ふと、視界が暗くなる。蒼藍はため息を吐いて近付いてきた人物を見た。さっきおどおどと蒼藍のことを伺っていたあの女教師だ。
「なにか?」
「あ、あの、蒼藍さん。もう少しクラスメイトと仲良く……」
「それを大きな世話だと言うんだと思いますけど? もしかして何か勘違いしてませんか」
滑らかな口調で言って蒼藍は薄い笑みを浮かべた。女教師が頬を染めて焦ったように周囲を見回す。短い休憩時間を利用して移動しているのだろう。廊下を行く見知らぬ生徒たちが不思議そうにこちらを見ている。
「別にあなたに好意を抱いたとか、そういうことではありませんので念のため」
すげなく言ってから蒼藍はまたそっぽを向いた。すると女教師が泣きそうに顔を歪める。やれやれと心の中でため息を吐いて蒼藍は呆れた顔で女教師を見た。
「生徒を個人的に贔屓するのはどうかと思いますが? そういうご趣味なら、担当クラスの男子全員にお見せになったらいかがです? ちょうど、さかりのついた年頃ですから、さぞ喜ばれると思いますよ」
すらすらと言ってから、蒼藍は失礼、と断って廊下を横切った。廊下に取り残された女教師が身体を震わせて俯いている。その様を肩越しに見返ってから蒼藍は教室に戻った。
賑やかだった教室内が急にしんと静まり返る。蒼藍は黙って自分の席に戻った。それまで楽しそうに佑と話をしていた世話役の女子生徒が慌てたように離れていく。蒼藍が着席したところでタイミング良く、授業開始を報せる鐘が鳴った。
蒼藍は教科書を机の中から引っ張り出してぱらぱらとめくった。すぐに科目担当の教師が現れ、授業が始まる。隣の席に座る佑は前とは違い、目を輝かせて授業を熱心に受けている。蒼藍は嬉しそうにしている佑をちらりと見て微笑みを浮かべた。昼までの長い授業だというのに佑は飽きなかったらしい。蒼藍は必要な部分だけをノートに書き込みつつ、佑のことを時折伺った。
やっぱり飛び級はして正解だったのかも知れない。真剣な顔で授業を受ける佑はとても可愛くて、見ていて楽しい。そんな佑を見ているうちに自然と蒼藍の機嫌も良くなった。
「蒼藍、飛び級してよかったね」
佑が嬉しそうに微笑みながら小声で耳打ちする。くすぐったいものを覚えながら蒼藍は微笑みを浮かべてええ、と頷いた。
やがて授業が終了し、昼を報せる鐘が鳴る。蒼藍は元通りに教科書とノートを机にしまいながら、さりげなく教室内の様子を伺った。どうやら彼らは佑とは親しくなりたいようで、ちらちらとこちらを伺っている。
「佑さん。昼食はどうしますか? 一階に食堂もありますが、寮に戻っても食事はとれますよ」
蒼藍はにこりと佑に笑みかけて訊ねた。
「蒼藍、その前に」
そう言って佑が立ち上がり、二人を遠巻きに見ていたクラスメイトたちに向き直る。蒼藍は訝りに眉を寄せてすぐ傍に立つ佑を見上げた。
「皆様、蒼藍が無礼な態度をとりまして、誠に申し訳ありませんでした。わたしが変わりましてお詫び申しあげます」
佑が深々とクラスメイトに頭を下げる。それを見た蒼藍は驚きに目を丸くした。すると何故か遠巻きにしていた生徒たちの間にどよめきが起こる。
「佑さん? 何なんですか、一体」
蒼藍は渋い顔をして小声で訊ねた。
「蒼藍。あなたも謝罪なさい。それから、今後、他の方に対して意味も無く無礼な態度をとることを禁止します」
佑が凛とした口調できっぱりと言い切る。蒼藍は深々とため息を吐いて額を覆った。
「佑さん。彼らはぼくではなく、あなたに興味があるんですよ。だからぼくがどんな態度を取ろうが関係ありません。ねえ?」
そう言ってから蒼藍は遠巻きにしてざわめいている生徒たちをちらりと伺った。口許に薄い笑みを浮かべた蒼藍を見止めた生徒たちが慌てたように頷く。ほら、と言ってから蒼藍は佑に目を戻した。
「蒼藍。あなたがどんな振る舞いをしようとも、わたしには関係ないと言うのですか?」
「もしかして姫と騎士あたりの関係性で引っ張ろうとしてますか?」
蒼藍は肘杖をついてにやにやと笑いながら佑を見た。毅然としていた佑がぴくりと眉を寄せて蒼藍を見る。見る見るうちに佑が真っ赤になって俯く。
「わ、わたしは……」
消え入りそうな声で呟いて佑が急に泣き始める。蒼藍は疲れたため息を吐いて席を立った。
「いいですよ。とりあえず詫びましょう。無礼を働いた気は毛頭ないんですがね」
流れる口調で言ってから蒼藍は遠巻きにしていた生徒たちに向かってぺこりと頭を下げた。ごめんなさい、と言うと生徒たちの間にまたどよめきが走る。それから蒼藍はくるりと振り返って佑の前に跪いた。
「これくらいは慰謝料としていただいておきますね」
そう言うが早いか、蒼藍は佑の手を取って手の甲に口づけた。その瞬間、何故か教室の中に女子生徒の悲鳴なのか歓声なのか判らないものが響く。
「蒼藍……!」
頬を赤く染めたまま、佑が困ったように視線を彷徨わせる。蒼藍はくすりと笑って立ち上がり、佑の手をしっかりと握りしめた。
「前から言っているでしょう? 一年後にはあなたはぼくのものですから」
他の生徒たちには聞こえない程度の小さな声で蒼藍は言った。しばし沈黙した後、佑が顔を上げて涙を拭く。
「……食堂で、食べましょう。結局、初日は使えませんでしたし」
「お友達と食べられるんでしたら、ぼくは席を外しますよ。邪魔をしても悪いですから」
さっきのやり取りで興味を持ったのか、幾人かの女子生徒が目を輝かせてこちらを見ている。さっきのやり取りは釘を刺したも同然だから、下手に佑に手を出そうとする者はないだろう。そう判断して蒼藍はうん、と頷いた。
「蒼藍……」
涙の浮いた目で佑が上目遣いに蒼藍を見る。佑の心細そうな顔に少し心が痛んだが、蒼藍は苦笑を浮かべて首を振った。
「すみません。佑さん以外の方と一緒にいると、また暴言を吐いてしまいそうなので。昼休憩の後でまた会いましょう」
それでは、と会釈をして蒼藍は佑の手を離して静かに席を離れた。その瞬間、堰を切ったように生徒たちの輪が崩れ、佑が取り囲まれてしまう。そんな様をちらりと見返ってから蒼藍は静かに教室を出た。
佑が激しく困ってますw