気が付くと、俺は一切の境界が消失した「真っ白の空間」に立っていた。
上下左右の概念すら曖昧なその世界の中心で、唐突に、鈴の音を転がしたような美声が響き渡る。
「大変申し訳ありません。こちらの不手際で、あなたを死なせてしまいました」
声の主は、目の前に佇む金髪の美女だった。
透き通るような白磁の肌に、神秘的な輝きを帯びた碧眼。
だが、俺の視線はどうしても、彼女の胸元でこれでもかと自己主張している膨大な質量。
――豊満などという言葉では生ぬるい、凶悪なまでの巨乳へと吸い寄せられてしまう。
衣服の布地を限界まで押し広げているそれは、間違いなく男を狂わせるための反則的な兵器だった。
「あの……どういうことですか? ここは一体……っていうか、あなた、誰ですか?」
視線を必死に上へと修正しながら、戸惑いを隠せずに問いかける。
「ここは死後の世界。そして私は、この領域を管理する者。あなたたちの世界の言葉で言うところの『神』に類する存在です。
「は……? え、ちょっと待ってくださいよ!なんで間違われて殺されなきゃいけないんですか!?冗談じゃない、今すぐ元の世界へ生き返らせてください!」
「申し訳ありません。すでにあなたの肉体は塵一つ残さず分解されてしまっているため、元の世界に戻すことは不可能なのです」
――最悪だ。俺の人生、ついてなさすぎる。
20連勤という地獄の社畜生活を耐え抜き、ようやく勝ち取った有給休暇。
自宅に引きこもって、溜まりに溜まっていたエロゲーを徹夜で消化する予定だったのに……。
ふざけるな、まだ未プレイの名作が山ほど積んであるんだぞ。
何をしてくれてんだ、この駄女神。
しかし、激昂しかけた俺の脳裏に、ふとある可能性が浮かび上がった。
(……いや、待てよ。これ、ネット小説で飽きるほど見た定番の展開じゃないか?)
理不尽な神のミスによる死亡。からの、謝罪。
もしかしてこれ――『異世界転生』の切符を手に入れたってことか?
なら、ここで泣き寝入りするより、交渉次第でワンチャン掴めるんじゃないか……?
「……分かりました。肉体が無いなら仕方ありません。じゃあ――代わりに、俺を異世界に転生させてください」
「異世界、ですか……」
神を自称する美女が、少しだけ伏し目がちに考え込む。
「――承知いたしました。過失はこちらにあります。可能な限り、あなたの要望に沿った世界を選定しましょう。どのような世界をご希望ですか?」
どんな世界、ねえ。
生前の俺は、親の言う通りに必死に勉強して一流大学に入ったものの、そこで燃え尽きて就活に失敗。
流されるままに就職した先は、有給すらまともに取れない狂ったブラック企業だった。
彼女? いるわけないだろ、二次元の嫁なら大量にいたけどな。
とにかく、クソみたいに擦り切れるだけの人生だった。
なら、次の人生は――絶対に最初からやり直す。
まずは『学生』からのリスタートだ。
赤ん坊からやり直すのは面倒だから、ある程度成長した状態がいい。
舞台はもちろん爽快な学園モノ。
周囲にはエロゲーに出てくるような可愛い美少女が当たり前のようにたくさんいて、勉強ばかりの退屈な日常なんて真っ平御免だ。
女の子たちと一緒に様々なトラブルを解決したり、学園の謎を追いかけたりして、少しずつ心の距離を縮めていく。
そして最終的には――最高の彼女を作って、毎日やりまくりのハッピーエンドを掴む。
絶対にだ!
……うん、そんな夢のような青春人生が良い。
「安心してください。ご要望に近い世界は用意可能です」
「え? 聞かれてたのか、今の……」
「はい。思考は読み取れますので」
「マジか……まあいいや。じゃあ、その世界でお願いします」
「承知しました。では、転――」
「あ、ちょっと待ってください!まだ大事な要望が!」
「……何でしょうか?」
「できれば、その、女の子を攻略しやすくなるような特殊な能力とか魔法もオマケでつけてください!相手の情報やステータスが視覚化される、いわゆる『チート能力』ってやつです!」
「……はあ」
それまでの神秘的な雰囲気をどこかへ投げ捨て、女神は心底呆れたように深い溜め息をついた。
「分かりました、それも含めて調整しましょう。では――健やかなる第二の生を」
次の瞬間、俺の視界は破滅的なまでの眩い純白の光に包まれていった。
意識が遠ざかる直前、神様のどこか楽しげな呟きが耳に届いた気がした。
「……それにしても、ずいぶんと己の欲望に正直で、底の浅い方でしたね。ふふ、楽しんできてください」
誰もいなくなった白い空間で女神が微笑んでいた。
――――
ガタンゴトン――ガタンゴトン――
規則的な振動と、レールを刻む特有の駆動音。
……ここは、電車の中か?
ハッと目を開け、窓ガラスに映る自分の姿を確認する。
そこに映っていたのは、前世の冴えない社畜の面影を残しつつも、どこか引き締まった顔つきの男子高校生の姿だった。
身に纏っているのは、シックなデザインのブレザー――だが、俺の記憶には一切ない見覚えのない制服だ。
車内を見渡せば、周囲に乗車しているのは全員が同じ制服を着た少年少女たちだった。
どうやら、どこかの学園に向かう通学電車の真っ最中らしい。
『次は――豊葦原学園前。豊葦原学園前。お出口は左側です――』
車内アナウンサーの声が響いた瞬間、俺の思考が完全にフリーズした。
――は?
今、なんて言った?
「
まさか。いや、そんなはずはない。
俺がこれから通うことになる学園って、あの『豊葦原学園』なのかよ!?
記憶の引き出しを必死にひっくり返す。
間違いない、前世で読んでいたお気に入りのダークファンタジーWEB小説
――ハクスラ系チートものの名作『ハイスクールハックアンドスラッシュ』の舞台だ。
あの作品の設定は、色々とぶっ飛んでいた。
いや、まさか自分がその世界そのものに転生させられるなんて、一体誰が予想できるってんだ。
たしかこの学園――敷地内に正体不明の巨大な『ダンジョン』が存在していて、それを取り巻く社会全体の倫理観が根底からぶっ壊れている。
そして何より――作中における力関係の比喩として、
「男子生徒の大半が肉棒さんで、実力のない女子生徒の大半が強者に使われる肉壺さんの世界」
なんて揶揄されていた、暴力と性的搾取が紙一重で隣り合わせの、狂った学園だったはずだ。
つまり、完全なるセックス・アンド・バイオレンスなディストピア。
そんな頭のおかしい環境に、前世で平和ボケしたブラック企業の平社員だった俺を放り込んでどうしろというのだ。
あの駄女神め……!
要望に近い世界とか言っておきながら、とんでもない地獄に送り込みやがったな!
確かに俺は「女の子と一緒にトラブルを解決したり、学園の謎を追ったりする青春」を望んだ。
だが、そのトラブルの規模が『命がけのダンジョン攻略』で、学園の謎が『知った瞬間に人間が行方不明になるレベルの国家機密』だなんて、限度というものがあるだろう。
……いや、嘆いていても始まらない。ここは気持ちを切り替えるしかない。
原作の舞台ってことは、裏を返せば、あの紙面を彩った超絶可愛いメインヒロインたちとリアルに出会える可能性がある、ということなのだから。
電車が駅に滑り込み、ホームに降り立つと、駅前には予想に反して活気ある商店街が広がっていた。
――いや、しかし、どう見ても景観がおかしい。
原生林に囲まれた孤島のような土地なのに、見慣れた服屋の有名チェーン店やファミレス、大手コーヒーショップ、コンビニ、果てはドラッグストアまでが軒を連ねている。
そしてその現代的な街並みの極めつけとして――威容を放つ『鍛冶屋』と『骨董品店』が平然と店を構えていた。
建物の奥からはカンカンと火花を散らして金属を打ち据える重厚な音が響き、煙突からは魔力混じりの煙が立ち上っている。
……嫌でも脳裏に叩き込まれる。
ここは本当に、現代の皮を被った“異常な世界”なのだと。物騒すぎるだろう。
気が遠くなるような足取りで、新入生たちの波に流されるように歩みを進める。
やがて、鬱蒼とした森を切り開いた先に、巨大な学園の城門のような正門が視界に飛び込んできた。
「でけぇ……」
広大な敷地を誇る豊葦原学園。
たしか設定では、この学園は外部の社会との接触をほぼ完全に断たれている『陸の孤島』だったはず。
外部と繋ぐ唯一の交通手段が、さっきの専用鉄道だけなのだ。
スマホの画面を見れば、案の定「圏外」の文字が表示されている。
制服の鞄に入っていた学生証を取り出し、自分のクラスを確認する。
「普通科、か……」
どうやら俺は、選ばれたエリートが揃う『特級科』ではなく、一般枠である『普通科』に配属されたらしい。
原作の設定通りなら、普通科の生徒は「日本社会から最悪急にいなくなっても誰も困らないような、身寄りのない若者」が集められている。
だからこそ、俺のような戸籍不明の異世界転生者でも問題なく紛れ込めたわけだ。
そして、無事に
――そう、すべては「生きていれば」の大前提の上の話だ。
この学園には例外なくダンジョン攻略の義務が存在し、そこでは日常的にモンスターとの血みどろの殺し合いが行われている。
おまけに、この学園は徹底した『実力至上主義』。
強者があらゆる特権を握り、弱者は徹底的に搾取される構造だ。
特級科の連中は手厚いサポートがあるから順当に強くなれるが、問題は俺たち普通科だ。
一度でもカーストの底に落ちれば、二度と這い上がれない。
実力のない男子は強者の奴隷か鉄砲玉として飼い殺され、女子の扱いはさらに悲惨だ。
力のある男の「肉便器」として囲われるか、あるいは他のパーティーに身体を売って日銭を稼ぐしか生き残る道がない。
そんな倫理感が崩壊した世界なのだ。
暗い思考に沈みながら歩いているうちに、寄宿舎へと到着した。
錆びついた看板には『
ここが、これからの俺の拠点になるらしい。
入寮の手続きを事務的に済ませ、渡された真鍮の鍵を手に、指定された部屋の前に立つ。
――ガチャ。思い切って扉を開けると。
「よう、お前もこの部屋か?俺の名前は
部屋の奥で、ベッドに腰掛けていた気さくな雰囲気の黒髪の少年が、こちらに気づいて片手を挙げた。
「俺は幹隆、よろしく、浩一」
「とりあえずさ、もう俺たちの荷物も届いてるみたいだし、どっちのベッド使うかサクッと決めね?」
「俺はどっちでもいいよ。こだわりはないから」
「マジ? じゃあ遠慮なく右側もらうわ!」
浩一は快活に笑いながら、手元のスマホの画面をタップして、すぐに深いため息をついた。
「にしてもさ、この学園マジでネットが一切繋がんねえんだな。不便すぎて、初日から早くも都会に戻りたくなってきたわ」
「そうだな……。噂には聞いてたけど、情報が完全に遮断されてるよな、この場所」
適当に相槌を打ちながら、俺は部屋の隅に置かれていた自分のダンボール箱に視線を落とした。
そして、中身を確認した瞬間、心臓が跳ね上がった。
――は? ……ちょ、待て。なんだこれ。
梱包を解いたダンボールの中身。
そこには、前世で俺が死に物狂いで集めていた、大量の『エロゲーのパッケージ版』が隙間なくぎっしりと詰め込まれていた。
おまけにご丁寧に、最新スペックのノートPCまで同梱されている。
……あのクソ女神、マジで何をしてくれてるんだ!?
現実世界の女を攻略したいと言ったのに、二次元のヒロインを送りつけてどうする!
「ん?どうしたんだ幹隆、急に顔が引き攣って……」
まずい、隠さなきゃ――そう思った時には、すでに手遅れだった。
「お前……これ、全部エロゲーじゃねえか!!」
浩一が好奇心から箱の中を覗き込み、盛大に吹き出した。
「おいおい、どんだけ持ってきてんだよ! しかもこのラインナップ、ガチのやつじゃん。やべえな、お前!」
――終わった。俺の学園生活、初日の数分で人生終了だ。
なんで出会ったばかりのルームメイトに、自分の性癖を100%全開で開示しなきゃいけないんだ。
「いや、これはその……不可抗力というか、神の悪戯というか……」
「いや~、気にするなって! 実は俺もこういうのちょっと興味あったんだけどさ、田舎育ちで触る機会がなくて。今度、初心者にオススメのやつ、マジで教えてくれよな!」
……え?
俺の言い訳を遮るように、浩一はニカッと親しみやすい笑みを浮かべた。
「……マジで引いてない?」
「引くわけねえだろ!むしろ男のロマンじゃん。頼むぜ、相棒」
どうやら、予想以上に器の大きい、理解のあるルームメイトを引けたらしい。
神の不手際の中で、これだけは唯一の救いだった。
「わかったよ。今度じっくり布教してやる」
「おう、期待してるわ! ……それよりさ、お前も学園前のあの商店街、見たろ?」
「あ、ああ。見た。鍛冶屋とかあったな」
「そう、それだよ。ぶっちゃけ『ダンジョンがある学園』なんて、パンフレットで見ても現実味がなかったけど……あの光景を見せられたら、嫌でも現実を突きつけられた気分だよな。これからマジで戦うんだなって」
「……浩一は、ダンジョンに潜るの、怖いか?」
「そりゃ、怖いよ。今までそんな非日常とか暴力とは無縁の一般人だったからな……。そういう意味じゃ、かなりビビってる。幹隆は平気そうだな」
「はは、まさか。俺だって内心はバクバクだよ。死にたくないのはお互い様さ」
――――
ひとまずの荷解きを終えた俺は、最初のオリエンテーションに出席するため、指定された教室へと向かった。
案内されたクラスは――「
よりにもよって、原作の主人公である『
これから始まる怒涛の原作シナリオを思い返しても、嫌な予感しかしてこない。
重い足取りのまま教室の扉を開けると、すでに数十人の生徒が集まっていた。
何人かが一瞬こちらに視線を向けたが、冴えない男だと分かると、興味を失ったようにすぐに目を逸らした。
掲示されている座席表を確認すると、俺の席は『廊下側の一番後ろ』。
典型的なモブ席だ。
好都合だ、ここに引きこもって極力目立たないようにしよう。
鞄を置き、机の上に用意されていた分厚い資料に目を通し始める。
―――ガラガラッ。
その時、前方の扉が勢いよく開いた。
さっきまでガヤガヤと騒がしかった教室の空気が、一瞬でピリリと静まり返る。
視線を向けると、そこには、独特の不遜なオーラを纏った原作主人公『
……出たよ。歩くトラブルメーカー。
原作知識があるからこそ断言できるが、あいつの周囲では常に人が死にかけ、凄惨なイベントが発生する。
絶対に関わらないようにしよう。
関われば最後、俺の貧弱なモブ生命なんて一瞬で消し飛ぶ。
この学園は一学年二十四クラス、生徒数は千人を超える大所帯だ。
その中でピンポイントで同じクラスにブチ込まれるなんて、俺の運が最悪なのか、あるいはあの女神が裏で糸を引いているとしか思えない。
「はあ……先が思いやられるな、クソが……」
思わず小さく毒づいた瞬間、教壇の扉が開き、このクラスの担任教師が姿を現した。
「皆さん、自分の席についてください。これより最初のオリエンテーションを始めます」
教卓の前に立ったのは、きっちりとした眼鏡をかけた知的な女性教師――『翠《みどり》先生』だった。
……うわ、生で見ると原作の立ち絵以上に若いな。
それに何より、タイトなスーツの上からでもはっきりと主張してくる、あの暴力的なまでのバストの膨らみ。スタイルが良すぎる。
(……いや、落ち着け、落ち着け俺。邪念を捨てろ)
いきなり過酷な世界に転生させられたストレスで、俺の脳が少々エロに対して過敏になっているのかもしれない。
軽く頭を振って雑念を払い、意識を先生の言葉へと集中させる。
配られた資料を整理していくと、この学園のイカれたカリキュラムが徐々に浮き彫りになってきた。
授業は国数英のような一般科目の他に、ダンジョンを生き抜くための実践的な専門科目が大きなウェイトを占めているらしい。
ちなみに翠先生の担当は『迷宮概論』。
また、学園内では日本円は使えず、『銭』という独自の仮想通貨が経済を回している。
先ほどの商店街の武器屋や、学園の購買部での取引もすべてこの『銭』で行われるようだ。
そして――この後に控えているダンジョン特別実習で、初のダンジョンダイブをすることになる。
……ここだ。ここが、俺がこの狂った学園で生き延びられるかどうかの、最大のターニングポイントになる。
頼みの綱は、あの女神から授けられたはずのチートスキルなのだが……。
そういえば、使い方の説明を一切聞いてないぞ。どうやって発動させるんだよ
机に突っ伏したまま、誰にも聞こえないような声で、藁にもすがる思いで呟いてみる。
「……“ステータス”、とか唱えれば、お約束通りに出てくれたりするのか?」
――その、刹那。
俺の網膜に直接、鮮やかな半透明の「青いシステムウィンドウ」がポップアップした。
「うおっ!?」
予期せぬ事態に、思わず素で大きな声が漏れてしまう。
静寂が支配していた教室の中で、数十人のクラスメイトと、教壇の翠先生の鋭い視線が一斉に俺へと突き刺さった。
「どうかしましたか?」
翠先生が、眼鏡の奥の瞳を険しくさせて静かに問いかけてくる。
「い、いえ!……なんでもないです、ちょっと大きめのくしゃみが出てしまいました!すみません!」
「そうですか。体調管理には気をつけなさい」
呆れたように納得した先生は、そのまま何事もなかったかのように説明を再開した。
……危ねえ、初日から不審者として目をつけられるところだった。
冷や汗を拭いながら、ちらりと周囲の様子を盗み見る。
だが、隣の席の生徒も、前方の叶馬たちも、俺の目の前で煌々と輝いている青い光の画面を完全にスルーしていた。
(なるほど……やっぱりこれ、俺以外の人間には見えない仕様か)
安堵しつつ、俺はステータス画面へと視線を走らせた。
=====≪STATUS≫=====
名:影山幹隆
レベル:1
職業:ノービス
スキル:ヒロイン召喚 レベル1
ステータス レベル1
異空間生成 レベル1
称号:【異世界転生者】【エロゲー博士】【元社畜】
=================
……おい。スキルはともかく、称号の欄について突っ込みたいことが山ほどあるぞ。
あのクソ女神、俺の前世の経歴をそのまま不名誉なデバフみたいに刻みやがって。
職業の『ノービス』に関しては、まだダンジョンに一度も潜っていない新入生は、全員これのはずだから問題ない。
気になるのは、その下にあるスキルの詳細だ。
画面をタップするように意識を集中すると、詳細なテキストが展開された。
・ヒロイン召喚――
スキル名を唱えることで発動。
スキルレベルに応じて、召喚・契約できる『ヒロイン』の最大数が増加する。
(Lv1時点では最大1人)
異なる世界の因果から、持ち主と魂の波長が合うヒロインをこちらの世界へと具現化・転移させる。
・ステータス――
自身の能力、およびパーティーメンバーの詳細なステータスログを管理する。
・異空間生成――
スキル名を唱えることで発動可能。
異空間生成が可能。
レベル1の内部規模は「十畳」程度の広さ。
(……いや、待て。肝心の『戦闘用スキル』が一つも無いんだが!?)
心の中で大絶叫する。
これ、平和な世界だったらただの『ハーレム構築用神スキル』として大歓喜していただろう。
だが、ここはモンスターとリアルに血肉を削り合うハクスラ・バイオレンスの世界だぞ?
戦闘スキルのないノービスの男が、可愛い女の子を一人呼び出したところで一体どうしろというのだ。
ただでさえ女子の生存権が脅かされているディストピアだ。
もし戦闘力のない一般人の女の子を召喚してしまったら、守るどころか、俺もろともカーストの底に叩き落とされて無残に玩具にされる未来しか見えない。
現状で、唯一使えそうなのは、『異空間生成』による緊急避難と安全な休憩場所の確保くらいか。
……どのみち、この教室の席で悶々としていても始まらない。
あとで誰もいない場所で実際に試してみるしかないな。
『閉じろ』と脳内で強く念じると、青いウィンドウは煙のようにスッと視界から消え去った。
――――
オリエンテーションを終え、足早に寄宿舎の自室へと戻った俺は、ルームメイトの浩一がまだ戻っていないことを確認し、さっそくスキルの検証を始めることにした。
「浩一はまだ部屋に戻ってきてないのか、好都合だ。まずは一番安全そうなやつから試すか」
さすがに、何が出てくるか分からない『ヒロイン召喚』をぶっつけ本番でやる勇気はない。
ここはまず、実害のなさそうな『異空間生成』からテストする。
俺は部屋の中央に立ち、ステータスに記載されていた通りに、はっきりとそのスキル名を口にした。
「――”異空間生成”」
唱えた瞬間、何もない虚空の空気がぐにゃりと歪み、人が一人通れるほどの、不気味に蠢く黒い影のゲートが出現した。
「うわ、マジで出た……。スキルの説明だと、この向こうに十畳ほどの空間が広がっているはずだけど……」
恐る恐る、まずは右手の指先をその黒い歪みへと突っ込んでみる。
感覚はある。特に痛みに類するものや、肉体が消滅するような異常はない。
意を決して、俺はその歪みの向こう側へと、大きく一歩を踏み出した。
――視界が切り替わる。
そこに広がっていたのは、驚くほど静謐な、真新しい畳が敷き詰められた簡素な和室だった。
壁は汚れ一つない白壁。
天井にはぽつんと照明が一つ灯っているだけで、家具の類は一切存在しない。
「……めちゃくちゃ殺風景だけど、本当に独立した部屋が存在してるな。……ん?」
ふと、左手首に身につけていた腕時計に目を落とした俺は、奇妙な違和感に気づいた。
秒針が、ピタリと止まっている。
さっきまで規則正しく時を刻んでいたはずなのに、完全に動きを停止していた。
「おかしいな。電池が切れたか?それとも故障……?」
首を傾げつつ、目の前に維持されている黒い影のゲートを再び潜り、元の寮の自室へと戻ってみる。
すると、部屋に戻った瞬間に、止まっていたはずの時計の秒針が、何事もなかったかのようにチクタクと再び動き出したのだ。
「……なるほど。そういうことか!」
確信した。この異空間の内部では、現実世界の『時間』が完全に停止するのだ。
これ、ハクスラの世界においては、説明以上のとんでもないぶっ壊れスキルじゃないか。
どれだけダンジョンの中で疲弊しても、この空間に逃げ込めば、外の時間を一瞬も進めることなく、安全圏で休息と体力の回復を図ることができる。
下手への使い方次第では、時間を完全に味方に変えられる。
予想以上の高性能さに笑みが溢れる。
もう少し検証する必要はあると思うが、大体わかったので次のスキルの検証もしてみるか。
俺は再び異空間の畳の上に立ち、ゴクリと唾を飲み込んで、覚悟を決めてスキル名を叫んだ。
「――『ヒロイン召喚』!!」
刹那、十畳の和室全体が、爆発的な眩いサクラ色の光によって埋め尽くされた。
あまりの光度に、思わず両腕で顔を覆って目を閉じる。
光の残光の中、何らかの超高密度な魔力粒子が収束していく気配がした。
次の瞬間――
「――マスターーーーーッ!!!」
「ぶふぉっ!?!?」
凄まじい質量と勢いの突進が、俺の胸にクリーンヒットした。
ドサァァン!!という派手な音と共に畳の上に押し倒され、あまりの衝撃に肺の空気が強制的に吐き出される。
痛みに悶えながら目を開けると、俺の真上で、これ以上ないほど満面の笑みを浮かべた、鮮やかな桜色の髪の美少女が俺を組み敷いていた。
「会いたかったんだよ、マスター!大丈夫?」
至近距離、というより完全に密着している。
彼女の衣服越しから、圧倒的に柔らかく瑞々しい女の子特有の感触が、俺の胸元に思いきり押し当てられていた。
信じられないほどいい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いや、近い近い近い!っていうか、いきなり何なんだお前は!?どいてくれ!」
あまりの破壊力に理性が消し飛ぶのを必死に堪え、慌てて身を引いて起き上がる。床に座り直した少女は、きょとんとした愛らしい顔で首を傾げた。
「私はマスターとの召喚で”
にこっと、邪気のない無邪気な笑顔を咲かせる少女。
……いや、ちょっと待て。
その容姿、そして何よりその『
俺の記憶が正しければ、見覚えがあるなんてレベルじゃない。
「お前……もしかして、あの『サクラ』なのか……!?」
「おおおっ!凄いんだよマスター!私の名前、最初から知っててくれたんだね!」
彼女はぱあっと表情を輝かせ、嬉しさのあまり再びぐいぐいと距離を詰めてくる。
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ!一旦ストップ!」
……間違いない。
こいつは、前世で俺がプレイしたゲーム――『fortissimoEXS』 のメインヒロイン「サクラ」だ。
(異なる世界から呼ぶって……そういうことかよ!架空のゲームの世界から、本物のキャラクターを現界させる能力なのか、これ……!?)
あまりの衝撃に脳の処理が追いつかない。
だが、状況を整理するためにも、最低限の確認は必須だ。
「サクラ。一つ聞きたいんだけど、お前は、自分が元いた世界のこととか……どうやってここに来たか、覚えてるか?」
「うーん……ちょっと難しい質問なんだよ」
人差し指を顎に当てて少し考え込んでから、サクラは真っ直ぐな瞳で答えた。
「詳しいことはよく分かんない。でも、気づいたら暗闇の中でマスターの声が聞こえて、呼ばれたから、ここに来た。覚えているのは、それだけなんだよ」
「そ、そうか……。じゃあさっき言ってた、その『マホウ』については?」
疑問に思っていたことについて尋ねる。
「『戦略破壊魔術兵器《マホウ》』っていうのはね、不思議な魔法の鉱石と、適合者の魂が同化して生まれる超強力な力のことだよ。同化した宝石のロジックを、
「でも、俺はそんな魔法の鉱石なんて持ってないぞ?」
「ううん、もうバッチリ繋がってるんだよ」
サクラは一歩踏み込み、俺の胸元に、彼女の温かい小さな手をそっと当てた。
「召喚の門をくぐった瞬間に、私のコアとマスターの魂が“接続”されたの。今ならハッキリ分かるよ。マスターの魔力、すっごく強くて濃厚なんだよ!伝説級の魔力なんだよ!」
「……マジで言ってる?」
「うん!だから私は、マスターの心と魔力を原動力にして動く兵器なんだよ。……あ、でもね?」
そこまで一気にまくし立てたサクラは、急に頬を赤らめ、もじもじと衣服の裾をいじり始めた。
「……いくら人型兵器って言っても、私の中身は、普通の、恋するお年頃の女の子なんだよ?だから……その、あまり物騒な道具みたいに扱わないで、ちゃんと普通の女の子として優しく扱って欲しいかも……なんて、思うんだよ」
「……マジかよ」
あまりの糖度の高さと過剰な情報量に、頭が完全にパンクしかけていた。
ここはWeb小説『ハイスクールハックアンドスラッシュ』の世界だ。
なのに、別作品のヒロインが出てくるとか――
待てよ。サクラのいた『fortissimo』の世界観といえば、魔術兵器(マホウ)を持つ者同士が、それぞれの願いを賭けて殺し合いを繰り広げる、能力者バトルロワイアルだったはずだ。
「サクラ、一つだけ、今現在の感覚でいいから教えてくれ」
「なぁに、マスター?」
「この学園の敷地内、あるいは外の世界に……俺と同じ『マホウ』の気配を持った奴って、他にもいたりすると思うか?」
サクラは首を少し傾げ、自らの感覚を研ぎ澄ますように目を閉じた。
「……うーん、ここからは外の気配が遮断されてるから、よく分からないんだよ。でも、もしこの先どんなに恐ろしい敵やバケモノが現れたとしても――幹隆のことは、私がこの命に代えても絶対に守ってみせるんだよ!」
「……!あ、ありがとう。頼りにしてるよ」
「うん!……あ、それじゃあ今度は、マスターのことや、ここがどこなのかも教えて欲しいんだよ!」
サクラは弾むような足取りで距離を詰め、じっと期待を込めた瞳で俺を見つめてくる。
「……逆に聞くけど、俺のことをどこまで知ってるんだ?さっき当然のように俺の本当の名前を呼んだよな。まだ自己紹介もしてないのに」
「ええっとね……」
楽しそうに視線を上に向けてから、サクラは笑った。
「名前が分かるのは、魂が“同化”してるからなんだよ。マスターと私は、もう繋がってるから筒抜けなんだよ!それと……マスターがこの世界とは違う、別の場所から来た『転生者』だってことも、魂の波長でなんとなく分かっちゃうんだよ」
「……なるほどな。完全に記憶が共有されているわけじゃないけど、名前や転生者なのは伝わってるって感じか」
俺は改めて、自分が女神から貰ったチートスキルの仕様。
これから通うことになる『豊葦原学園』の歪んだ仕組み。
そして――この学園の地下に広がる、命がけの『ダンジョン』の存在について、噛み砕いて丁寧に説明した。
「――というわけだ。で、明日、初めてのダンジョン実習がある」
「うん」
サクラは、一切の迷いなく力強く頷いた。
「だったら、私も明日から一緒にダンジョンに行くんだよ!」
「……おい、ダンジョンは本物の化け物が出る危険な場所なんだぞ?下手すれば本当に死ぬかもしれないんだ」
凄んでみせたが、サクラの意志は1ミリも揺らがなかった。
彼女は一歩も引かずに、俺の手をぎゅっと握り返してくる。
「私とマスターは一心同体……ううん、二心同体なんだよ!マスターの戦いは私の戦い。だから、死ぬ時も生きる時も、ダンジョンに潜る時だって、ずーっと一緒なんだよ!」
「……分かった。そこまで言ってくれるなら、実習の時はお前の力を借りるよ。よろしくな、サクラ」
「任せてほしいんだよ!マスターの敵は、ぜーんぶ私がドーンって消し飛ばしてあげるんだよ!」
ぱっと満開の桜のような笑顔が咲く。
……なんて健気で、頼もしいんだ。
命がけのダンジョンダイブの絶望が、一気に吹き飛んでいく。
「ただ――直近で、一つだけ重大な問題がある」
「なぁに?」
「今のサクラの存在、学園にバレたら確実に面倒なことになる。だから、実習が始まるまでは、申し訳ないけどこの異空間の中で待機していてほしいんだ」
「ええーーーっ……!」
案の定、サクラは露骨に頬を膨らませて不満の声を上げた。
「せっかくマスターに会えたのに、ここに引きこもりは退屈なんだよ! 外に出て探検したいし、一日に一回はちゃんとお日様の下でひなたぼっこもしたいんだよー!」
「気持ちは痛いほど分かる。でも、お前を守るためにも慎重にいきたいんだ。頼む、今は我慢してくれ」
「……むぅ、マスターのケチ。……分かったんだよ」
サクラはしばらく不満そうに口を尖らせていたが、俺の真剣な目を見て、最後は小さく頷いてくれた。
「ありがとな。明日からは、外に出る方法も含めて何とか上手く立ち回るから」
「……本当に? 約束なんだよ?」
「ああ、約束だ。嘘はつかない」
俺が優しく微笑むと、サクラは少し照れたように視線を外した。
「じゃあ、俺は一度寮の部屋に戻るよ。また明日、実習の直前に迎えに来るから」
「うん。……おやすみなさい、私のマスター」
その愛らしい声を背中で受け止めながら、俺は異空間のゲートを跨いで現実へと帰還した。
黒い歪みが閉じ、十畳の和室が完全に隠される。
寮に戻った後は、食堂に向かって適当な定食で晩飯を済ませた。
部屋に戻ると、帰着していた浩一と今日の学園の異常さや明日の実習への不安について男同士で軽く語り合い――
やがて、自分のベッドへと泥のように倒れ込んだ。
「……前世の人生も含めて、間違いなく一番濃い一日だったな」
明日は、人生初のダンジョンダイブ。
そして――ヒロイン、サクラを伴っての、初めての実戦だ。
「……どうなるんだよ、俺の異世界生活」
未知の戦いへの恐怖と、それを上回る奇妙な高揚感を胸に抱いたまま、俺の意識はゆっくりと深い眠りの中へと沈んでいった。