頼まれていた手術の時間前に二人は現れた。脳摘出手術を受ける澄を手術室に送り込んだ後、実鈴は必要な書類をまとめて優一郎に押しつけた。
「ところでー。ちゃんとー、水輝さんはー、引き留めましたかー?」
嫌そうな顔で言ってから実鈴はぷんぷん、と口に出して言った。
「とりあえず今日のところは」
「もー! 譲ったんですからー! しっかりしてくださいよー!」
嫌悪の表情を浮かべて実鈴は歩き出した。優一郎の腕を有無を言わさずに引っ張って医療特殊技術部三課の部屋に入ったところで、女性たちの黄色い歓声を浴びる。
「きゃあああ! 吉良博士! 元に戻ったんですね!」
「さすがは私たちの見込んだオトコです! ナイス、吉良博士!」
口々に騒ぐ彼女たちをどうどう、となだめてから、実鈴は奥の部屋に向かった。戸惑った顔をしつつも優一郎は大人しくついてくる。実鈴はあの部屋の扉の横のスロットにカードを差し込み、優一郎に顎をしゃくった。
「とりあえずー、居心地はあんまりよくないですけどー、セキュリティは万全ですからー」
そう言い置いてから、実鈴は天の岩戸と呼ぶ小部屋があるフロアに向かった。細い廊下に入ったところで優一郎から手を離す。
「とりあえず、あなたの娘さんが活躍してくれたので」
「いちいちうるさいですー。はい、着きましたー」
にっこり笑った優一郎から目を逸らし、実鈴はもう一度、カードで扉を開けて広いフロアに出た。後ろから優一郎が着いてきたのを確認してから、実鈴は振り返って右手を振った。甲高い音がして右手がじんと痺れる。
「そうやって気取ってるのが一番腹立つ!」
怒りに目を吊り上げて言ってから、実鈴は優一郎を睨みつけた。
「人のことは言えないでしょう?」
実鈴が平手を食らわせて赤くなった頬を押さえ、優一郎が静かな声音で言う。実鈴は息を飲んで再度、右手を振り上げた。だが今度は頬に届く前に優一郎がすげなく実鈴の手を払う。
「わっ、私はずっと、ずっと待ってたのに! なんであんたみたいなのに、うっ」
震える声で言ってから実鈴は耐えきれずにぼろぼろと涙を零した。こみ上げてくる嗚咽を殺して歯を食いしばる。
「そうでもないでしょう? かなりの時間、僕が飛ばしてあげましたし」
にっこりと優一郎が微笑む。実鈴はこみ上げてくるものを必死で堪え、右手を振りかぶった。だが実鈴が飛ばした平手を優一郎が易々とつかまえる。
「記憶を取り戻されたのなら、名乗ればいいのでは?」
「うるさいです! 大きなお世話です!」
ヒステリックに喚いて実鈴はぺたんと床に座り込んだ。床にうずくまって泣きじゃくる実鈴を優一郎が静かな眼差しで見下ろす。
最初は一枚のカードだった。『塔』に配属になり、課長に任命された実鈴はあるカードを先の上司から渡された。そのカードはこの部屋の鍵を開くためのものだった。だがこの部屋の主はおらず、そして居るべきはずの水輝もいなかった。
「この世界に本物の天人はあなたしか居ませんからね」
本来ならしかるべき立場についてもらうべきなんでしょうけど。淡々と続けた優一郎を睨みつけ、実鈴は弾かれたように身を起こした。殴りかかった実鈴の腕を優一郎があっけなく押さえる。
「水輝さんは、水輝は、ぼくの」
怒りと悲しみに目の前が真っ赤に染まる。実鈴は全身で荒い息をついてから、腕の力を抜いた。優一郎がつかんでいた実鈴の手をそっと離す。
「水輝さんが選んだのは佑です」
自嘲気味に優一郎が言う。実鈴は鼻を啜り、顔を濡らす涙をハンカチで綺麗に拭き取ってからため息を吐いた。
「ばかですねー。吉良博士は救いようのないおばかさんですー」
そう言って顔を上げてから実鈴はつん、と横を向いた。
「そうですか?」
そうかもしれませんね。優一郎が小声で続けるのを聞いて、実鈴はヒステリックにきー! と叫んだ。この男はまったく、と地団駄を踏む。
「あれだけ好かれて何が不満なんですかー! ぼーいずのカップリングの風上にも置けない人ですねー!」
優一郎をびしりと指差して実鈴は大声で喚いた。広々としたフロアに実鈴の声が響く。
「すみません。僕は基本的にノーマルでストレートですから」
「あれ? じゃあ、ほんとに水輝さん要らないんですかー? なーんだ。泣いて損した」
実鈴は軽い口調で言って頭の後ろで手を組んだ。てっきり言い返してくると思ったら、優一郎は自嘲気味に言った。
「もう、既に勝負は終わってたんです」
「ふーん……。まあ、戦線離脱してくれるんならぼくが貰うけど」
実鈴は横目に優一郎を見やって苦笑した。ここで優一郎が降りるというなら、それはその方が都合がいい。
「そうですね、あなたなら……」
気弱な顔をして優一郎が言う。ふうん、と呟いてから実鈴は唐突に右手を振りかぶった。今度は油断していたのだろう。右手が優一郎の頬にヒットする。
「サイテー。男の風上にも置けないやつ」
そう吐き捨てて実鈴はけっ、と喉の奥で言った。それから白衣の内側を探って、一つの小瓶を取り出す。実鈴はぞんざいな仕草でそれを優一郎に放った。
「ですから、基本的に僕はノーマルでストレートだって言ったでしょう?」
そう言いながらも優一郎が瓶を受け取る。実鈴は優一郎の手元を指差して顎をしゃくった。
「それ、水輝さんの卵子とあんたの精子だから」
ぺっ、と床に唾を吐き捨てて実鈴は優一郎を睨みつけた。
「ほんとは渡してやる義理なんかないし、実験してやる義理もなかったんだけどね。卵子摘出出来たの一つきりだったから」
がりがりと頭をかきながら実鈴は説明した。
実鈴も素直じゃないからwww
あ、そいえば水輝の卵子を抉りだした時に本心は晒してましたね。
エピタイがアレかな……まあ、いっかw