俺は今、とんでもない大物と対面していた。
目の前に浮遊する巨大な純白の鯨。その名は『ルドラサウム』。
前世のゲーム知識が、この存在の危険性をこれでもかと告げている。
ランスの舞台となる大陸は、ルドラサウムが自らの娯楽の為に創造した物である。
この鯨は、苦しみ、憎しみ、哀しみ等の負の感情を心地よく思い、それを生む死や破壊を好み、悲劇と混乱の観賞をこの上ない愉悦とする歪んだ精神の持ち主だ。
だが、『ランス10』本編が終了した時間軸なら、まだ交渉の余地はあると思う。
人間とはどういう生き物なのか、楽しむというのはどういう事なのか。
それを、人間になって自ら体験することで、ルドラサウム本人が「冒険する楽しさ」を知った後だからだ。
「な、なんで、こんなところにいるんだ……?ここは異界の中のはず、そもそも貴方は別の世界の管理者のはずだろ……っ!」
胃の底からせり上がるような動揺を隠せないまま、声を絞り出す。
『ふふふ……まあまあ落ち着いてよ。そうだねー、どこから話そうかな。とりあえず、ここは君がいた世界ではないよ。ここはね、神々が集う場所——『
少年のような無邪気さで、楽しそうに答えるルドラサウム。
だが、その小さな橙色の眼球には何の感情も宿っておらず、表情はピクリとも変わらない。
それが余計に不気味だった。
それにしても、初めて聞く単語だが、なんて嫌な名前の場所だ。
「神座」だの「多次元並行世界」だの、前世の記憶にあるエロゲー知識——『Dies irae』や『
うっかり、総ての生命が最後の一人となるまで殺し合う世界を作る
俺なんか一瞬で存在ごと吹き飛ぶよ。いや、この俺どころか、あらゆる世界、多元宇宙が塵一つ残さず吹き飛ぶわ。
神となった存在、またはその統治世界や法則を指して神座と言う。
『神座万象シリーズ』の神様は、森羅万象そのもであり、すなわち宇宙を一個の生命体とした存在だ。
ゆえに、星も、自然も、そこに生きる者たちも、すべて神の一部に過ぎない。
そして、座についた神の性質や属性が、そのままその世界、その時代の絶対的な「法則」として強制反映される。
例えば、波旬という神様が座についた場合、「総ての生命が最後の一人となるまで殺し合う世界」が形成され、全生命に逃れられない殺し合いを強制される感じだ。
(そんなことになったら俺の異世界生活、速攻で終了するな……)
ただ今は、どの座の神様もこの『ハイスクールハックアンドスラッシュ』の世界に直接の干渉はしていないはずだ。
もし干渉していれば、その神の法則が世界を覆っているはずで、今のところその兆候は感じない。
だが、ルドラサウムが俺の前に現れた以上、神座の神様たちがこの場に出てくる可能性を完全に否定できなくなってしまった。
もし出てくるとすれば、一番可能性があるのは、『Dies irae』に出てくる
しかし、少なくともマリィの話から推測するに、今はまだ、メルクリウスがマリィに接触していない時期のはずで、会うのはもう少し後だと思う。
(いつか、会うことになるのだろうか……。普通に考えて関わりたくない候補、ぶっちぎりの第一位だな)
そして、第四神座が終わった後に生まれる最悪の座――
第四神座が終わると、マリィの覇道神としての力が目覚め第五神座の座につく。
その第五神座の後に生まれたのが、第六神座である
もし、『ヒロイン召喚』で『
――思考が脱線してしまった。
少し冷静になろう。こういう時こそ今の状況を客観的に判断するんだ。
どうやら、ここが先ほどまで冷たい石壁が続いていた地下階層ではないことだけは確かだ。
「じゃあ……俺はなんでここにいるんですか? さっきまで、別の場所にいたのですが……」
努めて冷静を装い、さっきの質問の時よりもトーンを落として尋ねる。
『ああ、それはね、君をここに招待したのがボクだからさ。今、君の意識だけをこちらに連れてきたのさ』
そんなことまで、できるのか、ルドラサウム。
ということは、俺の肉体はまだ安土城の地下で、先輩たちの前でぶっ倒れたままということか。
道理で、マリィの気配がしないわけだ。
スキルも使えなければ、念話の通信も完全に遮断されている。
原作のゲーム設定で一度も聞いたことがなかったから知らなかった。
『それでね、なんでわざわざ君をここに連れてきたかというとね、……ふふっ』
質問を重ねる前に、白い鯨は機嫌よさそうにその巨体をわずかに揺らし、勝手に喋り始めた。
『君が、ボクの用意した“プレゼント”を受け取った、記念すべき最初の人間だからだよ。
(プレゼント……? そんなもの、貰った記憶なんてこれっぽっちもないぞ。いや、待てよ。まさか俺のパーティにいるホーネットのことか? でもそれだとプレゼントって言い方はおかしい。彼女は俺が『ヒロイン召喚』で呼んだからな)
考えてもすぐには思いつかなかった。
「え~と、すみません。俺、そんなもの貰った記憶は、ないんですが……」
『ふふ……ははははは……!!いやいや、君はすでに、ここに来る直前に受け取ってるよ。ボクが支配していた世界の、恐怖と絶望の象徴――【
(……………………ん? いま、この鯨、なんて言った? まおう……?)
強烈な戦慄が背筋を駆け抜ける。
思い返せばここに来る直前、あの脈動する不気味な赤い心臓に触れた瞬間、血が腕に絡みつき、粒子となって俺のあらゆる穴から体内へと侵入し、俺の肉体を侵食していった覚えがある。
まさか、あの『
いやいや、ちょっと待ってくれ。大丈夫なのか、俺の身体。
魔王の血が体内に入ったってことは、俺はこれから常に凄まじい破壊衝動に襲われたり、世界を滅ぼしたくなったりするのか?
歴代の魔王たちみたいな人間絶対許さない殺戮マシーンになったってことか……?嫌すぎる。
滅茶苦茶困ったな。正直、「いらないです」って今から言って受け入れてもらえる雰囲気でもない。
魔王にもクーリングオフ制度があればいいのに。手放したいです、魔王の力。
「あの、大変申し訳ないのですが、魔王の力って手放したりできないですかね……?」
ダメもとで聞いてみることにする。
『君が死なない限り無理だよー!』
ですよね~。
原作のランスの知識で知っていたが、魔王を交代するには、千年経過してから、死ぬしかないだろう。
『あ、でも安心して。別にこの世界を破壊して楽しみたいとかはないから、破壊衝動はなくしてあるよ』
そうなんだ、それを聞いて少し安心した。
つまり、魔王のデメリットとしてあった人類への敵対者という役割が消え、純粋に魔王の力のみが使えるのか。
それなら、かなりもらった恩恵はデカいな。
けど、なぜルドラサウムは、そもそもこんなところに魔王の力を捨てるようなことをしたのだろう。
使わないなら自身の魂に還元してしまえばいいのに。
ルドラサウムの目的が読めないな。
「すみません。質問なんですが、そもそもなぜ貴方がこの世界に関わっているのですか?プレゼントを渡すにしても、目的がわからないんですが……」
『なんで、関わってるかかー。この世界で行われるゲームに観客として呼ばれたから、そのための余興で魔王の力を置いてきたのさ』
「ゲーム?」
『あ、これ言っちゃダメなんだった。まだ始まってないのに口走っちゃったー』
わざとらしいトーンでルドラサウムが答える。
まるで最初から話すつもりだったかのように。
「すごく気になるので、よかったら教えてください。お願いします」
『うーん、まあいいか。ボクは君に賭けてるし、少しぐらい贔屓しても大丈夫かな』
不穏な単語ばかり出てくる。——ゲーム、観客、賭け。
つまり、ルドラサウムは、何かのゲームのために、この世界に関わっているということか。
俺のスキル『ヒロイン召喚』が、この世界に影響を与えてルドラサウムを呼んだ訳ではなさそうだ。
『それでねー。ゲームっていうのは、君を含めた
(………………!?!?!?)
衝撃的な事実を聞かされ、頭が真っ白になる。
【悲報】俺、神様が企画するデスゲームに参加させられるみたいです。
え、ここ『ハイスクールハックアンドスラッシュ』の世界ですよね。
なんでいきなり、転生者同士の殺し合いバトルロワイアルになってるんですか。
世界観おかしくなるって。
てか、転生させて生き残りを賭けて戦わせるって何だよ、どこの聖杯戦争だよ。
口ぶりからして、少なくともこの世界は「八柱の神」が裏で管理しているらしい。
俺を転生させた神様は、その中の一柱ってことか。
「あのう、そのゲームって辞退すること、ってできるんでしょうか?」
『無理だね、転生した時点で参加確定だよ!』
うん、知ってた。俺を転生させた女神、マジでふざけんなよ。
何が「処罰対象と間違えて殺した」だ。
やっぱり最初から故意で俺のこと殺してハメてんじゃねぇか。ふざけんな。
ということは、転生する前の白い空間にいた時点で、俺が異世界転生を望もうが、望むまいが、この世界に強制的に転生させられる事実は変わらなかったってことか。
ここにきて、俺がこの世界に転生させられた本当の理由が判明した。
前世でただの社畜だった俺をこんなデスゲームのプレイヤーに選ぶなよ。
『ルールの説明は、もう少し後でされるから、それまで楽しみに待っていてね』
「あのう、俺以外の転生者もこの学園に全員いるってことでしょうか? それと、そのゲームはいつ開催されるんでしょうか?」
『これ以上は話せないかな。君ばかり優遇しちゃうと、他のみんなから怒られそうだし』
「そ、そうですか……」
肝心なことは何一つ聞けなかった。
だが、少なくとも分かったことはある。
八柱の神――つまり、俺以外にプレイヤーとなる転生者はあと7人いる。
殺し合いと言っていたから、おそらく死んだらアウトなのだろう。
ただ、ダンジョン内で殺し合っても、羅城門ダンジョンの「死に戻りシステム」がある以上、デスゲームの舞台は地上での殺し合いになりそうだな。
他の転生者も、今まで一度もダンジョンで「死に戻り」していないのだろうか。
もし、していた場合、地上でスキルを使うことが限定される。
それは、今後のバトルロワイアルでかなりの不利を背負うことになるな。
ルドラサウムは簡単に殺し合いとか言っているけど、俺は殺人を犯したことなんてない、一般善良な市民だ。
今からデスゲームのことを考えるだけで、憂鬱な気分になる。
(うん……? 待てよ。今考えたら、俺の状況ってどうなんだ?)
魔王の力を手に入れたことによって不老不死になったわけだから、地上で俺を簡単に殺せる奴なんていないんじゃないか?
それに『
叶馬レベルのチート野郎が相手じゃなければ、そう簡単に殺されることはないだろう。
……いや、相手も俺と同レベルのチートスキルをそれぞれの神から貰っていると思っておくべきか。
そして、俺以外のプレイヤーは、まだこのゲームが開催することを知らないはずだ。
これは大きなアドバンテージになるな。
この安土城レイドが終わっても、やることが多すぎるな。
叶馬たち原作ストーリーの動向確認、他の転生者たちの調査、そして迫り来るゲームに向けての対策……。
はぁ、頭痛くなってきたわ、考えることが多すぎて。
とりあえず、今後は俺以外の転生者たちの動向も探らないといけない。
サクラ、マリィ、カヌは、人目が少ない時間帯とはいえ頻繁に食堂とかに顔を出していたし、俺が転生者であることは、勘のいい奴にはもうバレているかもしれない。
そもそも、他の7人全員が豊葦原学園に入学してきているのかさえ分からないが。
転生者と言えば、身近に1人、疑いがある奴がいる。
俺のルームメイトの浩一だ。
あいつは前世で俺が持ち込んだエロゲーのタイトルを読めていたし内容を理解していた。
今の話を聞いて確信した。あいつは、俺と同じ転生者と考えていい。
ただ、あいつの実力はまだ未知数だから、下手にこちらから仕掛けて返り討ちに遭うのは怖いな。
今回の初っ端の長距離爆撃の時みたいに、考えもなしに突っ込むのは絶対にやめておこう。
うーん。改めて、なんてとんでもないゲームに参加させられるんだ。
『そろそろ時間だねー。君と魔王の適合が終わったみたいだ。いい暇つぶしになったよ、そして、今後の活躍楽しみにしてるよ。ボクは、もう一回自分の大陸で遊びながら、今回のゲームの観戦をしておくよ。じゃあね、影山幹隆』
白い鯨の異形――ルドラサウムが少年のような声でそう告げた瞬間、その巨大な純白の体躯が、陽炎のようにブレて空間の闇へと溶けていく。
同時に、足元すら存在しなかった真っ黒な超空間が、ガラスが割れるように激しい音を立てて崩壊し始めた。
「あ、おい、待ってくれ――っ!」
呼びかける声は虚空に吸い込まれ、俺の意識は強烈な引力によって、ふたたび現実の肉体へと急速に引きずり戻されていく。
……………………。
…………。
====
————安土城城内・本丸・天守閣に続く道。
私は今、私を含めた俱楽部メンバー14人と、幹隆君の召喚獣であるホーネットさんとサクラちゃんを率いて天守閣を駆け上がっていた。
安土城の中は、一つの町が丸ごと収まるほど広大だった。
磨き上げられた黒曜石の床。巨大な髑髏の彫像。魔物たちの軍勢を描いた壁画。
どれも、この城の主が持つ権力と威厳を誇示するために造られたものだと一目で分かる。
「
俱楽部の中でも一番小柄な、黒髪ショートヘアーの優秀な斥候役、
「ああ、これだけ広いと天守までたどり着くのも一苦労だな」
私は周囲の状況を見渡し確認する。
既にこの本丸に潜ってから3時間程度経過したが、怪我を負ったメンバーは誰一人いなかった。
今のところ陽動は、上手くいってると思う。
流石は我が俱楽部の精鋭たち、その優秀さが何より私にとって誇らしい。
波留からの念話によるとアイテム回収班も順調らしい。もうすぐ最下層に着くとのことだった。
本丸に侵入してからは、至る所に夥しい数のスケルトン兵が配置されていた。
おそらく、城全体での数は万を超えているだろう。
様々な武器を手にし、こちらを見つけると容赦なく集団で襲い掛かってくる。
槍や刀を持った個体が多いが、他にも巨大な斧や、遠距離から容赦なく弾丸を撃ち込んでくる鉄砲といった厄介な武器を持った個体もいた。
すでに、私だけでも数百体以上は叩き斬った気がする。
数を数えるのが阿呆らしくなり、途中からカウントするのはやめてしまった。
私たち陽動班全体としては、すでに千体以上はとうに打倒したあたりだろうか。
まあ、倒したと言っても、その大半は今も最前線で猛威を振るい、正面のスケルトン兵を蹂躙している彼女たちのおかげなのだが。
それにしても、幹隆君が召喚した彼女たちの強さは、本当に凄まじいな。
私もAランク俱楽部の幹部として、この豊葦原学園ではそれなりの上澄みだと自負している。
だが、それを差し引いたとしても、彼女たちの秘めたる実力は、私の遥か上を行くだろう。
(こんなに胸が躍るような強者と会うのいつぶりだろうか。旦那様には本当に驚かされっぱなしだよ)
サクラちゃんは、後方から火力を出す『
一発、一発が放たれるごとに、頑強な骸骨の兵士たちがまとめて彼方へと吹き飛んでいくのだ。
その純粋な魔法の威力は、私がこれまでの学園生活で見た
それにしても、あんなに魔法を連発してSP切れは起こさないのだろうか。
一般的な『
「ふふん!こんなにたくさん倒したんだし、戻ったらマスターに褒めてもらうんだよ!」
横目でチラリと確認してみたが、SP切れで疲弊している様子など微塵も見せていない。
むしろ、敵を倒せば倒すほど、戦場が楽しくて仕方がないといった風にテンションが高くなっている気がする。
(ふむ。もしかしたら彼女は、私と同じ『戦闘を好むタイプ』の同類かもしれんな。今回のレイドが終わったら、旦那様にお願いして、一度手合わせをさせてもらえたりしないだろうか……)
そんな好戦的な思考を頭の隅で転がしながら、もう一人の召喚獣、ホーネットさんの方へも視線を向けて確認する。
彼女は、このレイドダイブ中に召喚された、幹隆君の新しい召喚獣だと聞いている。
「——白色破壊光線ッ!……魔人に戻ったので魔法の威力も戻りましたね。まあ、まだ全盛期の力には程遠いようですが……」
冷静沈着にそう呟いた彼女もまた、サクラちゃんと同様に圧倒的な広範囲・高火力を誇る『
そして彼女の周囲には、赤、青、黄、白、黒、緑にそれぞれ光り輝く6つの球体がフワフワと浮遊していた。
それらの球体を指先一つで器用に操作し、近づく敵を次々と屠っていく。
まあ、その球体がぶつかった瞬間、骨の兵士たちは肉を断つまでもなく一撃で粉々に砕け散っているのだが……。
それと、私たちがここまで誰一人として大きな怪我も負わずに進軍して来れたのも、
この学園において、前線で即座に負傷を治癒できる人員は極めて貴重とされている。
だが、幹隆君に続いて彼女もまた、独自の高度な回復魔法を使い、私たちの怪我を癒してくれた。
一人で戦況をひっくり返すほどの攻撃力を持ちながら、同時に万能な回復もこなせるなど、はっきり言って
(まあ……そんな彼女たちを従えている、私の旦那様はもっともっと凄い男ということなのだがな。ふふ……っ。あ、駄目だな、旦那様のことを考えていたら、少し濡れてきてしまった……。このレイドが終わったら、また、抱いてくれるのだろうか……)
内心で淫らな期待に胸を躍らせ、ふっと熱くなった息を吐き出す。
城の内部空間は、壮大な吹き抜け構造となっており、さらに上層へと続く階段は螺旋状に天高く伸びていた。
下から見上げるだけで目眩がしそうなほどの高低差だ。
太く巨大な柱が何十本も立ち並んで天井を支え、その表面には金にも似た、禍々しくも美しい赤黒い装飾がこれでもかと施されている。
豪奢でありながら、どこまでも死と狂気の気配が満ちている。
まるで、第六天魔王・織田信長の栄華と傲慢そのものを形にしたような、恐るべき空間だった。
――それから、さらに3時間ほどが経過した。
幾百もの階段をすべて登り切った先、私たち陽動班は、ついに安土城の最上階である天守閣へと辿り着いていた。
最上階の通路は、下層とは比較にならないほど濃密で不気味な気配を放っている。
私たちはより一層の慎重さを保ち、静かに歩みを進めた。
今回のレイドにおけるネームドモンスター『織田信長』とその強力な配下たちが鎮座しているであろう、巨大な謁見の間だ。
ただ、ここへ辿り着くまでの道中、私はずっと奇妙な違和感を拭えずにいた。
なぜかは分からないが、天守へ続く道には、まるで激しい戦場だったかのように、粉々に砕け散った無数の骨山が築かれていたのだ。
そこからは、黒い瘴気がゆらゆらと立ち上っている。
それは、私たちの先を往く「誰か」が、すでに
そのおかげと言うべきか、魔城の後半戦においては、ほとんど戦闘もなく、私たちはこの最上層へと行き着いてしまった。
今、私たちは、巨大な謁見の間の扉の前に立っている。
「やっぱり、どう考えても妙っすよね。
「……それは私にもわからない。ただ、さっきから妙な胸騒ぎが止まらない」
隣に並ぶ
それほどまでに今の状況は不自然だった。
私もこれまで数多くのレイドを攻略してきたが、ここまで不気味なレイドは初めてだな。
そして、もう一つ違和感がある。
先ほどから念話で連絡を取っていた波留たち『アイテム回収班』との通信が途絶えたことだ。
もしかしたら、地下でなにかあったのだろうか。……心配だ。
だが、もう天守閣まで来てしまった以上、引き返すことはできない。
ここに来るまでに、かなりの体力を消耗しているしな。
「――
張り詰めた沈黙を破り、私に声をかけてきたのはホーネットさんだった。
激戦をくぐり抜けてきたというのに、その表情には全くと言っていいほど疲弊の様子が見られない。
「そうだが……どうかしたのか、ホーネットさん」
「この扉の先から、私と同じ『魔人』の気配を感じます。――ですので、貴方たちは、ここから先、下がっていてください」
「いや、相手が強力なボスであるなら、なおさらみんなで一緒に戦った方がいいのではないか?」
私の提案に対し、ホーネットさんは私を静かに諭すように、ゆっくりと首を横に振った。
「助力を申し出てくれる、その心意気は有り難いのですが……相手が魔人である以上、貴方たちの攻撃では『無敵結界』を破ることは不可能です。傷一つ負わせられずに全滅するだけでしょう。それに幹隆は、あくまで今回の作戦は『陽動』だと言っていました。ここで無駄な血を流す必要はないはずです」
「で、でも……っ」
反論しようとして、私は改めて周囲に控える俱楽部メンバーたちの様子を確認する。
彼女たちの瞳に宿る闘志の炎は、決して消えてはいなかった。
だが、6時間を超える連続戦闘によって、その身体には隠しきれない色濃い疲労が滲み出ている。
無理もない、ここは本来、学園から「攻略不可」として認定されていたレイドなのだから。
「……わかった。あなたの言う通りにしよう。だが、私だけでもあなたたちに付いていっていいだろうか? 決して無理はしないと、ここで約束する」
残される俱楽部のみんなには申し訳ないが、私個人としてはここで立ち止まるわけにはいかなかった。
先の異空間での不覚、俱楽部の幹部としての誇り、そして何より――私自身の本能が、この先にいるであろう強者との戦いに、歓喜で震えていたのだ。
すでに私の
「ふむ……分かりました。そこまでの覚悟があるのなら、
「ああ、それで構わない。頼む」
「おおー!ついにボスを倒すんだよ!ホーちゃんも
「……サクラちゃんまで、私のことをその呼び方で呼ぶのか。はぁ、波留の奴め、余計な呼び方を広めおって……」
サクラちゃんの天真爛漫な言葉に思わず緊張が緩み、苦笑が漏れる。
そうして、残りの俱楽部メンバーにはこの場に陣を敷いて待機するよう伝え、私たちは重厚な謁見の間の扉を押し開き、3人でその深淵へと足を踏み入れた。
====
————安土城城内・本丸・天守閣・謁見の間
謁見の間の中は、窓から差し込む血のような不気味な赤光に照らされていた。
床には血のインクで描かれたかのような複雑な魔法陣が刻まれ、左右には複数の漆黒の柱が等間隔に並び、天井を支えている。
中は体育館ぐらいの大きな空間だった。
しかし、その壮麗な空間は、すでに嵐が吹き荒れた後だった。
床には深々と刻まれた無数の斬撃の痕跡。
漆黒の柱はところどころが激しく爆姓し、青白い炎が今もなおパチパチと音を立てて燃え盛っている。
「い、いったい何がここであったんだ……」
思わず、喉の奥から絞り出すように呟いた。あまりの惨劇に息を飲む。
訳が分からない。この安土城レイドの最深部で、一体誰がこれほどの戦闘を行ったというのか。
私たちは武器を構え、全身の神経を尖らせながら、ゆっくりと部屋の奥に鎮座する玉座に向かって警戒しつつ歩を進めていく。
すると、硝煙と瘴気が漂う玉座の前に、ぼんやりと一つの巨大な影が見えてきた。
その影の足元には、すでに事切れて倒れているモンスターの異形が二体。
そのうちの一体は、全身を丸焦げにされて黒い煤と化しており、辛うじて判断できるのは、人間には到底あり得ない巨大な「尾」の骨が残っているということだけ。
そして、もう一体はおそらく「猿」の異形。
それは無残にも四肢をバラバラに両断され、肉塊へと変えられていた。
モンスターに対して正しい表現かは分からないが、あまりにも悲惨で、あまりにも
やがて、雲が切れたのか、ゆっくりと玉座に陽の光が差し込み、その中心に佇む人影が鮮明に形を成した。
いや――それは、人ではなかった。体長はゆうに3メートルは、超えているだろう。
全身を重厚な白銀の鎧で覆っており、その背には巨大な二つの砲門が聳え立っている。
そして、その機械的な手には身の丈ほどもある巨大な太刀が握られており、目の前で跪く、豪華で不気味な鎧を着た骸骨――この城の主であるはずの『織田信長』の胸へと、深く突き刺されていた。
(私は、ああいう造形にはあまり詳しくないのだが……所謂、ロボットという奴なのだろうか……)
あまりに現実離れした光景に、脳の処理が追いつかない。
その時、太刀で縫い留められていた信長の骸骨が、がはっと口から黒い煙を吐き出した。
「き、貴様……許さんぞ……この、儂を……ッ」
骸骨の眼窩で赤くギラギラと光っていた怨念の瞳が、ふっと掻き消える。
今、このレイドの王の命の灯火が、完全に消滅したのを理解した。
ぐらりと、織田信長の体が音を立てて玉座の前から崩れ落ちる。
その瞬間、周囲に転がっていた他の二体の側近モンスターの死体も、連動するように黒い瘴気となって虚空へ霧散していった。
三体の凶悪なボスモンスターが消え去ったその跡地には、ぽつんと、赤いビー玉のような結晶体が取り残されていた。
「……中々手こずらせやがって。さっさと死んで、大人しく俺のスキルポイントになれよな」
目の前の白銀の鎧から、スピーカー越しのような、妙に軽い少年の機械音声が響いた。
どうやら、その口ぶりからするに、ここのボスたちを単騎で蹂躙し、討伐したのは彼なのだろう。
そして、道中に転がっていたあの大量のスケルトン兵の骨山を築いたのも、間違いなくこの男だ。
私の勘が、――今すぐこの場から離れて逃げろ、とかつてないほどの激しい警報を鳴らし始める。
白銀の巨躯が、駆動音を響かせながらゆっくりとこちらへ振り返る。
「あれ? おかしいな、学園の生徒がなんでこんなところにいるんだ?ここに来る前に、セーフティーエリアにいた補習組は、全てモンスターに襲わせたはずなのに。生き残りなんていないはずだけどなぁ」
不気味なまでの冷徹な機械音声が、静寂な空間を支配した。
あまりの言葉の異常さに、頭が一瞬フリーズする。何を言っているんだ、こいつは……。
セーフティーエリアの生徒を、モンスターに襲わせただと……!?
少なくとも、目の前の存在はただ者ではない。
そして、まともな倫理観も感性も、これっぽっちも持ち合わせていない。
私のような
もっと冷酷で、
「——
隣に立つホーネットさんが、低く、緊迫した声で私に耳打ちした。
その表情にはいつもの冷静な余裕はなく、冷たい汗がその頬を伝っている。
彼女ほどの実力者が、すでに相手の異常性を察知していたのだ。
そして、百戦錬磨の彼女の口から出た言葉は、共闘ではなく――明確な「撤退」の二文字だった。