「あなたが池田水輝さまですね。瑞原桂です。よろしくお願いします」
そう告げた桂が人当たりのいい微笑みを浮かべてみせる。だがその目は挑戦的に水輝を見つめていた。水輝がよいしょ、と手の中の機材を奥の机に乗せて振り返る。
「おれに苗字はねえよ。『水輝』ってのはコードだからな。まあよろしく」
淡々と言って水輝が桂に頭を下げてみせる。それから水輝は優一郎を見て首を傾げてみせた。
「ハイブリッドの生態を、きちんと検証し直す事を研究テーマとしています。ハイブリッドの中でも伝説的な存在である、水輝さまにお手伝い頂けて光栄です」
「伝説ねえ……。で? どうでもいいけどおれは座っていいのか?」
少し眉を寄せてから水輝が優一郎を伺う。優一郎は改めて桂と水輝にソファを勧め、外にいた研究員にお茶を頼んだ。桂と水輝がテーブルを挟んで向かい合わせに座る。研究員の運んできたお茶をありがたく受け取り、優一郎は何気なく水輝の隣に腰掛けた。三人分のお茶をテーブルに乗せて顔を上げると、何故か桂が少し不機嫌な顔をしていた。
「で、なにか? おれは結局、誰と寝ればいいんだ?」
難しい顔をして水輝が言う。
「桂さん、話が違わないか? 君が水輝さんに憧れていると言ったから、今日は来てもらったんだ。君の研究を手伝わせるためじゃない」
優一郎は困った顔をしてそう告げた。すると桂が少し顔を歪めてから改めて水輝に向き直る。のんびりと茶を啜っていた水輝が上目遣いで桂を見る。
「ハイブリッドは、誕生に至る経緯や、超人的な能力、そしてその美貌によって、色眼鏡で見られてきた経緯があります。正直、まだ私も偏見から離れられない部分があると思います」
「いや、あんたにそう見えるならそうなんじゃないか? 別に色眼鏡だろうがなんだろうが好きにすりゃいいじゃねえか」
水輝が湯飲みをテーブルに戻して淡々と語り、次いで優一郎に意味ありげな視線を寄越す。その視線の意味を読んで優一郎は思わず呻いた。何なんだ、この女は。水輝の目ははっきりとそう語っていた。
「だからこそ、憧れていた水輝さまと普通にお付き合いすることで、等身大に捉えられると思うんです。私の考え方はおかしいでしょうか?」
そう言って桂が上目遣いに水輝を見る。弱々しさを醸し出す表情に加え、桂の顔立ちはそこそこ整っているためにそんな態度を取ると余計に可憐な印象がある。だがそんな桂を一瞥した水輝がけっ、と喉の奥で言い放つ。
「はっきり言ったらどうだ? 色眼鏡で見られる変態的なハイブリッドの中に優一郎が入ってるのが我満出来ないから、一から洗い直してやる、だろ?」
ずらずらと並べ立てて水輝が軽く両手を広げて肩を竦める。
「ち、ちがいます。吉良博士は関係ありませんっ!」
慌てたように言ってから桂がはっと気が付いたように声を潜める。
「あの、私の話し方、生意気でしたでしょうか?」
不安そうな桂をじっと見てから水輝がやれやれとため息を吐く。それから水輝は桂の前にずいと右手を出してひらひらと振ってみせた。水輝の指には銀色の指輪が五つ嵌っている。
「あのな。もう少しまともな防御ピアス買ってこい。これでおれに筒抜けなんて、安物だろ、それ」
そう言ってから水輝が右手の指で桂の耳許を示す。長い髪に隠れていた耳を桂が慌てたように髪の上から押さえる。
「これは、ピアスじゃありません」
「ほー。防御なしでハイブリッドの前に出るなんざ、あんた勇気あるなー」
のんびりと言ってから水輝が湯飲みを取り上げて茶を啜る。どうも理由ははっきり判らないのだが、水輝は桂がやけに気に入らないらしい。二人のやり取りから優一郎はそう判断した。
「防御システムは組み込まれています。ですけど、失礼だと思って、最低レベルまで機能を落としておいたんです。吉良博士は決して、私の心を読んだりなさいませんから」
そう言ってから桂が自嘲するように笑ってみせる。水輝はふーん、と興味なさそうな返事をしてから肩を竦めた。
「それで? 難しい話はめんどくせえし、この際だからはっきり訊くが、おれはこの女とやればいいのか?」
不機嫌極まりない顔をして水輝が桂を指差す。優一郎は二人を見比べて考えを巡らせた。
「あの、吉良博士、席を外していただけますか?」
恥ずかしそうに少し俯き、桂が戸惑い気味の口調で言う。
「桂さん? 水輝さん?」
「いや、おれはこの女と話はなにもないし。優一郎の話だから引き受けたまでで、やらないなら帰るぞ」
恥ずかしがる桂とは対照的に水輝が不機嫌にきっぱりと言い放つ。
「水輝さま、あの、よろしくお願いいたします」
そう言って桂がぺこりと頭を下げる。すると水輝が何故かもの凄く嫌そうな顔をした。桂を指差していた手を力なくソファに落とし、何事かをぶつぶつと口の中で呟く。
「うん。決めるのは桂さんだからね。それじゃあ、二人ともその、頑張って、いや、頑張るじゃなくてえっと……」
混乱した優一郎は途切れ途切れに言った。慌ただしく席を立とうとした優一郎の腕を何故か水輝が捕まえる。
「居ろ。激しく、ここに居ろ」
優一郎は力任せに引っ張られてソファに戻された。
「な、何をっ! 水輝さんっ!?」
「やかましい! この女相手じゃ勃たねえんだよ!」
混乱しきって叫んだ優一郎に負けない大声で水輝が怒鳴り返す。その剣幕に圧された優一郎は唖然とした顔で水輝を見た。うー、と呻いた水輝が額を覆ってうなだれる。
「わ、私……」
どんよりとした顔をして桂がぼそりと呟く。すると水輝は嫌そうな顔で桂を睨んだ。
「他の男に惚れてるのに、無理やりおれにやられるのはあんたも嫌だろ? ほら、優一郎からも何とか言え!」
そう言って水輝が優一郎の肩をつかんで身体を揺する。
「水輝さんが、そこまで言うなら仕方ないだろう。桂さん、君はつまり研究のために好きでも無いのに水輝さんに抱かれようとしたと、そう言うことだね?」
ぐらぐらと水輝に揺すられながら優一郎は何とか言葉を紡いだ。その途端に桂が顔を歪めて泣きそうな表情になる。
「はい。申し訳ありませんでした。水輝さま、わざわざ会いに来てくださってありがとうございました」
「ふー、回避。あぶねー……」
優一郎の肩をつかんだまま、水輝が力なくうなだれる。微かなその呟きを聞き取って優一郎は思わず眉を寄せた。
「水輝さま。私は本当に嫌ではありませんでしたから。それだけは……」
じんわりと目に涙を浮かべて桂が小声で言う。その瞬間、水輝が弾かれたように顔を上げた。
「いや! あのな! ええと、その……」
きっちり優一郎の肩を握ったまま水輝がうろたえる。触れた場所を介して水輝の思惟を読んだ優一郎は瞼を半分閉じ、うろんな目で水輝を見た。
「どういうこと? 水輝さん」
優一郎はじろりと水輝を睨みつけた。そんな優一郎の視界に入らない位置で桂が祈るように手を組み合わせていた。水輝が慌ただしくそんな桂と優一郎を見比べる。
「いや、ええと……ご、ごめん。言いがかりつけた」
そう答えてから水輝が優一郎の肩からぱっと手を離す。それから水輝はぐるんと身体の向きを戻し、桂に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。こちらこそよろしくお願いします」
抑揚のない平坦な声で言ってから水輝が顔を上げる。するとそれまで泣いていた桂がぱっと明るい顔をする。
「ありがとうございます!」
手放しで嬉しそうな顔をする桂とは対照的に水輝の顔には表情らしいものがない。そんな二人を見比べて優一郎は首を傾げた。水輝が優一郎の方を見もせずに手をひらひらと振ってみせる。どうやら出て行けという意味らしい。なるほど、水輝さん流の駆け引き的な落とし術なのか。そう小声で呟いて優一郎は一人で納得した。無意識の優一郎の呟きを聞き取った水輝が慌てたように首を振っていたが、席を立ってソファに背を向けた優一郎はそのことには気が付かなかった。
後々もずっと出てくる瑞原桂の登場です。