作戦部支給の黒い特殊スーツに身を包んだ水輝は、床に腰を下ろして深々とため息を吐いた。ゲートと呼ばれる『下』の世界を繋ぐ門を管理する者たちが、さっきからずっと揉めているのだ。どうやら今回、水輝が請け負った仕事先に飛ばすためにはかなりの力を使わなければならないらしい。しかもバランスが危ういようで、下手に力を撃つとゲートそのものが壊れてしまうようだ。
深々とため息を吐いて水輝は頭をかいた。この話を聞いたのは、実は数日前のことだ。どうやら他に作戦をこなせそうなものがいないらしく、作戦部の部長は最初から水輝に狙いをつけていたらしい。だが、水輝はその話をずっと断り続けていたのだ。
まあ……たかが五百年だし……。三群に居た頃のことを思い出して水輝は何となくゲートの並ぶ方を見やった。喪服のような黒服に身を包んだゲートキーパーたちが、ああでもないこうでもないと話を続けている。
「よしっ! 間に合ったっ!」
不意に後ろから声が聞こえてくる。水輝は驚いて声のした方を振り返った。フロアの隅にある非常用の階段から女性が一人駆け寄ってくる。水輝は何度か瞬きをしてから慌てて瞼を擦った。
「水輝さん、覚悟はできてるわよね」
そう言いながら女性がにっこりと笑って指を鳴らす。水輝はええと、と呟いて眉間を指で押さえた。輝きからすると、たぶん優一郎なのだと思うのだが、女性は水輝が見たことのない容姿をしていた。
「あー、と……誰?」
水輝は訝りの顔をして女性を指差した。
「酷い……。わたしのことは遊びだったのね!」
そう言って女性が泣き真似をしてみせる。水輝は頭をかいてから、荷物を探って手鏡を出し、それを女性に放った。受け取った女性が怪訝そうな顔をして鏡を覗き込む。
「誰これ?」
「いや、それはおれが訊いてるんだ」
たぶん、優一郎なんだとは思うが。水輝はそう付け足して首を傾げた。佑とどことなく顔かたちが似ていると言えば言えるかも知れないが、前のように酷似してはいない。どっちかと言うとこの女の方が。そう思ってから水輝は慌てて頭を振った。
「いやまあ、とにかく。何でおれが覚悟だ? 仕事行くだけだろ」
仏頂面で言って水輝は女性の手から鏡を取り上げた。
「五百年ってどういうことよ!」
「そういう作戦なんだから仕方ねえだろ。それに、あの時は千年単位だぞ? それ考えりゃ短いくらいだろうが」
どうやらゲートキーパーたちは話し合いを終えたらしい。それぞれがゲートの前に戻っていく。水輝は鏡を荷物に突っ込み、のろのろと立ち上がった。
「わたしも行く」
「理子どーすんだよ。阿呆か、おまえは。少し、頭を冷やせ」
呆れた顔で言って水輝は女性の額を指でぺしんと叩いた。
「理子?」
だれ? 女性が不思議そうな顔をして言う。水輝はしかめ面をして女性を睨みつけた。
「ざけんな。てめえの女房だろうが」
どうやらからかわれているらしい。そう感じた水輝は機嫌の悪い顔をして荷物を拾い上げた。
「水輝さん! その女性を拘束してくださいっ!」
唐突に聞き慣れた声が聞こえてくる。え、と目を見張った水輝は女性をまじまじと見た。
「返してもらうよ」
駆け寄ってきた優一郎が女性に言う。すると女性から何かが優一郎の身体に飛び込む。それと同時に女性の身体は見る間に縮んでいった。水輝はがりがりと頭をかいて、優一郎を見た。優一郎は男性の身体をしている。
「あー……と。問題は解決したのか? よく判らんが、おれはそろそろ行きたいんだがな」
しかめ面をして言ってから、水輝はゲートのある方を指差した。
「生まれたばかりの娘さんを置いていくつもりですか?」
そう言いながら優一郎は抱えていた女物のスーツを差し出した。スーツの中に埋もれた赤ん坊を見た水輝はぎょっとして目を見張った。
「じ、冗談だろ、なんだこれ」
水輝は震える指で赤ん坊を示した。
「水輝さんと実鈴さんのお子さんです」
にっこりと笑ってから優一郎が言う。
「おめでとうございます」
「ちょっと待て。おれは子供は駄目なんだよ。いや、とにかくだな、落ち着け」
落ち着くのはおれだ、と水輝は言ってから頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「危うく、第二の佑にしてしまうところでした」
すみません、と言って優一郎が水輝の腕に赤ん坊を押しつけようとする。水輝は慌てて立ち上がって、じりじりと優一郎から離れた。
「とっ、とにかく、おれは仕事に! そうだな! 子供は……ええと、実鈴……は危険だな、あいつ実験しかねないし……うー、だとすると……」
苛々と頭をかきながら水輝は考えを巡らせた。
「とりあえず、名前を付けてあげてください」
このままだといろいろ危険ですから。優一郎が真面目な顔をして言う。水輝はうー、と低く呻いてからちらりと赤ん坊を見た。
「青藍」
頭を過ぎった名前を口にすると、赤ん坊がにこにこと笑って小さな手を差し伸べる。水輝は何となく赤ん坊の手に指を当てた。
「ちょっと、その名前は……あー……」
「なんかまずかったか?」
水輝は顔をしかめて言ってから、何となくゲートを振り返った。難しい顔をしたゲートキーパーが腕組みをして苛々とつま先で床を叩いている。
「とりあえず、戻りましょう」
「いや、だからおれは仕事に行くから、な? ええと」
困った顔で水輝は優一郎と赤ん坊を見比べた。
「仕事のほうはこの子が預かった状態になってます」
そう言ってから優一郎が踵を返して歩き出す。水輝ははっとして慌ててゲートキーパーに詫び、優一郎の後を追いかけた。
「おい! どういうことだよ! 何で子供が!?」
優一郎と一緒にエレベーターに乗り込みながら水輝は喚いた。すると優一郎の腕の中で赤ん坊がぐすり始める。よしよし、とあやしながら優一郎が水輝を見る。
「僕の記憶を複写して持って行った状態で、これを提示したみたいです」
そう言いながら優一郎が片腕に赤ん坊を抱き直し、スーツのポケットからIDカードを取り出す。その表面には監査局と所属が記されていて、その名前が池田青藍となっていた。
「おいおい……。おれは混乱してるんだが……」
水輝はしかめ面をしてこめかみを指で叩いた。
「僕もです。ここ二日ばかり女性になって戻れなかった理由はわかりましたけど」
「あー……もしかしてその赤ん坊が入ってたのか? いや、まあ、それはいいんだが、うん」
ぼやくように言ってから、水輝は扉が開くのを待ってエレベーターを降りた。戸惑う水輝を促して優一郎が情報局に向かっていく。情報局内の自分の研究室にたどり着いたところで優一郎は足を止めた。
「応接室へいらっしゃってください」
そう言いながら優一郎が研究室に入ると、部屋にいた女性たちが一斉に優一郎を見た。急に男性に戻っていることに驚いているらしい。水輝は何となく居心地の悪いものを感じ、足早に部屋を抜けて応接室に向かった。
促されるままに部屋に入り、ソファに腰掛けたところで水輝はため息を吐いてうなだれた。
「とりあえず、この娘はどうします? あちらに預けますか?」
「何ならおれと行くか。子供にはちょっと過酷かなあ……」
考えながら水輝は優一郎の腕に抱えられている赤ん坊を見つめた。あどけない笑みを浮かべた赤ん坊の顔が……どことなく知り合いに似ているような気がしなくもない。うーん、と唸る水輝のこめかみを冷や汗が伝う。
「水輝さん。佑が今の任務から戻ってきた時の事、考えてます?」
「あ? あー……考えてないかも」
そう言いながら水輝は身を乗り出し、優一郎の腕から赤ん坊を引き取った。腕に抱いて指を鳴らすと、裸だった赤ん坊の身体に真新しい産着がまとわりつく。
「辞表叩きつけて、水輝さんのところに向かうでしょうね」
「まあそうかもなあ……でも別に佑が辞めて何か困るか?」
水輝は赤ん坊を抱えた腕を揺すりながらのんびりと訊ねた。
「それは、そうですね……」
「単身赴任してる旦那のところに、嫁が引っ越してくるだけのことだろ?」
小声で答えた優一郎に水輝はさらりと言った。しばし赤ん坊の顔を見つめてから水輝はゆらりと顔を上げた。
「……な? やっぱ、やめようぜ。こういうの。色々弊害が出るし、おまえだって混乱したろ」
よしよし、と言いながら水輝は赤ん坊を両手に抱え直した。たかいたかい、と手を掲げると赤ん坊が嬉しそうに笑う。
「そうですね。水輝さんの言うとおりにするのが一番かもしれません」
そう言って優一郎がにっこりと笑う。水輝はじっと優一郎を見つめてから立ち上がった。赤ん坊を片腕に抱えて荷物を取り上げる。
「じゃあな。産んでくれてさんきゅな」
そう言って水輝は歩き出した。優一郎が水輝を見送りながら、ちらりと壁の時計を見上げてくすりと笑う。水輝はその声を聞きつけて訝りを覚えて振り返った。
「なんだよ」
「なんでもありません。それではいってらっしゃい」
「……変なやつ」
ぼそりと呟いて水輝は応接室を出た。研究室を出て、エレベーターに乗り込んだところで水輝は腕の中の赤ん坊を見下ろした。
「あー……おれって馬鹿かも」
眉間に皺を寄せて水輝はがっくりとうなだれた。楽しそうに笑いながら赤ん坊がぺしぺしと水輝の頬を小さな手で叩く。はいはいと苦笑して水輝は赤ん坊の額に軽くキスをした。一緒に乗り合わせていた局員が怪訝そうな顔をして水輝を見る。
作戦部のある総管理局の棟に入り、地下にあるゲートに向かう。たくさんのゲートの並ぶフロアに辿り着いた水輝は、詫びを入れるために真っ直ぐに目的のゲートに向かった。
優一郎が産んだことになってるけども!w
何度目!?w