ダンジョンダイブを終えた俺たちは、体に残る心地よい疲労感と、戦闘で空っぽになったお腹を満たすため、夕暮れ時の学生食堂へと足を運んでいた。
天井から吊り下げられたレトロチックな洋灯に、一つ、また一つと柔らかな明かりが灯され、薄暗かった広大な食堂が淡い琥珀色に染まっていく。
古びた木製の机や椅子には柔らかな陰影が落ち、漂う湯気と香辛料の匂いが、どこか実家のような懐かしい温もりを感じさせた。
ガラス窓の外では夕焼けが校舎を赤く染めており、その朱色と洋灯の橙色が混じり合って、食堂全体を穏やかな色彩で包み込んでいる。
キッチンカウンターへ目を向ければ、こには学生食堂とは思えないほど色鮮やかな料理がずらりと並んでいた。
湯気を立てるカレー。透き通ったスープのラーメン。出汁の香りが鼻をくすぐるうどん。肉汁を閉じ込めたハンバーグに、こんがり焼かれた魚定食。
さらにはショートケーキやプリン、フルーツパフェといった甘味まで並び、まるでちょっとしたホテルのバイキング並みに種類が豊富だ。
食器の触れ合う音や生徒たちの賑やかな談笑も相まって、食堂は夕刻特有の活気を見せていた。
「マリィちゃん、こっちこっち! このコロッケ、すっごく美味しいんだよ!」
「ま、待って、サクラ……そんなに引っ張らないで」
サクラに手を引かれながらも、マリィは嫌がる様子を見せない。
むしろ翡翠色の瞳を小さく輝かせ、並ぶ料理を興味深そうに見つめていた。
紺色のブレザーを纏った桜色の髪と、隣を歩く金色の髪。
その二人の姿は、食堂に並ぶどんな料理よりも鮮やかで、自然と周囲の目を惹きつけている。
洋灯の柔らかな光が髪を照らすたび、色彩が淡く揺れ、見とれてしまうほど綺麗だった。
「次はデザートを選ぶんだよ!」
「これ……フルーツがいっぱい乗ってる。おいしそう」
「でしょ!? あとね、このプリンもおすすめなんだよ!」
楽しげに会話を交わしながら料理を選ぶ二人を、俺は少し後ろから眺めていた。
さっきまでダンジョンで戦っていたとは思えないほど、そこには穏やかな空気が流れていた。
サクラとマリィは、先ほど異空間の中で行った『Hな出来事』のおかげか、随分と打ち解けたように見える。
出会ったばかりの頃に感じていたぎこちなさは薄れ、マリィも以前より感情を表に出すようになっていた。
笑みを浮かべたり、驚いた顔をしたり、料理を前に目を輝かせたり――そんな彼女の些細な変化が、なぜだか妙に嬉しい。
(……いいな、これ)
胸の奥が、じんわりと満たされていく。
上手く言葉にはできない。ただ、こうして誰かと笑い合いながら飯を選んでいるだけなのに、不思議なくらい心が落ち着いていた。
(こういうのが、“青春”ってやつなのかもしれないな)
そんな感傷に浸っていると――
「あとはね、これもおいしんだよ。」
「これも……食べてみたいな」
次々と料理をトレーへ乗せていく二人。
気づけば、皿がちょっとしたタワーのように積み上がっていた。
「……いやいや、ちょっと待て」
思わず呆れ混じりの声が漏れる。
「黙って見てれば、さっきから取りすぎだろ。もうトレー四つ目じゃねえか。本当に食い切れるのか?」
俺のツッコミに、二人はぴたりと動きを止めた。そして顔を見合わせ――
「「食いきれるよ」んだよ」
声が綺麗に重なった。
……いや、サクラの「んだよ」が妙な具合に後乗せされ、完全にハモり損ねている。
一瞬の沈黙。
「……お前らなぁ」
思わず苦笑が漏れる。
だが、当の二人はそんな俺を気にする様子もなく、再び楽しそうに料理を選び始めた。
サクラは得意げにコロッケを掲げ、マリィは真剣な顔でショートケーキとプリンを見比べている。
その姿が妙に微笑ましくて、結局それ以上強く止める気にはなれなかった。
まあいいか。好きに食わせても問題ない。
……何しろ、抱え込んでいたドロップ品を大量に売ったおかげで、その額なんと約100万銭を超える大金が手に入ったのだ。
脳裏に浮かぶのは、夕方に立ち寄った購買部での光景だ。
あまりの額とドロップ品の多さに購買部の人は目を丸くして驚いていたが、何しろ売りに行ったときは俺一人だったもんな。
ゴブリン数百体分のクリスタルだけでも相当な量だったのだ。
透明な結晶がカウンターいっぱいに積み上がる光景は、ちょっとした宝石店のようですらあった。
しかも、それだけでは終わらない。
通常個体より濃い色を宿した『
それを数個まとめて提出した瞬間、査定担当の目の色が変わった。
この世界におけるクリスタルの買取価格は単純明快だ。
基本は、以下の計算式になっている。
・レベル×レアリティ補正×百銭=価格
たとえば第壱層のレベル一ゴブリンなら百銭程度。
だが、レアリティが高ければ話は別になる。
特に『
……まあ、『既知外』階層に行けばそんなこともないんだが。
本来ならパーティで潜った場合、報酬は人数で分配される。だが俺は実質ソロ扱いだ。
つまり、買取額のすべてがそのまま俺の取り分になる。
(懐が豊かになると落ち着くな……)
胸ポケットに入った学生証兼キャッシュカードの感触を指で確かめながら、内心でホッと息を吐く。
前世でもそうだった。通帳の残高が減っていくと妙に不安になる性分で、使う予定がなくても貯金だけは崩したくなかった。
だからこそ、数字として“余裕”がある状態は精神的にかなり安心する。
しかも、これはたった二回のダンジョンダイブで得た収入だ。
これからのダンジョン探索が俄然楽しみになってくる。
――――
夕食を食い終えた俺たちは、人気のない場所で“異空間生成”を発動させた。
黒い渦が静かに空間を歪め、その中へ三人で足を踏み入れる。
「ただいま、なんだよ!」
「「ただいま」」
異空間へ戻るなり、サクラは嬉しそうに畳へ飛び込み、そのままごろごろと転がり始めた。
「やっぱりここ落ち着くんだよ~」
「完全に自分の家扱いだな……」
苦笑しながら周囲を見渡す。
もはや今の異空間は、ちょっとした隠れ家別荘みたいになっていた。
畳敷きの居間。簡易的な台所。レベルアップで追加された家具類。
最初は何もない畳だけの空間だったとは思えない。
俺は居間の椅子へ腰を下ろし、今日のダンジョンダイブを終えたステータスを確認する。
=====≪STATUS≫=====
名:影山幹隆
レベル35
職業:
スキル:ヒロイン召喚 レベル2
ステータス レベル4
∟【New】念話
異空間生成 レベル4
∟【New】時間制御
エイヴィヒカイト 形成
スキルポイント:10
パーティ:(リーダー)幹隆 レベル35、サクラ レベル35、マリィ レベル30
=================
今回のダンジョンダイブで獲得したスキルポイントを使い、“ステータス”と“異空間生成”をそれぞれ強化した。
その結果、新たに解放されたのが【念話】と【時間制御】。
『ヒロイン召喚』を次のレベルへ上げるには必要ポイントが「20」。さすがに今回は届かなかった。
(まあ戦力としては今のままでも十分だ。急いであげる必要もないな。)
サクラにマリィ。
現状、この二人だけで既にバランスがおかしい。
特にマリィとの“エイヴィヒカイト”は想像以上だった。
形成位階とはいえ、既知外層の第三階層程度なら単独制圧すら見えている。
スキルの『念話』の部分に目を通す。
・念話――
パーティメンバーと遠隔で会話可能。個々でオン・オフは設定可。
ステータス…………次のレベルまで残り6ポイント。
便利スキルだった。
今までは連絡手段がなかったので、無理やり「
(そのたびにサクラには怒られたが……)
特に酷かったのは、サクラがトイレに入っている時だ。
勢いで呼び出してしまった結果――丸一日機嫌を損ねられた。
「乙女に対して最低なんだよ!!」と、涙目で怒鳴られたのは記憶に新しい。
「マスター、今絶対変なこと思い出してたんだよ」
畳の上のクッションに転がっていたサクラが、じとっとした目を向けてくる。
とにかく、これからはちゃんと連絡してから呼び出すことができるな。
原作では学園から配布された学生証が連絡の手段になるが、サクラとマリィは正規の学生ではないし持つことはできない。
こんな広大な敷地の広い学園で連絡が取れないのはとても不便なので、このスキルは本当にありがたい。
授業が終わるたびに呼び出すのもヒヤヒヤしていたしな。
そして、『時間制御』。俺は新しく追加されたその文字へ視線を落とす。
・時間制御――
異空間内部の時間進行を調整可能。
異空間生成…………次のレベルまで残り6ポイント。
今までは、“俺が異空間に入っている間のみ外の時間が停止する”仕様だった。
そのせいで、夜の間ずっとサクラやマリィと過ごすことはできず、1人寮の自室で寂しい夜を過ごしていた。
俺が外に出れば、異空間内部の時間も現実と同じように流れてしまうからだ。
だが――この『時間制御』があれば話は別だ。
今まで通り、異空間内部だけ時間を止めて、実質的に“外の時間を消費せずに生活できる”こともできる。
また、その逆、異空間内部と外の時間を同じ時間で消費することもできる。
俺は、このスキル成長にどこか作為的なものを感じていた。
(『念話』も『時間制御』も……俺が欲しいと思っていた能力そのものだ)
離れていても連絡できる力。そして、三人で一緒に過ごすための時間。
まるで、俺の願望を読んだみたいに都合よく追加されている。
(……神のスキル、だからか?)
この世界へ俺を送り込んだ“女神”。あいつが、今もどこかで俺を観察している。
そう考えれば、この異常な噛み合い方にも説明がついた。
「……趣味悪いな」
小さく吐き捨てる。だが同時に、その監視すら利用してやるつもりだった。
「……幹隆」
声がして視線を上げる。いつの間にか、隣の椅子に
淡い金色の髪。透き通るような白い肌。そして、静かな翡翠の瞳。
マリィは真っ直ぐこちらを見つめていた。
「わたしは……幹隆に、人と触れ合えることの素晴らしさを教えてもらった」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。まるで、自分の気持ちを確かめるみたいに。
「だから、これからも幹隆の力になる」
細い指が、そっと俺の袖を掴む。
「幹隆は、わたしのことを使って、やりたいことをやってほしい。それが――わたしの願いだから」
静かな声だった。けれど、その言葉には確かな熱が宿っていた。
感情の薄かった少女が、自分の意思で“願い”を口にしている。
その変化が、なぜだか胸の奥に強く残った。
――――
転生して九日目。
まだ境界線の向こうから、陽の光がわずかに顔を覗かせ始めた頃。
薄青い朝靄の中を、俺は一人歩いていた。
向かう先は、自身の寮――
珍しく“朝帰り”だった。普段なら、浩一と男二人で寝ているだけの部屋。
だが、今となってはそこへ戻ること自体に妙な違和感があった。
(……もう、あの部屋を使うことも少なくなるか)
異空間。サクラとマリィが待つ、俺たちだけの領域。
畳の匂い。居間。増えていく家具。
今では、あちらのほうが“帰る場所”として自然になりつつある。
だから今日、寮に戻った理由も単純だった。――私物を全部、異空間へ移すためだ。
『時間制御』のスキルを獲得したから、現実での時間を気にすることもなくなった。
寮の移動そのものは自由なので、俺一人がいなくなっても問題ないと思う。
(ようは、ただの引っ越しだな……)
それに、この男子寮の雰囲気がどうにも肌に合わなかった。
男が女子寮へ頻繁に出入りしていれば当然目立つが、逆に、女子が男子寮にいる場合は話が早い。
力のある奴に隷属させられたパートナーか、あるいは半ば強引に囲われた新入生か。
そういう意味では、この
夜中、トイレで先輩が女子を抱いている声を聞いたこともあるし、廊下で壁に押しつけられたまま、ぼんやり虚ろな目をしている一年生を見かけたこともあった。
極めつけは寮長だ。
自分のパートナーを「一晩貸してやるよ」と笑いながら言ってきた時は、流石にドン引きした。
もちろん丁重に断ったが、そのせいで変人扱いされたのは、まあ仕方ない。
――ガチャ
扉を開け、自室へ入る。
だが、部屋の中に浩一の姿はなかった。ベッドは乱れたまま。
机には空になったペットボトル。昨日から戻っていないのだろう。
(……あいつも、どこかの寮で寝泊まりしてるのか?)
少しだけそんなことを考える。だが、今のこの学園なら別に不思議でもない。
俺は気にせず、私物を片っ端から異空間へ放り込んでいく。
制服の予備。教材。生活用品。大量のパッケージ版のエロゲーまで。
異空間へ収納された物は、居間に転送されるわけではなく、設定した『倉庫部屋』へ自動で送られる仕様になっている。
サクラとマリィに片づけをお願いしているから、おそらくやってくれるだろう。
やがて、部屋は驚くほどあっさり空になった。
「……さて」
一通り片付けを終えた俺は、玄関で靴を履き替える。
そして、そのまま校舎へ向かって歩き出した。
目的地は、自身の教室――『丙』クラス。
朝の冷たい空気を吸い込みながら、俺は静かに目を細める。
この学園にも、少しずつ“自分の居場所”ができ始めていた。
今日の授業は一般科目ではなく、翠先生が教鞭を取る専門授業だった。
――『迷宮概論』。
ダンジョン攻略者にとっての基礎中の基礎。
この学園における“常識”を学ぶ授業だ。
「ダンジョンでは、“スキル”と称される特殊技能を使用することができます。ですが、それは――」
教壇の前で、翠先生が静かに板書を進めていく。
教室の後方では、早くも寝始めている生徒がいる。
……まあ、気持ちはわかる。
逆に、食い入るようにノートを取っている奴もいた。
前世では勉強ばかりやってきたから、高校レベルの一般科目で躓くことはない。
今は、話を聞いている専門科目のほうが面白いと感じている。
(そもそも、なんでダンジョンなんてものが誕生したんだ?)
(ダンジョンで死んだ魂はどこへ行く?)
(GPバーやSPバーって、結局なんなんだ……?)
考えれば考えるほど疑問が尽きない。一般科目そのものは、前世と大差なかった。
数学も物理も化学も存在する。
ただ――歴史だけはだいぶおかしかった。
平安時代。陰陽師・安倍晴明。オーク討伐戦。
教科書でその文字列を見た時は流石に吹きそうになった。
『都を襲撃した鬼種群に対し、安倍晴明は式神を用いて迎撃――』
いや、何その平安ファンタジー。
(昔はダンジョンが身近だったのだろうか?)
現代では、関わろうとしなければ、存在すら知ることができないと言うのに……。
学園から配布されている教科書も独特だった。
普通の参考書というより、完全にゲームの攻略本に近い。
『第一階層・主要出現モンスター』、『ゴブリン』、『コボルト』、『推奨レベル』、『有効属性』、『行動パターン』……などなど。
ページを捲るたび、RPGのモンスター図鑑みたいな内容が並んでいる。
ちなみに弱点欄には――“頭部”“眼球”“股間”と書かれていた。
(いや、誰でも弱点だろそこは)
思わず心の中でツッコミを入れる。
そんなことを考えながら教科書を読んでいた、その時だった。
――ぞわり。
肌を撫でるような違和感。視線。しかもかなり強い。
サクラとマリィの二人と契約して繋がっている俺は、感覚が鋭くなっていた。
俺はゆっくり顔を上げ、教室を見渡す。
そして――見つけた。
原作主人公の『叶馬』だ。
教室の少し離れた席から、こちらをじっと見ていた。
瞬きすら少ない。感情の読めない目。相変わらずの無表情。
だが、その視線だけが妙に重かった。
まるで、何かを確かめるように、あるいは――観察するように。
(いや……めっちゃ見られてるやん。怖い怖い怖い)
なんだそのホラー映画みたいな凝視。
(また俺なんかやっちゃいました?)
現実逃避気味にそんなことを考える。
キーンコーンカーンコーン――――
鐘の音がなる。
「では、今日はここまでにします」
翠先生の終了を合図に、俺は急いで立ち上がり、逃げるように教室を後にした。
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俺たちは購買部での補給を終えた後、ダンジョンダイブの時間を調整するため、羅城門へ降りる階段手前の自販機コーナーで休憩していた。
吹き抜け構造になっている広い空間には、これから潜る生徒たちの熱気が満ちている。
武器を手入れしている者。
パーティメンバーと最終確認をしている者。
緊張を誤魔化すように騒いでいる一年生。
そんな喧騒の中、俺は無糖コーヒー片手にベンチへ腰掛けていた。
隣では誠一が、クラスチェンジについて得意げに講釈を垂れている。
「『
「……うわぁ。でもちょっと気になるかも。どんなスキル使えるんだろ」
麻衣が苦笑しながらジュースのストローを咥える。
『
クラスチェンジをするときに適応している中からランダムで選ばれ、自動で与えられるシステムだ。
「誠一、一つ聞きたい」
俺は缶コーヒーを揺らしながら口を開く。
「『
その瞬間、誠一の眉が僅かに動く。
「……いや、聞いたことねぇな。名前的に魔法を使う『
今日の授業中。
検証で使っていたスキル『
視界に映るクラスメートのステータスを流し見していた時、一人だけ職業についている奴がいた。
――影山幹隆。
前回のファーストダイブで生還した時点で、多少は気になっていたが、今回見えた情報はさらに異質だった。
レベル35。しかも、職業名が明らかに普通じゃない。
周囲の生徒たちはまだ、初期職の『ノービス』が大半だというのに。
(……面白い。本当に面白いな)
自然と口元が歪む。俺の直感が告げている。
――アイツは普通じゃない。
いつか手合わせ願いたいとこだ。
「フフ……ハハハハハ」
思わず笑みが漏れ、低く高笑いしてしまった。強い奴。
「いきなり、なんで笑い出したんだ」
「静香とのエッチでも思い出したんじゃないの?」
「……叶馬さん」
仲間たちの騒がしい声を聞きながらも、二回目のダンジョンダイブを前に、俺の心はひどく昂っていた。
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