「蒼藍、こっちに来て」
蒼藍の手をつかんだ佑が、何故か寮がある方とは違うところに向かって歩き出す。蒼藍は訝りを覚えて周囲を見回した。生徒たちは今日の授業を終えてのんびりと自分の部屋に向かっている最中だ。なのに何故か佑は学舎の裏に向かって歩いていく。
「あの、佑さん? どうしたんですか」
「今なら大丈夫。跳ぶわよ」
学舎の裏手の、人目のない場所にたどり着いたところで佑が転移の魔法を使う。蒼藍は息を飲む間もなく、寮の自分の部屋に転移させられた。
「どうしたんですか、一体」
蒼藍はこみ上げてくるものを懸命に堪えながらにこりと笑い、佑に問い掛けた。
「体調、かなり悪いでしょう?」
険しい顔をして佑が言う。蒼藍は少し目を見張ってから苦笑を浮かべた。
「心配ありませんよ。すぐに治まりますから」
きっと佑は心配してここに運んでくれたのだろう。気遣いにありがたいものを感じながら蒼藍は頷いてみせた。
「とりあえず、着替えてなさい。夕食に食べるもの作ってくるから」
厳しい顔でそう言い放った直後、佑の姿がかき消える。蒼藍は疲れたため息を吐いて部屋の隅に寄り、洗濯用の籠に汗まみれになった体操着を放り込んだ。佑の貸してくれた上衣を脱いだところで蒼藍は手を止めた。
判ってないんだなあ、あのひと。そう呟いて蒼藍はじっと佑の上衣を見つめた。きっと佑は親切でこれを貸してくれたに違いない。なのに自分は佑の服を着ただけで欲情してしまう。情けなさにため息を吐いて蒼藍は佑の服をそっと机に乗せた。のろのろと下履きを脱いだところで深々とため息を吐く。
「やっぱり……」
うんざりした気分で蒼藍は自分の股間を見下ろした。佑と手を繋いだり、軽く口づけたり、さっきのように服を借りただけでもこんな風に身体が反応してしまう。蒼藍はそそり立った自分のペニスを見つめて顔を歪めた。
とりあえず身体を拭かないと。蒼藍は重い身体を引きずって荷物の入った箱からタオルを取り出した。激辛林檎入りパスタの効果は大分治まっているようだ。蒼藍はその場に水を呼んでタオルを適度に濡らしてから身体を拭き始めた。
汗で汚れた服と身体を拭いたタオルをまとめて籠に放る。のろのろと着替えを済ませて蒼藍はぺたんと床に座り込んだ。
「あ、佑さんの服、畳まないと」
呟いて重い腰を上げて蒼藍は机に寄った。だが一度、自分が着てしまったものだ。洗って返した方がいいかも知れない。そう思いながら蒼藍は佑の上衣を取り上げてぼんやりと見つめた。服に残った佑の気配を感じると目眩に襲われる。蒼藍は震える手でそっと佑の上衣を抱きしめた。
不意に背後に佑の気配が現れる。蒼藍はぎくりと身を竦めて慌てて振り返った。
「蒼藍、消化に良い食べ物、作ってきたわ。冷めないうちに食べて」
皿の乗ったトレイを持って佑がにっこりと笑う。蒼藍は両腕に抱きしめていた佑の上衣を慌てて突きだした。
「あ、あの、これは洗って返した方がいいですよね?」
「サイズは変わらないはずだし、そのまま使っててもいいわよ」
トレイを机に乗せながら佑が言う。使う、と呟いてから蒼藍は頭を強く振った。何を考えているのだ、自分は。心の中で自分を叱りつけて蒼藍はにこりと佑に笑みかけた。
「いえ、ぼくも自分のはありますから、洗濯してお返しします」
不埒な考えを頭から追い出して蒼藍は佑の上衣を椅子の背にかけた。それから机の前にぺたんと座る。蒼藍の部屋にはベッドと学習用の机と椅子、それに背の低いテーブルが置かれている。蒼藍はテーブルに置かれた料理を見つめて微笑みを浮かべた。
「これ、佑さんが作ってくれたんですか?」
「ええ。食欲無くても、これなら食べれると思って」
照れているのか、テーブルを挟んで向かい合って座った佑が少し俯く。蒼藍はスプーンで皿の中身をすくって口に運んだ。
「美味しいです。ありがとうございます」
柔らかな味付けにほっとして蒼藍は素直に礼を言った。胃がもたれていたから夕食は抜こうと思っていたのだ。だがこれなら何とか食べられる。
「蒼藍。ひとつ聞きたいことがあるの。どうして、わたしとの対戦を避けようとしたの?」
真向かいに座っていた佑が真剣な顔をして言う。蒼藍はしばし視線を彷徨わせてから諦めのため息を吐いた。
「ぼくは本気で戦ったら、我を忘れてしまうからです。佑さんを相手にとても手加減なんて出来ませんし……」
蒼藍はそう言いながら何となく視線を下げた。佑の作ってくれた粥をスプーンにすくい、細い息を吹きかけて口に運ぶ。
「それは問題ね……。本気じゃないもの。それって」
「そうなんですか?」
佑の神妙な物言いにつられて蒼藍は目をあげた。佑はじっと蒼藍を見つめている。
「それで、あれだけ戦えるなら問題無いかもしれないけれど……。常磐さんからは、何も言われなかったの?」
「ええ。今のところは何も。まだ修行中の身ですから、ぼくは」
剣も魔法もまだ修行は明けていない。蒼藍は苦い気分でそのことを白状した。一年、という条件付きでここには通っているが、あの家に戻ったらまた修行は再開される。その約束で蒼藍は佑と一緒に学校に通ってもいいという許可を貰ったのだ。
「そうよね。結局、自分で気付いて自分で乗り越えるしか無い問題だし。ごめんなさい。余計な事を言ったかも」
そう言って佑がぺこりと頭を下げる。居たたまれないものを感じて蒼藍は俯いた。黙々と食事を平らげてから顔を上げる。
「いえ。ぼくも色々甘えてるんだと思います。佑さんと一緒に居られるということではしゃいでいたのかも知れません」
静かな声音で言ってから、蒼藍はごちそうさまでしたと頭を下げた。
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。蒼藍の事をだしに使って、わたしのほうがよっぽど学校に通うことを楽しんでる気がするし」
「楽しいですか?」
穏やかに笑って蒼藍は訊ねた。佑が楽しんでくれているなら嬉しい。その意味を込めて蒼藍は佑を見つめた。
「とっても。わたし、嫁ぐまではずっと一人きりだったから」
「そう言えば学校には行ったことがないって言ってましたよね。結婚するまで一人、ですか?」
佑が自分の片親である水輝という名の龍神と結婚したことまでは知っている。だがその辺りの詳しい経緯を蒼藍はこれまで聞いたことがなかった。佑の態度から色々と推測出来ることはあるが、あくまでもそれは推測でしかない。興味を覚えて蒼藍は佑をじっと見つめた。
「そうよね。蒼藍にはわたしがどういう存在なのか、きちんと知ってもらっておいたほうがいいわよね」
呟くように答えて佑が儚げな笑みを浮かべる。蒼藍は訝りを覚えて少し眉を寄せた。もしかして佑に話をしてもらうことによって、佑には負担がかかるのではないだろうか。だが佑のあの奇妙な態度の理由はそこに隠されているような気もする。考えを巡らせた末に蒼藍は黙って佑の話を聞くことにした。
「わたしは本来は、まやかし、夢、まぼろし、とでも言うしかない存在なの」
静かな声で佑は話を始めた。佑はある世界の妖精だった。だがとある時に佑は別の世界に召喚される。そこで佑は立城という名の龍神に育てられた。時の流れや現実の世界を無視した特殊な場所で佑は立城に様々なことを教え込まれた。
本来、佑という名の存在はその世界にははっきりとした形になってはいなかった。とある龍神が女の性を纏ったときに現れる人格に佑の名が附されていたのだという。その佑は水輝の手にかかって殺され、それと入れ替わるように今の佑が現実の世界に呼び出された。
佑は水輝を好きになるようにと育てられ、そして二人は結ばれ、子供が出来た。佑の話を聞いているうちに蒼藍の顔からは表情が消えていった。
「どこまでが、もともとの佑の記憶で、どこまでがわたしの記憶なのか渾然となってしまってわからないのだけど。今のわたしと、本物の佑が別人なのは確かね」
「だから佑さんはまやかしだと?」
蒼藍は机に肘杖をつき、佑を見つめながら低い声で言った。
「でも、その時に主龍神やってたとある女の子が、この世にまやかしなんて存在しませんなんて無茶な事を言っちゃったの」
「ああ……奈月さんですか」
ちらりと聞いたことがある話を思い出して蒼藍は呟くように言った。奈月というのは蒼藍の育ての親である龍神だ。
「彼女も、わたしもおじさま……立城さんに、同じ用途に用いるために作られたの。わたしはきっと予備だったんだと思う」
そう告げてから佑が少し視線を下げる。蒼藍はじっと佑を見つめて怒りに近い感情を覚えていた。
「奈月さんについての話はここではこれ以上はやめておきましょう。彼女のいない場所で彼女の事について語るのは悪いから」
淡々と言って佑が頷く。そうですね、と同意して蒼藍は佑の話の続きを促した。
「それで? 佑さんは現実世界に現れ、実体化しました。その続きは?」
佑がこくんと頷いて言葉を継ぐ。
佑の言うことを聞いて蒼藍が段々苛々です。
まあ……佑だから……仕方ないけど……。