【完結】Angel-04 この世界の女には人権がない 作:コベヤ
大型ショッピングセンターの食料品売り場は、夕方の買い物客で混み合っていた。
右手には、さっき買ったペット用品を放り込んだ買い物かご。
左手には、Angel-04の細い手。
青果コーナーに入ったところで、俺は一度その手を離し、じゃがいもをかごに入れた。
振り返ると、少女は一歩も動かず、その場に立ち尽くしていた。
「……おいおい」
慌てて戻り、もう一度手を取る。
すると、何事もなかったかのように、また歩き出した。
どうやら、自分からついていくという発想がないらしい。
引かれなければ、止まる。それだけだ。
それからは、できるだけ手を離さないように気をつけながら買い物を続けた。
少女の歩幅は小さく、少しふらふらしている。
人の流れに慣れていないのだろう。
急ぐ理由もない。
自然と歩く速度を落とし、少女に合わせた。
にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、その他たくさん。
そのたびに、少女の視線が商品に向く。
無表情のまま、棚に並ぶ鮮やかな色や形をじっと眺めている。
触れようともしないし、欲しがる素振りもない。
ただ、初めて見るものに戸惑っているようだった。
何も知らないんだな。
この売り場に並んだ食材のことも、外の世界のことも、人の生活のことも。
それを哀れだと思ったのか、面倒だと思ったのか、自分でもよくわからない。
レジを済ませ、ビニール袋に買ったものを詰める。
Angel-04はその様子を不思議そうに見つめている。
既にかごに入っているものをわざわざ別の袋に移す意味が分からないのだろう。
少女と手を繋いでショッピングセンターを出ると、外はすっかり真っ暗になっていた。
街灯の光がアスファルトを照らし、夜風が薄布の服を彼女の肢体に張りつかせ、細い腰の線を浮き彫りにする。
特に寄る場所もないので、そのままアパートへと帰ることにした。
「上がって」
玄関でそう言いかけて、俺は少女の足元に目を落とした。
Angel-04の足が泥や埃で汚れている。
そういえば、ずっと裸足だった。
靴、か。
ペットに靴って必要なのか?
そもそも、今どきのペットって外に出すものなのか?
健康維持のために運動が必要、みたいな話も聞いたことがある気がする。
……よくわからないな。
後で調べるか。
「ちょっと待ってな」
俺は少女を玄関に立たせたまま、洗面所へ向かった。
濡らした雑巾を手に戻ると、少女の肩をそっと押さえて上がり框に座らせる。
自分もしゃがみ込み、彼女の足首にそっと手をかける。
片足ずつ持ち上げ、雑巾で足裏を拭うと、冷たいのか、少女が軽く身じろぎする。
柔らかな土踏まず、白く透けるような足先。
太ももにかけては、相応に肉がついているが、それでも細いほうだろう。
拭き終えて足を下ろすと、彼女は何も言わず、ぼんやりと猫のように見つめてくる。
次に、洗面所へ連れて行く。
手を洗わせようと蛇口をひねるが、少女は水の流れを不思議そうに眺め、固まっている。
俺は見本として先に手を洗ってみせる。
水に手を濡らし、石鹸の泡を滑らせて泡立てる。
少女はそれを見ていたが、理解しているわけではなかった。
結局、俺が彼女の手を取って洗ってやることになる。
うがいも同じ。
コップを口元に持って行って水を含ませると、彼女の喉が小さく動き、そのまま飲み込んでしまう。
「……飲むもんじゃないんだけどな」
言ってから、無意味だったことに気づく。
知らないのだから、仕方がない。
さて、普段なら先に風呂に入るのだが。
今日は後でいい。
食料の入ったビニール袋を片手に、少女を台所へ連れて行く。
使わない食材を冷蔵庫にしまい、まな板を出して玉ねぎとジャガイモを切り始める。
包丁の音だけが、静かな部屋に響く。
ふと、背後に気配を感じて振り返ると、Angel-04は立ったまま、じっとこちらを見ていた。
「別にあっちで座っててもいいんだぞ」
声をかけてみても、少女はぼんやりと視線を向けるだけで、動こうとしない。
言葉が届いていないというより、そもそも自分で動くということを知らないように思えた。
「……そうだな」
思いついたように言って、俺は包丁を置いた。
「お前も料理してみるか? 見てるだけじゃ、つまらないだろ」
もちろん返事はない。
それでも、少女の華奢な背中に軽く手を添えて、まな板の前に立たせてみる。
台所の高さは合っていない気がしたが、まあ、なんとかなるだろう。
少女の左手をにんじんに添え、右手に包丁を持たせる。
その上から俺が手を重ね、一緒に刃を下ろす。
一回一回、ゆっくりと。
指を切らないように慎重に。
少女は最初、不思議そうに俺の顔を見上げていたが、やがて視線を目の前のにんじんへ移した。
包丁を握る手には最初ほとんど力が入っていなかったが、数回繰り返すうちに、自分で刃を進めるようになる。
そっと手を離すと、少女は一度こちらを振り返り、包丁を止めた。
俺が目を合わせて、小さく頷いてやると、また視線を戻し、最後まで切り終えた。
「おー、やればできるな」
思わず、料理中だということも忘れて、Angel-04の頭を撫でてしまう。
少女は驚くでも、拒むでもなく、そのまま受け入れていた。
しかし、きっと、この行為の意味すら分からないのだろう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ重くなる。
「……ごめんな。変なことに付き合わせて」
そう言って、少女をまな板から離し、俺は一人で調理を続けた。
フライパンで肉と野菜を炒め、水を加えて煮込む。
頃合いを見て火を止め、ルウを入れる。
再び火をつけると、カレー特有の匂いがキッチンに広がった。
その間、Angel-04は黙ったまま、俺の手元をじっと見つめていた。
何かを理解しようと努めているのか、それとも、ただ見ているだけなのか。
カレーが完成したので少女を普段使っている勉強机に連れていく。
オフィスチェアを引いて、少女を座らせると、背筋を伸ばしたまま動かなくなった。
二人分の皿にご飯とカレーをよそい、水の入ったコップを並べる。
俺はといえば、物置からパイプ椅子を引っ張り出してきて、少し狭いが彼女の隣に座る。
「何か食べるときは、いただきますって言うんだ。俺も普段は言わないけど」
そう言って、先に一口すくって口に運んだ。
スパイスの香りが口いっぱいに広がる。
けれど、隣の少女は、皿を見つめたまま、手を付けようとしない。
「食ってもいいんだぞ。そのために作ったわけだし。なんならお前も手伝ってくれたわけだし」
俺がそう語りかけると、Angel-04は不思議そうに首を傾げた。
もしかして、食べ物だと認識してないんじゃないか?
そう思って、二口、三口と俺が食べ進めると、少女は少し遅れて、恐る恐る右手を伸ばす。
指先がカレーに触れた瞬間、びくりと肩が跳ねた。
熱かったのだろうか、そのまま固まってしまう。
「……そう」
すぐに理解する。
カレーはもとより、温かい食事も、器も、スプーンも。
きっと全部、初めてなんだ。
俺はおしぼりを取って、少女の手をそっと包む。
指と指の間まで、丁寧に拭ってやると、彼女はじっとその様子を見つめていた。
今度は俺が少女のスプーンを手に取って、少量だけすくい、口元へ運んでやる。
けれど、少女は口を開かない。
無理か。
そう思って、スプーンを置く。
机の中から団扇を持ち出して、皿の上で仰ぐ。
湯気が収まった頃合いで、もう一度、少女の手を取る。
指先を導くように、今度は冷めたカレーに触れさせると、少女は一瞬きょとんとした顔をした。
それから、自分の手を見つめ、もう一度、確かめるように皿へ伸ばす。
今度は、驚かない。
少女は指先でカレーをすくい、そのまま口へ運んだ。
噛むでもなく、味を探るように、ゆっくりと。
──食べた。
それからは、同じことを繰り返す。
不器用で、こぼしながら、それでも黙々と。
俺はその様子を横目に見ながら、自分のカレーを口に運ぶ。
スプーンはそのうち使えるようになればいい。
それまでは、野菜と肉を混ぜた冷めたおにぎりでも用意したほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は黙って、カレーを食べ続けた。
食事が終わると、俺はおしぼりを取って、少女の手をもう一度拭いてやった。
指先に残ったルウの色を落としながら、ちゃんと最後まで食べたことに、少しだけ安堵する。
立ち上がり、少女の頭をそっと撫でる。
その瞬間。
足元で、かすかな水音がした。
最初は何の音かわからなかったが、視線を落としてすぐに気づく。
椅子の下、ぽたぽたと床に広がっていく透明な液体。
少女を立ち上がらせると、薄布の股間部分が濡れており、太ももの内側を熱い水が伝っていた。
「二級が良いって、そういうことね」