絵面が……。
股間から笑い声を響かせ、雨のように水を撒き散らし、尻から排気ガスを出して駆けていく桂を人々が呆気にとられた顔で見送る。桂は自分の間抜けな姿に気が付き、悲鳴を上げながら人通りの多い場所を超高速で駆け抜けた。
『二号、こうして高速で走り抜けるのは清々しいですね』
しらっとした一号の言い草に桂は悲鳴を上げた。その間も足は動き続け、あっという間に桂は人通りのない場所に出た。やがて白く光る大きな壁が見えてくる。
『出力最大! ウルトラハイジャンプ!』
股間から威勢のいい声が響き渡る。次の瞬間、桂の身体は勝手に踏み切り、華麗なポーズをきめて壁に向かって飛んだ。空中で素早く身を捻った桂のこぶしが壁に突き刺さる。分厚い壁に一瞬で何回もこぶしを叩きつけ、桂の身体が反転して今度は蹴りを壁に飛ばす。とんでもなく分厚い壁に亀裂が走り、砕けたところに隙間が出来る。桂の身体はその隙間に潜り込み、立て続けに壁を殴り始めた。まるでもぐらのように桂はこぶしで砕きながら壁の中を進んだ。
やがて綺麗な青い空が見える。桂は人が一人やっと通れる大きさの壁の隙間から這い出した。とう! と股間から声が響いて桂の身体がくるくると宙を回転し、ポーズをきめて着地する。
そこはドームの外だった。
「今の声……」
桂は呟いて恐る恐る自分の股間を見下ろした。どうやらドームの中の人々は桂を追うつもりはないらしい。ドーム外に着地した桂は壁の高いところに空いた穴を見てからまた股間に目を戻した。
「妖精さん! あなたはっ?」
「この子の名前は清香っていうのよ。いつもはもっと真面目な子だから」
小さな声が聞こえてくる。むずむずとしたものを感じて桂は思わずいきんだ。
「んくっ」
桂が微かに声を漏らした時、膣からすぽんと妖精が飛び出す。地面に落ちた妖精はくしゅん、とくしゃみをしてから身震いし、羽根や身体についた水滴を落としてから桂の目の高さまで飛んできた。
「桂、ごめんなさい。あなたにだけ挨拶しなかったのは、こういう事だったの」
羽根をはためかせた妖精が笑みを浮かべて言う。桂は目を見張って小さな妖精を凝視した。
「佑さんっ! まさかっ!」
「いいえ、違うわ。これは清香。借りているだけよ」
小さな声で答えて妖精が微笑む。二人がやり取りしているその場所に、荷車を押した誰かが近付いてくる。森の中から現れたのは一人の老人だった。
「やれのう。お嬢さん、乗られますかな?」
老人がそう言って桂と妖精を見比べる。桂は不安に思いながら妖精の方を伺った。
「翠、あなた、何しに来たのよ!」
「おやおや、威勢がええのう。相変わらず」
妖精にのんびりと言い返した老人がほっほっほ、と笑う。桂は訳が判らず老人と妖精を見比べた。妖精の身体は違うようだが、中身は佑らしい。
「あの、まさかとは思うけど、あの子も来てたりしないわよね?」
妖精が伺うような顔をした直後、森の方から可愛らしい女の子の呼び声が響いた。みどりさーん、と言いながら手を振って一人の少女が駆けてくる。どうやら翠という名前らしい老人がほっほっほ、と笑う。
「おじいさん。この荷車の荷物……」
そう言いながら桂は荷車に乗せられた荷物を指差した。荷車にはガソリンの入ったポリタンクや交換用の部品、それにテントや携帯メンテナンス工具などが積まれている。そしてその脇には一冊の絵本が載せられていた。
駆け寄ってきた愛らしい顔立ちをした少女がぺこりとお辞儀をする。
「こんにちは……」
挨拶した少女が言いようのない複雑な顔をして妖精を見る。老人が一人のんびりとほっほっほ、と笑う。
「佑さん、ですね? そのお姿は、どうされたんですか? 水輝さんは?」
少し声を潜めて少女が妖精に向かって言う。
「えっと、ちょっと借りてるの。身体を、清香に。だから気にしないで」
そう言って妖精がにっこりと笑う。しばしじいっ、と妖精を見つめた少女が次に桂に目を移す。桂は慌てて少女に向かってお辞儀をした。
「こんにちは、奈月と申します」
「瑞原桂です」
にっこりと笑った少女に桂は慌てて名乗った。それから奈月という少女がしばしじいっ、と桂を見つめる。
「翠さん、こちらの世界では、その……裸でいらっしゃるのが普通なんですか?」
奈月がそう訊ねるのを聞いて、桂ははっと気付いた。しまった。裸なんだった。うっかり忘れていた。桂がわたわたと腕を振り回す間に翠がはてのう、と首を傾げる。
「そういう風習はないはずなんじゃが……。お嬢さん、特殊な趣味でも持っとるんかの?」
そう言いながら翠が一人納得したように頷く。
「そうなのよ、この娘ったら」
妖精がそう言ってぷぷぷぷ、と笑い声を漏らす。それを聞いた桂は真っ赤になってうろたえた。違う。あれは勝手に身体が動いて。あんな風に裸で通りを駆け抜けたり、水滴を撒き散らしたり、股間を晒したりする趣味は断じてない。桂は慌てながら必死で言い訳をした。
「ほう……。雨のようにのう……。撒き散らしたか」
感心したように翠が頷く。その横では奈月が赤い顔をして恥ずかしそうに俯いている。妖精が身体を震わせてばんばんと荷台の端を叩く。
「まあ、桂の趣味はさておき。奈月さん、わたしの事は気にしない。いいわねっ!」
さんざっぱら笑い飛ばしてから妖精がびしりと奈月を指差して言う。遠慮の欠片もなく笑う様を見た桂の心の中で妖精イコール佑と決定した。
「お約束できかねます」
奈月が固い声で佑に言い返す。
「とにかくっ! 水輝さんには幸せになってほしいでしょ?」
「だからこそです」
佑が声を張り上げると奈月がぴしゃりと言い返す。どうやらこの奈月という少女も水輝のことを知っているらしい。
「それじゃあ、明後日までは余計な口出しは無しってことで」
「それもお約束できかねますっ!」
佑の言ったことに奈月が即座に切り返す。すると佑がうっ、と呻いてうろたえた。奈月は相当怒っているらしい。それを見た桂はそうだろうそうだろうと頷いた。その傍では翠が一人で猥褻物陳列罪じゃのぅ、と呟く。
「こ、これは、スクラップにされそうになって仕方なく!」
するとそこで奈月がびかりと目をぎらつかせて桂を見た。どうやら何故か今の桂の言葉が奈月の怒りを上乗せしてしまったらしい。
「佑さん、早まらないでくださいねっ! ……翠さん、行きましょう」
奈月に促されて翠がほっほっほ、と笑いながら荷車を置いてドームに向かっていく。その隣に寄り添った奈月が何度か佑を振り返る。やがて二人の姿は小さくなって見えなくなった。
「ま、本当の本気で好きあってるなら、あれくらいの試練は乗り越えてもらわないとね」
佑がそう言ってうんうんと頷く。だがその額には汗が一筋流れていた。顔を寄せてそのことを確かめた桂は訝りに眉を寄せた。もしかしてあの奈月という少女は怖いのだろうか。
「これ、用意してくれてたのね」
ふわりと飛んだ佑が荷車の荷物の中から絵本を引っ張り出す。その絵本のタイトルは『ようせいのひめ』と書かれていた。
翠はかなり年食った状態です。