耳を押さえて水輝は低く呻いた。
「いえっさー……」
寝ぼけた声で返事をしてから水輝は寝返りを打った。ずれかけた毛布を引っ張り上げて頭まで被る。
「えー……んー……じゃあ、二時間後……あー」
はっきりしない声で受け答えをしながら水輝は眉間に皺を寄せた。曖昧に返事をしてから水輝は耳にあてがっていた通信機のスイッチを切り、耳から外した。毛布の中から手を出して枕元にそれを戻してから身体を丸める。
どうやら佑は出かけてしまったようだ。隣に誰もいないことを確認してから水輝はしばらくベッドの中でまどろんでいた。十分ほど毛布にくるまってから仕方なく起きあがる。
「あー……そうか。飯とかないんだっけ」
寝起き特有の掠れた声で呟いて水輝はのろのろとベッドを降りた。キッチンに入ったところでテーブルに食事が用意されていることに気付く。どうやら佑が出掛けに準備してくれていたらしい。温め直すだけですぐに食べられる食事に感謝して、水輝はそれをまとめて温め用の機械に突っ込んだ。その間にシャワーを浴びにバスルームに向かう。
なんか寝た気がしねえ。そんなことを思いながら水輝はシャワーを浴びて着替えを済ませた。キッチンに戻って機械から皿を引っ張り出し、テーブルに並べる。端末で今日のスケジュールをチェックしながら、適当にニュースもチェックする。その間に食事を済ませてから水輝は寝室に戻った。
「あ?」
枕元に放り投げていた通信機が受信を報せるライトを明滅させている。水輝は怪訝に思いながら通信機を耳にあてがった。
「はい?」
一体、誰だろう。そんなことを思いながら受信した水輝は聞き慣れた優一郎の声に思わず眉を寄せた。
「何だよ、朝っぱらから」
不機嫌な声で水輝は通信機の向こうにいる優一郎に話しかけた。
『水輝さん。今日、予定は空いていますか? 相談したいことがあるんです』
妙に改まって優一郎が言う。それを聞いた水輝は眉間のしわを深くした。こめかみを指で押さえながらキッチンに移動する。
「一応、今日も『塔』には行く予定だが? 時間、とんのか?」
携帯端末のスケジュール表を見ながら水輝はそう訊ねた。
『それほどは、とらないと、思います』
「ふーん。じゃあ、夕方頃でいいか? その前はちょっと詰まってて」
水輝は難しい顔をしてそう言った。今日は悪いことにアルバイトが詰まっている。さっき打診してきた者も入れると昼前から夕方まで空き時間がない。
『すみません。よろしくお願いします』
「あ、何なら通常勤務時間の後にするか? 仕事の後の方がいいならそうするが?」
ふと気付いて水輝は端末を操作した。今日は夕方から夜までは特に何の予定も入っていない。
『あっ、そうですね。そのほうがいいと思います』
「それじゃ、その頃に」
話を終えて水輝は通信を切った。通信機と携帯端末をズボンのポケットにねじ込み、テーブルの上に放り出していた煙草をさらう。一本咥えて火を点けたところで水輝は顔をしかめた。どうやらこっちも買い足さなければならないらしい。この世界には水輝の好む煙草がなく、取り寄せなければならないのだ。舌打ちをして空になった煙草の箱をごみ箱に放り、水輝はジャケットを着ようとしてふと気付いた。
「そう言えば昨日、あいつに掛けたっきりか」
まあいいか、と呟いて水輝はクロゼットから別のジャケットを引っ張り出した。袖を通しながら口の中で今日のスケジュールをぶつぶつと呟く。
「情報局だろ、総務部だろ、ええと、技術開発、医療部……」
指折り数えてから水輝は深々とため息を吐いた。下手をすると各部総なめになってしまうかも知れない。
「ま、いっか」
そう呟いて水輝はクロゼットの扉を閉め、急いで家を出た。ここから塔は少し距離がある。公共機関を乗り継いで水輝は最速のルートを辿って『塔』に辿り着いた。入り口でチェックを受けた後にゲートを通って情報局の棟に向かう。
「っと」
入り口のところで鉢合わせになった女性を避け、水輝は人目につかない場所を選んで通って建物の上層に向かった。目的の場所がある階層に着いたところでエレベーターが開く。降りようとした水輝は目を細めて前方を見た。
知らない女がエレベーターの前で腕組みをして立っている。エレベーターが来るのを待っていた、という雰囲気ではない。そのことに気付いてはいたが、水輝は素知らぬ顔をしてエレベーターを降り、女を避けて歩き出した。
「はじめまして、こんにちは」
「はい、こんにちは。さようなら」
背後から話しかけてきた女にぶっきらぼうに答えて水輝は片手を上げてみせた。こんなところで誰かと呑気に話している暇はない。約束の時間が近いのだ。知らん顔をして歩き続ける水輝の後を女がなぜか追ってくる。
派手な顔立ちをした女は挑発的な服装をしていた。ボディラインがはっきりと浮き出るデザインの服を身に纏い、大股で水輝に追いついてくる。
「お待ちになっていただけます? わたくし、あなたに用があるんですの」
水輝に並んで歩きながら女がにっこりと笑う。水輝はだが女をちらりとも見ずに歩き続けた。
「おれはこの通り急いでる。しかもおれはあんたには用がない。ので、待たない」
淡々と答えながら水輝は廊下を折れた。だがやっぱり女がついてくる。
「吉良博士に関係する件ですわ」
女が言った瞬間、水輝はぴたりと足を止めた。すると女が勝ち誇ったような笑みを浮かべて満足そうに頷く。
「用件は簡潔に言え。くだらねえことだったら張り倒すぞ」
水輝は顔をしかめて機嫌悪く女を促した。
「簡潔に述べれば、吉良博士の醜聞。になるかしら」
でも、吉良博士には責任は無く濡れ衣ですから、醜聞というのはおかしいですわね。女が考えるような顔をしてそう付け足す。
「醜聞?」
しかも濡れ衣かよ、と呟いて水輝は頭をかいた。考えを巡らせてからため息を吐く。
「……あんたもしかして、韮山って男の関係者か?」
「わたくしの上司の名前をすぐに言い当てるとは、さすがに優秀なエージェントですわね」
「そうじゃない。おれのアルバイト依頼人がその男ってだけだ。くそ、バイト代が」
今日の最初の客はどうやらこの女と引き合わせるためだけに水輝を呼びつけたらしい。そのことに気付いて水輝は舌打ちをした。これではバイト代どころか無駄に時間を使わされるだけだ。
「そんな情けない顔をなさらないでも、きちんとお支払いしますわ」
「仕事をしないのにバイト代貰えねえだろ。それで? 優一郎がどうしたって?」
苛々しながら水輝は女を促した。
「妙なところで律儀ですのね。こちらへいらっしゃってくださいます?」
そう言って女が今度は先に立って歩き出す。水輝は仕方なく女の後を追った。女が廊下を進んでとある部屋のドアを開ける。その部屋は小さく、そして無人だった。机が数台並べられていて、端末がある以外には何もない。水輝は仏頂面をして女に続いて部屋に入った。
「こういうサイトがあるのはご存知?」
そう言って女が端末を操作する。水輝は訝りながらも端末画面を覗き込んだ。女が慣れた調子で端末を操り、とあるページを開く。そこは違法の裏動画を売買するサイトだった。
「まあ、あるってことくらいはな」
それがどうした、と水輝はしかめ面で呟いた。
「今、ナンバーワン人気の商品を今から購入しますわ」
女が意味ありげに笑って端末を操作する。水輝は感慨のない目で女のすることを眺めていた。必要な手順を踏んだ後、女の購入した動画が端末にダウンロードされる。その後、女は端末画面にその動画を表示させた。
「げ」
それを見た水輝は思わず声を漏らした。映し出されていたのは医療局で検診を受けた際に局員たちの騒いでいた、あの動画だった。
やばー……。水輝は動画を見ながら心の底で呟いた。もしかしたら今朝のあの優一郎の通信はこの件なのではないだろうか。
「この動画の出所も、調査結果が出ておりますの。あなたの、いわゆるアルバイトですけど……、最近、商売繁盛してたりしません?」
「まあ、そう言えばそうかな」
水輝は考えを巡らせながら小声で答えた。画面の中では水輝と優一郎が艶めかしく交わっている。だがこれは現実にあった光景ではない。あくまでも無意識の作り出したものに過ぎない。……が、実際にこれを見た者には見分けがつかないだろう。しかもそういう目的で購入するなら、動画が現実だろうが仮想だろうが、客にとってはどうでもいいことだ。
このエピソード、女としか書いていないんですよね(汗)
水輝と話しているのは愛華です。