水輝は難しい顔をして苛々と指で机を叩いた。そこには何本もの試験管が並べられている。
「えーとー……これがー……ナンバー56でー」
「用件は簡潔に、かつ判りやすく! そもそも何で番号順に並べてないんだよ!」
ぶちっ、と頭の中で何かが切れたような気がする。水輝はのんびりと試験管の表面に振られた番号を見て歩く実鈴に怒りの声を投げかけた。縦長の机に沿って歩いていた実鈴がえー? と言いながら顔を上げる。
「だってー。個体差があるじゃないですかー。進行順に並べたらー、こうなって……あった! ありましたー!」
嬉しそうに言って実鈴が試験管立てから一本の試験管を抜く。駆け寄った実鈴から試験管を受け取った水輝は難しい顔をした。机に並ぶ試験管には白っぽい液体が入っているのに、差し出されたものは薄青く染まっていた。
「ええとー、ナンバー153ですねー。それだけ突然変異っていうかー、変な反応しててー」
「もう一度言うか? 用件は簡潔に」
「あう、えっとー」
水輝が渋い顔で睨むと実鈴がわたわたと手を振り回す。えっと、とか、あの、とか意味のない言葉を羅列する実鈴をしばし見つめてから、水輝は諦めのため息を吐いて判った判った、と呻いた。
「もういい。普通に喋れ」
「あー、はーい。えとー、あ、はいー、それだけですねー、他のとは反応が違ってですねー。あのー、水輝さーん、卵子出せませんー?」
「……は?」
薄い携帯端末を操作しながら実鈴が言ったことを聞き、水輝は低い声を返した。実鈴がえーと、と言ってから言葉を継ぐ。
「ですからー、それはー、水輝さんの精液とー、吉良博士の」
「うあー!」
実鈴が全部言い切る前に理解して水輝は素っ頓狂な声を上げ、試験管を握った手を思わず顔から遠ざけた。
「混ぜるなよ! そんなの!」
「えー……生態実験ですからー……『塔』所属の全ての人員に関してですねー、行うことがー……卵子、出せませんかー?」
「だから、出せねえっての! そもそもな、ハイブリッド同士の実験はしなくていいだろうが!」
端末から目を上げて、上目遣いに見る実鈴を睨みつけ、水輝は怒鳴りつけた。不服そうに唇を尖らせた実鈴が、むー、と言う。
「だってー、水輝さんの精液とー、吉良博士の精液ってー、仲良しさんなんですよー」
「……は?」
「だからー、普通はー、ハイブリッド同士の場合はー、拒絶反応を示すんですけどー、お二方のはですねー」
いつもの間延びした口調で実鈴が説明する。ハイブリッド種の場合は体液などを試験管などで物理的に混ぜ合わせても混ざらないのだそうだ。だから人為的に受精させることは無理なのだと実鈴は続けた。
「そりゃあそうだろう。そもそも受精とか関係ねえぞ?」
そもそも何で実鈴の手元に優一郎の精液があるのだ。ハイブリッドの定期検診は確かに行われてはいるが、あれは全てのハイブリッドは対象にされていない。その中に優一郎は居なかったはずだ。水輝がそのことを問うと、実鈴はけろっとした顔で答えた。
「入塔検査の時のをー、くすねましたー」
「くすねるなよ!」
そして混ぜるなよ! 水輝は続けて叫んで試験管をまじまじと見た。薄青に染まる中の液体が、力を通して見ると微かに光を帯びていることが判る。
やべー……。心の底で水輝は呟いた。
「そっかー……卵子は関係ないんですかー……」
考えるような顔をして実鈴が呟く。水輝は背中にざわっと嫌な感じを覚えて実鈴を恐る恐る見た。
「おい。何か妙なこと考えてねえだろうな?」
広々とした実験室には今は他に誰もいない。医療特殊技術部三課のある階層より一つ下にあるこの実験室は、三課の管理下にある。当然、セキュリティは万全に整えられているが、どこに耳があるかも判らない。机の上にたくさん並んだ試験管を見やってから水輝は実鈴に目を戻した。
「ハイブリッドを増やすのが目的じゃないっつったろ?」
ハイブリッドは生殖行為を行っても確実に殖えるという訳でもない。ハイブリッドは子をなす場合は互いの力を混ぜ合わせ、核が形成された後、その核に力を注ぎ続けなければならないのだ。
しかも厳密な相性がある。性格の一致などではなく、子をなせるかどうかは本人の持つ属性によるのだ。水輝はつらつらと考えながら深いため息を吐いた。
「でもー……ほらー、あるものはー、やっぱりー、使わないとー」
のんびりと言いながら実鈴がにこりと笑う。やれやれと肩を竦めて水輝は試験管を実鈴に戻した。
「とにかくだ。それは早急に廃棄しとけ」
「えー。せっかく仲良しさんなのにー」
不満そうな顔をして実鈴が言う。水輝は苛々と頭をかいて実鈴を睨みつけた。すると実鈴が膨れ面をして試験管を戻しに向かう。
試験の経過を聞きながら水輝は棟の端にある休憩用のスペースに向かった。実鈴が横に並んで歩きながら、試験経過を報告する。休憩用のスペースに辿り着いたところで水輝はシャツのポケットから煙草を引っ張り出した。
「あー。そういえばー、例の件の投薬作業はー、一応終了しましたー」
「お、お疲れさん。悪かったな、いろいろ」
ベンチに腰掛けながら水輝は実鈴に礼を言った。にこりと笑った実鈴がいえいえー、と言いながら首を振る。水輝は煙草に火を点けて深く息を吸い込んだ。実鈴の仕切る課では先の騒動により、水輝の体液により死に至る可能性のある者に対して投薬治療作業が行われていたのだ。
「終了報告はいちおー、うちの部を通してー、上にしておきましたけどー」
「おう。さんきゅ」
水輝から少し離れたところに立っていた実鈴が、にこにこと笑いながら手にしていた端末を白衣のポケットに戻す。
「該当者はー、定期的な検診をー、行うようにー、指示しておきましたがー、よかったですかー?」
「ああ。一応、様子は見ておいて……って、おまえ、口調がどんどん遅くなってないか?」
独特の間延びした声で喋る実鈴を水輝は訝りの表情で見た。はにゃ、と呟いた実鈴が困ったような顔をして唇に指を当てる。
「もしかしたらー、眠いのかなー」
「あ? ひょっとして無理を言いすぎたか?」
首を傾げる実鈴を見つめ、水輝は少し声を落とした。すると実鈴がにこりと笑って首を振る。
「いいえー。そんなことはー、まったくー」
「ふうん」
髪を二つに分けて三つ編みにされているため、実鈴の耳ははっきりと外に出ている。その耳朶には防御用ピアスが嵌っており、実鈴の思惟はごく普通に接していると読めない。特に実鈴はやけに金を掛けた高級品のピアスをつけているため、多少の力を使っても思惟が流れ込んできたこともない。水輝は何となく実鈴の耳に付いた青いピアスをぼんやりと見た。
「そんな風にみてもー、これはあげませーん」
つん、と横を向いて実鈴が自分の耳を押さえる。水輝は苦笑して首を振った。
「いや、そういうつもりじゃなかった。悪い」
「水輝さんってばー、すぐに欲しがるんですもんー。油断大敵ですー」
膨れ面をして言ってから、実鈴はそれじゃあ、とお辞儀をして去っていった。水輝はしばしそこで煙草を吸ってから腰を上げた。
「今日はこのくらいにして帰るかな」
吸い殻を灰皿にねじ込んで水輝は休憩スペースを後にした。
実鈴もなあ……w
という感じのエピソードです。