近頃、水輝の様子がおかしい。家の食卓で一緒に食事を摂りながら佑は上目遣いに水輝を伺った。水輝が佑の作った食事を摂りながら、時々ため息を吐いて遠くを見つめる。珍しく水輝が落ち着いて家で食事をしているのは、ペナルティが重なって一時的に仕事が出来なくなっているからだ。だが一緒に居られる嬉しさよりも水輝の様子が変なことが気になって、佑は食事をしながらちらちらと水輝を伺った。
ぼんやりと遠くを見た水輝の手にしていた椀から味噌汁が零れそうになる。佑が指摘すると水輝は慌てたように椀を持ち直して味噌汁を啜った。
「水輝さん、最近ヘン」
一緒にいる時くらいは、とわざわざ調達した材料を使って並べた和食なのに、水輝はそれを黙々と食べているだけだ。
「そうか?」
佑の言ったことにぼそりと答えて水輝がたくあんを口に放り込む。ぼりぼりとそれを噛んでから水輝は無言でご飯をかき込んだ。
「さては、恋患いねっ!」
びしりと箸の先を水輝に向けて佑は指摘した。その途端に水輝がぐっ、と喉の奥で呻いて慌ただしく茶を啜る。どうやらご飯が喉につかえたらしい。茶を飲んで息を吐いてから水輝は呆れたような顔をしてみせた。
「何を言うかと思えば……」
「やっぱり、あやしい……」
瞼を半分ほど下げて佑はじっと水輝を睨んだ。んなことねえよ、と機嫌悪そうに言った水輝が焼き魚の身を箸でほぐして口に運ぶ。
「何だよ。もしかしてセックスに不満でもあるんですかね?」
仏頂面で言って水輝がじろりと佑を睨む。佑は膨れ面をして上目遣いに水輝を見た。確かに一緒にいる時の水輝は前と変わりなく佑の身体を求めてくる。
「そうじゃなくて、水輝さんって、やっぱりバイなんじゃないかなあとか」
「ぐっ!」
じっと水輝を見ながら佑が言った直後、水輝がまた慌てたように茶を啜る。今度は肉じゃがを喉に詰まらせたらしい。水輝の動揺振りを見て取って佑はじいっ、と水輝を見つめた。
「ば、馬鹿なこと言うなよ。誰がそんな」
ははは、と乾いた声で笑いながら水輝が余所を向く。水輝は横を向いたまま憮然とした顔をして
ご飯をかき込み始めた。
「だって、水輝さんが女として、意識して抱くのってわたしだけじゃない?」
「まあ、そだな」
他の女は抱く気にならねえ。ぼそりと呟いて水輝が正面を向き直る。味噌汁のお代わりを要求され、佑は空になった水輝の椀を片手に席を立った。椀に味噌汁を満たしてからまた席に着く。水輝は差し出された椀を受け取り、味噌汁の表面に細い息を吹きかけ始めた。水輝は酷い猫舌なのだ。
「なのに、男の人とはやりまくりじゃない?」
「うっ!」
味噌汁を啜ろうとしたところでぴたりと手を止め、水輝が呻く。あのなあ、と呟いて水輝は椀をそっとテーブルに戻した。
「何でそれが両刀ってことになるんだよ。別に男にされたからって気持ちいい訳じゃねえぞ、おれは」
単なるバイトだ、バイト。そう続けて水輝が慎重に椀を取り上げて味噌汁を啜る。火傷しないよう、水輝が味噌汁椀をテーブルに戻すまで待ってから佑は口を開いた。
「気持ちいいのかどうかはわからないけど。水輝さんが抱かれなきゃ生きていけない体なのは事実ね」
うんうん、と頷いて佑は肉じゃがをつついた。水輝が凄まじく嫌そうな顔をして佑を睨む。
「何でそうなるんだよ」
「最近、処女食べてないでしょ?」
「うっ!」
肉じゃがの器に伸ばそうとしていた水輝の箸がぴたりと止まる。佑はのんびりと肉じゃがを食べながら頷いた。
水輝は『下』の世界にいる間、処女の血を文字通り啜っていた。それは水輝にとって食事に等しい行為だったはずだ。なのにこの世界に来てからの水輝はそういったことは一切していないようだ。
「体質変わったのね。やっぱり。水輝さんは、恋愛感情とか関係無しに精液を食べてるのよ」
うんうん。自分の考えに納得して佑は何度も頷いた。待て、と小声で言った水輝が箸をぱちんとテーブルに置く。
「何でそうなる。普通はだな。浮気しないでくれてありがとうとかな、そういう風にならないか? それともなにか? おれが処女食う方がいいのかよ」
仏頂面で言って水輝が腕組みをする。佑は素知らぬ顔をして食事を続けた。
「食事だったんでしょう? 奈月さんと渚さんは別枠だったし」
「おれはお前も食事のつもりでやった訳じゃないが?」
難しい顔をして水輝が言い返す。奈月と渚という女性の二人のことを水輝はあの頃、大切に思っていた。時折、奈月の方とは会うことがあるが、水輝は今でも奈月のことを大事に思っているようだ。
「だから、女として意識して抱いてるのはわたしだけ、って言ったでしょ?」
含み笑いをしながら佑は水輝を上目遣いに見た。すると水輝が少しだけ頬を染めてそっぽを向く。だがすぐに水輝は機嫌の悪そうな顔になった。
「要するになにか。処女を食えって言いたいのか?」
「違うわよ。食事をする手段としては、どっちもどっちで一長一短だなあと思うけど、それは水輝さん自身が意識して変えれるようなものじゃないでしょう?」
「……判った」
水輝が何故か怒った顔をしてぼそりと言う。唐突に立ち上がった水輝はジーンズのポケットからなにかを取り出した。常時携帯を義務づけられている通信機だ。佑は不思議に思って水輝のすることをじっと見つめていた。水輝が耳に通信機をセットして仏頂面で中空に向かって話しかける。
「あ、忙しいところ悪いな。この間言ってたアルバイト、引き受けたいんだが」
一体、何の話だろう。佑は首を傾げて水輝の様子を伺った。腕組みをした水輝が機嫌悪い顔をしたままで誰かと話を続けている。話を終えたところで水輝は手早く通信機を片付けてテーブルについた。
「でも、女の中の例外がわたしだとして、男の中にも例外が居ないかなあとか、思うわけで」
「処女、食うことにしたから」
佑の言うのを遮って水輝が低い声で言う。それを聞いた佑は驚きに目を丸くした。水輝が箸を取り上げて食事を再開し始める。
「ひとつだけ、聞きたいことがあるの」
「なんだ」
真剣な顔で問い掛けた佑に水輝が憮然とした態度で答える。
「わたし以外にも、女として抱こうとしようとしたひと、居るでしょ?」
「古い話を……」
しかめ面をして水輝がぼそりと言う。それから水輝は両手を軽く上げてみせた。どうやら降参の印のつもりらしい。
「抱こうとはした。でも無理だった。突っ込んだ瞬間にがんがんいっちまうような女、萎えるだろ」
「わたしが聞いた話では、挿れる前におかしくなっちゃったって聞いたけど」
笑い混じりに指摘すると水輝は眉を寄せて嫌そうな顔をした。
「正確に言うとだな。あそこに先っぽが当たっただけでイカれたんだよ。速攻で医療局に回収してもらったけどな」
くそ、と小声で呟いて水輝が味噌汁を啜る。不思議とどんなに不機嫌でも水輝はやけに美味そうにご飯を食べる。見ている方が思わず微笑んでしまうような食いっぷりなのだ。
「誤魔化してる? それとも天然? 今は多輝のモノだから遠慮してる?」
「ぐっ!」
味噌汁椀を傾けたまま、水輝が喉の奥で呻く。しばらくそのままの姿勢で固まった後、水輝はゆっくりと椀をテーブルに戻した。
「あのな! だからそういうんじゃないって言ってるだろ!?」
目を吊り上げて怒鳴ってから水輝はそっぽを向いた。横を向いたままで茶碗を取り上げてご飯をかき込み始める。
「ご、ごめんなさい」
「いいから。お代わり」
怯えて詫びた佑を横目に睨み、水輝が空になった茶碗を突き出す。佑は慌てて頷いて水輝の茶碗にご飯をよそった。差し出された茶碗を受け取った水輝があつあつのご飯に息を吹きかけ、少しずつ箸でつまんで口に運ぶ。
「ごめん。怒鳴って悪かった」
間を置いてから水輝が小声で詫びる。佑は上目遣いに水輝を見つめて首を横に振った。
「ごめんなさい。女性を抱くアルバイト、なのよね? そのへんで、ちょっと、ナーバスになってたかも」
「判った。もの凄く話がすれ違ってるんだな。佑が言ったの、ひょっとして由梨佳さんか?」
正面を向き直った水輝がごく普通の口調で訊ねる。
「そっか、優一郎も危険よね……」
理子の奴、産まれる前から子供にかまけてるみたいだし。佑は互いの話がすれ違っていたことに気付いてそう呟いた。すると水輝が怪訝そうな顔をする。
「由梨佳さんのことは古い話だし、過ぎたことだからあれとしてだな。優一郎、どうかしたのか?」
「研究に戻ってるのは知ってるわよね?」
「ああ。総管理官まで上り詰めたのに、なーに考えてんだか……」
ようやく機嫌を直したのか、水輝がいつもの口調で言って美味しそうにご飯を頬張る。佑も淡々と食事を続けながら言った。
「水輝さんもここの原住民のひとたちに毒されてる? 地位についてるから凄いとかそういう事はなくて、その立ち位置で何を為すかなんだけどなあ」
「毒されるもなにも、おれはお前らと違ってここで作られたんだぞ」
少し顔をしかめて水輝が低い声で言う。それを聞いた佑は首を傾げた。
「わたしはおじさまに作られたわ。基本的なところは水輝さんと同じよ」
どこでっていうことはあまり重要じゃないと思うけど。そう佑が続けると水輝がそれはそうか、と呟いた。
「おれは元々が慰み者として作られたからなー。その辺り、コンプレックスとかあるんだろうな」
のんびりとした口調で水輝が言い、焼き魚を器用に箸で分ける。ほぐした身を大事そうにご飯にのせたところで水輝はぴたりと箸を止めた。
「話、逸れたな。で? 優一郎がどうしたって?」
「だから、理子が子供にかまけてるから、拗ねて、研究を再開したのよ。人形でないヒューマノイドを作るって張り切ってたわよ」
人形であろうとなかろうと機械は機械なのにねえ。そう言って欠伸をした佑を水輝が驚いたように見る。次いで水輝は横を向いて温い笑みを浮かべてため息を吐いた。
「それで持久力だの技術だの言ってたのか……」
「マテリアルはこの前、アカデミーを次席だかなんだかで卒業した若い子らしいわよ。まあ、理子にこてんぱんにされたらしいけど」
「何だかなあ……」
困ったような顔をして水輝が呟く。
「アカデミー次席卒業っつったら、『塔』でも上の方に就職したんじゃないのか? よく手が出せたな」
ほぐした魚の身とご飯を一緒に口に入れてから水輝がそう訊ねる。佑は肉じゃがのお代わりを鍋から皿に取り分け、席に戻った。
「えーと、逆。手を出してきたのは向こう。理子にこてんぱんにされて、作戦変更したってわけ」
「ああ、なるほど。女の方が優一郎に手を出したのか。了解」
くすりと笑って水輝が言う。佑はほかほかの肉じゃがを食べながら難しい顔をした。何故か水輝は楽しそうに笑っている。
「笑えることにね、優一郎がね、鈍いのよ。昔と違って、今は研究対象に欲情したりしないしね、あいつも」
「まあ、一発幾らでアルバイト雇おうってんだから、そうなんだろうな」
納得した、という顔で言って水輝が機嫌良くご飯をお代わりする。空の茶碗にご飯をよそってから佑は席に戻った。水輝があつあつご飯にふうふうと息を吹きかける。
「まあ、そういうわけだから、ちょっとナーバスになってたのよ。シチュエーションが似てるじゃない?」
「心配するな。おれは処女を食うだけで、その女に惚れたりなんて面倒な真似はしない。仕事に差し支えるしな」
にこにこと嬉しそうに笑って水輝が言う。佑はうろんな眼差しで水輝を見た。何で急に水輝が機嫌が良くなったのかが判らない。
やっぱり、優一郎の脅威度が一番高いわね。水輝に聞こえない程度の小声で佑はぼそりと呟いた。
食べ物のシーンを書くのは好きです。