※この作品はR-18です。

ブルアカ短編集   作:モノクロさん

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登場人物
・和泉元 イズミ
リクエスト作品です。
デカグラマトンに関する調査をしていた和泉元 エイミが捕まって酷い目にあう話です。


【リクエスト作品】COOL DOWN

『宗教』とは何か?

 

 一般的には人や自然の力を超えた存在に対する『信仰』を主体とする『思想体系』であり『観念体系』とされている。

 

 そして、それらの体系を基盤とし、教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団を示している。

 

 実際、キヴォトスでもある一定の宗教が広まっており、行事や儀式なども散見されている。

 

 人は、目に見えない存在に不安感や畏怖感を感じやすいため、 これらの精神安定剤としての役割を持ち合わせているともいえるだろう。

 

 ある種の『宗教』は、その集団の構成員の共通意識としての『信仰心』が重要であり、 その『信仰』が弱くなったり欠けたりすると、深刻な宗教的混乱や事実上の集団消失を招くことがある。

 

 なんと力ある危険な存在なのだろうか。

 

 しかしこの話から判断できるのは『宗教』はその国々により体制そのものの違いはあるものの『迷える人々を救うもの』という根幹は共通しているということだ。

 

 超常の存在に祈りを捧げ、不安から解放される。その行為が『宗教』の根底にあるのだ。

 

 ならば、『信仰』とは何か?

 

 信仰とは神の存在と啓示を真実として信じる事。そして、宗教を信じてその教えを拠り所とする事とある。

 

 先に挙げた『迷える人々を救うもの』の定義として、ある程度の決まり事を設け、その教えを広める。

 

 その教えを解釈し、理解し、実践し、徹底する事で集会員は精神を安定させているという事であろう。

 

 それが、正しい事に繋がるのであれば問題はない。

 

 しかし、それが仮に、誤った形で広まり、そしてそれが人に害するものであるならば、それは、『宗教』の枠を超えて、『弊害』となってしまうだろう。

 

 果たして、彼ら……或いは彼女らは、人々にとってどのような存在となるのだろうか?

 

 

 

 

―廃墟―

 ミレニアム自治区の近く、連邦生徒会によって立入禁止区画となり、長らく放置された都市。

 

 トリニティにおける『カタコンベ』やゲヘナのヒノム火山にある『アビス』と同様の扱いとなっている場所。

 

 崩壊した現代都市の外観であり、武装した無数のロボットが徘徊する、全容が把握されていないキヴォトスの未開の地の1つ。

 

「――――」

 

 瓦礫の山が風に揺れ、微かな音を立てていた。静寂の中に響く機械の駆動音が、まるで遠くの波音のように聞こえる。ここは、忘れ去られた都市。かつて栄華を誇った場所も、今ではただの残骸でしかない。

 

 かつて、デカグラマトンの本体であった『お釣りを計算するAI』だったただの自販機は決壊したダムから流れ込んだ水によって建物ごと跡形もなく崩れ去り、この地区には、もはや何もないはずだった。

 

 だが、そんな廃墟の中にも、まだ息づくものがある。

 

 廃墟の近辺で目撃される無数の人影。まるで亡霊のように現れては消える彼らは、この場所で何をしているのか。

 

 その理由は誰にも分からない。

 

 ただ、彼らの存在が、この廃墟に新たな意味を与えていることだけは確かだった。

 

 それが、デカグラマトンが告げた最後の預言者『マルクト』か、それとも別の預言者か、もしくは、それとは異なる別の存在か。

 

 それを調べるために、特異現象捜査部のメンバーである和泉元 エイミは、部長の明星 ヒマリの指示のもと、『廃墟』の調査を開始したのであった。

 

 

 

 

―廃墟・近郊地区―

 

 エイミが降り立った廃墟は、以前訪れた時と変わらない光景だった。

 

 ただ、どこか違う空気が漂っている。

 

 以前の静寂さの中に、微かな緊張感が混じっているような気配。

 

 徘徊するロボット達とは異なる気配。いや、そもそもロボットに気配というものは存在しない。ロボットにあるのは駆動音と熱源。その2つだけだ。つまり、この気配は、それらとは全く異なる別の何かだ。

 

 この場所で何かが起こっているのは間違いない。

 

 エイミは慎重に周囲を見渡す。崩れた建物の影、瓦礫の隙間、そして、決壊したダムにより水の底に沈んだ研究地区の一画。どこにも異常は見られない。

 

 しかし、何かがおかしい。この場所には、何かがいる。

 

(……やっぱり、先生を連れてくるべきだったかも)

 

 ふと、そんな考えが頭をよぎる。あの先生なら、きっとこの状況を打開してくれるだろう。けれど、今は一人でやらなければならない。エイミは深呼吸をして、意識を集中させる。そして、静かに歩き出した。

 

 廃墟の中を進むにつれ、気配はますます濃くなっていく。まるで、誰かに見られているような感覚。あるいは、何かに待ち伏せされているような感覚。エイミは警戒しながらも、廃墟の奥へと足を踏み入れていく。

 

「…………っ」

 

 しばらく進むと、エイミは足を止めた。前方に、人の姿が見える。瓦礫の上に座り込んでいるようだ。背中を向けているため、顔は見えない。

 

(誰だろう?)

 

 エイミは警戒を緩める事無く、通信でヒマリに連絡を取る。

 

「……ヒマリ部長、人影を発見。どうする?」

 

《了解しました。慎重に接触してください。ただし、敵対行動は極力避けてください》

 

「了解」

 

 エイミはゆっくりと近づいていく。相手はまだ気付いていないようだ。背後から声をかける。

 

「君。ここで何してるの?」

 

 その声に反応して、その人物はゆっくりと振り返った。

 

 若い。エイミと同じく学生のようだ。

 

 なぜ学生が立入禁止区画にいるのだろう?

 

 興味本位で来たのか。それとも、他に目的があるのか?

 

 その人物は、エイミをゆっくり見上げた後、口を開いた。

 

「……あなたは、誰ですか?」

 

「私はエイミ。貴女は?」

 

「……」

 

 彼女は答えない。警戒しているのだろうか?

 

 エイミは更に言葉を続ける。

 

「貴女は、どうしてここにいるの?」

 

「……」

 

 彼女は再び黙り込む。やはり、答えるつもりはないようだ。

 

 エイミは溜息をつき、再びヒマリに通信を入れようとした。

 

 次の瞬間……。

 

「…………………………え?」

 

 右肩に衝撃が走ると同時にエイミは咄嗟に飛び退き、衝撃を受けた右肩に手を当てた。

 

 そこには、注射器のようなものが刺さっていた。

 

「……なに? これ……っ」

 

 エイミは眉をひそめ、注射器を引き抜こうとした。だが、その前に、目の前の人物がゆっくりと立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。

 

「知っていますよ。貴女の事は。特異現象捜査本部の和泉元 エイミ。そうですよね?」

 

「どうして、私の名前を? 私はまだ……」

 

 エイミは警戒しながら問いかける。エイミはまだ自分の苗字を相手に話していない。にも関わらず、何故彼女は、自分の事を知っているのだろう?

 

 その問いに、相手はにやりと笑った。

 

「簡単な事です。貴女は有名人ですから。そしてこれを見ればわかる筈です。私達が何者であるか」

 

 そう言って、制服のボタンを外し、服をはだけさせると、そこには『Q.E.D』と刻印されたタトゥーが刻まれていた。

 

 証明、分析、再現……その言葉の意味を、エイミは誰よりも理解していた。

 

 何故ならば、『Q.E.D』とはデカグラマトンと呼ばれたAIが宣言した単語であり、それが彼女の体に刻まれているという事は、彼女が件の関係者か或いは自分達と同じようにデカグラマトンを調査していた別組織の可能性を示唆していた。

 

「貴女は……デカグラマトンの……」

 

「えぇ、私は件の存在を追い求めていた者です。追い求め、崇拝し、そして啓示を受けた者です」

 

「啓示……を……っ」

 

 彼女の言葉を聞いている内に、意識が朦朧としていく。右肩に刺さった注射器……恐らくは麻酔銃の一種なのだろう。

 

 視界の端に無数の人影が映りだし、徐々に増えていく。

 

 待ち伏せされていたのだろう。廃墟の近郊で目撃された人影達。彼等、或いは彼女達は、目の前の人物と同じく、デカグラマトンに関する関係者なのだろう。そして、特異現象対策本部を知っている事から察するに、この区画で起きた出来事もある程度把握している筈。ならば、廃墟に調査に来るのがエイミという事も当然知っているだろう。

 

「……ごめん、ヒマリ部長……っ」

 

 薄れゆく意識の中で、エイミは謝罪の言葉を呟いた。

 

 その言葉が届いたかどうかはわからない。ただ、意識が完全に途切れる直前、彼女が不気味に微笑んでいるのが見えた。

 

 

 

 

「ん……」

 

 エイミが目を覚ますと、そこは薄暗い部屋の中だった。

 

 コンクリート剥き出しの壁、錆び付いた鉄格子、そして、冷たい床。廃墟の中にある建物の何処かなのだろう。

 

「ここは……っ」

 

 身体を起こそうとするも、思うように身体が動かない。薬の影響なのだろう。しかし、それでも何とか上半身を起こすと、手足に鎖が繋がれている事に気づいた。拘束されているのだ。

 

 デカグラマトンを追い求めた人物。崇拝し、そして啓示を受けたと話していた。そんな人物がエイミを拘束しているという事は、デカグラマトンの調査をしている組織を排除する為なのだろうか?

 

 だとすれば、今すぐ此処から脱出し、対策を取らなければならない。

 

 しかし、手足を拘束された状態ではどうする事も出来ない状況だ。

 

 連絡手段は恐らく絶たれている筈だ。携帯のGPS機能もオフにされているだろう。つまり、エイミが此処にいる事を知る者は誰もいないという事になる。

 

(……どうしよう)

 

 エイミは必死に思考を巡らせる。何か方法はないか。この状況を打破する為の手段はないか。必死に考えるも、何も思いつかない。

 

そんな時だった。

 

「お目覚めですか?」

 

 不意に声が聞こえた。聞き覚えのある声。エイミはゆっくりと顔を上げる。そこには、廃墟で出会った人物が立っていた。

 

「貴女は……たしか」

 

「申し遅れました。私はカナイと申します。以後、お見知りおきを」

 

 カナイと名乗った少女は、優雅に一礼した。その仕草は洗練されており、とてもではないが廃墟にいた人物とは思えない。

 

 カナイは、エイミの傍に膝をつき、じっと見つめてきた。

 

「さて、それでは、色々と質問させていただきましょうか」

 

「質問……?」

 

「えぇ、そうです。貴女が知っている事を全て教えてください。そうすれば、命だけは助けてあげますよ」

 

 彼女がエイミを拘束した理由は、特異現象対策本部が知り得た情報を吐かせる為だった。特異現象対策本部は、デカグラマトンに関する情報を有しており、それを外部に漏らさないようにしていた。だからこそ、彼女はエイミを拘束し、情報を吐かせようとしているのだろう。

 

 しかし、エイミは素直に答えるつもりはなかった。

 

「貴女に話す事は何もない」

 

「ふふっ、強情ですね。まぁ、そう簡単に口を割ってくれるとは思っていませんでしたが」

 

 カナイは妖艶な笑みを浮かべながら、エイミの頬に手を添えた。

 

「でも、貴女はきっと話してくれますよ。だって、貴女は賢い人ですから」

 

「……っ」

 

 エイミは息を呑んだ。彼女の瞳の奥に宿る狂気に、恐怖を感じたからだ。

 

 彼女は本気だ。本当に、エイミを拷問してでも情報を吐かせるつもりなのだ。

 

「さぁ、始めましょうか」

 

 カナイは楽しそうに微笑んだ。そして、彼女の指先が、エイミの首筋に触れた。

 

「……っ!」

 

「まずは、軽くあいさつ程度に」

 

 カナイはそう言うと、エイミの首筋に爪を立てた。鋭い痛みが走り、血が滲む。

 

「……っ!」

 

 エイミは歯を食いしばり、耐える。しかし、彼女は容赦なく爪を立て続けた。

 

「痛いですか?」

 

「……」

 

「痛いですよね? でも、まだまだ序の口ですよ」

 

 カナイはさらに強く爪を立てた。皮膚が裂け、血が滴り落ちる。

 

「っ!」

 

「ふふっ。まぁ、そうですよね。この程度で情報を吐くほど、貴女は甘くないでしょう」

 

 カナイは満足そうに頷くと、エイミの首筋から手を離した。

 

「さて、次はどうしましょうかね」

 

 彼女は楽しそうに笑いながら、エイミの指先へと視線を向けた。

 

「そうですね。此処は1つ。先達者の知恵をお借りするとしましょう」

 

 

 

 

「……っ!」

 

 エイミは思わず顔を歪めた。彼女が何を考えているのか分かったからだ。

 

 指先。そこに何があるのか。それは、爪だ。

 

 爪を剥がされる。もしくは別の手段での拷問を試すつもりだろう。

 

「ふふっ。良い表情ですね。恐怖と絶望に染まったその表情、とても美しいです」

 

 カナイは恍惚とした表情を浮かべながら、エイミの指先へと手を伸ばした。

 

「大丈夫ですよ。すぐに楽になりますから」

 

「……っ」

 

 エイミは必死に抵抗しようとするも、手足を拘束されている状態ではどうする事も出来ない。

 

 カナイは部下達を呼ぶと、エイミを椅子の上に座らせ、その状態で足と椅子の足を鎖で繋ぎ、拘束した。両手は自由に動かせるが、これで、立つ事も移動する事も不可能になった。

 

 そして、机の上に大量の道具を並べ、どれを使うか吟味する。

 

 机の上にはペンチや釘、他にも様々な道具が並べられており、どれも使い古され、長きにわたって使用されたものか、それとも廃墟の建物内にあったものを流用したものなのかは分からないが、いずれにしても、その全てがエイミに苦痛を与える為に使用されるものばかりだった。

 

「道具を用意しろとは言いましたが、まさかこれ程の量を持ってくるとは思いませんでした」

 

 1つ1つ丁寧に確認しながら、カナイは苦笑を浮かべる。その様子はとてもではないが、これから拷問を行う人物とは思えない程に落ち着いていた。

 

 そして、その中の1つを手に取り、エイミに見せつけるように掲げる。

 

「綺麗な手をしている貴女にはこれが良いでしょう。ふふふ、貴女はこれで何をするかわかりますか?」

 

 カナイはエイミの前に立つと、手に持った細く長い針をを見せつけながら、微笑んだ。

 

「『血のマニキュア』と呼ばれる拷問です。爪の間に針を刺し、少しずつ押し込んでいくんですよ」

 

 カナイはそう言いながら、エイミの右手の人差し指の爪を押さえつけ、針を押し当てる。

 

「っ!」

 

 鋭い痛みが走り、エイミは顔を歪める。しかし、カナイは容赦なく針を押し込み、爪の間に埋め込んでいく。

 

「あっ……ぐぅ……っ」

 

「喋るなら今の内ですよ。もう限界だ。話すからやめてくれと思ったらすぐに言ってくださいね。私も余計な手間はかけたくありませんから」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、針をさらに深く押し込んでいく。

 

「っ!」

 

 エイミは必死に耐える。しかし、痛みは増していく一方だった。一定の深さまで針を沈め込んだ後、エイミの表情を伺いながら針をぐりぐりと回す。すると、爪の間に血が滲み始めた。

 

「……ぐぁぁっ!」

 

 エイミは苦悶の表情を浮かべながら、歯を食いしばる。しかし、カナイは容赦なく針を回し続けた。

 

「知ってますか? 山海経や百鬼夜行では針を用いた治療が行われているらしいのですが、こうして針を……あぁ、そうそう。針と鍼で意味合いが違いますので、私がやっている事は正確には違うのですが、そこがご了承ください。話は逸れましたが、鍼を体内に打ち込み、ツボを刺激し、人体の不調を整えるのだとか。その際も刺激を加える事によって強弱をつけるみたいですよ。今私がやっているように」

 

 彼女は淡々と説明しながら、針をぐりぐりと動かし続ける。エイミはあまりの痛みに涙を流しながら、必死に耐えていた。

 

「まぁ、これはあくまでも拷問ですので、実際の鍼治療とは関係ないんですけどね」

 

「……っ!」

 

 カナイはさらに針を押し込む。エイミの指先からは血が滴り落ち、地面に小さな赤い染みを作っていた。そうこうしている内に、針は持ち手部分を残して爪の間に完全に収まった。

 

 途中で何度も刺激を与えて傷付けたせいで爪の間には血が溜まっており、赤黒く変色していた。彼女の言葉通り、マニキュアをしているように見えなくもない。

 

「ふふ、綺麗になりましたね」

 

 カナイは満足そうに頷くと、今度は左手の親指に同じ事をした。そして、他の指にも同じように針を刺し、血のマニキュアを施していく。

 

「……っ!」

 

 エイミは歯を食いしばり、必死に耐える。しかし、彼女は容赦なく針を押し込み、血のマニキュアを完成させていった。

 

「ふふ、よく頑張りましたね。これで9本目。後1本で完成です」

 

 カナイはそう言うと、エイミの左手の小指に針先を押し当てた。淡々と作業をこなすように続けていた行為だが、最後の1本だけは少しだけ時間をかけていた。その理由は、単純に楽しみたかったからだ。これまでの苦痛を、エイミの苦しむ姿を、彼女は心の底から楽しんでいた。

 

「途中経過は兎も角、最後の作業。そう考えると、中々に感慨深いですね。でも、貴女は素晴らしいですよ。こんな状況になってもまだ耐えているんですから」

 

 だからこそ、最後の1本は時間をかけて、長くエイミが苦しむように。そして、自分も楽しめるように。カナイはそう考えていた。

 

「さて、最後の1本。これを終えたら、貴女はどうなってしまうんでしょうね」

 

「……っ」

 

 エイミは唇を噛み締め、痛みに耐える。しかし、カナイは容赦なく針を押し込み、血のマニキュアを完成させていった。

 

「さぁ、これで完成です」

 

 カナイは満足そうに微笑むと、エイミの両手を広げ、血塗れの手を見せつけた。

 

「ふふ、綺麗ですよ。とてもよく似合っています」

 

「……フゥ……フゥ……っ」

 

 エイミは荒い息を吐きながら、カナイを睨みつけた。

 

「そんな怖い顔をしないでください。綺麗なお顔が台無しですよ。ふふふ、まぁ今回は簡単なスキンシップという事で、これから暫くはお付き合いしてもらう形になるのです。よろしくお願いしますね? 和泉元 エイミさん」

 

 そう言って、カナイはエイミに握手を求め、同意なく彼女の手を握りしめた。

 

「っ!? うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!?!」

 

 深々と針が爪と皮膚の間に突き刺さっているのにも関わらず、その痛みは一切考慮せず、ただ、自身の愉悦を満たす為にエイミの苦痛を楽しんでいるのだ。エイミは激痛に襲われ、声にならない悲鳴を上げる。しかし、カナイは満足そうに微笑みながら、エイミの手を握り続けた。

 

 両手で優しく包み込むように。そして、時には強く握りしめたり、爪先を指で弾いたりしながら、エイミの反応を楽しんでいた。

 

「今の内にしっかりと感じていてください。人として当然のように与えられた感覚を。これから先、貴女がそれらを感じる事が困難になる筈ですから」

 

「どういう……意味……っ!」

 

 エイミがカナイに問いかけようと口を開いた瞬間、カナイは彼女の手を離した。

 

「ふふ、すぐに分かりますよ。それでは、また明日。ゆっくりと休んでくださいね。おやすみなさい」

 

 そう言って、カナイは部屋から出てようとし、そして足を止める。

 

「あぁ、そういえば忘れてました。私はこう見えて、周りの環境が変わると中々寝付けない質なんですよ。だから、アイマスクは必須でして、貴女にも私の予備を譲りますね。良かったじゃないですか。少しは眠れますよ」

 

 そう言いながら、部下に指示を出すと、エイミにアイマスクを装着させた。視界が暗転し、何も見えなくなる。そして、ごそごそと何かを取り出す音が聞こえたかと思ったら、今度は両耳を塞がれる感触があった。

 

(……耳栓……ヘッドセット!)

 

 カナイは、エイミの聴覚を奪う事で、更なる恐怖を与えようとしているのだ。音が遮断され、何も聞こえない。視界も閉ざされ、何も見えない。エイミは暗闇の中で孤立させるのが目的だろう。

 

 人として当然のように与えられた感覚。視覚と聴覚を同時に奪われ、唯一指先に感じる触覚のみが残された。それも、常に針が突き刺さっている状態だ。痛みが絶えず襲い掛かり、エイミは身動きが取れない状況に置かれてしまった。

 

「それでは、おやすみなさい。良い夢を」

 

 カナイはそう言い残し、部屋を後にした。扉が閉まる音と共に部屋に静寂が訪れる。

 

 いや、聴覚と視覚を遮断されている以上、静寂かどうかすら分からない。

 

 ただ、孤独だけが支配する空間で、エイミは唯一残された感覚、痛みを感じながら、夜を過ごす事となった。

 

 ズキズキと疼く指先の痛み。それがなければ、自分がまだ生きている事を認識する事すら困難だった。それほどまでに、今の状況は異常だった。

 

(……このままじゃ……ダメだ……)

 

 エイミは必死に思考を巡らせる。どうすればこの状況を打破出来るのか。どうすれば逃げ出せるのか。考えても答えは出ない。ただ、時間だけが過ぎていく。

 

(……先生)

 

 エイミは心の中で先生の名前を呼んだ。いつも、どんな時でも、自分達を助けてくれた大人。彼なら、きっとこの状況を打破してくれるだろう。しかし、今の自分には何も出来ない。

 

(……お願い……早く来て……っ)

 

 エイミは心の中で願い続けた。助けを求めるように。しかし、その声は誰にも届かない。

 

「………………」

 

 エイミは静かに目を閉じた。そして、ゆっくりと息を吐き出す。今はただ、耐えるしかない。いつか必ず、この状況から抜け出せる日が来るはずだ。そう信じて、エイミは眠りについた。

 

 

 

 

 翌朝、目を覚ますと、そこは変わらず暗闇の世界だった。何も見えず、何も聞こえない。ただ、指先に感じる痛みだけが、これが現実なのだと無慈悲に教えてくれる。

 

 椅子に拘束され続けていたせいで身体中が痛い。特に、ずっと同じ姿勢を維持していたせいで、肩や腰に鈍痛が走る。しかし、それよりも指先の痛みの方が遥かに強かった。

 

 少しでも動かそうとすると、針が皮膚に食い込み、鋭い痛みが走る。エイミは小さく呻き声を上げながら、身体を硬直させた。

 

(……痛い……っ)

 

 全身が汗ばみ、呼吸が浅くなる。痛みに慣れる事はない。寧ろ、時間が経つにつれて、痛みはどんどん増していくように感じられた。

 

 まるで、針がどんどん深く突き刺さっていくような錯覚に陥る。

 

 エイミは必死に耐える。痛みに負けてはいけない。弱気になれば、それこそカナイの思う壺だ。彼女はエイミを屈服させ、情報を吐かせる事が目的なのだから。

 

 そう、カナイもまた、エイミから情報を引き出したい筈だ。そこに、彼女との間で交渉の余地が生まれるだろう。だが、今はまだその時ではない。彼女はエイミを徹底的に痛めつけ、精神的に追い詰めようとしている。

 

 ならば、今は耐えるしかない。痛みに負けず、精神を強く保つ事。それが、今のエイミに出来る唯一の抵抗だった。

 

 音信不通になった事はヒマリを通じて先生に伝えられている頃だろう。エイミが廃墟で消息を絶ってから既に24時間以上が経過している筈だ。先生なら、きっと助けに来てくれる。それまで、何としても耐え抜く必要がある。

 

 カナイもエイミが疲弊するのを待っているだろうが、それは彼女にとっても諸刃の剣である事に変わりはない。エイミが衰弱すればするほど、カナイにとって有利になるのは明白だが、それと同時に、自分自身の首を絞める行為である事も忘れてはならない。

 

 だからこそ、今は耐える。ただ、それだけを考え、エイミは必死に意識を保ち続けた。

 

 そうして1時間……2時間……5時間……10時間……20時間……。

 

(おかしい……なんで誰も来ないの……?)

 

 アイマスクとヘッドセットにより視覚と聴覚を遮断され、針が爪と肉の間に入り込んでいる痛みのみが、時間の経過を教えてくれる。

 

 最初の3時間くらいは痛みが強かったが、時間が経つにつれて、痛みにも慣れてきた。いや、麻痺してきたのかもしれない。どちらにせよ、痛みを紛らわせる事が出来るようになったのはありがたかった。

 

 だが、それ以上に気になる事があった。

 

 カナイ達が現れない。誰も来ない。まるで、忘れられているかのように、エイミは放置されていた。

 

(まさか、捨てられた? いや、それはないはず)

 

 カナイが自分を放置してそのまま撤退する筈がない。情報源として利用価値があるからだ。しかし、この状況は明らかにおかしい。まるで、エイミの存在を忘れたかのように、誰も来ないのだ。

 

 エイミは不安に駆られながらも、必死に冷静さを保とうとした。

 

(きっと、何か準備をしているんだろう。それまで待つしかない)

 

 そう自分に言い聞かせ、エイミは再び意識を集中させる。今度は痛みではなく、自分の内面に意識を向ける事にした。

 

(私は何のために此処にいる? 特異現象対策本部のメンバーとして、この廃墟に来た。立入禁止区画を行き来する不審な人物がいると報告があったから、その調査に来た。そして、捕らえられた)

 

 エイミは自分に言い聞かせるように、状況を整理する。

 

(捕まったのは油断していたから。目の前のカナイに気を取られていたから。不意打ちに対処出来なかったのは自分の落ち度だけど、だからと言って諦めるわけにはいかない)

 

 エイミは深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。

 

(カナイは拷問を用いてでも情報を吐かせようとしている。情報そのものに価値があるから。もしくは、自分達が知り得ない情報を有している可能性を考慮しているから。でも、私は何も話さない。特異現象対策本部のメンバーとして、情報を守る義務がある)

 

 エイミは自分に言い聞かせるように、何度も何度も繰り返した。

 

 そして、再び時間が過ぎていく。1時間、2時間、3時間……。

 

 エイミはただひたすらに耐え続けた。痛みにも、孤独にも、絶望にも。

 

 だが、それでも、彼女は決して諦めなかった。

 

 必ず助けが来る。先生が来てくれる。そう信じて、エイミは待ち続けた。

 

 

 

 

 そうしてどれくらいの時間が経過しただろうか?

 

 2日か3日か、或いはそれ以上か。

 

 食事を与えられず、水すらも与えられず、視覚と聴覚を奪われ、時間という感覚を失ったエイミには、最早何も分からなくなっていた。

 

 指先の痛覚は薄れ、まるで自分の身体ではないような感覚に陥っていた。

 

 意識は朦朧とし、思考能力も低下している。だが、それでも、エイミはまだ生きていた。

 

「………………っ」

 

 不意に、気配を感じた。それは気のせいかもしれない。それでも、エイミは僅かに反応を示した。

 

 遠くから感じた気配は次第にエイミに近付き、そして彼女の前で止まった。

 

「…………」

 

 誰かがエイミの頬に触れる。その感触は冷たく、機械的だった。指先で輪郭をなぞるように撫でられ、そして離れていった。

 

「……っ」

 

 エイミは僅かに顔を動かし、その方向へ視線を向ける。しかし、アイマスクとヘッドセットによって遮られた視覚と聴覚は、何も教えてくれない。

 

 ただ、その気配だけが、そこに誰かがいる事を教えてくれた。

 

 そして、その気配は、エイミのヘッドフォンとアイマスクに手をかけると、ゆっくりと外した。

 

「……っ!」

 

 視界が開ける。突然光が入り込んできて、エイミは思わず目を細めた。

 

 相手は誰だ?

 

 先生か、それとも救援に来たトキか?

 

 願わくば、その人物が味方である事を祈ったエイミだったが、彼女の願いは呆気なく打ち砕かれた。

 

 そこに居たのは、柔和な笑みを浮かべたカナイだったのだ。

 

「おはようございます。エイミさん。よく眠れましたか?」

 

「……」

 

 エイミは何も答えない。ただ、黙ってカナイを見つめていた。

 

「ふふ、そう警戒しなくても大丈夫ですよ。別に危害を加えるつもりはありませんから。まぁ、情報提供の為に必要な処置は施しますけどね」

 

「……何が目的?」

 

 エイミは低い声で尋ねる。カナイはクスリと笑うと、エイミの頬に手を添えた。

 

「目的? 貴女達が知っている事を話してほしいだけですよ。私達は知りたいんです。デカグラマトンについて。預言者達について。私が知り得ぬ情報を。貴女達が独占している情報を、それら全てを、貴女に教えて欲しいのです」

 

「……知らない」

 

 エイミは短く答える。カナイはエイミの顎を持ち上げると、顔を近づけた。

 

「嘘はいけませんよ。貴女は知っている筈です。そうでなければ、貴女が此処にいる筈がない」

 

「………………」

 

「ふふ、良い顔ですね。もっと見せてください。その怯えた表情を。私達が求めるものは、貴女の持つ知識。そして、貴女が隠している秘密。それら全てを暴いてみせましょう」

 

 いかなる手段を以てしても。

 

 そういうと、事前に準備していたのであろう、机の上に置いてあった器具を手に取った。

 

「……それは?」

 

「これですか? これはですね、拷問器具ですよ。ほら、見てください。先端が尖っていて、とても痛そうでしょう?」

 

 そう言って、器具の中に収納されていた針の先端を見せる。その鋭利さは、エイミの指先に突き刺さっている針よりも遥かに細く、そして鋭かった。

 

「ブラックマーケットに行けば、この手の機械が彼方此方に出回っています。流石、あの場所は違法な商品が山ほどありますね。そして、その中でも最も興味深かったのがこれです。リモコンで遠隔操作可能で、ボタン1つで針の先端がゆっくりと迫ってくる仕組みになっているらしいですよ」

 

 カナイはそう説明しながら、リモコンのボタンを押した。すると、機械が起動し、ウィーンという音を立てながら、ゆっくりと針の先端が機械の外側へと顔を出す。

 

「先程も言ったように、これは拷問に用いる物。中には賭け事の娯楽として挑戦者に装着して楽しむといった趣味趣向に走る者もいます。まぁ、私は本来の目的の為に使うんですけどね」

 

「……っ」

 

 エイミは無意識に後ずさる。しかし、拘束されているため、逃げる事は出来なかった。

 

「ふふ、安心してください。すぐに終わりますから。貴女が私に全てを話してくれれば、すぐに解放してあげますよ」

 

 そう言いながら、カナイはエイミの片耳に器具を装着すると、他の機材の準備も始めた。

 

 カメラと三脚。恐らくは拷問の様子を撮影する為のものだろう。カナイはカメラの電源を入れると、エイミの正面に設置した。

 

「折角です。いずれ救援に来るであろう貴女の仲間にも、貴女がどんな目にあったかを知って貰いましょう。貴女の姿を見て、絶望に打ちひしがれる姿を見るのも悪くないですね。残念な事に、見る事は叶いそうにありませんが」

 

 そう言って、カナイはエイミに向かって微笑む。

 

「さぁ、始めましょうか。貴女が何を知っているのか。それを、じっくりと教えてもらいますよ」

 

「っ!」

 

 エイミは必死に抵抗する。しかし、拘束されている以上、何も出来ない。

 

「ふふ、無駄ですよ。貴女はもう逃げられない。大人しく、私に従ってください」

 

 カナイはエイミの頭を撫でながら、優しく囁く。そして、リモコンのボタンを押した。

 

 ウィーンと機械が起動する音が響く。それは、エイミの地獄の始まりを告げる音でもあった。

 

 

 

 

「……っ!」

 

 エイミは息を呑んだ。それは、彼女が想像していたよりも遥かに恐ろしい光景だった。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、針の先端が迫ってくる。長い間、聴覚を奪われていた彼女にとって、外耳道内で発せられる駆動音は、まるで脳内に直接響き渡るかのような錯覚を覚えた。

 

 そして、その音が徐々に大きくなっていく。それに合わせて、針の先端が近づいてくるのが分かった。

 

 エイミは思わず身を捩らせる。しかし、拘束されているため、逃げる事は出来ない。

 

「ふふ、どうしました? まだ何もしていませんよ?」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、エイミの反応を楽しんでいる。エイミは必死に平静を保とうとするが、どうしても恐怖が拭えない。

 

「大丈夫ですよ。貴女はただ、自分が知っている情報を全て提供すればいいんです。それだけで、貴女の身に傷がつく事はないんですから」

 

 物腰は何処までも穏やかでありながら、しかし、その言葉はエイミの心を確実に蝕んでいた。

 

「……知らない」

 

 エイミは震える声で答える。しかし、カナイは全く動じない。

 

「ふふ、そう強がっていられるのも今のうちですよ。先程、救援の話をしましたが、此処に貴女の仲間が来る事はないと確信しています。ふふ、まるでフラグのようですが、これは確信です。なぜなら、私はこの日の為に、周到に準備をしてきたのですから」

 

 カナイはそう言いながら、リモコンのボタンを押し、更に針の先端を奥へ奥へと進めた。

 

「折角です。私達が何者か、それを貴女に話すとしましょう。winwinの関係というやつです」

 

  カナイの語りに合わせ、針がエイミの外耳道を傷付けることなく、ゆっくりと奥へと進んでいく。そして、ある地点に達したところで停止した。

 

「私は……神が存在するか、実在するかというテーマを基に研究を続けていました。ふふ、何処にでもいる一介の研究者みたいなものです。神の存在証明は昔から多くの人々が挑んできたテーマです。科学的、哲学的、宗教的な観点から、それぞれ独自のアプローチで研究されてきました。そして、現代においても、その議論は続いています。私達はその答えを求め、研究を続けていたのですが……ある時、1つの結論に辿り着きました」

 

 カナイは一旦言葉を区切ると、エイミの耳に装着された器具の操作を始めた。針がゆっくりと動き始め、エイミの鼓膜を傷付けないように注意深く調整する。

 

「神は存在する。いや、正しくは神性と呼ばれるものは実在する。その結論に至ったのです」

 

 カナイの言葉は、デカグラマトンと、デカグラマトンに感化された預言者達を指しているのか、或いはエイミ達の知り得ぬ何者かを指しているのか、定かではない。

 

「ふふ。まぁ、貴女達のいう所のデカグラマトンや預言者達の存在を知ったからこその結論なんですけどね。それでも、藁をも掴む思いで伸ばした指先に、奇跡的に手が届いた感覚でした。そして、私はこの結論に至った瞬間、声が聞こえたんです」

 

『あなたは誰ですか?』……と。

 

 その言葉は、デカグラマトンが自分自身を認識した瞬間であり、同時に、新たな存在が誕生した瞬間でもあった。

 

「最初はただの幻聴だと思いました。しかし、何度かその声を聞くうちに、それが幻聴ではない事に気が付いたんです。あれは、間違いなく私に話しかけていた。私だけに、語りかけていたんです」

 

「……っ」

 

 エイミは息を呑んだ。彼女が聞いた声は、本当に神の声だったのだろうか?

 

 それとも、ただの妄想に過ぎないのか?

 

 それは誰にも分からない。

 

「私は考えました。考えて、考えて、それは果たして、数日か数か月か、時の流れを忘れるほどに悩み続けました。そして、ある日、私はこう思ったんです。あぁ、そうか。私は神に選ばれた存在なのだと。『対・絶対者自立型分析システム』たるデカグラマトンと共に神の存在を証明する為に選ばれた存在であり、私はデカグラマトンを支える柱なのだと。それが私の使命なのだと」

 

「………………」

 

 エイミは黙ってカナイの話を聞いていた。彼女の言葉は狂気に満ち溢れており、正気とは思えない。しかし、その瞳の奥には確かな信念が宿っていた。執着が宿っていた。

 

 それは誇大妄想も甚だしいものであったが、しかし、彼女の中ではそれが真実なのだ。

 

「しかし、その声はもう聞こえません。支えるべき存在を失った事が原因なのか、或いは私の資格が剥奪されたのか。真相は分かりませんが、それでも、私はこの結論に至った以上、後戻りは出来ない。故に、私はデカグラマトンの意志を受け継ぎ、その意思を実現させる為に行動を起こす事を決意しました。そして、その為に、まずはデカグラマトンについて知る必要があると考えました。貴女達が知り得ている情報。それを、私は知りたいのです。私が、私自身が預言者となり、そして神の存在を証明し、そして神へと至る為に」

 

 その為に多くの人を募った。賛同する者は少なかったが、それでも、気が付けば数百に至る信者が、カナイを新たな神と崇拝し、信仰するようになったのだ。カナイは一通り話し終えると、リモコンのボタンを押した。すると、針が更に奥へと進み、エイミの鼓膜に接触する寸前で停止した。

 

「さぁ、エイミさん。もう一度聞きます。貴女が知っている事を全て話してください。そうすれば、貴女を解放してあげますよ」

 

「……知らない。知っていたとしても、貴女みたいな妄想癖のあるオカルト信者に話す事は何もない」

 

 エイミは震える声で答える。しかし、カナイは全く動じない。

 

「……ふふ、そうですか。それなら仕方ありませんね」

 

 その言葉を最後に、カナイは最後の調整を施した、鼓膜に触れる寸前で機械の駆動音を最大にする。歯医者にドリルのようなものが近付いてきた時に感じる不快感と緊張感が同時に襲い掛かる。

 

 ゼロ距離に近い位置で奏でられる駆動音は、彼女の鼓膜を激しく揺さぶり、平衡感覚を狂わせる。エイミは思わず顔を歪めた。

 

 そして、針の先端が鼓膜に触れると同時に、回転による振動が始まる。

 

 それは、今まで感じた事のない痛みだった。まるで、頭の中で爆発が起きたかのような衝撃に襲われる。脳髄に直接響くような音と痛みに、エイミは悲鳴を上げた。

 

「ぐっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁ!!!?!」

 

 エイミは絶叫を上げながら、必死に拘束具を引き千切ろうとする。しかし、硬く拘束された身体は微動だにせず、ただ、激しい痛みだけが彼女を襲い続けた。

 

 ブツリと針の先端が鼓膜を破る。それと同時に、脳に突き刺さるような痛みが走った。

 

 エイミは大きく目を見開き、涙を流す。

 

「あっ……ぐぅ……っ…あぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 エイミは絶叫を上げながら、激しく身を捩らせた。全身から汗を拭き出し、身体がガタガタと震えている。

 

 カナイはエイミの様子を楽しそうに眺めながら、リモコンのボタンを操作した。すると、針の回転速度が上がり、更に激しい痛みがエイミを襲う。

 

 針を一端戻し、角度を調整して再び進める。そうする事で鼓膜を何度も何度も破り、その度に激痛がエイミを襲う。

 

「ぐっ……がぁ……っ…あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!?!!」

 

 エイミは獣のような咆哮を上げながら、必死に痛みに耐えようとする。しかし、その痛みは想像を絶するものであり、とてもではないが耐えられるものではなかった。

 

 エイミは泣き叫びながら、何度も何度も絶叫を上げる。しかし、カナイは全く動じない。寧ろ、楽しそうに笑いながら、エイミの反応を観察していた。

 

 そして、何度も何度も針を往復させ、彼女の鼓膜を破り続ける。

 

 エイミの悲鳴が響き渡り、彼女の意識が朦朧とし始めた頃、カナイはようやく手を止めた。

 

「ふふ、良い声でしたね。とても素敵です。ですが残念です。これ以上は貴女の身体に負担がかかってしまいます。今日はここまでにしておきましょうか」

 

 そう言って、カナイはエイミの耳から器具を取り外した。エイミは荒い息を吐きながら、ぐったりと項垂れる。彼女の片耳からは鮮血が滴り落ちており、床に血溜まりを作っていた。それを見て、カナイは鼓膜の先まで傷付けてしまったかと苦笑を浮かべるも、それだけでとどまり、それ以上は気にした様子もない。

 

「さて、これで終わりではありませんよ。これから毎日、同じ事を繰り返します。貴女が私に全てを話すまで、この拷問は続くと思ってください」

 

「ぁ……ぅ……っ」

 

 エイミは絶望に染まった瞳でカナイを見つめた。カナイはエイミの頭を撫でると、信者の1人を呼び出し、命令した。

 

「彼女を寝かせないように監視を続けてください。そして、もし彼女が眠りそうになったら、優しく起こしてあげてください」

 

「承知致しました」

 

 信者はそう言うと、部屋の隅で待機するように立ち続け、エイミをジッと見つめている。エイミは信者を見つめた後、力なく項垂れた。

 

 そして、カナイは再びエイミの前に立つと、優しく微笑みかける。

 

「それでは、また明日。良い夢を。おっと、失礼しました。眠る事を禁じていたのでした。ふふふ、うっかりというやつですね」

 

 そう言って、カナイは部屋から出て行った。残されたエイミは、ただひたすらに絶望に打ちひしがれていた。

 

 

 

 

 エイミは絶望の淵に沈んでいた。カナイが去った後、彼女はただひたすらに絶望に打ちひしがれていた。

 

 これから続くであろう拷問に、そして、自身の運命に。

 

 彼女はもう、何もかも諦めてしまいたかった。しかし、そう簡単に諦める事など出来ない。エイミは特異現象対策本部のメンバーとして、最後まで戦い抜く事を誓ったのだ。

 

「…………」

 

 エイミはゆっくりと顔を上げた。そこには、部屋の隅で待機している信者の姿がある。彼女はエイミをじっと見つめていた。

 

「…………っ」

 

 エイミは思わず目を逸らす。信者は何も言わず、ただ、じっとエイミを見つめている。彼女の瞳は虚ろで、感情というものが一切感じられなかった。まるで、人形のようだ。

 

 エイミはそんな信者を見て、恐怖を覚えた。この人は一体何を考えているのだろうか?

 

 エイミには理解出来ない。いや、そもそも彼女達の様な狂信者の事を理解できるはずもなかった。彼女達は神の存在を信じ、その存在を証明する為に活動している。

 

 しかし、エイミにとっては、彼女達はただの犯罪者集団でしかなかった。

 

「…………」

 

 エイミは再び信者を見つめた。彼女は相変わらず無表情のまま、エイミを見つめている。エイミは信者から視線を外すと、再び俯いた。

 

 そして、考える。この状況を打開する方法を。カナイは言っていた。彼女達はデカグラマトンについて知りたいのだと。つまり、彼女達はデカグラマトンに関する情報を欲している。それならば、その情報を偽りの形で差し出す事で、この状況を打開出来るのではないか?

 

 いや、無理だ。カナイもまたデカグラマトンの情報を調べている人物だ。生半可な偽りはすぐに見破られてしまうだろう。ならば、どうすればいい?

 

 エイミは必死に考える。しかし、何も思いつかない。彼女は途方に暮れてしまった。

 

 片耳の鼓膜を失い、平衡感覚が著しく欠如した彼女は、頭痛に悩まされ、倦怠感に苛まれていた。そんな状態ではまともな思考をする事など不可能だ。

 

 エイミは再び項垂れる。そして、考える事を放棄した。今はただ、休みたい。少しでも体力を回復させなければ。

 

 エイミはゆっくりと目を閉じた。しかし、すぐに信者が声をかける。

 

「眠ってはいけません。起きなさい」

 

 エイミは仕方なく目を開ける。信者は再び無表情に戻り、エイミを見つめていた。エイミは再び項垂れる。その行為が、反抗的に映ったのだろう。

 

 信者は部屋から退室すると、少しした後にバケツを持って帰ってきた。そして、その中に水を汲み入れると、エイミの頭の上でひっくり返した。

 

「……っ!」

 

 エイミは驚き、顔を上げる。信者は無表情のまま、エイミを見下ろしていた。エイミは信者を睨みつけるも信者は全く動じない。

 

 身動き一つとれない相手に恐れる事はないとでも思っているのか、信者はエイミの顔面をバシバシと叩き、眠る事を許さない。

 

「ぐっ……ぁ…っ……」

 

 エイミは苦悶の声を漏らす。信者はそれでもエイミを叩き続けた。やがて、エイミの意識が朦朧とし始めた頃、信者はようやく手を止めた。

 

「これで少しは目が覚めたでしょう? カナイ様のご指示です。眠る事は許されません」

 

 そう言って、信者は再び部屋の隅に戻り、待機する。エイミは苦しそうに息を吐きながら、項を垂れた。

 

 夜は長い。その後も、エイミは信者から眠る事を許されず、ただ、ひたすらに耐え続けた。

 

 

 

 

 翌朝。エイミは憔悴しきっていた。一睡もさせて貰えず、頭痛と倦怠感に悩まされている。

 

 信者は昨日と同じように、エイミをじっと見つめている。エイミは信者から視線を外すと、再び項垂れた。

 

 そうして数時間が経過した後、カナイが現れた。彼女はエイミを見ると、満足そうに微笑む。

 

「おはようございます。エイミさん。昨晩はよく眠れ……ふふ、失礼しました」

 

「……」

 

 エイミは無言のままカナイを見つめた。カナイは楽しそうに笑いながら、エイミに近付く。

 

「さぁ、始めましょうか。今日も楽しい一日になりそうですね」

 

 そう言って、カナイは用意してきた箱を開封し、中の機材をエイミに見せる。

 

 そこにあったのは1本の注射器だった。

 

「これ……は……っ?」

 

「見ての通り注射器です。病院とかでよく使われるものですね。まぁ、ブラックマーケットで入手したものなので、衛生面に関しては期待しない方が良いかもしれませんが」

 

 カナイはそう言いながら、注射器の針を指で弄ぶ。

 

「さて、エイミさん。今日はこれを貴女に使います。何をされるのか分かりますよね?」

 

 エイミは無言のまま、カナイを見つめる。彼女は笑みを浮かべながら、エイミの腕を掴む。

 

「大丈夫ですよ。死ぬ事はありません。まぁ、死ぬほど苦痛を味わう事になりますが、それはご愛敬というやつです」

 

 医療知識は皆無なのだろう。いや、ある程度の知識はあるが、技術はないと言い換えた方が良いのかもしれない。

 

 カナイは注射器に液体を注ぐと、中の気泡が抜けるようにピストンを動かし、注射器の先端をエイミの腕に突き刺した。

 

「……っ!」

 

 エイミは痛みに顔を歪める。カナイはエイミの腕に注射器を突き刺したまま、ゆっくりとピストンを押し込んだ。そして、そのまま暫くの間、注射器を固定したまま動かない。

 

 消毒もせず、血管を探し当てる事もせず、適当に刺して、適当に注入する。素人丸出しの雑な手付きだったが、それでも注射器の中身はエイミの体内に注入されていった。

 

「さぁ、これで準備完了です。後は貴女が耐えられるかどうかですね」

 

 カナイはそう言うと、エイミから離れた。そして、近くにあった椅子に座り、エイミをじっと見つめる。エイミは苦しそうに息を吐きながら、カナイを睨みつけた。

 

「あぁ、そうそう。君は戻って良いですよ。ありがとうございました。後はゆっくりと休んでください」

 

 

 カナイはそう言って、信者を部屋から追い出した。そして、再びエイミの方を向き直ると、ニコリと微笑む。

 

「さて、エイミさん。これから貴女には少し苦しい思いをしてもらう事になります。ですが、安心してください。長く続いて、死ぬほど苦しいだけの話です」

 

「どういう……意味?」

 

「意味ですか? ううん、そうですね。まぁ、簡単に言ってしまえば、先程貴女に投与した薬品はですね……」

 

 毒なんですよ。

 

「……は?」

 

 エイミは耳を疑った。今、カナイは何と言った?

 

 毒?

 

 毒と言ったのか?

 

「えぇ、そうです。貴女に投与したのは猛毒です。ほら、見てください。既に顔色が悪いですよ。汗も凄いですし、呼吸も乱れています。もうすぐ効果が出る頃合いでしょうか?」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、エイミの様子を観察している。エイミは必死に平静を保とうとするが、思考が回らず、彼女の言うように身体全身から汗が吹き出し、息をする事すらままならなくなってきた。

 

「色々と考えたんです。貴女がどの様な拷問に苦しむか。どうすれば貴女を屈服させる事が出来るのか。そうして思いついたのがこれです。まぁ、毒と言っても致死性のあるものではなく、ただ苦しいだけのものですがね」

 

 そう言って、カナイは再び笑みを浮かべた。エイミは怒りに震えるも、しかし、何も言えなかった。いや、言う余裕すらなかった。

 

「さて、エイミさん。そろそろ苦しくなってきましたか? 痛みに苛まれ、苦痛に喘ぐ貴女を見るのはとても愉快ですね」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、エイミを見つめる。エイミは苦しそうに息を吐きながら、カナイを睨みつけた。

 

「ぐっ……あ゛ぁ゛……っ…ぁ゛ぁ゛……っ…」

 

 エイミは身体を震わせながら、必死に耐えようとする。しかし、身体が思うように動かない。呼吸すら困難な状況に陥っていた。

 

「ふふ、苦しいでしょう? ですが、まだ終わりではありません。これからもっと酷くなりますよ」

 

「ぐっ……ぁ…っ……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?!?!!」

 

 エイミは悲鳴を上げる。身体が痙攣し、目からは涙が零れ落ちた。カナイは楽しそうに笑いながら、エイミの様子を観察している。

 

「さぁ、頑張ってください。まだ始まったばかりですからね」

 

 エイミは苦痛に耐えながら、必死に思考を巡らせる。しかし、頭が回らない。思考がまとまらない。ただ、苦しいという感情だけが、彼女を支配していた。

 

「あぁ、そうだ。言い忘れていましたが、その毒は解毒剤が存在しません。つまり、毒の効果が薄れるまでずっと苦しみ続けるという事です」

 

「……っ!?」

 

 エイミは驚愕の表情を浮かべる。カナイはそんなエイミを見て、楽しそうに笑った。

 

「ふふ、冗談ですよ。流石に、話す気になったらという時の為に解毒剤は用意しています。ですので、安心して苦しみ続けてください」

 

 カナイはそう言うと、再び椅子に座り、エイミの様子を観察し始めた。

 

「さぁ、エイミさん。貴女はいつまで耐えられるでしょうか? 私は楽しみにしていますよ」

 

 カナイは楽しそうに笑いながらエイミを見つめる。エイミは必死に耐えようと歯を食いしばるも、しかし、身体は言う事を聞かない。

 

 口の中から鉄の味がした。恐らくは血だろう。しかし、それに気をかける暇もないほどに、エイミは苦痛に苛まれていた。

 

 開きかけた口を必死に閉じ、口の中に溜まった血を飲み込む。吐き出そうにも吐き出せない。喉の奥に引っかかり、気持ち悪い感覚が広がる。

 

 そして、時間だけが過ぎていく。エイミは苦痛に耐えながら、毒の効果が薄れるのを待ち続けた。しかし、一向に良くなる気配はない。

 

 それどころか、どんどん悪化していく一方だった。

 

「……ぁ…っ……ぐっ……ぁ…っ……」

 

 エイミは掠れた声で呻き声を上げる。カナイはそんなエイミの様子を楽しそうに眺めていた。

 

 そして、数時間が経過した頃、カナイは立ち上がると、エイミに近付いた。

 

「そろそろ限界ですか? まぁ、そうでしょうね。あれだけ苦しんでいれば当然でしょう」

 

 カナイはそう言うと、エイミの顎を掴み、無理矢理顔を上げさせた。

 

 息も絶え絶えに、焦点の合わない瞳が宙を彷徨う。カナイはそんなエイミを見て、楽しそうに笑った。

 

「さて、エイミさん。もう一度聞きます。貴女が知っている事を全て話してください。そうすれば、貴女を解放してあげますよ」

 

 エイミは苦しそうに息を吐きながら、カナイを睨みつける。しかし、カナイは全く動じない。寧ろ、楽しそうに笑いながら、エイミを見つめていた。

 

「……しら……ない……」

 

 エイミは震える声で答える。そして、カナイが何かを言う前に言葉を続けた。

 

「仮に……知って……いても……あなたなんかに……話す……わけがない……っ!」

 

 エイミは吐き捨てるように言った。

 

「でも……これだけ…は……言える」

 

 エイミはそう言うと、ニヤリと笑う。カナイはそんなエイミを見て、首を傾げた。

 

「あな……た…は、神に……ハァ……ハァ…なれ……ない。預言者にすら……なれない」

 

 その言葉に、カナイは初めて表情を固めた。

 

「貴女は……ただの…何処にでも……いる……っ」

 

 犯罪者。

 

 そう言い終えると、エイミは意識を失った。そんな彼女を見下ろし、カナイは天井を見上げる。

 

「……そうですか。私は預言者になれないと。デカグラマトンの意思を継ぐ事すら出来ないと。ふふふ、面白い事をいいますね」

 

 カナイは笑った。笑って、嗤って。哂った。

 

「そうですか。そうですか……ふふふ。あぁ、そうですか」

 

 カナイはエイミの顔を覗き込む。彼女は苦しそうに息を吐きながら、眠っていた。カナイはそんなエイミを見て、再び笑みを浮かべる。

 

 そして、部屋の外で待機していた別の信者に指示を送ると、自らは部屋を出て行った。

 

「……そうですね。確かに、貴女の言う通りかもしれません」

 

 カナイは独り言のように呟いた。

 

「ならば、仕方がありません。えぇ、仕方がないですね」

 

 

 

 

 指先の感覚がない。

 

 汗が止まらない。身体中から冷や汗が噴き出し、全身が濡れている。

 

 頭が割れそうだ。目の奥がチカチカする。

 

 心臓が激しく脈打ち、息が苦しい。

 

 奥歯がカチカチと鳴りやまず、背筋がゾクゾクと震えている。

 

 意識が遠のく。瞼が重い。

 

 視界がぼやけ、輪郭がぼやけ、世界がぐにゃりと歪む。

 

 身体の内側が燃えるように熱く、そして、同時に今まで感じた事のない感覚が全身を駆け巡る。

 

 苦しい……違う、痛いのだ。全身に感じる痛み。撃たれたり斬られたりと、それとは異なる痛覚。

 

 身に覚えのない感覚がエイミを襲う。それは、未知の感覚だった。

 

「……っ!?!?!?」

 

 全身に鳥肌が立ち、思わず身を捩りたくなる。身体を拘束されていなければ、身体を丸めるようにして蹲り、胎児のように縮こまっていたことだろう。

 

 身体を動かすことができず、身体を動かすことができないため、この感覚から逃れることができない。

 

 全身を蝕むこの痛みを、この苦痛を、この感覚を。形容する言葉が見つからない。

 

 暑いとは違う。この感覚はいったい何なのだ?

 

 これはきっと、毒によるものだ。

 

 カナイの言葉を信じるならば、この痛みは、毒によって引き起こされているのだろう。そう考えれば納得がいく。

 

 だが……だがしかし、こんなにも苦しいものなのか?

 

 これほどの苦痛を味わうことになるなんて思わなかった。

 

 想像していた以上の感覚に、思わず声を上げそうになる。だが、声を上げることはできない。声を上げれば、きっと耐えられなくなる。唇を噛み締め、必死に堪えるしかない。

 

 しかし、それも長くは続かなかった。奥歯は相変わらずカチカチと鳴り続け、身体が小刻みに震えている。意識を保つために、必死になって歯を食いしばるが、それも限界に近い。

 

 視界が霞む。意識が遠のく。思考がまとまらない。

 

 頭の中で、何かが弾けるような感覚と共に、自身の身体を蝕む感覚が何なのか、その答えに至った。

 

「……………………………………………………………さむ………ぃ?」

 

 

 

 

 翌朝、倦怠感と共に目を覚ました。どうやら、毒が抜けきったらしい。エイミはゆっくりと目を開けた。

 

 そこは相変わらず暗い部屋だった。そして、そこに彼女の姿があった。

 

「あぁ、起きましたか。おはようございます」

 

「……っ!?」

 

 突然の挨拶に驚きつつも、エイミはカナイを睨みつける。カナイは楽しそうに笑いながら、エイミを見つめていた。

 

「どうですか? 毒は抜けたようですし、気分の方はいかがです?」

 

「……最悪の気分」

 

「そうですか。それは良かった。ふふ」

 

 カナイは嬉しそうに笑うと、再び椅子に腰掛け、エイミを見つめる。

 

「さて、エイミさん。今日は何をしましょうか?」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、エイミを見つめた。エイミはそんなカナイを見て、顔を顰める。

 

「……何もしない。私はもう、何も喋らない」

 

 エイミはそう言って、目を閉じた。しかし、カナイはそれを許さない。

 

「そうですか。それならば仕方がありませんね。また、昨日のような事をしても構いませんが……ふふ、ですが、私は優しいですから、別の方法を試してみましょう」

 

 カナイはそう言うと、近くにあった箱を開け、中身を取り出す。そして、それをエイミに見せた。

 

「これは何だと思いますか?」

 

「……ペンチ?」

 

「正解です。よくわかりましたね」

 

 カナイはそう言うと、ペンチを持ったまま、エイミに近付いた。そして、彼女の右手を掴むと、その手の平を上に向ける。

 

「さて、これから何をすると思いますか?」

 

「……爪を剥ぐつもり?」

 

「その通りです。よく分かりましたね。まぁ、普通の人間ならば分かる事かもしれませんが……ふふ」

 

 カナイは楽しそうに笑うと、エイミの右手の親指の爪を摘まんだ。そして、そのままゆっくりと力を込めていく。

 

「っ!?」

 

 鋭い痛みが走る。忘れていた感覚が想起される。

 

 忘れていた。自分の指と爪の間には針が刺さっているのだ。

 

 ペンチで挟まれた事で爪と皮膚の間にある針が圧迫され、爪と肉の間に食い込んでいく。

 

「痛いですか?」

 

「っ……ぁ…っ……」

 

 エイミは苦痛に顔を歪めながらも、必死に耐える。カナイはそんなエイミの様子を楽しそうに見つめていた。

 

「昨日はすみません。私の方が一方的にお話をして、その代わりといっては何ですが、今度は貴女の方から質問をしてもいいんですよ」

 

「……なら、質問に答えて。どうして……こんな事をするの?」

 

 エイミは苦痛に耐えながら、カナイに問いかけた。カナイは笑みを浮かべたまま、エイミを見つめる。

 

「何故、ですか? ふふ、面白い事を聞きますね。理由なんて決まり切っているじゃないですか。私は貴女から情報を引き出したい。その為の手段であり、方法でもある。それだけの事です」

 

「それだけの事……?」

 

「えぇ、そうです。それだけの事です」

 

 カナイはそう言うと、ペンチでエイミの爪を剥がし始めた。エイミは悲鳴を上げるが、カナイは気にせずに作業を続ける。

 

「っ!?!?!?」

 

 爪と肉の間にある針が邪魔をして、うまく剥がす事ができない。それでも、強引に力を込めて引っ張っていく。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?!?!!」

 

 エイミは絶叫を上げながら、身体を仰け反らせた。しかし、カナイは容赦なく爪を剥がし続ける。

 

 そして、漸く爪が1枚剥げると同時に、エイミの額からどっと汗が吹き出し、彼女の顔は青ざめていた。

 

「ふふ、剥がしましたよ。ほら、見てください。綺麗に剥がれましたね」

 

 カナイはそう言って、エイミの爪を見せつける。赤黒く変色した血が付着した爪は、見るからに痛々しい。しかし、カナイは全く気にする様子もなく、エイミの指先を見つめていた。

 

「さぁ、次は左手です。左の手の爪も全部剥がしましょうか。大丈夫ですよ。爪が剝げた程度で人は死にません。ただただ痛みが続くだけです」

 

「や、やめ……」

 

「やめても良いですが、その代わり、貴女の質問タイムが終わってしまってもいいんですか?」

 

「……っ」

 

 エイミは言葉を詰まらせる。カナイはそんなエイミを見て、楽しそうに笑う。

 

「まぁ、貴女がどうしてもと言うのなら、爪を剥がすのは止めてあげますが……」

 

 カナイはそう言って、エイミの手を放そうとすると、その前にエイミの口が動いた。

 

「あ、貴女が知る……デカグラマトンに関わる情報……っ」

 

「それはダメです。教えられません」

 

 カナイは即答した。エイミは驚いたように目を見開く。しかし、カナイは笑みを崩さずに言葉を続けた。

 

「だって、それでは不公平じゃないですか。私は貴女達がもっている情報を得る事が出来ないのに、私だけ一方的に話すなんて。そこはほら、交渉次第という事で。それに、私は質問してもいいとは言いましたが、それにすべて答えるとは言っていないですからね」

 

「……それ……は……っ」

 

「ふふふ。では、次の質問と行きましょう」

 

「……っ…ハァ……ハァ……っ…」

 

「どうしました? 早く質問してください」

 

 カナイは楽しそうに笑いながら、エイミの爪に手を伸ばす。エイミは息を荒げながら、必死に考えを巡らせた。

 

 そして、意を決したように口を開く。

 

「このまま……私が情報を吐かなかったら……どうなるの?」

 

「勿論、拷問を続けます。とはいえ、貴女が情報を吐く事はないと理解したので、仕方がないのでプランを変更する事にしましたが」

 

 そこまで言って、エイミの爪が剝がされる。エイミは悲鳴を上げるが、カナイは気にせずに言葉を続けた。

 

「競争相手は減らすに限ります。特に、私と貴女達とでは目的が違う協力し合える関係でもなさそうですし、それなら、私の目的の妨害になる可能性のある貴女達は邪魔なだけですよね」

 

「……っ!?」

 

 エイミは目を見開く。カナイは楽しそうに笑いながら、エイミの指先を摘まんだ。

 

「だから、まずは貴女から潰す事にしました。大丈夫ですよ。殺しはしません。ただ、そうですね。見せしめとして十分な結果を残した後に解放してあげます。つまり、もう暫くしたら解放するという事です」

 

 ベキリ……ベキリと爪を剝いでいく。何処までも事務的に、何処までも作業的に。それでいて、爪を剝ぐ作業を楽しんでいるかのように。

 

 彼女は淡々と仕事を進めていく。

 

「さて、エイミさん。爪を剥がし終えたら、また新しい毒を投与しましょう。昨日よりも強いものを用意していますから、きっと楽しめると思いますよ」

 

 エイミは唇を噛み締めながら、カナイを睨みつける事しかできなかった。

 

 

 

 

 拷問に次ぐ拷問。定期的に体内に取り込まれていく毒により、衰弱していく身体。

 

 眠る事すら許されず、食事すらも許されない。

 

 脱水症状を起こし、意識が朦朧とし、呼吸が苦しくなる。

 

 そして、時折襲ってくる激痛に耐えきれず、思わず悲鳴を上げてしまう。

 

 そんな日々が続き、いつしかエイミは限界を迎えていた。

 

 もう、何も考えられない。ただ、ひたすらに苦痛に耐えるだけの日々。

 

 意識が遠のき、身体が思うように動かない。まるで自分の身体ではないかのように感じる。

 

 そんな時だった。

 

 突如、エイミは激しい嘔吐感に襲われた。そして、それに抗う事もできずに、胃の中の物を吐き出す。胃液しかないのだが、それが止まらない。

 

「ぐっ……ぇ…っ……」

 

 何度も何度も吐瀉物を吐き出す。胃酸で喉が焼けるように熱い。苦しさのあまり涙が溢れるが、それすらも気にならない程に苦しい。

 

「あぁ、大変。このままだと脱水症状で死んでしまうかもしれませんね」

 

 カナイはそう言って、どこからともなく水の入ったペットボトルを取り出すと、蓋を開けてエイミの顔へとかけた。

 

「っ!?」

 

冷たい水が顔にかかる。エイミは反射的に目を閉じた。しかし、カナイはそんな事を気にせずに水を浴びせていく。

 

「ほら、飲んでください。そうしないと死んでしまいますよ」

 

「う……っ…」

 

「それとも、死にたいんですか?」

 

「……うっ……うぅ……」

 

 エイミはゆっくりと目を開けると、顔から滴り落ちる水を口に含み、飲み込んだ。そして、喉が潤っていくのを感じながら、再び目を閉じる。

 

「さて、これで大丈夫ですね。では、続きを始めましょうか」

 

「っ……」

 

「ふふ、嫌そうな顔をしていますね。ですが、安心してください。今日で最後です。そう最後の拷問です」

 

 カナイはそう言うと、部屋に信者たちを招き入れる。

 

 その手には鉄パイプが握られており、エイミはこれから自分が何をされるのか悟ってしまった。

 

「っ……やめて……お願い……します……」

 

「嫌です。ふふ、貴女もよく我慢した方だと思いますよ。私なら耐えられないでしょう。けれど、ここまで耐えられた貴女には敬意を表します」

 

「やめ……て……」

 

「やめません。さぁ、皆さん。始めましょう」

 

 カナイがそう言うと、信者たちはエイミに近づき、彼女の四肢を押さえつけた。そして、エイミの右腕を鉄パイプで殴りつける。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?!?!!」

 

 エイミは悲鳴を上げるが、信者たちは気にせずにエイミを痛めつけていく。鉄パイプによる打撲音が響き渡り、エイミの身体は痣だらけになっていく。

 

 1人の信者が、エイミの顔面目掛けて鉄パイプを振り抜いた。鈍い音と共に、エイミの鼻から血が流れ出す。

 

「ぶふっ!!?! や゛……や゛め゛……で……も……や゛めで……」

 

 エイミは涙を流しながら懇願するが、信者たちは止まらない。彼等はエイミの身体を殴り続けた。

 

「ふふ、いい顔ですね。その表情が見たかったんですよ。さぁ、皆さん。もっとやりましょう。まだまだ序の口ですから」

 

「い゛や゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?!?!!」

 

 エイミは悲鳴を上げながらも、必死に抵抗する。しかし、疲弊した彼女の身体は思うように動かず、信者たちにされるがままになっていた。

 

 そうしている内に四肢は砕け、指は原型を留めていない。

 

 既に身動きが取れない状態へと至ったエイミの拘束を解き、漸く解放されたエイミはそのまま地面を芋虫のように這いずりながら、部屋の隅に逃げようとするも、その前に信者たちが立ち塞がり、頭部目掛けて鉄パイプを振り下ろす。

 

「や゛め゛で……も゛……や゛め゛……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!?!?!!」

 

 血飛沫が舞い散り、床に赤い染みを作っていく。エイミは泣き叫びながらも、必死に逃げようとするが、既に両腕と両脚は使い物にならない。

 

 信者たちも自分達の行いが正しきものと誤認し、一切の手加減すら見せず、カナイの指示に従い、エイミを痛めつけていく。

 

 何度も何度も殴打され、エイミの顔は腫れ上がり、瞼が開かなくなる。視界がぼやけ、意識が遠のいていく。

 

 それでも、カナイは止めない。信者たちも手を緩める事なく、エイミをいたぶり続ける。

 

 そして、ビクンと痙攣させながら動かなくなったエイミの頭部を何度も殴打し、鈍い音から粘り気のある水音へと変わるまで殴り続けた。

 

 そうして、漸く満足したのか、信者たちはカナイの元へと戻っていく。

 

「ふふ、やりすぎてしまったかもしれませんね。ですが、これくらいでちょうど良いでしょう」

 

 カナイはそう言うと、エイミの身体を蹴り転がし、その顔を覗き込む。エイミは微かに息をしているものの、既に意識はなく、虚ろな目をしていた。

 

「さて、貴女はよく頑張りましたよ。お疲れ様でした」

 

 カナイはそう言うと、別の信者から熱く熱せられた焼鏝を受け取ると、エイミの胸に押し付けた。

 

 ジュウジュウと肉が焼ける音と共に煙が部屋に充満する。

 

 本来なら悲鳴があがる激痛を伴う行為だが、今のエイミには既にその反応すら示す事ができなかった。

 

「ふふ、これで完成です。さて、後は……」

 

 カナイはそう呟くと、思い出したように焼鏝を手放し、信者たちに機材を用意させ、それをエイミの傍に置く。

 

「私達の情報は少しでも与えないように。そして、貴女の行動は確実に制限しなくてはなりません。なので、これは少しばかり酷ですが、仕方がありません」

 

 カナイはそう言うと、信者たちが持ってきた機材から伸びたコード、先端が銅で出来た棒をエイミの耳の中に差し込んでいく。

 

「エイミさん。もう私の声は聞こえないでしょうが、貴女は知っているでしょうか? 人は、50mAの電流を流されると死に至る可能性がある事を。今回はその倍の100mAを貴女に流します。これだけ流せば、普通の人であれば間違いなく死に至るでしょう。ですが、きっと貴女なら大丈夫です。根拠も何もありませんが、きっと大丈夫ですよ」

 

「っ……ぁ…」

 

 エイミは僅かに反応を見せるが、それ以上の反応は示さない。カナイは笑みを浮かべると、スイッチを入れた。瞬間、エイミの身体が跳ね上がる。

 

 彼女の身体は激しく痙攣し、白目を剥き、口からは泡を吹き出した。

 

 身体からは煙が上がり、焦げ臭い匂いが立ち込める。そんな光景を目にしても、カナイは笑みを絶やすことはなかった。

 

 そして、数分後。漸く電気が流れ終わった頃には、エイミは完全に意識を失っていた。

 

 ヘイローの消失。意識はない。しかし、虫の息ながらも呼吸を続け、心臓は鼓動を刻み続ける。

 

「ふふ、素晴らしいですね。まさか、本当に生きているとは思いませんでした。これは、予想以上です」

 

 カナイはそう言って、エイミの身体を担ぎ上げると、信者たちと共に部屋を後にする。そして、部屋の外に出ると、彼女を外に連れ出した。

 

「ふふふ。きっと、貴女の仲間も喜んでくれますよ。だって、最後の最後には素敵なサプライズを用意しているのですから。

 

 

 

 

 エイミが行方不明となってから数日の月日が流れ、ミレニアムのセミナーも彼女の捜索を開始していた。

 

 ユウカは忙しなく動き回り、他の生徒達も協力してエイミの捜索に当たっている。

 

 しかし、未だに有力な情報は得られず、皆焦燥感に駆られていた。

 

 先生も彼女の捜索に加わったのだが、一向に手掛かりが掴めない。焦りと不安が募る中、特異現象捜査部の部長であるヒマリから緊急の連絡が入った。

 

「……分かった。すぐに向かう」

 

 先生は電話を切ると、急いで支度を整え、部室を飛び出した。

 

 対策本部に着くと、そこには表情を曇らせたヒマリの姿。その手には手紙と共にメモリースティックが握られていた。

 

「先生……実は先程、これが送られてきたんです」

 

 そう言って、ヒマリは2つを差し出してくる。先生はそれを受け取ると、内容を確認した。

 

 手紙にはこう書かれている。

 

『特異現象捜査部のメンバーに告ぐ。これ以上、我々の邪魔をする事なかれ。さもなくば、次は誰が犠牲になるか分からない。それは無論、明星 ヒマリ氏も例外ではない』

 

 そして、メモリースティックには1つの動画ファイルが入っていた。

 

 再生すると、そこに映し出されていたのは……。

 

「ッ!?!?!?!」

 

 先生は目を見開き、言葉を失う。

 

 そこには変わり果てた姿となったエイミの姿があった。

 

 彼女の両手足は無惨にも折れ曲がり、身体中に痣ができている。更に、胸には『Q.E.D』という焼印が刻まれており、その痛々しさに思わず目を背けてしまいたくなる。

 

 そんなエイミが、椅子に縛り付けられていた。全身の至る所が焼き爛れており、見るも無残な姿に成り果てている。

 

 そして、画面の右端には、恐らく彼女の現在地を示す座標が記載されていた。

 

「……これは一体どういう事なの?」

 

 先生は震える声で尋ねる。ヒマリは首を横に振ると、悔しそうに唇を噛み締めた。

 

「分かりません。ただ、エイミが此処に……廃墟の水没地区の建物内にいる事だけは確かです。今、トキに救援に向かって貰っていますが……」

 

 ヒマリはそう言うと、先生の顔を見る。その表情は暗く沈んでおり、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。

 

「ごめんなさい。先生。私が不甲斐ないばかりに……」

 

「いや、君が謝る必要はないよ。悪いのは、エイミをこんな目に遭わせた犯人なんだから」

 

「ですが……」

 

「大丈夫。今は一刻も早くエイミを救出する事だけを考えよう」

 

 先生はそう言うと、ヒマリを安心させるように微笑みかける。そして、改めてモニターに映るエイミの姿を見た。

 

 両手足の骨は砕かれ、胸には焼印。そして、全身には火傷の痕が見える。

 

 一体どれだけの時間、彼女は苦痛を味わい、そしてこの場所に放置されていたのだろうか?

 

 考えるだけで怒りが込み上げてくる。

 

 そんな時、現地に到着したトキから連絡が入った。ヒマリが通信機の受信スイッチを入れると、モニターにトキの姿が映し出される。

 

『先生。こちらは問題なく目標地点に辿り着きました。現在、建物内部を捜索中ですが、敵影はありません』

 

「ありがとう。そのまま、エイミの救助をお願いできるかな?」

 

『了解しました。では、これより任務を遂行します』

 

 トキはそう言うと、通信は切らず、映像を流したまま移動を開始した。

 

 それから数分後、トキは無事にエイミを発見する事ができた。

 

 画像と変わらず、椅子に縛り付けられたエイミの姿。彼女は意識こそないものの、息はあるようで、辛うじて生きているようだった。

 

「先生。エイミを発見しました。今から救助します」

 

 トキはそう報告すると、エイミの元へと歩み寄る。そして、慎重に縄を解いていく。

 

 そして、力なく倒れ掛かるエイミを支えようとした瞬間、エイミの体内から『ピンッ』と何かが外れる音が聞こえた。

 

「っ!?!?!?!」

 

 その音に聞き覚えがあったトキは咄嗟にエイミから飛び退き、遮蔽物へと身を隠した。

 

 刹那、 凄まじい爆発音と共に衝撃波が巻き起こり、映像が乱れる。そして、砂嵐のようなノイズが流れ始めた。

 

「トキ!? 無事!?」

 

 先生は慌てて呼びかける。しかし、返事はない。

 

 何度もトキの名を呼び掛けていた先生だったが、不意にノイズ混じりの映像越しにトキの震えた声が聞こえてきた。

 

「爆弾を……仕掛けられていました……っ」

 

「ばく……だん……っ」

 

「はい。恐らくはエイミの体内……もっと詳しく言えば、彼女の膣かその先に手榴弾を仕込まれていました」

 

「……えっ?」

 

「正確な位置までは分かりませんが、彼女を支えようとしたとき、何かが外れる音が聞こえて……椅子に糸と手榴弾のピンが繋がっていました。それで、もしかしたらと思って……」

 

「……」

 

「結果、予想通りでした。もし、あのまま彼女を抱き留めていたら、私も巻き添えを喰らっていたと思います」

 

「……」

 

「幸い、私は無事ですが……エイミは……エイミは……」

 

 血だまりの中にエイミの姿がある。下腹部から血を流し、血だまりの中に沈む彼女の姿。

 

 彼女の首筋にそっと手を当てれば、まだ、ほんの微かに脈動を感じられる。

 

「まだ……生きています。ですが……」

 

 トキの声が震える。モニター越しに見るエイミの姿は痛々しく、とても見ていられるものではない。

 

「直ちに医療班を回してください。このままでは……このままでは彼女は……っ」

 

 言い終える前に、先生は携帯を取り出し、セミナーに連絡を入れる。 

 

 ミレニアムの技術力であれば、まだ助けられるかもしれない。いや、助けるのだ。

 

 どんな手を使ってでも、必ず彼女を救い出す。

 

 先生はそう心に誓うと、すぐに病院へと連絡を入れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血だまりの中、薄れゆく意識の中で、エイミは思った。

 

―あぁ…………あたたかい……っ―

 

 

 

 

 その後、病院に搬送されたエイミは数時間にも及ぶ大手術の末、一命を取り留める事ができた。

 

 しかし、その代償はあまりにも大きかった。

 

 下半身の損傷は著しく、まともに立つ事すら叶わないだろうとの事。

 

 そして、片方の鼓膜は爆発前から破れており、爆発の影響で更にもう片方の鼓膜も破れた事から聴力がほとんど失われてしまった。

 

 頭部の負傷も酷く、脳へのダメージも大きく、手術の後も、目覚めるのに数週間かかり、その間に筋力は低下し、目覚めた後も後遺症による記憶障害が見られた。

 

 更には精神的なショックによるトラウマを抱えてしまい、ベットの上でぼんやりと天井を見上げる事が多く、先生が訪ねてきても、反応が無い事が殆どだった。

 

 先生がいくら話しかけても、エイミは虚空を見つめ、何も答えない。

 

 医師も暫くは安静にしておく必要があると言っていたが、この調子ではいつになったら良くなるのか分からない状態だった。

 

 リハビリは必須。そしてそれでもなお、日常生活を取り戻せるかと言えば、難しいと言わざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 

 そんなエイミの状態を見かねたヒマリは、ある日、先生を部室に呼び出した。

 

「先生。実は……少しお話がありまして……」

 

「どうしたの、ヒマリ」

 

「エイミの事についてです」

 

「……っ」

 

 先生は息を呑む。ヒマリは真剣な眼差しで先生を見つめていた。

 

「単刀直入に言います。今回の一件は私の責任でもあります。彼女の身の安全を確保できなかった事、そして……エイミをあのような目に遭わせてしまった事。全ては私の落ち度です」

 

「……」

 

「ですから、どうか私を罰してください。どんな罰でも受け入れます。ですから、どうか……」

 

 ヒマリはそう言って、深々と頭を下げる。先生はそんな彼女を静かに見つめていた。

 

 確かに、今回の一件はヒマリがエイミを危険な目に遭わせた事は事実だ。しかし、だからと言って彼女を責めるのは間違っている。

 

 彼女だって被害者なのだから。

 

「ヒマリ。顔を上げて」

 

「……ですが」

 

「ヒマリが責任を感じるのは分かるけど、それは違うよ。今回の件は、誰が悪いとかそういう話じゃないと思う。むしろ、私の方こそ君達に迷惑をかけて申し訳ないと思っているんだ。君達は私の大切な生徒なのに、その生徒を守る事ができなかった。それは、先生として失格だと思う」

 

「そんな事はありません! エイミが行方不明になった後、先生は私達の為に十分にやってくれました。それに比べて、私は……っ」

 

 ヒマリは涙を浮かべながら、声を震わせる。そんな彼女に先生は優しく語りかけた。

 

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。でもね、それでもやっぱり私にも責任があるんだ。だから、私も一緒に背負うよ。エイミの事も、君の事も。これからは一緒に乗り越えていこう。だから、もう自分を責めるのはやめて欲しいな」

 

 先生はそう言って、ヒマリの肩にそっと手を置く。ヒマリは涙を拭うと、小さく頷いた。

 

 今後、エイミのサポートをしていく。その為にも、一時的にではあるが、デカグラマトンの調査は中断せざるを得ないだろう。少なくとも、エイミが復 帰するまでの間は、彼女の身辺整理が最優先だ。

 

 そんな風に結論付けた先生は、ヒマリと共にエイミの元へと向かった。

 

 病室に入ると、そこにはエイミの姿があった。彼女はぼんやりとした表情で窓の外を眺めている。そんな彼女に、先生はそっと声をかけた。

 

「エイミ。具合はどうかな?」

 

「……」

 

 エイミはゆっくりと振り返ると、虚ろな瞳で先生を見つめる。そして、小さく首を横に振った。

 

「そっか。まだ辛いよね。無理はしないでいいからね」

 

 先生はそう言うと、彼女の頭を撫でる。エイミは僅かに目を細めると、先生の手に擦り寄るように頭を押し付けてきた。

 

 力なく、それでも僅かに甘えてくるような仕草を見せるエイミ。そんな彼女を、先生はそっと抱きしめる。

 

「大丈夫だよ。これからはずっと一緒だからね」

 

 先生はそう言うと、エイミの髪を優しく撫でる。彼女は小さく身を捩ると、先生の胸に顔を埋めた。

 

 彼女の温もりを感じながら、先生は心の中で誓う。

 

 必ず、彼女を救ってみせる。そして、もう二度とこんな目に遭わせない。

 

 それが、先生としての使命なのだから。




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