機体点検用の道具は全部揃った。他に忘れ物がなかったかと考えながら桂はトランクを引きずって指定された場所に急いだ。初めて入った総管理局の棟は、研究室のある棟とは随分と違って見える。構造的にはさほど違わないのだが、こちらは人がけっこう賑やかに出入りしているらしい。しかも彼らは白衣を着ていない。それだけでも桂の目には印象がまるで違って見えた。
指定された部屋の前で緊張に身を固め、桂はおずおずとドアをノックした。中から返事したのは女性の声だった。失礼します、とドアを開けて部屋に入った桂を佑が笑顔で迎える。
「いらっしゃーい。うん、かなり緊張してるみたいね」
かちこちに緊張した桂を見て佑がうんうん、と頷く。そんな佑の周辺には桂の見知らぬ人々がいた。だがどの人も佑と同じように人懐こい笑みを浮かべて桂を見ている。
「初任務なんですから、緊張して当然だと思います」
「うーん、天然で生意気っぽいところが面白可愛いわ」
かたい声で言った桂とは違い、やけに気軽な口調で言って佑が頷く。広い応接室にいた他の面々も桂を見てしきりに頷いている。
「よし、緊張揉みほぐしアタック」
そう言って佑が唐突に桂の乳房をつかんで揉み始める。桂は硬直して引きつった。佑は巧みに乳首だけは避けている。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、佑!」
素っ頓狂な声を上げて桂は反射的に佑に平手打ちを見舞おうとした。だが振り回した桂の手があっさりと空振りする。ひらりと桂の手を避けた佑が腰に手を当てて胸を張る。
「ふっ、このわたしを叩こうなんて十年早いわよ」
そう宣言してから佑は口許に手を当てて高笑いした。桂はしかめ面をして恨めしく佑を睨んだ。だが不思議なことにさっきまでの緊張は解けている。
「今回は、わたし、単独行動じゃなくて、この子と組むから」
そう言ってにっこり笑った佑が桂の腕に腕を絡める。するとその場にいた人々が仰天したように佑を見やった。
「いつも一人で突っ走るのに……」
「天変地異の前触れ?」
「いや、旦那さんの不在の寂しさを紛らわそうと……」
その場に集まった人々が口々に言う。それを聞いて桂は眉間に皺を寄せた。
「何よ、その態度はっ! まるでわたしが、いつも考え無しに特攻してるみたいじゃないっ!」
目を吊り上げて佑が喚いた瞬間、集まっていた人々がまるで申し合わせたように同じタイミングで頷く。すると喚き散らした佑がうっ、と声を飲んで彼らを見回す。
「だってなあ? この間は確か、地面割ったよな?」
「そうそう。旦那さんが止めるのも聞かずに割ったよね、星一つ」
「技術部の奴らがなー……怒鳴り込んできたなあ……」
口々に言ってから彼らが佑に力強く頷いてみせる。
「だって、あんまりにもむかついたから……。あんな光景見せられて、むかつかないほうが、情緒的に問題あると思うけどっ!」
「そりゃあ、アメーバみたいに増殖する旦那さんとか、プラナリアみたいに分裂する旦那さんとか見たら、正気を失うのは判るけどさあ……」
一番佑の近くにいた女性がしかめ面をして頭をかく。それを聞いた桂はなるほど、と呟いた。この間指摘された想像はもしかしたら正しいのかも知れない。
「大丈夫です。何かあったら私が佑を止めます」
桂は当然の顔をして淡々と言った。するとその場にいた佑を除く人々が感心したように桂に拍手する。
「むう」
呻いた佑がぷくっと頬を膨らませてそっぽを向く。するとその場にいた人々は明るい笑い声を上げた。どうやら集団で佑をからかっているらしい。
その後、桂は佑に連れられてゲートと呼ばれる世界を繋ぐ扉のところに案内された。
「わたしたちは一番最後だから」
「はい」
そんな会話をする二人を余所に、大きな扉を人々が次々にくぐっていく。広い部屋のど真ん中に扉だけがある、という景色を桂はしばし感心して見つめた。扉の横には一人の少女が立っている。佑の説明ではその少女がこの扉を管理しているらしい。だが少女は誰が挨拶しても頷くだけで、喋ろうとしない。
「あのひとは?」
桂は不思議に思って少女のことを訊ねた。すると佑が軽く肩を竦めて笑う。
「えっとー、よく知らない」
笑いながらの答えを聞き、桂はうろんな目で佑を見た。もしかしたら聞かない方が良かったのかも知れない。そんな桂の不安を余所に順番が回ってくる。
「こんにちは」
佑に促されて扉に近付いた桂は少女に挨拶をした。すると少女が無言で頷く。黒ずくめの格好に頭には大きな黒いリボンを付けた少女は見方によっては人形にも見える。まじまじと少女を観察していた桂は、佑に手を引かれて慌てて扉をくぐった。
その瞬間、目眩を覚える。見えていた光景がはじけ飛び、次に気が付いた時には桂は見知らぬ部屋の中にいた。狭い部屋の中には二つのベッドがあり、部屋の隅には四角い箱のようなものがある。
「佑。あの箱は?」
そう言いながら桂は何気なく箱に寄った。四角い箱の表面には透明な板のようなものが貼り付けてある。箱の横にはぎざぎざの手触りの布のようなものが貼ってあった。丸いボタンが箱の下には幾つかついている。何となくそのボタンのうちの一つに触った桂は、唐突に聞こえてきた人の声にぎくりとして慌てて箱から離れた。
もしかしてこれは画面なのだろうか。桂は四角い箱の表面に動画が映っていることに気付き、眉を寄せた。
「これ、端末?」
無意識に佑の後ろに逃げ込んでいた桂は恐る恐る四角い箱を伺って問い掛けた。すると佑が苦笑をして首を傾げる。
「んー。似てるけど違うわね」
端末でないとするとなんだろうか。桂は懸命に考えを巡らせた。だがどれだけ考えてもこの箱が何か判らない。箱の表面に映されているのは確かに動画なのだ。
「一方通行なの。これは。流しっぱなしの電波に乗っている画像を映し出す物よ。こちらから返送は一切できないの。テレビジョン。略してテレビって呼ばれているわ」
それを聞いた桂は驚きに目を丸くした。何でそんな非生産的なものが置いてあるのだろうか。佑の言った物の価値が判らず、桂は首を傾げた。
「経済の規模が違うのよ。流しっぱなしの電波に広告を混ぜるの。こういう商品を発売しましたから買ってくださいとか」
見た人はその情報を知って商品を買うかもしれない。商品が売れた代金から広告を流した代金を支払うってわけ。淡々とした佑の説明を聞いて桂はあんぐりと口を開けた。聞けばこのテレビというのは受信しても無料なのだそうだ。そのくせ、流している側には誰がどこで受信したかが判らないらしい。それを聞いた桂はくらりとその場によろけた。
「効果を測定しないと、正確な代金を払えないと思う。こちらから送信が一切できないのなら効果が測定できない」
口の中で呟きながら桂はへたり込んで床に手をついた。何でそんな無駄なことが出来るのかが皆目わからない。
「効果を測定する会社があるのよ。ランダムにこの機械を置いている家庭をサンプル抽出して、測定するの。わたしの居た世界では一つの地域で数百サンプルだったかな?」
サンプル抽出? 算出手法には問題無いが、なぜわざわざそんな無駄な手間をかけて再調査しなければならないのだろう。桂はうろんな目でテレビとやらを見た。佑が言うには、このテレビに流れている映像を人々は娯楽として観るのだという。それを聞いた桂は震撼した。なぜ、一方的に流れるものを適当に受信して楽しめるのだろう。
「まあ、その世界にはその世界の価値観があるし。わたしもあまり好きじゃなかったけど、災害とかが起こった時には役にたつし」
災害、と桂は口の中で呟いた。知識としてそういうものがあることは知っている。何でも『下』の世界では地面が揺れたり火が出たり大量の水が押し寄せたりするのだそうだ。桂はそのことを思い出して頷いた。
「今は、たいした番組やってないわね。よしっと」
そう言って佑がテレビのボタンを押す。すると動画を映していた四角い箱の表面は暗くなった。その後、佑がまじまじと部屋の中央に目をやる。振り返った桂は恥ずかしさに少し赤くなった。桂の荷物は佑たちのものに比べて三倍くらい量がある。
「作戦期間は一月だけど、念のために二ヶ月分用意しろって言ったから……」
二ヶ月分となると下着だけでも馬鹿にならない。その上、桂の場合は破損することも考えて機体の部品なども荷に詰め込んだのだ。大きなトランクに詰め込むだけでも大変だった。
「まあ、仕方ないわよ。こっちの世界でパーツを入手するのは難しいと思うし。さっそく、確認しない? いざ壊れてから、器具や工具が無かったとか、パーツが足りなかったとかなったら困るでしょう?」
そう言って佑は慌てた桂が止める間もなく、トランクの留め金に手をかけた。その途端、限界まで詰められたトランクの蓋がぽん、と開く。トランクが大きく弾んだ反動でその場にカラフルな下着がまき散らされた。
赤パンツ、青パンツ、黄パンツ。撒き散らされた色とりどりのショーツを見て佑が腹を抱えて笑い出す。そんな佑の頭にはしっかりとフリルのついたショーツが乗っかっていた。
「佑。あの……頭の上」
桂は恥ずかしさに真っ赤になって指摘した。すると佑が声を立てて笑いながら頭の上からショーツを取り上げる。だがそんなに笑うほどのことだろうか。何しろ二ヶ月なのだ。ショーツは毎日替えた方がいいはずだ。桂は戸惑いながら佑を見つめた。
「わたしが言ったのはパンツじゃなくてパーツよパーツ。予備の部品」
笑いながら言って佑は散らかったショーツをトランクに放り込んだ。桂は戸惑いつつもショーツを片付けるのを手伝った。
「佑。……パーツと検査器具はそっち。工具はそこに」
そう言って桂はトランクの中を指差した。大量のショーツに隠れたところに機体のパーツと検査器具などが入った箱が入っている。
「どうりで、いくらなんでも多すぎると思った。へえ、パーツもパンツほどじゃ無いけど結構沢山あるじゃない。どれどれ」
「佑、あの!」
恥ずかしさに耳まで赤くなって桂は慌てて佑の手を押さえようとした。だがそれより早く佑がトランクの中から箱を引っ張り出す。蓋の開いた箱の中には機械仕掛けの女性器の部品が小分けになって入っている。
「これがクリで、これが乳首ね。可愛い」
楽しげに言いながら小分けの袋を一つずつ佑が持ち上げては目の高さにかざす。その度に桂は真っ赤になって佑の手を下ろそうとした。だが佑は巧みに身をかわして桂の手を避ける。
「何、恥ずかしがってるのよ。パートナーとして、あなたの事はきちんと把握しないといけないでしょう?」
「それは、そうだけど……」
平然と言う佑に桂は小声で返した。判ってはいるのだ。判っているのだが、恥ずかしいものは仕方がない。桂は赤い顔をして上目遣いに佑を見た。
「佑、あの……これ」
トランクの底を探り、桂はプリント用紙の分厚い束を取り出した。桂が自分で製本した資料の表紙には『Mタイプ一号試作機 パートナー用マニュアル』というタイトルが打ってある。
「あの、恥ずかしいけど……。佑は私のパートナーだから」
真剣な顔をして桂はマニュアルを差し出した。
「はうっ」
何故か奇妙な声を上げて佑が仰け反る。その意味が判らず、桂は訝りに眉を寄せた。
「なんでもなーいの気にしないで」
わたし、そっちの気は無いはずなんだけどなあ……、たぶん。小声でそんなことを呟いて佑が頭をかきつつマニュアルを受け取る。その意味が理解出来ず、桂は首を傾げた。
「ふむふむ……。これ、いつの間に作ったの? すごくちゃんとしてるじゃない? 写真とか図解とかも入ってるし」
「もともと、仕様書とかはまとめてあったから……」
佑にはっきりと誉められた桂は照れながら小声で答えた。優一郎が参考になるならと見せてくれた資料は大量にあった。そのことを思い出して桂はうっとりとした面持ちをしてそっと息を吐いた。
「人工女性器の構造と維持・管理だって、ってここも写真付きじゃない? うわあ」
その声にはっと我に返り、桂は悲鳴を上げて佑の見ていたページを手で隠した。その拍子に腕に柔らかいものがぽよん、と当たる。不思議に思ってそっちを見た桂は、佑の胸に腕が当たっていたことに気が付いて慌てて詫びた。
「この写真、桂ちゃんの? 自分で撮ったの?」
胸に触ってしまったことは特に気にしなかったのか、マニュアルを見ながら佑がそう訊ねる。桂は真っ赤になりながら頷いた。
「お次は自慰とセックスって来ましたか……。ってちょっと、この章は写真無いじゃない!」
急に佑が不服の声を上げる。桂は驚きにびくりと身を竦めて慌てて詫びた。佑が拗ねた顔をしながら一枚一枚紙をめくる。
「あの、佑。ごめんなさい。セックスはしたこと無いから無理だけど、自慰の写真は、恥ずかしかったから」
しょんぼりと肩を落として桂はそう言った。すると佑が唇を尖らせたまま横目で桂を見る。
「ちゃんと見せてくれるわよね? おなにーしてるとこ」
そう訊かれて桂は真っ赤になった。反射的に拒絶しかけてふと思い直す。佑はパートナーなのだ。もしも自分に何かあった時には間違いなく頼ることになるだろう。その時のことを考えると全てを見て貰っておいた方がいいのかも知れない。
「あのっ、佑! 佑が、嫌じゃなければ。その、機械化人の標準動作だし」
恥ずかしさに真っ赤になったまま、桂はかたく目を閉じて早口でまくし立てた。しばしの間を置いて、恐る恐る目を開く。すると何故か佑はさっきまでの拗ねた顔が嘘のように機嫌よく笑っていた。
「約束したわよ! しかし、桂って思った以上に機械なのね」
優一郎が作ったのよりもアレかも。佑が口の中で呟いたことをしっかりと聞き取り、桂は何となく首を傾げた。アレって一体なんだろう。そんなことを考えている間に今度は佑がマニュアルを朗読し始める。恥ずかしさにきゃあきゃあと騒ぎながら、桂は何度も手を伸ばして佑の持つマニュアルを閉じようとした。だがその度に佑がひらりひらりと桂の手をかわす。それからしばらくの間、二人は賑やかに戯れていた。
チューリップだと赤白黄色ですかねw