目が覚めると、すぐ隣からはサクラの規則正しい、すやすやとした寝息が聞こえていた。
先ほどまでの、肌を焦がすような性愛の残滓は、まるで嘘みたいに引いている。
「……落ち着いた、か」
小さく呟きながら体を起こす。
度重なる絶頂の果てに、心身の芯が心地よく弛緩しているものの、体の奥底にはまだ濃厚な余熱がジンと残っているような、不思議な感覚があった。
その余熱を振り払うように、俺は小さく息を吐き出し、虚空へ向けて呼びかける。
「――”ステータス”」
視界に、脳裏に焼き付いた青いシステム画面が、鮮やかに展開された。
=====≪STATUS≫=====
名:影山幹隆
レベル18
職業:ノービス *ランクアップ可能
スキル:ヒロイン召喚 レベル1
ステータス レベル2
異空間生成 レベル2
スキルポイント:15
パーティ:(リーダー)幹隆 レベル18、サクラ レベル18
=================
改めて現状の画面を確認し、脈動する『
次の瞬間、目の前に滑り出すように、して複数の職業一覧がズラリと展開された。
「うわ、めっちゃあるな……」
基本的なものから、思わず眉をひそめたくなるような怪しい職業まで、無数に表示されている。
『ハイスクールハックアンドスラッシュ』での職業選択は学園で生活していくための非常に重要なものとなる。
全生徒が初期状態で就いているのは『ノービス』。
そこからレベルアップを繰り返すと、基本の第一段階の『
一度転職するとレベルは1に下がってしまうが、ステータスの補正値や固有スキルの強力さはノービスの比ではない。
しかし、職業の中には当然、引いた瞬間に人生が詰む「ハズレ枠」も存在する。
例えば、俺たちの担任である『丙』クラスの翠先生が就いている、SSR職でありながら最悪の呪いでもある『
男性から定期的に精液を受け続けなければ急速に衰弱するという、体質になる職業だ。
しかも、そうした特殊な職業に一度でも就いてしまうと、二度と他の職業へ転職できなくなるケースがほとんどだった。
そんな危険性に背筋を冷やしながら、俺は自分の画面に並ぶ職業を一つずつ精査していく。
『
だが――その中で、俺の視線をどうしようもなく釘付けにする職業が、一つだけあった。
――『
間違いなく、サクラをこの世界に呼び出し、彼女と深く魂を交わしたことで発現した、俺だけの
迷う理由はなかった。指先で、その項目を強くタップする。
その瞬間、自分の指先にわずかな違和感が走った。
意識を内側に向けると――下腹部、そして胸の奥底から、熱く濃密な「何か」が血管を巡るように全身へと流れ出す感覚が押し寄せてきた。
(これが……魔力、か?)
さっきまでは、どれだけ意識しても存在すら感じられなかった力だ。
世界の色が一段、鮮明になったかのような全能感が、肌を
視線をステータス欄に戻すと、表記が完全に書き換わっていた。その詳細に目を通す。
・
『
自らの意思で、その強力な兵器を具現化・制御できる能力を持った者。
「なるほど、そういうことか……」
脳裏をよぎったのは、最初の戦闘の直後、サクラが前触れもなく倒れてしまったあの光景だ。
理由がようやく分かった。
あの時点の俺はまだただの『ノービス』で、彼女という魔術兵器を維持するための魔力供給ルートが、全く繋がっていなかったのだ。
さらに画面を注視して、俺は微かな違和感に気づく。
『
(通常なら1に戻るはずだ。……もしかして俺のレベルは、あの神様から貰った祝福のせいで、この世界のシステムとは根底から違うルールで動いているのか?)
計り知れないアドバンテージに胸を高鳴らせつつ、俺は次の項目へ視線を移す。
「よし、次は残ってるスキルポイントの割り振りだな……」
・ヒロイン召喚…………次のレベルまで残り10ポイント。
・ステータス…………次のレベルまで残り2ポイント。
・異空間生成…………次のレベルまで残り2ポイント。
今手持ちのポイントが15ポイントか。とりあえず順番に割り振ってみる。
・ヒロイン召喚 レベル2――
召喚で呼び出せる制限数が上昇。
レベル2の時点で2人まで。ヒロインの好感度が上昇しやすい。
ヒロイン召喚…………次のレベルまで残り20ポイント。
今はサクラ一人でも手一杯だな。今の時点で召喚は辞めておくか。
それにサクラみたいに戦える子以外が召喚される可能性もあるしな。
とりあえず、後回しだ。
・
職業スキルが使用可能となる。
ステータス…………次のレベルまで残り4ポイント。
「職業スキルってなんだ?」
疑問に首を傾げつつ、
・
対象を『戻す』力。
「24時間以内に出会った人物を呼び戻す」能力および「物質を24時間以内の状態に戻す」能力。
画面に表示されたその文字を見た瞬間、俺の思考が一瞬フリーズした。
間違いない、これは、『fortissimo EXS』の主人公”
まさか、そんなチート能力が俺の手元に転がり込んでくるなんて。
試しに先ほど戦闘で使った警棒に使用してみる。
「――”
すると、ゴブリンを殴って傷ついていた警棒が元に戻っていた。
これは、ダンジョン攻略する上ではかなりのアドバンテージだな。
これなら――武器が壊れる心配はない。何度でも戦える。
確かな手応えに口元を綻ばせながら、俺は続けて残りのポイントを『異空間生成』へと注ぎ込んだ。
・部屋拡張――
異空間が広がる。複数の部屋が追加される。
異空間生成…………次のレベルまで残り4ポイント。
――――ゴゴゴゴゴ
足元から、世界そのものが組み変わるような低い地鳴りが響き、異空間が大きく揺れた。
スキルが成長したおかげで部屋がだいぶ広がったようだ。
殺風景な畳部屋だった空間の壁に、突如として重厚な木造の扉が出現した。
警戒しながらその扉ノブを回して開くと、ひんやりとした清潔な空気が頬を撫でる。
そこには、ゆうに20畳はあろうかという、広大でモダンなフローリングの空間が広がっていた。
さらにその奥にはいくつもの扉が並んでおり、恐る恐る開けていくと、システムキッチン、 ユニットバス、水洗トイレ、広大な倉庫といった、およそ異界の中とは思えない完璧な居住環境が揃っていた。
試しにキッチンに向かい、以前解放した「家具追加」のスキルを意識してみる。
すると、壁面がわずかに生き物のように膨らみ、そこから最新式の冷蔵庫や電子レンジ、三口のガスコンロが“にょきにょき”と不気味な音を立てて生えてきた。
だが、そのオカルトな出現方法に反して、機能は極めて近代的でまともだった。
蛇口をひねれば透明なミネラルウォーターが勢いよく流れ、コンロのスイッチを押せば青い炎が綺麗に灯る。
ライフラインは完全に独立して機能しているようだ。
(……どういう原理だよ、これ)
「んん――マスター……?」
キッチンの家電をいじっていると、背後の扉から、少し眠たげに目をこするサクラの声が響いた。
「あ、サクラ。起こしたか? 体調は大丈夫なのか?」
「うん、すっかり平気なんだよ。それに……何て言えばいいのかな、前と比べて……すごく、はっきりわかるんだよ」
サクラは自身の豊かな胸元にそっと両手を当て、嬉しそうに目を細める。
「マスターの温かい魔力が、ドクドクって、ちゃんと私の中に流れてくるの。前は……繋がってはいたけど、少し、不安定で細かったから……」
そう言って、彼女は裸足のままフローリングを鳴らし、俺のすぐ目の前まで一歩近づいてきた。桜色の瞳が、じっと俺を見つめる。
「今は――すごく、安心するんだよ」
「そうか、原因は、これだな。
「
コテン、と小首を傾げるサクラ。
その無防備な仕草に、先ほどの情事の記憶が蘇りそうになり、慌てて意識を切り替える。
「ああ。ノービスから『
「それなら、もう私も『
「たしか、
「うん。さっき放った時は、鞘がうまく噛み合わなくて『
ポリポリと照れくさそうに頬を掻きながら笑うサクラを見て、俺は安堵の息を漏らす。
「とりあえず、体調に問題がないなら……ダンジョンの攻略を再開したいんだが、行けるか?」
「あったり前なんだよ! マスターのことは、今度こそ私が守るんだよ!」
フンス、と鼻を鳴らしながら、意気揚々とその豊かな胸を張るサクラにとても頼もしさを感じた。
「よし、それじゃあ行くか」
――――
黒い渦を潜り抜け、俺たちは再びダンジョン内へと足を踏み入れた。
足元の感触が一瞬で冷徹な石床へと切り替わり、先ほどまでの甘やかで清潔な異空間の気配は跡形もなく消え去る。
周囲を見渡すと――さっきサクラが消し飛ばしたゴブリンの残滓が、透明なクリスタルとなって床一面に散らばっていた。
淡く光を帯びた欠片は、戦いの余韻だけを静かに残していた。
やはり、俺の異空間内で過ごした時間は、外の世界では一切経過していない。
ダンジョンでもそのルールが適用されているらしく、周囲の空気も、松明の炎も、まるで一瞬たりとも変化していないかのように静止している。
だが、この暗がりの奥には、まだ見ぬ未知の悪意が潜んでいる――そんな不気味な気配が、肌にまとわりつくように伝わってくる。
「サクラ、ゴブリンのドロップ品を回収してくれ」
「任せるんだよ!」
手際よく集めたドロップ品を、片端から異空間の倉庫へと放り込んでいく。
これらの素材やクリスタルは、学園の購買部で買い取ってもらえるため、今後の資金源として可能な限りかき集めておく必要がある。
(まあ、今回は”死に戻り”が前提なので、すぐに売ったりはしないが……)
原作のルール通りなら、ダンジョン内で完全に死亡した場合、それまでに獲得したアイテムや経験値は全てその場にロストしてしまう。
そのため、今回は売らずに異空間へ隔離しておき、ダンジョンが本格的に開放されてから一気に処理するつもりだ。
「サクラ、拾い終えたな。ここからは俺が先頭に立つ。敵がいたら索敵を頼む」
「了解なんだよ、マスター」
そして二人で慎重に通路を進んでいく。
「マスター、前方、いるよ!」
「よし、今回は俺が試す」
目を凝らすと、暗がりの奥に3匹のゴブリンが、こちらを値踏みするようにニタニタと下卑た笑みを浮かべていた。
手元に『復元する世界《ダ・カーポ》』で新品同様になった特殊警棒を構える。床を強く蹴った瞬間――自分の身体の軽さに、脳が驚いた。
(速い……!?)
一歩の踏み込みで、完全にゴブリンたちの間合いを捉えていた。
魔力が肉体を強化しているのを実感しながら、正面のゴブリンの脳天に向けて、警棒を容赦なく振り下ろす。
――パンッ!
粘質な肉の塊を叩いたとは思えない、乾いた、あまりにも凄絶な破裂音が通路に響き渡った。
次の瞬間、正面にいたゴブリンの頭部が、熟れすぎたトマトのように木っ端微塵に弾け飛んだ。
「は……?」
「「グギィ……!?」」
あまりの瞬殺劇に、残された二匹のゴブリンだけでなく、攻撃を繰り出した俺自身すらその場に硬直してしまった。
残ったゴブリンたちの顔から下卑た笑みが消え去り、明らかな“絶望と恐怖”の色が浮かぶ。
これが、ノービスから
一匹は完全に戦意を喪失して蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、もう一匹はその場に腰を抜かしたのか、緑色の股間を濡らしながら尻もちをついていた。
俺は迷うことなく、逃げるゴブリンの背後へ一瞬で肉薄し、その首筋を警棒で真横に薙ぐ。
――パンッ!
さらに、怯えた表情で手をすり合わせ、まるで命乞いをするような仕草を見せていた最後の1匹の顔面へ、一切の容赦なくフルスイングを叩き込んだ。
――パンッ!
静寂が戻った通路には、小さく透明なクリスタルが三つ、床に転がっているだけだった。
それらを素早く拾い上げ、異空間に収納する。
「マスター、すごすぎるんだよ……! お疲れ様!」
「ああ。以前にも増して、身体能力も、警棒に伝わる破壊力も跳ね上がってる。これも、体内を巡る魔力の影響か」
「……おそらく、間違いないと思うんだよ。マスターの魔力そのものが、身体に適応し始めてる証拠だね」
「なるほどな、先に進もう」
さらに薄暗い迷宮を進んでいくと、本日二つ目となる巨大な『玄室』へと行き当たった。
中を覗き込むと、やはり先ほどと同様に、十数匹のゴブリンが肉の塊を囲んでたむろしている。
「サクラ、行けるか?」
「うん。問題ないんだよ、マスター!――――『
サクラがその名を紡いだ瞬間、視界の全てが狂おしいほどの真っ白な光によって焼き潰された。
――凄まじい大爆音。
ワンテンポ遅れて、猛烈な爆風と熱波が俺の全身を激しく叩く。
(相変わらず、とんでもない規格外の火力だ……)
嵐が去った後、玄室はゴブリンの姿どころか、壁面すらもドロドロに溶け落ちていた。
「サクラ、大丈夫か?」
「へへん、大丈夫なんだよ! さっきと比べてマスターからの魔力が安定してるから、ちゃんと出力を制御して『手加減』できたんだよ!」
「……いや、今ので手加減なのか? 周りの地形が消し飛んでるんだが……」
「今のは……全体の『三割』くらいかな?」
(三割でこれかよ……。ってことは、サクラが本気を出した場合、純粋な火力だけで言えば、下手すりゃ原作主人公の叶馬と同格、いや、あいつのチート能力すら凌駕してるんじゃないか?)
冷や汗を拭いながら、俺たちは部屋の隅に散らばったドロップ品を回収していく。
「あ、マスター! こんな変なのが落ちてたんだよ?」
サクラが指し示した先には、一冊の古びた本が転がっていた。表紙にはタイトルすらなく、煤けた革張りの装丁。
恐る恐る中を開いてみると、そこには赤い血文字のようなもので、禍々しい文字列がビシリと書き連ねられていた。
ページをめくるたび、本の奥底から無数の視線が這い出てきて、自分の脳髄に絡みついてくるような、強烈な不快感と悪寒が走る。
「なんだこれ……気持ち悪いな」
見ているだけで嫌な汗がじっと滲んでくる。だが、ここは未知のダンジョンだ。
原作の知識にないアイテムであっても、後々、オークションや購買部でとんでもない価値を叩き出す可能性は否定できない。
俺は気分を害するその本を、逃げるようにして異空間の倉庫へと放り込んだ。
「よし、次行くか」
「うん。レッツゴーなんだよ!」
迷宮にはおよそ不釣り合いな、サクラの鈴を転がしたような明るい声が、俺の背中を後押ししてくれた。
――――
その後も俺たちは、いくつか遭遇した玄室のゴブリンどもを危なげなく蹂躙し続け、気がつけば、ファーストダイブの制限時間が終了する直前を迎えていた。
「サクラ、もうすぐダンジョンダイブが終わる。お前は一度、異空間へ戻って休んでいてくれ」
「マスター、さっきの約束忘れたらダメなんだよ」
「ああ、分かってるって。……ちゃんと埋め合わせはするよ」
俺は苦笑いを浮かべながら、名残惜しそうにこちらを見上げるサクラの柔らかい髪を、優しく撫で回す。
「また後でな」
サクラの身体が光の粒子となって消え去るのを見届けた後、視界が揺らぎ、気づけば、俺はダンジョンの出口である『羅城門』の前へと戻っていた。
そこには、転送によって強制送還されてきた、大勢の生徒たちが戸惑ったように立ち尽くしていた。
「――う、頭が痛ぇ。……つか、中のこと何も覚えてねえんだけど」
「お前もか? 俺もダイブした瞬間の記憶から、完全に飛んでるわ」
「……嘘、私、本当にダンジョンに入ってたの?」
ざわつく周囲の声を耳にしながら、俺は冷徹に状況を把握する。
……やはり、ほとんどは“死んだ”らしい。
彼らはダンジョンの中に、自身の魂の片割れを落としてきてしまった。
魂魄――別名『
生きている人間がダンジョン内で死亡した際、その場にドロップしてしまう命の核だ。
これを失った状態で現実世界に蘇生した場合、ダンジョン内での記憶を完全に失う。
そして、著しく寿命が縮み、さらには子供を作ることができない『生殖機能の完全喪失』という致命的なペナルティを課せられる。
特定の条件で、原作主人公の叶馬はその失われた魂魄結晶を元の肉体へ戻すことができたが、まあ、あれは特殊な方法だ。
基本的には、一度失えば二度と元に戻ることはない。
これこそが、俺がダンジョンを恐れていた理由の一つでもある。
「あっ、あっ、あの……と、叶馬、さん」
声をしたほうに顔を向けると原作主人公『叶馬』と『静香』が強く抱きしめ合っていた。
(あの様子だと、叶馬も問題なく生き残ったみたいだな)
叶馬の記憶が失われていないということは、今回は原作通りのルートを辿っている証拠だ。
(どうか、このまま原作通りに進んでくれ。そして頼むから……俺を巻き込むなよ)
心の中でそう強く願いながら、俺は担任である翠先生の指示に従い、他の生徒たちと共に教室へと戻った。
「―――皆さん、本当にお疲れ様でした。本日の実技授業は、これにて終了となります」
どこか酷く疲れ切った顔をしている翠先生が、教壇からクラス一同へ告げる。
やはり彼女は、この学園の、そしてダンジョンの凄惨な実態を全て知っているからこそ、内心穏やかではいられないのだろう。
ガヤガヤと騒がしくなり始めたクラスメイト達は次々に部屋を出ていく。
俺も荷物をまとめ、目立たないように帰ろうとした――その時。
「少し、いいですか?」
俺の机の前に、影が落ちた。
ふと顔を上げると、そこには端正な顔立ちをした一人の青年が、どこか芝居がかった、非の打ち所のない優等生の笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「たしか、お前は……『
「おや、僕の名前を覚えていてくれたのですね」
「ああ。最初のオリエンテーションの時の自己紹介でな。それで、俺に何か用か?」
「いえ、大したことないんですが。これからダンジョンダイブの打ち上げを行うつもりなので、よかったらどうですか?」
虎太郎は、値踏みするような細められた視線でこちらの様子を窺ってくる。
彼の背後には、『
『
(……そもそも、なんでこのタイミングで俺なんかに話しかけてきた?)
俺はクラスで目立たないように過ごしていたはずだ。
それに、この虎太郎という男の歪んだ本性を、俺は原作の知識として知っている。
こいつが善意や親切心だけで、何のメリットもない人間に声をかけるはずがない。
こいつらの真の目的が何であれ、今の俺が関わって良いことは一つもない。
ここは徹底して距離を置くべきだ。
「悪いな。これから外せない用事があるんだ」
そう冷淡に告げ、俺は席から立ち上がる。
「ま、待ってください。……少しだけでも話を――」
「おいおい、いいじゃねぇか虎太郎。本人が嫌がってんだからよぉ」
「そうだね。虎太郎、今回は諦めよう。無理に誘うものでもないしね」
なおも食い下がろうとする虎太郎の肩を、剛史と和人が引き止めるようにして諭した。
「悪い。それじゃ」
「……そうですか。残念です。ですが――いずれ、改めてゆっくりとお話しさせてくださいね」
虎太郎の底の知れない笑顔に見送られながら、俺は足早に教室の扉を抜け、人の群れへと紛れ込んでいった。
====
「それよりも、虎太郎。なぜ急に彼のような地味な男を誘おうと思ったんだい?」
「そうだぜ。あんな根暗野郎、これから俺たちのパーティーがのし上がっていく上で、必要とは思えんがな」
教室に残された和人と剛史の疑問混じりの言葉に、虎太郎は眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷徹な一瞥を窓の外へ向けた。
「……彼とは、中学時代に同じ学校だったのですよ。同じクラスになったことはありませんでしたが、学年の定期テストでは常に彼が不動の一番で――僕は、そのすぐ下の二番に甘んじさせられていた。おまけに運動のほうも、確か短距離走で県大会の賞を取るほど優秀だったと記憶しています。遠目で見たことがあるのですが、当時の彼の周りには、常にその才能を慕う多くの人間に囲まれて、文字通り『中心』にいました。そんな彼が、この学園にいること自体も不可解でしたが――何より、かつてあれほど光り輝いていた彼が、今日のダンジョンダイブで、誰とも組まずに“一人で”平然と潜っていたという事実が、どうしても引っかかるのですよ」
「へえ……確かに、そんな彼が、ダンジョンに一人で潜ってるのは不自然だね」
「そうか? 単に環境が変わって、一匹狼気取りなだけじゃねーの?」
「……そうかもしれませんね。また機会があれば、お話したいと思います」
(影山幹隆……本当になぜ、君がこんな場所にいるのですか?)
(それに先ほど、向こうは僕の顔を見ても、初対面の相手としての反応しか示さなかった)
覚えていたらあんなセリフ「
――覚えていないはずがない。
なぜなら、ボクは中学時代、彼と何度も言葉を交わしている。
同じ教室にいなかったとしても、互いの存在を知らないはずがない。
にもかかわらず――あの男は今、完璧に“初対面の他人”を見るような、冷め切った目をしていた。
……まるで、あの中学時代の天才とは、中身が完全にすり替わった『別人』であるかのように……。
====
気がつけば、学園内の時計はもう午後三時を回っていた。
虎太郎たちの不自然な勧誘を振り切り、俺はそのまま人の流れに紛れるようにして、学園の地下に広がる巨大な購買部へと向かう。
「……『
いずれこの『丙』クラスは、ほぼ全員がどこかの俱楽部に所属することになる。
原作主人公・叶馬が率いる『
虎太郎たちが立ち上げる『
そして、クラスの浮いている不良三馬鹿が結成する『
最後に、どこの派閥にも属せない有象無象の寄せ集め――『
一年生の初期段階でこれだけの俱楽部が乱立する時点で、このクラスの異常性が伺える。
俱楽部を立ち上げれば、学園から専用のプライベートルームや、特別クエストの優先受注権といった“優遇措置”が与えられる仕組みだ。
……もっとも今は俱楽部に入るメリットを感じてないので、俺には必要ないけどな。
そんなことを思考の海でこねくり回しているうちに、購買部へと到着した。
中に入ると、そこは巨大なスーパーとミリタリーショップが融合したような異様な空間だった。
食料品や日用品といった身近な生活物資から、ダンジョン攻略用の本格的な防具、武器までが一通りの品揃えで並んでいる。
あたりを物色しながら、俺は本来の目的であるエリアへと向かい、ようやく目当ての品を見つけた。
――女子用の学園制服だ。
現在、俺のクローゼットにあるのは、支給された男物の予備だけだ。
サクラを外の世界に連れ出すためには、彼女のあの露出度の高い戦闘衣装のままでは目立ちすぎて、即座に目をつけられてしまう。
そのため、ブレザーとスカートのセットを揃える必要があった。
サクラのサイズを頭の中で思い出しながら、制服を3着ほど手に取り、レジへと進む。
会計の際若干怪訝な目で見られたが、特に気にしてない。
……まあ、こういうのは恥ずかしがったら負けだ。
前世でも姉ちゃんに無理やり頼まれて、ドラッグストアに生理用品とかを買いに行かされていたしな。
あの時の精神的プレッシャーに比べれば、全くもって何の問題もないのである。
「……ふぅ」
ひとまずの用事を済ませた俺は、人目の少ない場所へ移動する。
「――”異空間生成”」
制服が入った大きな紙袋を抱えたまま、突如として空間に開いた漆黒の渦の中へ、滑り込むように飛び込んだ。
「おかえり、マスター」
異空間の拡張された部屋に戻ると、新しくできたリビングのふかふかのソファの上で、ごろりと転がりながら完全にくつろいでいるサクラが出迎えてくれた。
「ああ、ただいま。ほらサクラ、約束通り外に連れ出してやるから、まずはこれを着替えてこい」
俺は買ってきたばかりの制服の袋を手渡す。
「わあ、ありがとうマスター!さすが私のマスターなんだよ!早速着替えてくるね!」
袋を両手で抱え、サクラは嬉しそうに新設された脱衣所へと飛び込んでいった。
そして数分後、扉が静かに開き、サクラがはにかみながら戻ってくる。
「……どうかな? その……、似合ってるかな?」
その姿を見た瞬間、俺の思考が一瞬ストップした。
似合いすぎている、なんて安直な言葉で片付けたくなかった。
統制の取れたシックな紺色のブレザーの生地の中で、彼女の鮮やかな桜色の髪だけが、やけに柔らかく、神秘的に浮かび上がっている。
ブレザーのボタンが、彼女の豊かな双丘の質量によって、今にも弾け飛びそうなほどパツパツに張っているのも、視覚的な破壊力が凄まじい。
理由もなく、胸の奥がドクンと激しくざわついた。
――いや、その理由なんて、今更考えるまでもないのかもしれないが。
「ああ。……めちゃくちゃ、似合ってるよ」
俺が素直な感想を伝えると、彼女は顔を林檎のように真っ赤に染め、本当に嬉しそうに、蕩けるような笑みを浮かべた。
その後、俺は、サクラを連れて再び購買部に出て日用品や食料品を買い込んだ。
サクラが物珍しそうに俺の腕に抱きつきながら店内を歩き回るため、周囲の男子生徒からの嫉妬の視線が痛かったが、無視を貫いた。
気づけば、入学時に学園から支給されていた初期資金の「銭」は、ほとんど消え去っていた。
だが、これだけ物資を買い込めば当分は困らないし、ダンジョンが本格的に開放されれば金欠など一瞬で解消できるだろう。
――ぐぅぅ~~~きゅるるぅ♪
買い物を終え、人気のない通路を歩いていると、やけに静かなタイミングで、間の抜けた、しかし可愛らしい音が響き渡った。
視線を下に向けると、サクラが自身の下腹部を両手で押さえながら、上目遣いで、少し顔を赤くしてこちらを訴えかけていた。
「うぅ……マスター、お腹すいちゃったんだよぉ……」
お腹を押さえながら少し赤くなった顔で彼女がこちらに訴えかけてきた。
「そうだな。よし、新しくできたキッチンの使い心地も試したいし、ご馳走を作ってやるよ。飯にしよう」
「やったぁ! マスターの手料理、すっごく楽しみなんだよ!」
夕暮れの茜色の気配が差し込む学園の廊下を、俺たちは肩を並べ、寄り添うようにして歩いていく。
これから始まる過酷な生存競争の予感を感じつつも、隣にある確かな温もりが、俺の胸の奥底にある闘志を、より一層強く、静かに燃え上がらせていくのだった。