今日の理子はプールに遊びに行っていたらしい。
あのね! ワニさんのがね! 牙が出ててかっこいいのー! つかまって泳ぐとしっぽがぷかぷかするのだ!
と、嬉しそうに報告してくれた。そのことを思い出して優一郎は自分の席で遠い目をした。そういえばプールなんていつから行っていないだろう。何となく考えを巡らせてから優一郎は慌てて首を振った。
「森、か」
時空が歪んでいるからトレースし難いんだけど、時空のゆがみを巧みに避けているから逆にトレースはできるな。そう呟いて優一郎は意識の糸を細く伸ばし桂の行方を探り続けた。
居住区を覆うドームの外には広大な森がある。優一郎は腕組みをしてじっと桂の行方を探り続けた。真剣な顔で黙り込んでいる優一郎を気遣っているのか、研究員たちは誰も話しかけてこない。
桂を探している途中で実鈴の言っていたものの気配も少し見えた。実鈴から渡されたあれは水輝の卵子と優一郎の精液を混ぜたものだった。どうやらあれは佑が一度、姿を消した時に一緒に森に飛ばされてしまったらしい。だが時空の歪みに捕まったのか、そこから先の気配が途絶えている。
とにかく今は桂の行方をつかむのが先だ。ドームの壁に穴を空けて逃亡をした桂はふらふらと森の中を彷徨っているらしい。
卵は佑が持ち去ったと考えたほうがいいか。いったい、何を企んでいるんだ? 優一郎は慎重に桂の気配を辿りながら目を細めた。桂の動きはさほど速くない。だが、森の特殊な状況下で成り立っているために気配を探るのが難しい。優一郎は焦る気持ちを抑えて慎重に桂の行方を辿った。
今朝、水輝の記憶の中に見た佑は花びらとなって散っていた。水輝は殺したと言ったが、実際に佑を刀で刺したりなどした訳ではなかったのだ。そして消え方から考えても佑が龍神でなかったことは判る。それに記憶の中で水輝は一号と佑が妖精だと話をしていた。
ドームの外の広大な森に棲む妖精の伝承は物語などに形を変え、文献には残されている。あの一号機はずっと佑の支配下にあったと考えるべきか。そう考えて優一郎はじっと端末の画面を睨んだ。仕事の合間を縫って、文献についてはざっと調べてみた。簡単に検索するだけでもそれらしい情報は幾つも引き出せる。それだけこの世界の深いところに妖精の伝承が根付いているのだ。
にもかかわらず、彼らがドームの外に出て実際に目で確かめようとしないのは、ひとえに彼らがドームの外には毒に満ちた世界が広がっていると信じ切っているからだ。実際にこのドームに囲まれた区域がフィルターの役割をし、汚染を閉じこめているのだと知る者は殆どいない。
「あの、吉良博士? コーヒー、はいりました」
控え目な声で言って祥子が優一郎にコーヒーカップを差し出す。優一郎はいったん、捜索の力を保留にしてコーヒーカップを受け取った。一度、捜索した場所には目印を付けておけば、次はそこから先に進むことが出来る。
「ありがとう」
にっこりと笑った優一郎に祥子が微笑みを返す。それから祥子はさりげなく優一郎に耳打ちをした。
「そういえば、昨日のニュース、拝見しました。あの……おめでとうございますって言うのは不謹慎でしょうか?」
小声で言ってから祥子が笑みを浮かべる。
「ありがとう。素直に嬉しいから」
照れくささに赤くなって優一郎は小声で答えた。昨日の事故のために集まった報道陣の前で、水輝がきっぱりと優一郎を好きだと宣言した映像がリアルタイムで報道として流れてしまったのだ。そのおかげで優一郎は『塔』に出勤して興味津々の目で見られた。だが不思議と祥子のようにはっきりと言う者はさほどいなかった。
「そうですよねぇ……。吉良博士、このところずっと悩んでらしたでしょう? 池田さんが例の件でアルバイトしてるときも」
祥子は秘書的な役割を果たしているだけあって、目が利く。きっと優一郎の様子をいつも気にしているのだろう。
「はい……」
この十日ほどで何もかもが変わってしまった気がする。優一郎は心の中で呟いた。最初は水輝をそんな風に見ようとはしていなかった。だが今ではこんなにはっきりとした想いがある。
「ですから、本当に良かったと思って。だってお似合いですし」
くすりと笑って祥子がそう耳打ちをする。
「ありがとうございます」
照れくささを感じつつも優一郎は小声で礼を言った。すると祥子があ、と小さな声を上げる。
「そう言えば……池田さんのあそこって……男を狂わせる魔窟って言われてましたけど……あの……お身体は……その」
急に心配そうな顔になって祥子が優一郎の顔を覗き込む。
「問題ありません」
くすりと笑って優一郎が頷くと祥子がほっとしたような顔をする。どうやら本気で心配されていたらしい。
「密かに池田さんを追い回していた方々もいたらしくて。あの方、かなりの人気者みたいですね。これは作戦部の友達に聞いたんですけど」
くすくすと笑って祥子が言う。それを聞いた優一郎はにっこりと笑って端末を操作した。笑顔で誰? と問うと祥子が不思議そうな顔をする。
「あの……噂程度ですよ?」
そう言いつつも祥子は友達という人物を紹介してくれた。優一郎はにこにこと笑いながらその友達なる人物に早速電信を入れ、水輝に恋慕しているという者たちのリストを作り上げた。
何かを企んでいるに違い無い佑も脅威だけど、侮っていると足下をすくわれる可能性もあるし。特に実鈴は危険だ。そう思いながら優一郎はリストに記された人物たちを一人一人チェックした。幸い、リストに名前が載っている中で、特に水輝が気にしているような者はない。やはりこの『塔』では実鈴が一番危険なようだ。今日も昼に一緒に食事をしている時、水輝は何気なく実鈴と話をしていたが、実鈴に対して水輝はあまり警戒心を抱いていないように見えた。しかもどういう訳か、性的なことを嫌っていたと思われていた実鈴が、ここ最近になってやけに水輝をそういう目で見ているように感じられる。
手を打つか。優一郎は心の底で呟いた。そうなるとまずは実鈴の周辺の人間関係を探る必要がある。こういう時こそ情報部を頼るべきだろう。優一郎はしばし考えを巡らせてから、韮山に電信を入れることにした。白草実鈴に関するデータが欲しいと簡潔に記した電文を作り、優一郎はそれを早速韮山に宛てて送った。
理子は相変わらず優一郎には通信を使って会話しています。
ドーム外に出た桂がふらふらしているように見えるのは、佑と移動しているからです。