男は昔から嫌いだった。実鈴は他の子供たちに比べて特に成長が遅く、いつも同じ年頃の男の子に苛められていた。やがて彼らの苛めは性的な苛めに変化した。彼らは欲求不満を子供ながらの残酷さで実鈴にぶつけていた。
だからといって女が好きだった訳でもない。実鈴は渋い顔をして正面に座る優一郎を睨みつけた。
「それでー、なんでしょうー?」
腕組みをして横を向き、実鈴はしかめ面で言った。
「偽装登録申請をお願いします。理由は、適当にどうぞ」
そう言って優一郎が一枚の紙をテーブルに乗せる。実鈴は冷ややかな目でそれを見下ろした。鞄からペンを引っ張り出して紙にさらさらと理由を書く。女装が好きだから。ストレートにそう書いてから実鈴は顔を上げた。
「はい。けっこうです。他人は参照できない情報ですけど、手続き上の決まりとかはどうしてもありますから」
「じゃあー、もう帰っていいですかー?」
実鈴はペンをしまいながらそう訊ねた。紙を服の内側にしまい込んだ優一郎が微笑みを浮かべる。この笑みがくせ者なんだ。実鈴は心の底でぼそりと呟いた。
「先ほどの、対外交配の成功例について、隠しているのはどうしてですか? 立場的な問題ですか?」
「だってー。気持ち悪いじゃないですかー」
にこにこと笑ってから実鈴は服の中からもう一度、あの瓶を取り出した。ことんと机に乗せてから身を起こす。
「ハイブリッドと混ざるなんて嫌ですもんー」
「でも、水輝さんの目的はまさにそこにあるんです」
「知ってますよー。だってうちで実験してるんですもーん」
実鈴はすました顔で言ってから瓶を取り上げた。手の中に大事に包んで瓶を見つめる。本当は水輝はこれを捨てろと言っていたのだ。
「僕としては、水輝さんを裏切るような行為は見逃すわけにはいきません」
「じゃあー、天人の誰かと水輝さんのが混ざってー、成功したとか言ってくださいー」
そう言ってから実鈴は瓶を優一郎に向かって放った。優一郎が片手で瓶を受け止めて眉を寄せる。
「匿名希望ということで、よろしいですか?」
「はーい。そういうことにしといてくださいー。じゃあー、もう帰っていいですかー?」
にこにこと笑って実鈴は言った。
「はい。実鈴さん、申し訳ありませんでした。不快な思いをされたでしょう」
それでも、僕は水輝さんを裏切りたくないんです。優一郎が言うのを聞いて実鈴は笑みを消した。
「まあ? だから私が邪魔なんでしょうから。いいですけど」
低い声で言ってから実鈴は優一郎を睨みつけた。それからため息を吐いて鞄を探る。常時持ち歩いている辞表を実鈴は優一郎に叩きつけた。
「じゃ、そういうことで」
「実鈴さん、あの!」
慌てて言って優一郎が辞表をテーブルに乗せる。
「勘違いされたかもしれませんけど、僕に人事権はありませんから」
「生臭いの、嫌いなんですよね。女の子にきゃーきゃー言われてれば良かったじゃないですか。なにが不満なんですか」
ソファから立ち上がって実鈴はそう言った。
「だったら、あの場で声をかけなければ良かったですよね?」
「まあ、それは確かにそうですね。ただ……」
マーケットで優一郎を見かけた時、もしかしたら水輝が近くにいるかも知れないと思った。二人で仲良く買い物に来ているのなら、近付いても不自然ではないと思ったのだ。実鈴は脳裏でそう呟いてからにこにこと笑ってみせた。
「えーとー、じゃあ、これはー、部長に渡してきますー」
そう言ってから実鈴はテーブルに置かれた辞表を取り上げた。
「残念です。ただ、ひとつだけ知っておいてもらいたいのは、僕が妻だったのはもう昔の話で、今は、女としての僕は水輝さんに必要とされていない事実です」
そう言ってから優一郎が少し陰鬱な顔をする。実鈴はじっと優一郎を見つめてから、けっ、と喉の奥で言った。
「ばかくせー。どうせ男なんてやりたいばっかのろくでもない連中だし、女だってそういうのばっかだし」
はあ、と大きなため息を吐いて実鈴は肩を竦めた。
「何か勘違いしてねー? 別にオレは誰も何とも思ってねーけど?」
これだからエロいことばっか考えるハイブリッドってのはねー、と実鈴はうんざりした顔をして言った。
「そうですか。なら、何も問題ありませんよね」
にっこりと笑って優一郎が言う。実鈴はころりと表情を変えてにこにこと笑ってみせた。
「はーい、じゃあさよおならー」
実鈴はそう言って応接室をさっさと後にした。研究室を出て唇を引き結んで廊下を進む。歩きながら実鈴は誰を課長に推すべきかを考えていた。
実鈴と優一郎が情報のすり合わせをしている、というところでしょうか。