(さて、助けたはいいもののどうしようかな……)
俺は内心で小さく頭を抱えていた。
今、目の前には『
二人は壁際へ身を寄せるようにして立ち、戸惑いと怯えが入り混じった瞳でこちらを凝視していた。
無理もない。つい先ほどまで、彼女たちは複数の男子生徒に組み伏せられ、レイプされかけていたのだ。
そこへ突然現れた見知らぬ一年生が、一瞬にして男たちを断末魔の悲鳴と共に気絶させた。
事情を知らない彼女たちからすれば、俺という存在自体が「別の恐怖の対象」に見えてもおかしくはない。
「……もう大丈夫ですよ。怪我はありませんか?」
できるだけ刺激しないよう、声音を落として穏やかに声をかける。
すると、
「あ……え、っと……あの……」
ショックが大きすぎるのか、言葉がうまく紡げないらしい。
その隣で、
警戒、困惑、そして最悪の事態を免れたことへの僅かな安堵。
感情のキャパシティが完全にオーバーしているのが見て取れた。
(まあ、困惑するよな……)
『
特徴としては、全員が女子生徒であり、そして、ついている
基本職の一つである『
もっとも、上位の倶楽部になるほどその真価やインフラとしての価値を理解することになるのだが……
現在の彼女たちは、戦闘力が皆無の女所帯という点も含めて、学園最底辺の弱小倶楽部の一つに甘んじていた。
少しばかり発音がたどたどしい
「助けて……くれた、ですか……?」
不安と、それ以上に「なぜそんなことをするのか分からない」と言いたげな、困惑に満ちた声だった。
「はい。同意の上での行為には見えませんでしたから」
俺はあくまで、下心など微塵もない「正義感に溢れる善人」を装って微笑んだ。
……まあ、100%の善意ではなく、打算が含まれているのは事実だが。
「……なんで?」
その目には警戒と同時に、理解できないものを見るような色を帯びている。
「困っている人を助けるのに、大層な理由が必要なんですか?」
(本当は『あなたたちが原作で重要なキャラだと知っているから助けた。そこらのモブ女子だったら見捨ててた』なんて、口が裂けても言えねえけどな……)
だが、そんな本音を口にするほど愚かじゃない。
少し
彼女たちの足元には、襲撃の拍子にぶちまけられたであろう素材や工具が転がっていた。
俺はその場にしゃがみ込み、一つずつ丁寧に拾い集め始める。
「これ、どこかへ運ぶ途中だったんですよね? よければ俺が持ちますよ」
「あ、あの……お名前、は……」
「すみません、自己紹介が遅れました。俺は1年『丙』クラスの
「
「……
よし、まずはネームドキャラ2人の名前と顔を一致させた。
俺は二人が抱えていた重そうな荷物を一つの木箱へまとめ、何食わぬ顔で軽々と持ち上げる。
「さっきの連中が目を覚まして、また絡んでくるかもしれません。目的地まで付き添いますよ」
本来の豊葦原学園のルールに照らし合わせれば、俺のこの行動は「あり得ない悪手」だ。
その自覚はある。
だが、今の俺が演じているのは、“まだこの学園の異常性に染まりきっていない、無知で正義感の強い新入生”である。
なぜ、この狂った学園では「襲われている女子生徒を助けてはいけない」のか。
その理由は、学園が公認している異常な制度————『パートナー制度』にある。
特定の男女がパートナー契約を結ぶと、その女子に対して他の男子が手を出すことは原則として禁止される。
言ってしまえば、「学園公認カップル」であり、書類上は「男女交際証明」などという綺麗な名目で誤魔化されているが、その実態は完全な奴隷契約だ。
男たちは暴力や脅迫で女を従わせ、無理やりパートナーバッジを付けさせる。
そこに愛情など存在しない。
ただ「この女は自分の所有物だ」と周囲に誇示したいだけの連中が大多数だ。
(前世がただの一般人だった俺からすれば、吐き気がするほど胸糞悪い制度だよ)
ごく一部は本当に付き合っている男女もいるとは思うが……
この学園では、女は男の所有物として扱われることの方が、多いのが実情だ。
よく見れば、
つまりこの学園のルール上では、もし先ほど気絶させた男たちが彼女たちの正式な「パートナー」だった場合、横槍を入れて暴力を振るった俺の方が悪人になる。
手を出した代償として、激しい報復を受けるか、あるいはルール付き決闘である『
(まあ、その制度すら無視して、他人のパートナーを力づくで寝取るレイプ魔もこの学園には、ゴロゴロいるわけだが……)
もっとも、二人の反応を見る限り、あの男たちは正規のパートナー(飼い主)ではないのだろう。
もし正式なパートナーなら、ここまで怯えた顔はしないだろう。
少なくとも、助けられた瞬間、安堵の表情を浮かべるはずがないからだ。
「……ありがとうございます」
「た、助かり、ます……」
発音は少したどたどしいが、必死な感謝は十分に伝わってきた。
俺は箱を抱え直しながら、地面で白目を剥いている男たちを一瞥する。起きる気配は微塵もない。
マリィの権能による「斬首の感覚」を疑似体験させられたんだ。
精神へのダメージは計り知れない。しばらくは動けないだろう。
「こっち、です……」
倶楽部棟へと進む間も、二人はビクビクと周囲を警戒し、何度も後ろを振り返っている。
肩を震わせる芽龍先輩。何度も後ろを振り返る鬼灯先輩。
相当に精神的に追い詰められていたのだろう。
――――
二人の後に続いて倶楽部棟の奥へと足を踏み入れる。
放課後ということもあり、様々な派手な倶楽部の勧誘ポスターや看板が並び、賑わいを見せていた。
「……ここ、です」
立札には『
ただ、そこは“普通のプレハブ”という言葉からは大きくかけ離れていた。
外観こそ簡易建築だが、そこかしこに素人目にも分かる凄まじい「魔改造」の痕跡があるのだ。
入り口の扉は取っ払われ、代わりに頑丈な木製カウンターが設置されている。
壁際には独自の補強が施された武器や工具の陳列棚。
天井からは無骨な魔導ランタンが吊り下げられ、工房特有の、熱を帯びた鉄と油の匂いが濃密に漂っていた。
のぼり旗は、『武器のメンテナンス請負升』『武器作成OK材料持込み歓迎』『部員募集中』といった文字が、職人気質な力強い筆跡でプリントされている。
「あ~おかえり」
カウンター席に肘をついていた一人の女性が、気怠げな声を上げて俺たちを出迎えた。
長い髪を無造作に垂らし、欠伸混じりにひらひらと手を振る。
一見するとやる気ゼロの塊のようだ。
だが、その前髪の隙間から覗く視線だけは、妙に鋭かった。
どうやら、俺は目的地であるFランク俱楽部である『
この学園における倶楽部のランクは、年三回行われる『倶楽部対抗戦』の結果でにランク付けされる。
高ランクほど学園から与えられる予算や特権は凄まじい。
倶楽部設立には最低十名の部員が必要で、ほとんどの生徒はどこか一つの倶楽部にしており、兼任は不可。
ランクの最高峰『Sランク』はわずか4枠、『Aランク』は12枠、『Bランク』は48枠。
それ以下は無制限だ。Cランク以上になってようやくまともな部室が支給される。
現在Fランクの『匠工房』がこのプレハブを確保できているのは、本当にただの幸運に過ぎない。
俺がわざわざこの弱小倶楽部に目をつけたのには、明確な理由が3つ存在する。
まず、前提として――この『
正確には、とある倶楽部に吸収・合流することになるのだ。
その倶楽部の名は、原作主人公・叶馬が立ち上げる『
今この倶楽部に所属している底辺職の女子十二名は、原作本編で後に、全員が叶馬のハーレムの一員となるわけだ。
もっとも、俺自身が彼女たちをどうこうするつもりはない。
原作知識があるからこそ知っているが、彼女たちの互いの絆は、異常に強い。
百合寄りというか、もはや血の繋がらない家族の領域だ。
そこに俺のような転生者が不自然に割り込むのは無粋だし、下手に関係性を崩せば、原作の流れまで狂いかねない。
——では、なぜ会いに来たのか?
それが理由の1つ目――「未来の『
ここで大きな貸しを作っておけば、将来彼女たちが台頭した際、少なくとも俺と敵対する選択肢は消える。
できれば、対等な協力関係に持ち込みたい。先ほど二人を暴漢から助け出せたのは、いい意味での誤算だった。
本来なら、もう少し後から訪れる予定だった。
だが、今日の授業で、叶馬が俺に向けて放った「目線」がどうしても引っかかったため、予定を大幅に前倒しした。
あの時の叶馬の目は、完全に「歯ごたえがありそうな獲物」を見つけた捕食者の眼だった。
おそらく、彼が持つチートスキルの一つである『
あいつへの対策としても、早急に手数を増やしておく必要があった。
そして理由の2つ目は、「武器・防具の製造依頼」だ。
現在の彼女たちはただの底辺クラフター集団だが、未来の彼女たちは世界最高峰の武具を生み出す“神職人集団”へと変貌を遂げる。
今のうちにコネクションを作っておく価値は計り知れない。
現状、俺やサクラは素のスペックだけで無双できているが、今後召喚されるであろう他のヒロインたちが全員武器なしで戦えるとは限らない。
実際、サクラが以前武器屋で刀を見た時、「マスター!私もサムライになりたいんだよ!」と目を輝かせていた。
彼女のためにも刀は、いくつか特注しておきたい。
最後、3つ目の理由は、「未鑑定アイテムの処理」だ。
現在、俺たちのパーティーは、ダンジョンで拾った
だが、ダンジョンには魔石以外にも多種多様なレアアイテムがドロップする。
それらは価値も使い道も分からず、すべて俺の異空間倉庫に眠っていた。
ゴブリンロードが落とした大剣、エントの光る枝、マタンゴの怪しいキノコ、禍々しい瘴気を放つ血塗られた魔導書……。
さらには、超激レアアイテムであろう「モンスターカード」も数枚あった。
これら未鑑定の山が倉庫を圧迫し、半分ゴミ屋敷化しつつある現状をそろそろ整理したかったのだ。
そんなことを考えながら、俺は改めて工房の中へ視線を向けた。
「ふ~ん。君が二人を助けてくれたんだ。……へぇ、なんで?」
先輩二人から説明を受け終えた女性が、カウンターに肘をつき、怪訝そうな目でじっとこちらを値踏みしてきた。
眠たげな態度、気だるげな口調。だが、その双眸だけは一切笑っていない。
「お二人が酷い目に遭いそうだったのを見かけたので。ただ、それだけです」
できるだけ自然に、余計な情報は出さず、かといって不自然に濁しもせず答える。
「でも君、まだ入学したばかりの一年生だよね?」
女性は頬杖をついたまま、ねっとりとした視線で追及を続ける。
「この時期の一年が、上級生の男子を無傷でどうにかするなんて、普通はあり得ないんだけど」
「どう、と言われましても……」
俺は困ったように軽く肩を竦めてみせた。
「ちょっとした護身術ですよ。首の付け根の急所を的確に叩いたら、あっけなく気絶してくれただけです」
「でも、それって――」
「……
不躾な尋問を遮ったのは、他ならぬ鬼灯先輩だった。
彼女は俺を庇うように一歩前へ出ると、きっぱりと言い放つ。
「彼は、悪い人じゃないと思う。私たちを、本当に助けてくれたの」
静かだが、強い意志の籠もった声。
『
「……へぇ」
(助かった……! 鬼灯先輩が味方してくれなきゃ、凛子先輩の尋問でボロが出るところだった。マジで焦ったわ……)
内心で冷や汗を拭う。
この凛子先輩こそ、この『
彼女の質問は一見ゆるそうに見えて、恐ろしいほど核心を突いてくる。
こちらの反応を物凄く観察している。少しでも答えを間違えれば、一気に怪しまれるだろう。
それほど彼女の警戒心は大きい。
「まあ、いいよ」
凛子先輩はふっと息を吐き、椅子にもたれかかった。
「君が何者なのかは怪しいけど、二人の恩人であることは事実だしね。……ありがと。そこだけは感謝するわ」
その言葉だけには、明確な本音が混じっていた。張り詰めていた工房の空気が、わずかに緩む。
そして、俺は一歩踏み出し、本題を切り出した。
「――それで、少しお仕事の話をしたいのですが」
俺は工房内を見回しながら言う。
「ここって、武器や防具の作成を請け負うお店ですよね? アイテムの『鑑定』もやっていますか?」
「うん、やってるよ~。一応それがうちのメイン商売だしね」
気の抜けた返事。だがその瞬間、凛子先輩の目の色が変わった。
完全に「商売人」の顔だ。
「では、少し見ていただきたい物がありまして」
俺は背負っていたリュックを下ろし、カウンターの上へ、あらかじめ異空間から移しておいた「ある物」を並べた。
――この時期の一年生が所持しているはずのない、モンスター素材を
それらが机の上にドサリと並べられた瞬間、工房内の空気が凍りついた。
「……は?ちょっと、何これ……」
『
素材の隠された性質を見抜く能力を持つ彼女の目が、限界まで見開かれた。
先ほどまでの気怠げな雰囲気は、消えていた。
彼女は机へ身を乗り出し、震える手で素材を次々と手に取った。
同じく『
「やっぱり君……ただの一年生じゃないね」
凛子先輩が、地を這うような低い声音で呟く。
「そうなんでしょうか? ダンジョンに潜っていれば、これくらい普通に手に入るのでは?」
「ハハッ、普通なわけないでしょ」
乾いた笑いが返ってくる。
「これが普通? 寝言言わないで。これ、『既知外』階層の素材よ? 君、まさか一人でこれ集めたの?」
「まあ、はい。……そうですね」
嘘ではない。サクラやマリィの存在は隠している以上、俺一人で狩った設定にするしかない。
すると凛子先輩は、じっと俺の瞳の奥を見つめたまま小さく笑った。
だがその笑みには、警戒が混じっている。
「やっぱり普通じゃない。……何が目的なの? あの二人を助けたのも、最初からこの素材を持ち込んで私たちに近づくための『お芝居』だったんじゃないの?」
鋭く細められた視線。工房内の温度が急激に下がったような錯覚すら覚える。
(……チッ、やっぱりそう来るか。警戒心強すぎだろ)
まあ当然だ。原作での彼女は、仲間の居場所守るためだったら犠牲を厭わない人だ。
この狂った学園で、よっぽど酷い裏切りに遭ってきたのだろう。
下手に「善意のボランティアです」と押し通す方がよっぽど怪しい。
「……わかりました。なら、俺の『本当の目的』を少しだけお話しします」
俺は小さく息を吐き、真剣な表情を作った。
本来ならここで原作の流れを話すのは、少し悪手なんだが仕方ない。
凛子先輩は黙ったままこちらを見つめる。
「まず前提として、俺はあなたたち『
「……やっぱり、最初から私たちの倶楽部を狙ってここに来たんだ」
「ええ。否定はしません。下手に誤魔化す方がお互いのためになりませんから。……そして、あなたたちの倶楽部は、そう遠くない未来、とある新設倶楽部へと合併することになります」
「……は?……合併?私たちが?」
凛子先輩の眉が跳ね上がる。芽龍先輩と鬼灯先輩も息を呑んだ。
当然だ。自分たちの未来を勝手に予言されているのだから。
「その倶楽部は、最終的にこの学園でもAランク相当の力を持つ実力派集団になります」
未来の未確定情報も話していく。
「なので、俺の目的は単純です」
俺は机に並んだ素材へ視線を落とす。
「将来的に学園トップクラスの職人集団になるあなたたちと、今のうちに繋がりを作っておきたい。言わば先行投資です」
「…………」
凛子先輩は無言のまま、激しく動揺した目で俺を凝視している。
「あと、さっき二人を助けた件ですが」
軽く肩を竦める。
「元々ここへ来る予定だったので、その途中で見かけただけです。……だから助けたのも、ついでと言えばついでですね。まあそのせいで疑われてしまったわけなんですけどね」
本音と嘘を絶妙に混ぜ合わせる。
多少の打算を見せた方が、この学園の人間にとってはよほどリアルで信用できるだろう。
俺の話を聞き終えた三人は、あり得ないという表情をしていた。
まるで未来予知の神託でも聞かされたかのような反応だ。
……まあ、実際は既知の原作知識なのだが。
「……待って、頭が追いつかないわ」
凛子先輩が額へ手を当てる。
「いきなりそんな大それた未来の話をされても、信じられるわけない。そもそも、なんで君にそんな先のことが分かるのよ? 何者なの?」
困惑と恐怖の入り混じった声。当然の反応だ。
彼女たちはまだ、絶望的な状況をすべて力づくで覆す規格外の怪物であり、のちの英雄――『
常識を塗り替える救世主など、この時点の彼女たちの世界には存在しないのだ。
だからこそ、未来を見透かすような俺の言葉が不気味で仕方がないのだろう。
「今は信じてもらえなくて構いません。どうして分かるのかと言われれば……俺が、そういう
転生者だとか原作知識だとか、本当のことを言ったところで狂人扱いされるのがオチだ。
適当な嘘の役職のせいにしておくのが一番いいだろう。
「それで、俺が今後お願いしたいのは、定期的なアイテムの鑑定と、武器・防具のオーダーメイド製作です。素材と資金はこちらがすべて用意します」
「……そんな、私たちにとって都合が良すぎる話、裏があるに決まってる」
凛子先輩がなおも食い下がる。
見返りのない親切ほど怖いものはない、それがこの学園の鉄則だからだ。
「そうですね。なら、これは俺からの『信用料』です」
俺はリュックの奥から、さらに異空間倉庫に眠っていた「未鑑定アイテム」を次々とカウンターへ追加で並べていった。
「先に置いたモンスターの素材は、すべてそちらに無料で差し上げます。匠工房の活動資金にするなり、鍛冶の熟練度上げの素材にするなり、好きに使ってください。その代わり――今から俺が出すアイテムの『鑑定』だけ、今すぐここでお願いできますか?」
アイテムを指さしながら依頼する。
「……正気? これだけの額の素材を、ただの鑑定代として置いていくっていうの?」
「ええ。これで俺が嘘つきか、本物のビジネスパートナーか、判断してください」
凛子先輩はしばらく俺を凝視していたが、やがて深くため息をつくと、観念したように肩を竦めた。
「……はぁ、わかったわよ。乗ってあげるわ、その提案」
そうして彼女は、自身の
倶楽部棟の地下には、スキル使用のための「ダンジョンの瘴気」を活性化させる機械があるらしい。
凛子先輩の指先に淡い魔力の光が宿る。彼女はその指で、俺が差し出した未鑑定アイテムに一つずつ触れ、その名称や効果を読み取っていった。
流石は未来の『神匠騎士団』の主要メンバーだ。
現在はまだ駆け出しの低レベルとはいえ、その手際の良さと見極めの速さには、すでに一流の片鱗が狂いなく現れていた。
「――っ、ちょっと……これだけは、無理ね」
テキパキと鑑定を進めていた凛子先輩の手が、ある一つのアイテムに触れた瞬間、ピタリと止まった。
それは、俺が倉庫の奥から引っ張り出してきた、一冊の古びた「本」だった。
表紙の文字は擦り切れて判別不能。装丁の革は黒く変色し、まるで乾いた血のような黒ずんだ染みが無数に浮かび上がっている。
ページの端々には、赤黒い未知の言語がびっしりと書き込まれており、見つめているだけで精神が汚染されそうな、形容しがたい不快感を放つ魔導書だ。
「アイテム名まではわかるの。この本の名前は『境界の記』。……でも、その先にある効果や詳細が、私のスキルじゃモザイクがかかったみたいに全然読めない……。こんなこと、初めてよ」
凛子先輩が、冷や汗を流しながら険しい顔で呟いた。
その瞬間、プレハブ内の空気が急激に冷え込んだような錯覚を覚える。
(……やっぱり、ただのレアドロップじゃないな)
おそらく高位の神格系アイテムで、今の彼女レベルでは、解析できないのだろう。
だが、本の名前が判明しただけでも大収穫だ。
「いえ、十分です。名前が分かっただけでも助かりました。ありがとうございます」
「……本当に、変な一年生ね」
凛子先輩が呆れたように息を吐く。
俺は苦笑しながら、鑑定の終わったアイテムをリュックにまとめ、その場を後にしようと背を向けた。
「では、今日のところはこれで失礼します。また素材が溜まったら来ますね」
「……あ、あの! ま、待つ、です……っ!」
後ろから、呼び止めるような、おずおずとした声が響いた。
振り返ると、そこには『
「これ……今日、助けてくれた、お礼、です。凛子ちゃんには、内緒で、作ったやつ、です」
差し出されたのは、綺麗にラッピングされた手作りのクッキーだった。
包みからは、バターのほんのりとした甘い芳醇な香りが漂ってくる。
「ありがとうございます。遠慮なくいただきますね」
俺が笑顔で受け取ると、芽龍先輩はびくっと肩を震わせ、それから真っ赤になった顔を隠すように斜め下へと視線を逸らした。
普段から男子生徒に酷い扱いばかり受けてきたせいで、まともな男性と話し慣れていないのだろう。態度も声もどこかぎこちない。
だが、その潤んだ瞳の奥には、恐怖ではない、確かな「純粋な感謝」の色が灯っていた。
「じゃあ、また」
俺はクッキーの包みをポケットに収め、今度こそ『匠工房』のプレハブを後にした。
原作へのコネクションと、甘い戦利品を手に、俺は次なる一手を打つべく、夕暮れの学園へと歩みを進めた。
――――