今日はいつもより少し早く業務が終わった。早めに通信を入れると、理子はおやつを食べながらビデオディスクを観ながら通信に出た。
やっぱり理子、えすえふはちょっとあれだと思うけど、でもこういうのなら悪くないと思うの! どこでもどあー!
……どうやら昔懐かしいアニメーションを見ていたらしい。相変わらず元気な理子のことを思い出して優一郎はうんうんと頷いた。帰り支度に取りかかった優一郎を祥子が不思議そうに見る。
「あら、吉良博士。今日はお早いんですね」
微笑みを浮かべた祥子は綺麗な格好をしている。週末だからもしかしたらこれからデートなのだろうか。
「これからデートでも?」
「あら」
優一郎が問うと、祥子が悪戯っぽい笑みを浮かべて首を傾げた。
「いつもお訊きにならないのに珍しいですね。もしかして吉良博士もですか?」
「いえ、今日はゆっくり休めますから」
微笑みを浮かべた優一郎に意味ありげな笑みを返してから、祥子が研究室を出て行く。優一郎は残っていた研究員にあとのことを頼んで研究室を出た。
少し早足で『塔』を出て水輝の家に向かう。途中で優一郎はとあるマーケットに寄った。三群の食品を置いているこの店は、商品の値段は多少張るが品揃えは悪くない。優一郎は買い物かごを手に、ゆっくりと店内を見て回った。水輝のことだからきっと夕飯は食べずに待っているだろう。
加工食品の並んだコーナーで優一郎は足を止めた。生の魚などの生鮮食品は滅多に入荷がないが、缶詰や冷凍食品などは揃っている。もしかしたら佑もここで買い物をしているのかも知れない。そんなことを考えながら優一郎は何気なく缶詰を手に取った。
「あれー? 吉良博士じゃないですかー?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえ、優一郎は思わずぎくりと身を竦めた。買い物かごを持った実鈴がにこにこと笑って近付いてくる。優一郎は振り返って会釈をしつつ、反射的に握っていた缶詰を商品棚に突っ込んだ。
何でこんなところに実鈴がいるのだろう。ここは『塔』から随分と離れているはずだ。
「実鈴さん。こんにちは」
「はいー、こんにちはー。お買い物ですかー?」
にこにこと笑いながら実鈴が寄ってくる。優一郎は缶詰を握った手を商品棚に突っ込んだまま、微笑みを返した。
「ええ。久しぶりに料理でもと思いまして」
「おおー。……って、あれー? でもー、吉良博士のおうちはー、こことは逆方向のようなー」
感心したような顔をしてから、実鈴が唇に手を当てて言う。
「うちの近くでは食材があまり揃わなくて」
そう言いながら商品棚に突っ込んでいた手を戻そうとした優一郎はぎくりと肩を竦めた。まずい。妙な角度で突っ込んだために、積み重ねられた缶詰がバランスを崩して雪崩かけている。
「あー、そうですよねー。確かー、このお店ってー、三群のー、食材がー」
独特の間で実鈴がのんびりと喋る。優一郎は崩れかけた缶詰をこっそりと力で押さえつつ、手を引き抜こうとした。
「それでー、水輝さんのおうちがー、近いんですよねー」
けたたましい音を立てて缶詰が商品棚から次々と落下する。思わず力加減をミスした優一郎は床を転がる缶詰を見つめて引きつった。派手な音を立てて撒き散らされた缶詰を唖然とした顔で見ていた実鈴が、唐突にぷっ、と吹き出す。
「すみません。面白かったので調子に乗ってしまいました」
いつもとはまるで違う、はきはきとした喋り方で言ってから、実鈴は床を転がった缶詰を集め始めた。
「あ、すみません。いえ、ありがとうございます」
そう言いながら優一郎も慌ててその場に屈んで缶詰を拾い集めた。実鈴がくすくすと笑いながら缶詰を棚に一つずつ戻していく。実鈴の傍に寄ったところで優一郎は訝りに眉を寄せた。
「あんまり人の身体をじろじろ見ると、嫌われちゃうぞ」
ぼそりと言ってから実鈴が背伸びをして缶詰を棚に積んでいく。
「す、すみません」
慌てて詫びてから優一郎は足許に残っていた缶詰を拾い上げようとした。その拍子に他の缶詰を踏んでしまってその場にひっくり返ってしまう。うわっ、と慌てた声を上げて床に倒れた優一郎は、実鈴のスカートを覗き込む格好になった。
見ようとした訳ではないが、見た瞬間に優一郎はぴしりとその場に硬直した。
「あー……。えっちー」
にやにやと人の悪い笑い方をしながら実鈴がスカートを押さえてその場にしゃがみ込む。
「あなたは、やっぱり、男性? しかし、登録マスターデータでも……!」
はっとして優一郎は口を押さえた。実鈴がははーん、と笑ってから床に倒れたままの優一郎の顔を覗き込む。
「吉良博士ー。ちょっとお茶でもー、飲みませんかー?」
「は、はい」
情けない顔で返事をしてから優一郎はのろのろと身を起こした。そんな優一郎の頭の上に実鈴が缶詰を一つ、のせる。
「それ、水輝さんの好物なんです。一緒に買ってください」
そう言ってから実鈴は通路に置いていた買い物かごを取り上げた。優一郎は怪訝に思いながら頭に載せられた缶詰を取り上げた。
それはもも缶だった。
「はいっ」
緊張した顔をして返事した優一郎を見て実鈴がくすくすと笑う。
「心配しなくてもー、とって食ったりしませんよー。ほらほら、いきましょうー」
実鈴がにこにこと笑いながら優一郎の腕を引く。優一郎は引っ張られるままに実鈴の後をついて歩いた。
連れて行かれたのはマーケットから近い喫茶店だった。フロアの奥の席を陣取った実鈴が優一郎を座らせてから自分も腰掛ける。
「あの、変化が現れたのはいつですか? やはり、水輝さんに抱かれてから?」
注文した飲み物が運ばれるのを待ってから、優一郎は小声で訊ねた。ちっちっち、と舌打ちをしながら実鈴が指を振る。
「私はー、男の人には興味がないんですー。あ、ついでに写真とらせてくださいねー。ばしばしー」
嬉しそうに言ってから実鈴が鞄を探ってカメラを取り出し、遠慮もなにもなく優一郎の写真をとりまくる。
「ですけど、実鈴さん。あなたは水輝さんと交わっているでしょう? そして、妊娠に相当する反応が出ているはずです」
「ぶっぶー、減点1でーす。自分のー恋人をー、疑うようなオトコは最低でーす」
カメラのフィルムを巻きながら実鈴が膨れ面をする。
「疑っているわけではなくて。事実でしょう? 僕を舐めないでください。防御を固めても隠すことはできませんよ」
優一郎はしかめ面をしてグラスに入った赤い飲料に口を付けた。ククク、と笑った実鈴が服の内側から小さな瓶を出す。きっちりと密閉されたその瓶の中には青白い液体が入っていた。
「まず一つ。あなたは私たちと違って、特殊な存在」
瓶をことんとテーブルに乗せて実鈴が静かな口調で言う。
「噂には聞いていたし、あの部屋も調べたから何となく判ってたけど……マジなんすね」
くすりと笑ってから実鈴が自分のグラスを取り上げてじゅるる、と中身を啜る。
「次、二つ目。調査不足ですねー。変態する種も『塔』にはいますけど、きちんと彼らは登録されてますし、どちらにも漏れはないはずでは?」
さらさらと言ってから実鈴は瓶に指を乗せた。
「三つめ。これはお守り代わりに持ち歩いているだけです。確かに水輝さんから採取したものですが、交配したのはあなたの精液ですよ。吉良博士」
「対外交配? 僕の? ……いえ違います。僕のならわかります。これでも経産婦ですから」
優一郎はそう答えてにっこりと笑った。すると実鈴がふうん、と呟いてから瓶を服の中にしまい込む。
「……意外とつまらないですね」
ぼそりと言ってから実鈴はずるるるる、とグラスの中身を啜った。
「あなたを面白がらせるために生きてきたわけではありませんからね。それ、あなたの精液と水輝さんの精液を対外交配したものでしょう?」
優一郎はグラスの中身をストローで吸ってからまじまじと実鈴を見た。やれやれとでも言いたげに実鈴が肩を竦める。
「まあー、全員分のー、精液を混合しましたからねー。中には私のもー、あるんですけどー」
実験ですしー、と言いながら実鈴が唇を尖らせて横を向く。
「成功してたんですね」
よかった、とにっこりと笑ってから優一郎は首を傾げた。
「ちょっと、河岸を変えませんか? ここは人目がありますし」
「えー。どこに連れ込むつもりですかー? 抜け駆けするとー、怒られるんですけどー」
不服そうに顔をしかめて実鈴が言う。
「虚偽登録について尋問する義務がありますので。人目については」
そう言ってから優一郎はさっさと力を使って自分の研究室に転移した。グラスを握ったままで研究室に現れた実鈴が呆れた顔をする。
「これで問題ないでしょう?」
「えっとー。人気のないところにー、女の子を連れ込むのはー、きゃーせくはらー」
いつの間にか元通りの間延びした口調で言って実鈴が優一郎からじりじりと離れる。
「なら、これで」
そう言ってから優一郎は自分の胸に手を突っ込んだ。宝珠の一つに指を入れて弄ると優一郎の姿が女性に変化する。
「実鈴さん。これで問題ないと思うんだけど、どう?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! 破壊神がー!!」
にっこりと佑を真似た微笑みを浮かべた優一郎に向かって実鈴が悲鳴を上げ、ずざざざざざ、と後じさりする。
「よく見なさい。スタイルが違うはずよ」
口許を引きつらせて優一郎は言った。だが実鈴は部屋の隅で縮こまり、がくがくぶるぶると震えている。
「ごめんなさいー、もうしませんー、こわいよー、星が割れるよー」
「わざと道化を装って、誤魔化すつもりなら、なんらかの処分を通達するわよ? せっかくお咎め無しにしてあげようと思ったのに」
腕組みをして優一郎はそう告げた。喋りながら、優一郎は自然と女性の話し言葉が出ることに自分で驚いていた。実鈴が震えながら優一郎を見る。
「本気で怖がってるんですー! 反射にケチをつけないでくださいー! そんなならー、オトコの方がーマシですー!」
「佑とわたしは違うわ。よく見なさい」
「違おうがどうしようが、関係ないんですー! 性別とかー! 変えないでくださいー!」
実鈴に近寄ろうとしていた優一郎はそれを聞いてぴたりと足を止めた。実鈴は目に涙を浮かべ、青白い顔をして本気で震えているようだ。
「ごめんなさい」
そう言ってから優一郎は胸に手を突っ込んで元の男性の姿に戻った。
「これで?」
そう訊ねると実鈴が恨みがましい目で優一郎を睨みながらのろのろと立ち上がる。
「これだからハイブリッドはいやなんです……」
ぶつぶつと口の中で言ってから実鈴が腕組みをして胸を張る。
「いやだいやだもなんとやらでしょう? それでは、立ち話もなんですし、こちらへどうぞ」
にっこりと笑って優一郎は実鈴を応接室に促した。ふん、と鼻を鳴らした実鈴が大人しく優一郎について歩く。ドアを開けてソファを勧めて二人で向き合って腰掛けた後、優一郎は正面の実鈴をじっと見た。
桃缶いいですよね~。
風邪をひいた時に無性に食べたくなります。