それに居酒屋の女って汚いだろ。吐くかもしれない」
「じゃあ付いてくるだけでいいから。お願い、一人は寂しいんだって」
「……しょうがないな」
渋々頷くと、佐伯は嬉しそうに立ち上がり、俺を通路に引っ張り出す。
肩を組まれ、二人とも酔っぱらって足元がおぼつかないままに歩き始める。
「最近は性処理所も少なくなってきてな」
「ああ、女の人権がどうたらってやつ」
「そう、それでさぁ。大学の性処理所も場所を移して小規模になっちまったし、コンドーム付けなきゃいけない決まりになってさ。まぁ、そんなの守ってるヤツいねぇけど」
「時代だろうね。昔は色んなところにあったって先生が言ってたけど、俺は一度も使ったことないし」
店の奥には一本の陰気な通路がひっそりと口を開けていた。
人ひとりがやっと通れるほどの幅しかなく、明かりもない。
ただ、かすかに差し込む繁華街の照り返しだけが、通路の奥に続く闇を微かに照らしている。
その先にあるのは、居酒屋の喧騒とぬるい空気から切り離された無骨で頑丈そうな鉄扉。
錆びついた表面には「性処理所」とだけ記された小さなプレートがぶら下がっている。
「ここじゃね?」
「へぇ」
中にいる存在が逃げないように普段は鍵をかけているのだろう。
佐伯が固くなったサムターン錠のつまみを回して、重たく軋む扉を開いて中に入っていった。
扉が閉まりきる寸前にその隙間へ体を滑らせる。
音も光も吸い込むような暗闇が、そこにはあった。
鼻先を掠めたのは人間の生々しい匂い。
金属のような、それでいて夜の湿った草むらを思わせる。
扉から漏れる光を頼りに壁に手を伝わせて、スイッチを探し当てるとパチリと照明が灯る。
白々しい蛍光灯の下、三畳にも満たない室内の片隅。
ひとりの女が裸で仰向けに横たわっていた。
身じろぎもせず、目を閉じて。
死んでいるのかと思ったが、ただ眠っているだけだった。
居酒屋の廃棄物でも食わせてもらっているのだろう、女の身体は柔らかさを宿した曲線を描いていた。
豊かな胸元は呼吸のたびにゆっくりと上下し、腰のあたりから太腿へと肉感的なラインが続く。
わずかに汗ばんだ白い肌は人工の光を反射し、張り詰めた弾力を放つ。
しかし、その豊かな肉体は、罪人のごとく拘束されていた。
首、手首、足首。
そのすべてに鉄の枷がはめられ、そこから伸びた鎖が部屋の四隅へと張られている。
身体を見ようとするとそれを縛り付ける枷が目について、枷を見ればそこから逃れようとする柔らかな肉体の厚みに存在感を感じる。
女の柔らかさが逆説的に拘束の硬質さを際立たせ、また拘束の冷たさが肉体の温もりと湿度を増幅させていた。
ほんの少しだけ、拘束に美を見出す人間の気持ちがわかった気がした。
佐伯は女の正面に腰を沈めると、足を持ち上げ、股をがばっと開き、その中心を冷然と眺める。
陰毛は手入れのために剃られ、剥き出しの皮膚が無機質な光沢を帯びて露わになっていた。
手を伸ばすと、彼はそのゴツゴツとした指を二本も膣口に滑り込ませ、中の具合を確かめるように探った。
指の腹で膣壁をなぞり、中で指を広げてみる。
内部は湿り気を帯び、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てた。
ぬるりと指を抜くと、白い粘液が細い糸を引き、くたりと落ちてゆく。
佐伯はその手に絡みついた液体を鼻に近づけ、匂いを嗅いだ。
部屋中に甘さと腐敗が混じり合ったような香りが広がった。
「使用済みか。ま、そりゃそうだよな」
佐伯はそう低く呟くと、手についた精液を女の腹に無造作に擦り付ける。
そばに落ちていたティッシュ箱を拾うと、慣れたように指で膣口を抉っては、掻き出した精液を拭き取る。
「汚くないの?」
「まぁ、慣れればそんなに」
そして、丸めたティッシュをすぐ側のゴミ箱に放り投げると、振り返って俺の方を見た。
「本当にヤんねぇの?」
「うん、見てるだけでいい」
「そっか」
俺が腕を組んで壁にもたれ掛かるのを見て、佐伯の方もこれ以上言っても意味が無いことを悟ったようで、女の方に向き直った。
「おら、起きろ、いつまでも寝てるんじゃねぇ!」
そう罵って佐伯が淫裂に蹴りを入れると、女はフゴッと無様な呻きを漏らし、目を大きく見開いた。
下腹部に力が入ったのだろう、膣内に残っていた精液がビュッと勢いよく飛び出し、床に小さな水たまりを残した。
女は蹴られた箇所を庇うように、虫さながらに四肢を内側に縮めようとするが、鎖がしゃらしゃらと悲しげな音を立てて引っ張られるだけだった。
「ああ! 新品のスニーカーが汚れちまったじゃねぇかよ、このバカがよ!」
佐伯は驚いたように片足を浮かせると、靴の先端に付着した白濁液を女の太ももに乱暴に擦りつけた。
そして、犬の糞でも擦り付けるように膝の方から下腹部の方に靴をスライドさせ、そのまま靴の裏で女陰をグリグリと踏みつける。
女は歯を食いしばり、グッと息を押し殺したような声を漏らす。
その様子に佐伯は嗜虐的な喜びを見出したのか、薄笑いを浮かべると今度は足を電動マッサージ器のように小刻みに震わせ始めた。
女もそれに呼応するように、ン゛、ン゛、ン゛と短い呻きを繰り返し、腹筋に力を込めて耐える姿が惨めだった。
しばらくその反応を愉しんでいた佐伯だったが、やがてそれにも倦んだのか、ベルトを緩めるとズボンと共にパンツを一気に下ろし、黒々と使い込まれた肉棒を無遠慮にさらけ出した。
思わず、黒いなぁと口にしそうになったが、他人の性器を評価するのってどうなのだろうと思って、やっぱり黙ることにした。
「咥えろよ」
佐伯がまたがるようにして肉棒を女の顔に押し付けると、彼女はそう仕込まれているのだろう、一度喉を鳴らし、おもむろにそれを口に含んだ。
無造作に断ち切られた短髪が汗と体液で湿った顔や首に張り付き、口の端からは唾液がトロトロとこぼれ落ちていく。
じゅるじゅると品のない音を立てて、彼女はただ無心に佐伯の欲望をもてなし続けた。
頭を押さえつけられようが、耳を弄ばれようが、髪を乱暴に引っ張られようが、お構いなしに。
その無反応が退屈だったのか、佐伯は両手を離し、子どものようにぷらんぷらんと揺らしながら、壁の一点をぼんやりと眺めていた。
「うーん、下手ではないが、うまくもねぇな」
ふと、彼の手が女の頬をさすり、鼻先を掠める。
すると女は煩わしそうにスンと鼻を鳴らした。
「あ?」
その小さな音に反応した佐伯は、興味深げに女の頬をパシンと叩いた。
突然の衝撃に驚いたのか、彼女は口内に溜まっていた唾液を思わず飲み込み、動きを止めてしまう。
それも一瞬のことですぐに口戯を再開する。
その様子に目を細めた佐伯は、まるで実験でもするように両手でリズミカルに女の頬をパシンパシンと叩き始めた。
最初はフェラチオの邪魔にならぬよう軽く叩いていたが、嫌がる彼女の反応に味を占めたのか、次第にその行為自体が目的であるかのように手の力を強めていく。
やがてそれは叩くというより殴ると表現した方が相応しいほどの苛烈さに変わっていった。
女は殴られるたびに顔を揺らして、それでも佐伯のイチモツを咥え続ける。
目を閉じて耐え続ける。
まるでそれが彼女の存在意義であるかのように。
「待て、もういい。出そうになった」
佐伯は殴る手を唐突に止めると、女の口からその肉塊を引き抜いた。
彼の男根は固く、脈動する熱を帯びてそそり立っていた。
女は殴られ続けた間、息さえできなかったのか、頬を赤く腫らし、肩を震わせて荒々しく息を繰り返していた。
彼女の目は虚ろで、まるで魂が抜け落ちた人形のように、何も映さない。
ただそこに転がるだけの肉の塊と化していた。
とてもじゃないが、これから性に溺れる姿など想像もつかない。
しかし、佐伯にとってそんなのは関係ないことだ。
彼は女の肩を乱暴に掴み、その柔らかな身体を背中から床へと押しつけた。
そして、前戯なんていらないとばかりに剛直を突き立てた。
あるいは、彼にとって最初の蹴りこそが前戯だったのかもしれない。
女はそれが定められた運命であるかのように、彼の侵入を無抵抗に受け入れた。
絡みつくように滑らかに。
余程使い込まれているのか、それとも前の客が残した粘液が淫らな潤滑剤となっているのか。
佐伯は鼻息を荒げ、フンフンと唸りながら腰を振り続ける。
動き出すと、彼は獣のように欲望の発散だけを目的とした単調な作業に没頭していた。
一方、顔の腫れた女は無表情でその光景を眺めている。
その対比がどこか滑稽で、無意識に鼻で笑ってしまった。
その小さな音が耳に届いたのだろうか。
佐伯は一瞬こちらを振り返った。
俺は気まずさに曖昧に首を振って誤魔化すが、彼の唇に浮かんだのは僅かに照れたような笑みだった。
だが、再び女に向き直るその瞬間、笑みは煙のようにフッと消えて、氷のように冷たい無関心が顔を覆った。
それは人間に向ける視線ではない。
突然、佐伯は大きく腕を振り上げると、そのまま女の顔を殴り抜いた。
拳が骨を叩く鈍い音が部屋に響き、女の首はガクンと横に揺れた。
佐伯はそれを見て、ハハハと笑った。
「やっぱ、殴ってるときのほうがいいわ」
少し気分が悪くなって、目を逸らそうとした。
しかし、なぜか俺の視線は女の瞳に吸い込まれていた。
虚ろで、何を考えているのかわからないその眼は、佐伯の手が振り下ろされるたびに揺れながらも、俺から決して外れない。
どういうわけか彼女は明らかに俺を見つめている。
意思を持って?
何を伝えようとしている?
しかし、それはありえない話だ。
女とは、生まれながらに性欲処理に運命づけられた存在。
教育など受けたこともなく、言葉を知らず、思考すら許されない。
ただ欲望を満たすための器として、世界は彼女を定義している。
それでもなお、彼女の目は俺に何かを訴えていた。
語り得ない言葉が、沈黙の底から這い上がり、俺の心に絡みつく。
だが、その意味を掴むことはできず、わからないことへの恐怖だけが膨らんでいく。
女の口の端が、しびれを切らしたように僅かに震える。
その瞬間、佐伯は彼女を隠すように覆いかぶさり、その唇を貪った。
荒々しく重なる唇の間で、声なき声が彼の口内に吸い込まれ、虚空に消えていく。
それでも女は僕を見ている。
佐伯に犯されながら、何かを伝えるように。
だが、それを理解する術は俺にはない。
俺に向けられた何かが、ただ怖かった。
この空間が息苦しい。
湿った熱が肌にまとわりつき、佐伯の荒い息遣いと女の微かな呻きが、悪夢のように反響する。
耐えきれず、佐伯に声も掛けないで性処理所を出た。
鉄製の扉を閉める時、重く鈍い音が響き渡った。
それは、心の扉を閉ざす音。
だが、扉の向こうで、女の目がまだ俺を捉えているような気がしてならなかった。