※この作品はR-18です。

ブルアカ短編集   作:モノクロさん

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登場人物
・河和 シズコ
・シャーレの先生
リクエスト作品です。
河和 シズコが不良生徒によって酷い目に遭った話の後日談です。


【リクエスト作品】百夜名物看板娘だったモノ

―百鬼夜行連合学園 自治区―

「おい、お前ら此処で出店出す許可証は持ってんのか?」

 

「は? んだよそれ。んなもんなくたって問題ねぇだろ」

 

「いや、問題があるから言ってんだよ。それに作り置きは禁止だって、規則で決まってんぞ」

 

「規則なんて知るかよ。こちとら今回の稼ぎで黒字出さなきゃいけねぇんだ。そんなとこ構ってられっか!」

 

「んだとコラッ! 勝手に出店出すわ規則破るわ、やっていい事と悪い事も分かんねぇのかこの馬鹿野郎!」

 

「あ? やんのかコラァ!」

 

「やってやろうじゃねぇかコラァ!」

 

「うわぁ、また喧嘩が始まってるよ」

 

「最近増えたよね。勝手に出店を出す人とか機材がないって騒ぎだす人とか」

 

「そうそう、イベントの準備も滞っているし、運営もてんやわんやだって話だよ」

 

 遠くから聞こえる喧騒に、観光に来た生徒達が口々に感想を漏らす。

 

 ここ最近、百鬼夜行でのお祭りやイベントの質が落ちていると噂を聞き、その真偽を確かめようと遊び半分で観光に来た生徒達は、その噂が本当だった事に落胆していた。

 

「やっぱあれか? お祭り運営委員会が機能してねぇのか?」

 

「どうなんだろ? 少し前までは問題なかったって話だったけど、少し前にそこの委員長が入院したって聞いてから、それで上手く機能してないんじゃないかな?」

 

「ふぅん、陰陽部とか百花繚乱……調停委員会だっけ? その辺りの人達が頑張っても駄目なのか」

 

「現状、陰陽部や百花繚乱で何とか運営しているけれど、その状況だって長くは続かないだろうって噂だよ。そもそもイベントのノウハウを熟知した人が欠けただけで此処までダメになるとは思えないし」

 

「成る程ね。確かに言われてみればそうだよな。じゃあ何が原因なんだろう?」

 

「さぁ……?」

 

「う~ん。まぁ、お祭りが始まればそこそこ楽しめるだろうし、それまで時間潰しておこうぜ」

 

「そうだね」

 

 そう言って観光客の生徒達は足早に立ち去る。

 

 彼女達が言ったように、お祭りになれば一応楽しいのである。

 

 だがしかし、運営側としてはかなりの苦労をしているのだ。

 

 それを知らない一般生徒はともかくとして。

 

 何故お祭り運営委員会が機能していないのかという理由が定かではないとしても、結局の所、多少のトラブルは祭りの華であり、百鬼夜行自治区においては些細な物だと認識されている。

 

 だからこそ観光客はそれなりには楽しむ事が出来てしまう。

 

 しかし、運営は違う。

 

 河和 シズコの不在は少なからず影響を及ぼし、如何に彼女1人に頼っていたのかを痛感した。

 

 彼女が戻ってくる事はない。

 

 何時ものように多くの住人に頼られ、汗水を流しながらも楽しそうにしている彼女の姿を見ることはもう二度と叶わない。

 

 それだけの事件が起きたのだ。

 

 その事実を知る者はいない。

 

 その事実を知る一般人は、当事者以外に知る者はいない。

 

 

 

 

―先生に大事なお話があります―

 

 普段は飄々としており、笑顔を絶やす事がない百鬼夜行連合学園の陰陽部の部長、天地 ニヤから連絡が来た時の第一声がそれだった。

 

 声色は真剣そのもの。何時もの調子は見る影もない。その声にシャーレの先生は何かが起きたのだと直感する。

 

―実はお祭り運営委員会の委員長である河和 シズコの件で先生にご相談したい事があります―

 

 口調すらも事務的……いや、百鬼夜行の行政を担う立場の人のそれへと変わっている。

 

 シズコの件については心当たりがあった。

 

 祭りの準備の最中、行方不明になった事。

 

 彼女が姿をくらます少し前に、不良生徒と共にいた所を目撃された事。

 

 それらの事情を総合して考えると、何が起きたのかは何となく想像がついてしまう。それでも先生は彼女が無事なのなら安心だと思っていたのだが、ニヤの様子からして、事態はそう甘くはないらしい。

 

 先生は一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 

「分かった。今からそっちに行くよ」

 

 そう答えた先生は手早く用意を済ませると急いでシャーレを飛び出す。目的地は百鬼夜行連合学園。そこで何が起きていたのか。それは直ぐに明らかになる事だろう。

 

 

 

 

―百鬼夜行連合学園 陰陽部 部室―

「それで、私に相談したい事というのは?」

 

 百鬼夜行連合学園に到着した先生は、ニヤから部室に招かれ、席に座ると同時に話を切り出した。

 

 部室には他の生徒達の姿はない。人払いをしているのだろう。

 

 同じ陰陽部の桑上 カホや和楽 チセもいない事から、今回の一件はかなり深刻なものなのだと察する事ができる。普段の明るい雰囲気からは想像できない程の緊迫感。部屋の中に漂う空気が重苦しく感じる。

 

 これは只事ではない。先生は身を引き締めて次の言葉を待った。そして重たい口を開くように告げられた内容は、あまりにも衝撃的なものであった。

 

「はい。まずはシズコちゃんについての説明をさせていただきます」

 

 そう言ってニヤは語り始める。

 

 シズコの失踪。これは先生にも知られている通り、彼女はお祭りの準備中に姿を消した事から端を発する。

 

 陰陽部や百花繚乱紛争調停委員会のメンバーが捜索に乗り出したにも関わらず、その痕跡は一切見つけられずにいた。唯一分かっている事は、シズコと共に行動していた不良生徒1人であり、彼女もまた、最初の接点を最後に姿を晦ましているという。

 

 そして、行方不明となっていたシズコは数週間後にボロボロの状態で発見されたのだ。

 

 幸い命に別状はなかったものの、肉体的にも精神的にも多大なる被害を受けてしまい、現在は病院で治療を受けながら安静にしているとの事だ。

 

 しかし、その傷が浅からぬものであり、特に心の傷は相当なもので、未だに入院中なのだという。

 

 事件の概要を聞いた先生は驚愕すると共に怒りを覚えた。

 

 大切な生徒が襲われたと知って冷静でいられるはずもない。ましてやそれが自分にとって特別な存在ならば尚更のこと。

 

「シズコは今、どんな状態なの?」

 

 先生は努めて冷静に問いかけるが、その心中は穏やかではなかった。

 

 しかし、ニヤの返答は更に先生を混乱させる。

 

「それが……意識はあるのですが、情緒不安定な状態で、面識のある生徒や関係者以外、面談する事も叶わない状態になっています」

 

「えっ……?」

 

 ニヤの言葉を聞いて、先生は言葉を失う。あの快活なシズコがそこまで追い詰められていたとは。一体何があったのか。

 

「そうですね……実際に見た方が早いと思いますが、これに関しては他言無用でお願いします」

 

 そう念押しするニヤに、先生は静かに首肯した。シズコの現状を把握しなければならないと思ったからだ。

 

 先生の反応に、ニヤは携帯を取り出し、画面を操作する。

 

 そして、画面に映し出された映像は、先生の想像を遥かに超える凄惨なものだった。

 

 何処かの廃墟……いや、廃ビルだろうか。

 

 熱湯か、それとも熱せられた何らかの液体を背中に流され、皮膚が爛れて泣き叫ぶシズコの姿があった。

 

「これは……いったい……っ」

 

 目の前の光景が信じられないといった様子で先生は呟く。

 

しかしそれも当然の事だろう。自分の大事な生徒がこんな目に遭っていたなど考えたくもないし認めたくない。

 

 だがしかし、これは現実なのである。

 

 しかもこれはまだほんの一部に過ぎないと言うのだから余計にタチが悪い。

 

 その後も映像は流れ続け、無理矢理口の中に何かを流される姿や裸同然の姿で吊るされ、彼女が愛用していたSGで的当てや殴打される等の残虐極まりない行為が次々と行われていく。その映像を見ているだけで吐き気が込み上げてくる程だ。やってる事は正に拷問である。

 

 これをやった犯人は人間の皮を被った悪魔か何かかと思わず疑ってしまうほどに残酷かつ非道極まりない。

 

「……これがシズコちゃんの受けた仕打ちです。いいえ、その一部と言っていいでしょう」

 

 その後、下肢の骨を砕き、骨盤を粉砕した上で外へと連れ出し、百鬼夜行の自治区内の何処かの多目的トイレに放置し、トイレを訪れた住民たちによって……。

 

 数日間にわたり、散々嬲り者にされたシズコは、匿名による通報によりようやく保護された。

 

 彼女は身体中を滅茶苦茶に凌辱された後も何度も殴られ蹴られ踏み躙られ……そして遂には心さえも壊されてしまった。

 

 生きていた事が奇跡であり、生還できたのも運が良かっただけの話である。

 

 だが、肉体的にはもちろん精神面でも相当なダメージを受けているため、当分は日常生活を送るのもままならない状態にある。そんな状態のシズコを見て平然としていられるわけもなく、先生は思わず頭を抱えて項垂れてしまう。

 

 問題が問題であった為、百鬼夜行も内密に解決したかったのだろうが、それでも、今回の一件は度を超えたものとなっている。

 

「彼女を保護した後、トイレで彼女を襲った住民たちの身柄を拘束し、今回の一件に関する詳しい情報を探りました。ですが……」

 

 そう言うとニヤは申し訳なさそうな表情を浮かべながら頭を下げる。

 

「申し訳ありません。我々も全力を尽くしたのですが……」

 

 ニヤによると、主犯格と思われる不良生徒の情報を得る事は出来ず、彼等に至っては裏サイトを通じてシズコが百鬼夜行のトイレに拘束しているとDMが来たので興味本位で行ってみたら本当にいた。程度の情報しか持っておらず、それ以上の手掛かりを得る事は叶わなかったのだ。

 

 裏サイトもまた業者達がいくつものダミー会社を経由して映像データを買い取ったらしく、売買ルート自体辿る事もできず終いだったらしい。

 

 ニヤ達が得る事が出来たのは、その手の裏サイトで件の不良生徒が一般生徒を売り物にし、私腹を肥やしている事を知った程度であり、肝心の正体につながる情報は全く掴めなかったのだと言う。

 

 不良生徒が百鬼夜行の生徒だったならば、此処まで行き詰まる事はなかっただろう。しかし、相手は恐らくブラックマーケットを縄張りとしている不良生徒の集団の1つ。連邦生徒会の管理が及ばず、治外法権がまかり通るエリアだ。そこに潜伏する組織となると情報収集も容易ではない。

 

 苦渋の決断の末、今回の一件に関する調査は一時中断とし、被害者の救済に専念する事となったのだった。

 

「手術で傷自体は塞がりました。しかし、下半身の損傷は酷く、昔のように歩く事は難しいでしょう」

 

 傷に関しても、ある程度の外傷が塞がっただけで、火傷の痕は未だに痛々しく残り、元の生活に戻れるかどうかも分からない有様である。医師の診断によれば完治する可能性もあるものの時間がかかるらしく、もし完全に回復するには長期的なケアが必要不可欠とのことだ。

 

 肉体的な面は無論の事、精神的な面についても、限界を超えているといっても良いだろう。毎夜悪夢に魘され悲鳴をあげたりするなどの症状が出始めているようで、カウンセラーの協力を仰いでいるものの芳しい結果は出ていない模様。

 

 それに加えて最近になって自傷行為を繰り返すなど、とてもじゃないが正常とは言い難い状態だ。もはや一刻の猶予もないというのが現状のシズコの容態であると言えるだろう。

 

 今、彼女に出来る事と言えば、少しでも親身になってくれる人物による心のケアであり、その役割を負ってくれる人物を探すのが精一杯だったのだ。彼女を担当してくれている医師によれば、精神安定剤などの薬を使い続けてはいるものの、効果は望めず、これから先どれだけ辛い思いをする羽目になるのか未知数であると付け加えられてしまったほどだ。

 

「先生にお願いするのは酷ですが、先生でなくてはならないのです。どうかお願いいたします」

 

 そう言って頭を下げたニヤに対し、先生は大きく息を吐き、心を落ち着かせる。そしてゆっくりとした動作で口を開いた。

 

「ニヤ、顔を上げて」

 

 その言葉を受けて顔を上げたニヤは不安げな眼差しでこちらを見る。

 

「私は先生だからね。生徒の為なら何でもするよ」

 

 だからと、言葉を続け、先生はシズコが入院している病院まで案内してほしいとニヤに伝えるのだった。

 

 

 

 

―百鬼夜行連合学園 病院―

 シズコの入院する病院を訪れた先生はニヤの案内で病室へと向かっていた。

 

 長い廊下を進んで行くと、ある個室に辿り着く。扉の前に立ち、いざ病室に入ろうとした先生だったが、中から聞こえた声にドアノブにかけた手が止まった。

 

 室内の遣り取りを聞き届ける先生。病室の中から響く嗚咽混じりの声に胸が締め付けられるような思いになる。

 

 聞けば聞くほど居ても立っても居られなくなる気持ちだ。今すぐに入って行きたい衝動に駆られそうになるがグッと堪える。ここで自分が感情任せに入室すれば逆効果になってしまう恐れがある。今は我慢しなければならない。歯痒いがこればかりはどうしようもないのであった。

 

 暫くして落ち着いたのか啜り泣く音が途切れたタイミングを見計らい、出来るだけ優しい声で呼びかけるように先生は言った。

 

「私だよ、シズコ。部屋に入ってもいいかな?」

 

「先生……ですか?」

 

 シズコの声ではない。彼女と同じお祭り運営委員会の里浜 ウミカの声だ。他にも室内に生徒が控えている気配を感じる。

 

「部長。大丈夫デスよ。センセイがお見舞いに来てくれただけデス。誰も先輩を傷付けようだなんて考えてませんから安心してクダサイ」

 

 特徴的な口調から察するに、もう1人は朝比奈 フィーナだろう。

 

 お祭り運営委員会のメンバーがシズコの見舞いに来ていたのだろう。

 

 シズコにとっても、唯一心を許せる人選なのかもしれない。

 

 いや、人選というよりは、彼女たち以外には誰にも合わせる事が出来ていないのだろう。

 

 先生はそんな風に推測し、2人に迷惑を掛けまいと考えつつ、了承の返事を貰うまではひたすら待ち続ける。

 

 そうして十秒にも満たない時間を過ごした頃だろうか。僅かに震えたか細い声が先生の耳に届いた。

 

「……どうぞ。お入りください」

 

 弱々しい声音で告げられた許可を得て入室する。

 

 室内には疲れ切って憔悴したウミカとフィーナ。そして、ベッドの上で布団を頭から被り蹲っているシズコの姿があった。

 

 服の袖や裾からのぞく肌の殆どが包帯やガーゼで覆われており痛々しさを際立てさせている。

 

 そんな姿を見ているうちに怒りや哀しみなど様々な感情が込み上げてくるが、それを表に出さないように抑え込んだ。

 

「こんにちは、シズコ。怪我の具合はどうかな?」

 

 出来る限り平常心を保ちながら問い掛けるも、布団を被って蹲るシズコは震えて声すら発する事が出来ないでいる。

 

 代わりに応じてくれたのはウミカの方だ。

 

「あの、先生。見ての通り……です。委員長は今……その……っ」

 

 ウミカは途中まで言いかけて口籠ってしまう。

 

 シズコの様子を見ていれば一目瞭然。今の彼女に寄り添う言葉を見つけることが出来ないでいるのだろう。

 

 先生は改めて彼女の様子を見る。

 

 両脚の骨は折られてしまったらしく、車椅子で移動するしかない生活を強いられており、さらに言えば腰椎と仙骨にかけて複雑骨折しているため排泄機能にも障害が出てしまったのだと言うことから彼女の苦悩は想像以上だろうことが窺えるというものだ。

 

 そんな状態だからか、精神的にも参ってしまっているようで食事量が減ってしまったり不眠症など様々な問題が山積みになってしまっているのだとか。これら全てはあの事件がきっかけであることは明白なのだが、それを本人に直接指摘するなんて到底できる筈もない。

 

 いや、これはそんな問題ではない。

 

 食事が出来ないのも、もとはと言えば、不良生徒達に誘拐された後、与えられた食事が問題なのはわかっている。

 

 誰だってそうだ。すき好んで排泄物が混ざった食事を無理矢理とらされ、更に念入りに足や骨盤を砕かれ、男達の性の捌け口にされ続ければ正気を保てるわけがないのだ。

 

 きっと、異性を見るだけでも苦痛に違いないだろう。

 

 それでも、シズコに寄り添いたい。

 

 そう思い、先生は静かにシズコのベットのすぐそばにある椅子に座り、優しく微笑みながら彼女に向かって話し掛ける。

 

 話の内容は他愛のないものだ。今日は天気がよかったという話をしたり最近起きたちょっと面白いエピソードなどを中心にしていく。

 

 すると徐々にではあるが反応を見せ始めた。

 

 小動物のようにビクつきながらもこちらの様子を伺うように視線を向けてくるようになったのだ。

 

 それから暫くした後であろうか。ふとウミカが立ち上がると『喉が乾きましたね』と言いつつ病室の外にある自販機の方へと歩いて行った。どうやら飲み物を用意してくれるつもりらしい。

 

 フィーナもそれに続くようにして席を立ち、『ワタシも用事を思い出しました』と告げて去っていく。

 

 2人共、気を使ってくれたのだろう。その配慮に感謝しつつ、再びシズコの方に向き直り、会話を試みるべく語りかけた。

 

「ごめんね。突然押しかけちゃったりして……」

 

 謝罪の言葉を述べると布団越しではあるが微かに肩が揺れるのを感じる。どうやら聞いてくれているみたいだ。良かったと思う反面でやはり怖がらせてしまっているのではないかと考えてしまう。

 

 そう思うと自然と言葉が詰まってしまった。先生は必死になって話題を考えるが上手く思いつかない。こういう時に限って何も出てこないのはどういう訳なのか。自分で呆れてしまう程だ。しかしいつまでもこうしていてもしょうがないと思い切って口を開くことにした。

 

「あのね……一つ確認したいんだけど、私が来るのは嫌だった?」

 

 先生の問いに対して暫し沈黙が続き……やがて小さく頭を振った。否定の意を示していると受け取った先生は安堵の溜息を吐いた後に微笑む。その瞬間緊張が解けたのか涙腺が緩みそうになり慌てて上を向いた。

 

 そんなやり取りがあってから少しして再び会話が始まる。

 

 先程よりも幾分か柔らかい雰囲気となり互いにリラックスできる空間へとなっていった。

 

 それから、何回か他愛もないやりとりをして打ち解けあった頃合いを見計らって、先生は外に散歩に行かないかと提案した。

 

 無論、その提案に、シズコはビクリと肩を震わせる。

 

 彼女にとって、この空間こそが唯一の安寧の地なのだろう。外界は恐怖でしかないのだ。

 

 思わず布団を握る手に力が入る。カタカタと震え、汗が滲む。そんな様子を見て取った先生は慌ててフォローを入れた。

 

「外が怖いなら、ずっとこの部屋の中で生活しても良いと思う。私としては綺麗な空気を感じて欲しいと思って提案したんだけど、勿論強制はしないよ。でももしよかったら私と一緒に来てみないかい?」

 

「ぅ…………ぁ…………っ

 

 真摯な態度で訴える先生の瞳に嘘偽りはないことが分かる。だからこそ余計に困惑してしまうシズコ。どうしたらいいのか迷っているようで答えが出ない。しばらく悩んでいる素振りを見せた後に恐る恐るといった感じで小さく頷いた。

 

 承諾してくれたことを嬉しく思いながらありがとうと言いながら微笑む。

 

「じゃあ行こうか」

 

 そう言うと先生は自身の腕を差し出して支えを作った。彼女を刺激しないようにゆっくりとした動作で起こしていく。慎重に手足を動かし何とか起き上がらせることに成功する。

 

 そのままシズコを車椅子に乗せて廊下を進んでいくと中庭が見えてくる。手入れの行き届いた花壇があり、暖かな日差しを浴びながらキラキラと輝いている様は非常に美しい光景であった。

 

 車椅子を押しながら、花壇へと近付く。傍らで花に触れたシズコはその感触を確かめるようにゆっくりと撫でた。

 

 どこか怯えた表情をしているものの、少しだけ嬉しそうに見える。その横顔を眺めていたら思わず口元が緩んでしまう所だったがグッと堪えて咳払いをして誤魔化す。

 

「どうかな? 少しでも外に出て気晴らしになればと思ったんだけど」

 

 尋ねるとこくりと小さく首肯してくれる。それからぽつりぽつりと言葉を紡ごうとし、しかし口が上下に震えるだけで声にはならない。

 

 声を出す事すら憚れるのだろう。あの事件以来、男性だけでなく女性に対しても大きなトラウマを抱えてしまったに違いないのだ。

 

 そんな状況であっても懸命に頑張ろうとする姿勢は尊敬に値する。同時に心の痛みを強く感じずにはいられなかった。

 

「私の事を気にすることはないよ。今はゆっくり休んでいいんだから」

 

 慰めるように声を掛けるとほんの少しだけ唇が動き、掠れた声が漏れ出てくる。

 

「っ………ぁ……あぁ…………ぅ」

 

「大丈夫だよ。焦らないでゆっくりで大丈夫だからね」

 

 優しく諭すように声をかける。そうすることで徐々にではあるが言葉になっていく。何度か同じようなやり取りを繰り返しているとやっとのことで意味のある単語を紡ぐことが出来た。

 

「ぇ……あ……っ」

 

 絞り出すような小さな声。しかしその音は確実に先生の鼓膜を振動させ、脳髄へと浸透していく。先生はしっかりと彼女の目を見据えつつ続きを促す。その意思が伝わったのか彼女は再び口を開くと切れ切れの声で必死に訴えてくる。

 

「ぁ……のっ……ぁ……ぇぁ」

 

 言葉にならない言葉。それを一生懸命伝えようとしていることは十分理解しているつもりだったのだがどうしても気になってしまうこともありつい先走ってしまうところがあったのかもしれない。

 

「うん、ちゃんと聞こえているよ。だから、大丈夫だからね」

 

「っ……ぁ…………ぃ」

 

 彼女の反応を見て安心した様子を見せる先生とは対照的に彼女はバツの悪い表情を浮かべている。恥ずかしさもあるだろうがそれ以上に申し訳なさの方が大きいのだろう。そう思わせる程に肩を縮込ませてしまっているのが分かるくらいだから尚更だ。

 

 この問題は1日2日でどうにかなるものではない。長い目で見ていく必要がある。

 

「少しずつ慣れていけばいいからね。無理せず自分のペースで大丈夫だからさ」

 

 先生はそう言って微笑みながら頭を優しく撫でる。すると安心したのか身体の力を抜き安堵の溜息をつくのが見て取れた。

 

 それから暫くすると、瞼が下がり始め舟を漕ぎ始める始末。

 

 慣れない環境による疲労もあるが、それ以上に神経を使う事が多い事が原因でもあるはずだ。

 

(やっぱりまだ体力的にも辛いんだろうな)

 

 寝息を立てるシズコを見守りながら先生は思った。

 

 暖かな日差しの中。車椅子で眠る彼女の額にかかる髪の毛を払ってあげる先生。それからゆっくりと膝に手を乗せるとその上に自分の手を重ねて目を瞑る。

 

 今はとにかく休ませることが重要だ。そう判断し彼女が眠りやすいようにそっと寄り添い身体を預けさせる。そして先生自身も目を閉じるのであった。

 

 

 

 

 穏やかな寝顔で眠るシズコ。そんな彼女の隣で微笑む先生。

 

 既に時刻は夕暮れ時。茜色の陽光に照らされて茶色みかかった髪が煌めいている。

 

 ふと時計に目をやると、随分と長い間寝ていた事に驚きを隠せない。そんな事を考えている間に徐々に意識が覚醒してきたのだろう。薄目を開けてこちらの様子を伺ってくるシズコ。

 

 先生の視線を感じてなのかすぐに目を開けてしまったが気にすることなく挨拶をする事にした。

 

「おはようシズコ。よく眠れたかな?」

 

「……ぅ」

 

 一拍遅れて小さく頷く彼女。昨日までは他人との接触を避けていたというのに今日になってこうして普通に触れ合う事が出来るようになっているのは進歩といえるのではないだろうか?

 

 とはいえ油断は禁物である。まだまだ注意すべき点が多くあるということには変わりないので、引き続き慎重に接していくべきであろう。そう思い、病室に戻ろうとした先生だったが、遠くから見覚えのある生徒達がこちらに駆けてくるのを見て足を止めてしまった。

 

 忍者の研究と忍者の魅力をキヴォトス中に啓発する事を目的とした非公認の忍術研究部のメンバー。千鳥 ミチル、大野 ツクヨ、九田イズナの3人組だ。

 

「シズコ殿。入院されていたと聞いていましたがお身体は大丈夫ですか?」

 

 最初に声をかけてきたのはイズナである。身体能力が高く運動神経に優れているので他の二人よりも早く辿り着くことができたようだ。続いてやってきた二人も心配そうな眼差しを向けている。

 

「風の噂でシズコさんが入院していると聞いて、みんなでお見舞いに行こうという話になったのですが、遅れてしまいました」 

 

 ツクヨは申し訳なさそうに頭を下げるが気にする事はないと伝える。そもそも、シズコが入院している件は公にされていない筈なのに、その情報を何処から入手したのか謎だが敢えて追求することはしないでおく事にした。

 

「先生殿も百夜堂のオーナーの事が心配で来てくれたんですねぇ」

 

 と、舌っ足らずの声でミチルが言った。

 

 三人共シズコと面識があり、風の噂とはいえ、心配で見舞いに来てくれたのだろう。彼女達の厚意に感謝しつつちらりと視線をシズコへと向ける。

 

 やはり、知り合いとはいえ、突然の来訪に驚いているようだ。若干怯えている節があるかもしれない。どうしたものかと思考を巡らせていると、意外にもシズコの反応から何かを察したのか、ミチルが口を開く。

 

「先生殿がいてくれたら安心だねぇ。私達もあまり長居は出来ないからこれだけ受け取ってくれたら嬉しいなぁ」

 

 そう言って紙袋を差し出してくる。受け取ったそれを開封してみると中には菓子類や飲み物などが入っていた。どうやら彼女達なりのお見舞い品らしい。

 

「早く元気になってねぇ。そしたらまたお祭りを楽しもぉねぇ」

 

 屈託なく笑うミチルの顔を見て少しだけ表情が柔らかくなった気がする。まだ笑顔まではいかないものの少しずつではあるが前を向けているという事実に喜びを感じていた。

 

「ぁ……ぅ……」

 

 シズコの言葉は小さいけれど確かに伝わったようでミチルが嬉しそうな顔をする。それから暫くして彼女達は帰っていった。嵐のような時間だったけど彼女達のお陰で、シズコも少しだけではあるが笑顔を見せてくれるようになった。

 

 そう、思っていたのだ。

 

 本当は、シズコは怖くて逃げたくて堪らなかったという事を知らないまま、ただただ負担をかけていただけだったのだと気付かないままに。

 

 

 

 

 シズコと共に病室に戻った後、タイミングを見計らう様にウミカとフィーナが戻ってきた。それぞれ、ウミカは飲み物を手に、フィーナも用事が無事にすんだと報告をするために戻ってきたのだ。

 

 そして、シズコを寝かしつけた後、三人で話し込んでいれば、気付けば夜に差し掛かる時間となっていた。

 

「すっかり話し込んでしまいましたね……先生、今日の所は帰られた方がいいのではないでしょうか?」

 

「そうデスね。センセイは忙しい身デス。ワタシ達も、そろそろおいとまするべきじゃないデショウか?」

 

「あ~……そうだよね……明日も来るから。ごめんねシズコ」

 

 先生としてはもう少しだけ残っていたかったが、他の患者の件もある為、ここら辺が潮時と判断し退散することにする。

 

「私はもう少しだけ、委員長の側にいます。何かあった時は連絡するので。2人は先に帰宅してください」

 

 ウミカの言葉に一瞬悩んだが頷いた。フィーナの方へ目を向ければ、彼女も思う所はあるのだろうが、ウミカの言葉に従い、既に帰り支度を始めており、先生も荷物を纏める。帰り際に軽く挨拶を交わした後病院を出て行く2人を見送った。

 

 残されたウミカは、寝息を立てるシズコを見守りつつ備え付けのパイプ椅子に腰掛ける。そして深呼吸をひとつ。

 

 シズコが行方不明になってからというもの、百鬼夜行は彼女不在の影響を受け、混乱に陥っていた。それはお祭り運営委員会でも同じ事であり、何とかしようと皆で努力してきたのだが結局シズコの穴埋めはできない状況だったのだ。

 

 百鬼夜行にとって、いや、それ以上に、キヴォトスにおけるイベント行事に関して、シズコの影響力が大きかったのを思い知らされた形になる。彼女が居なくなった今ではその規模の縮小を余儀なくされてしまったくらいだ。

 

 無論、祭りを止めようと提唱するものは誰一人として居ない。各地区の住人や商店街の人達。それらが一致団結することで盛り上げていこうという意志が強く在るのが何よりの証拠と言えるだろう。

 

 それでも、やはり彼女の存在はあまりにも大きく、そして如何に、皆が彼女を頼っていたのかを痛感させられるのだった。

 

「貴女がいないと成り立たないんですよ。百鬼夜行は」

 

 ポツリと零す独白。普段であれば賑やかな空間に満ち溢れる温もりが今は無い。寂寥感漂う室内に響くその声色は、暗澹たるものがあった。窓際に佇む彼女の後ろ姿は何処か儚げであり脆そうで消えてしまいそうな程に朧気だ。

 

「だからどうか……早く戻ってきてください。委員長」

 

 田舎で育ち、娯楽に飢えていた彼女にとって、祭りというイベントは一種の憧れにも似た感情を抱いていた。華美な衣装を纏い踊る演者達の姿。鮮やかに彩られる出店や露店の数々。そして何より沢山の人で溢れる喧騒が心地よかったのだと思う。

 

 幼い日の記憶の片隅にあった思い出の数々を思い起こせば自然と口元が綻ぶ。故郷の思い出と共に蘇る過去の記録。

 

 それが今の自分を構築してくれているというのは言うまでもない事なのだ。

 

 そして、彼女にとって支えでもあるのがシズコであり、そんな彼女が居なくなってしまうだなんて夢にも思わなかった筈だ。

 

「……ん」

 

 寝返りをうつシズコを見つめていたウミカだったがハッとなって急いで彼女の元へ駆け寄る。どうやら悪い夢でも見ているらしく魘されているようだ。額には大量の脂汗が流れ落ちて枕を濡らしていた。

 

「大丈夫ですよ。委員長」

 

 優しく語りかけるように呟くウミカ。その声音は慈愛に満ちており、まるで母親のような包容力すら感じるものだ。そして同時にその声音には深い悲しみの色も含まれていた。

 

 

 

 

 夢を見る。

 

 それはあの忌まわしき記憶。忘れられない苦痛の日々の一幕。何度経験しても慣れる事のない悪夢の再来。

 

 謂れのない苦痛を味わい、一方的な暴力に晒され、そして、挙句の果てには尊厳を破壊されてしまうという最悪な結末を迎えるしかない運命。

 

(ぁ……ぅ…! うぅ……!!!)

 

 言葉にならない呻き声を上げながら悶えるシズコ。激痛に苛まれながらも抵抗しようとしても全身が思うように動かない。無理に暴れようとしても鉛のように重くなり思うように動けない。

 

 身体を這いずり回る虫唾が走るような感覚と同時に腹部を突き上げられる様な鈍器で殴打されるような衝撃を感じる。

 

 胃の中のものを全て吐き出してしまうのではないかと思えるほど凄まじい吐き気が込み上げてきて息苦しくなり目眩すら覚える始末だ。そんな状態に追い込まれてなお、精神だけは辛うじて正常を保っていた。しかし精神が摩耗してしまえば二度と立ち直ることは不可能になるだろうと本能が警告する。

 

 それ故に心を押し殺し感情を抑制した状態で耐え続けるしかない。そんな極限の状態を延々と繰り返してきたのだ。もはや肉体の限界を迎えようとしていた。

 

 痛みに耐えきれず失神すれば夢の中では解放されたかに思えるが実際の所そうではない。それはほんの一時の逃避でしかなく根本的な解決には至らないのだ。意識を取り戻せばそこは最も忌むべき記憶の場所であり、彼女にとっては耐えがたい地獄そのものであった。

 

 覚えている。トイレに閉じ込められ、そして扉が開いた瞬間。そこにいた住民の姿を。シズコは覚えていたのだ。

 

 無理矢理床に組み伏せ、そして犯された。男達は欲望のままに彼女を蹂躙し辱め尽くし汚し尽くしたのだ。それが永遠に続く拷問であったとも言えるだろう。

 

 だが、本当の地獄は別にあった。別にあったのだ。

 

 欲望のままに犯し続けた彼等は、彼等こそは、シズコは覚えていたのだ。

 

 彼等が百夜堂に通い詰めていた常連客だったという事を。覚えていた。覚えていたからこそ悍ましい。恐怖でしかない。そんな思いが次第に募ってゆくにつれて彼女は己が狂気に飲まれてゆくのを自覚していたのだ。

 

(……ぁ……あぁ……ッ!)

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…………っ!!?!?!!

 

 これ以上、私の思い出を穢さないで……っ。

 

 

 

 

 目覚めると同時に跳ね上がるシズコ。その呼吸は乱れており心臓が早鐘を打つ様に脈打っていた。背中全体に冷や汗を掻いている感覚があるものの拭う暇もなく荒くなった呼吸と共に、彼女の内に滞る負の感情が吹き出し、溢れ出す。

 

「嫌ぁ……嫌ぁ……っ!! イ゛ヤ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!?!!」

 

 ベットの上でのたうち回りながら悲鳴を上げ続けるシズコ。その姿はまるで獣のように荒々しくも痛ましい光景そのものだった。

 

 錯乱したかのように叫び声を上げると周囲にある物を手当たり次第投げ散らかしてしまう。まるで小さな子どもの癇癪の如く喚き散らすその姿にはいつもの活発さや明るさは何処にも無かった。

 

 シズコは必死になって拒絶する。助けを求めようと声を上げるがそれはただ虚しく病室の中に響き渡るだけだ。

 

「委員長っ! 落ち着いてくだ――」

 

「イヤァッ!?!? やめてっ! 来ないでっ……触らないでっ!! ひぎゃぁあぁあああぁぁあああ!?!?」

 

 パニック状態に陥ったシズコを宥めようと伸ばしたウミカの手が弾かれる。甲高い拒絶の悲鳴と共に拒否される腕は大きく払い除けられてしまった。その瞬間の顔を見たウミカは一瞬呆然とするもすぐに正気を取り戻すとシズコを落ち着かせようと声を掛ける。

 

 だがしかし、シズコの恐慌状態は未だ収まる様子を見せなかった。暴れる身体を必死に抑えつけようとするもなかなか上手くいかずにいる。

 

「委員長っ!? 大丈夫ですよ……っ! 委員長っ!!」

 

「離してッ!! 離してぇぇ!! 来ないでぇえ!! 助け……助けてぇ……!! 先生……っ! 先生ぇ……!!」

 

 悲痛な叫びを上げ続けるシズコ。そんな彼女の様子を見たウミカは焦燥に駆られながらも冷静さを欠かないように努めた。まずはシズコの身柄を拘束する事に専念する。このまま放置しておくと怪我をしかねないからだ。

 

「嫌ぁ……ッ!! 触らないでぇ……っ! 汚いぃ……っ!! 私の身体ぁ……こんなぁ……こんなぁぁ……っ!!」

 

 シズコは半狂乱になって泣き叫びながら暴れ続けていた。その瞳からは絶望の涙が流れ落ちている。

 

 そんな姿を見たウミカは胸が締め付けられる想いだった。彼女がここまで追い詰められている姿など今まで見た事がなかっただけにどうすれば良いのか分からないというのが本音である。抑え込もうにも負傷した身体に負担をかけるわけにもいかない。しかし、このまま放置していていい状況でもない。葛藤の中で決断を迫られた結果、ウミカは頭の中が真っ白になり思考停止してしまうのであった。

 

 その間にもシズコはベットの上で暴れまわり、そしてそのまま勢いよく床に落下してしまった。

 

 ゴンっと鈍い音が響き渡る。倒れ込んだシズコは身悶えながら痛みに喘いでいた。

 

「あっ! 委員長っ!?!」

 

 その惨状を目の当たりにしたウミカは慌ててシズコの元へ駆け寄り介抱しようとするがシズコはそれを拒むように身を捩った。

 

「嫌ぁっ!! 触らないでぇ!! お願いだから来ないでぇ!!!」

 

 必死に手足を動かし暴れ回るシズコ。そしてその場から逃げようと立ち上がろうとした途端にバランスを崩してしまう。

 

 否、元々立ち上がる事の出来ない身体で、どうして立ち上がる事が出来るというのだろうか。

 

 まともに受け身も取れず、そのまま顔から床に叩きつけられてしまう。鼻血が滴り落ちる中で痛みに喘ぐシズコ。顔面を押さえながら苦悶の声を上げている様子に居ても立ってもいられなくなったウミカが咄嵯に支えようとするも彼女はその手を振り払う。

 

「ひぐぅっ! 痛いぃっ!? 酷いぃ……酷いよぉ……なんでぇ……こんなのぉ……っ!!」

 

 泣きじゃくりながら嘆くシズコ。包帯やガーゼは紅く染まり見るからに痛々しい。それでもなお自虐的な行為を行おうとしているのだから止める以外の選択肢など有り得なかった。

 

「委員長っ! もう止めて下さいっ! このままじゃ危ないですっ!」

 

「嫌ぁあ……嫌ぁぁあ……っ! 触らないでぇえ!! さわらないでぇえ!!」

 

 ヒステリックに喚くシズコは完全に自我を失いかけていた。涙で視界がぼやけて見えなくなる程に感情的になり、冷静さを欠いてしまっている。そんな状態の彼女を落ち着かせる事など容易ではないだろう。

 

 そうした事象により事態は更に悪化の一途を辿る。このままいけば確実にシズコは壊れてしまう。その予感が頭を過る。一刻も早く対処しなければと焦る気持ちばかりが先行してしまい上手く行動できずにいた。

 

「委員長っ! 委員長っ! 聞いてくださいっ! 私です! ウミカですっ!」

 

「嫌っ! 離してぇ!! 来ないでぇぇ!!」

 

 悲壮感漂う絶叫を上げるシズコ。言葉が届いていない。そして涙で歪んだ視界にはウミカの顔すら映っていないのかもしれない。錯乱した状態のまま暴れ出す彼女を止めるべく必死になって呼び掛け続けるものの、一向に聞く耳を持とうとしなかった。

 

 それどころか逆に激昂したかの如く抵抗を強めてきており益々手が付けられなくなってしまう。最早八方塞がりと言っても過言ではなく万策尽きようとしていた時であった。

 

「先生……っ。助けて……先生ぇ……っ」

 

 蚊の鳴くような弱々しい声が聞こえてきたのは。

 

「先生ぇ……っ! 先生ぇ……っ!」

 

 救済を求める幼子の様な哀願の声に胸が張り裂けそうになる。心からのSOSを聞き取ったウミカは反射的に大声をあげて先生の名を呼んでいた。

 

「先生ぇ! 先生ぇっ! お願いします! 委員長を……委員長を助けてくださいっ!!」

 

 ウミカの叫び声を聞いた先生が駆け付けてきたのはそれから数秒後の事であった。息を切らしながら現れた先生は部屋に入るなりすぐにシズコのもとに駆け寄り、そっと手を握る。

 

「シズコっ!大丈夫だよっ! 私はここにいる。君を害する者は此処にはいない」

 

 先生はそう言いながらシズコの身体を抱き締める。優しく背中を擦る様にして落ち着かせながら耳元で囁き続ける。何度も、何度も繰り返しそう口にする度にシズコの瞳は徐々に落ち着きを取り戻していく。錯乱していた精神状態が安定していきようやく大人しくなったところでホッと胸を撫で下ろした。

 

 しかし、嗚咽と共に聞こえた言葉は、先生にとっても、そしてウミカやフィーナにとっても予期せぬものであった。

 

「もうやだぁ……! 辞めたい……っ! お仕事も……学校も全部辞めたい……っ」

 

「シズコ……」

 

「委員長……そんな……っ」

 

「ぁ……っ…」

 

 かつての彼女ならば決して言わないであろうその言葉に全員が衝撃を受ける。あれほどまでにお祭りが好きでその魅力を広める為に尽力していた少女が初めて挫折を味わっていた。今まで積み上げてきたものが音を立てて崩れ去っていく様な喪失感は想像以上に深刻なものであろうことは間違いない。これまでの努力が無駄になった事への失望。これから先の不安に対する絶望。様々な要因が複合的に作用しており、簡単に克服できるものでは無かった。

 

 そして何より、彼女は自身の脚を見つめ、絶望していた。

 

「返してぇ……っ! 私の脚……返してよぉ……っ! 歩けない……歩けないよぉ……っ」

 

「シズコ……」

 

「歩けないぃ……っ! もう祭りも運営できないよぉ……っ」

 

 悲痛な声で訴えるシズコ。先生はただ黙ってそれを聞いていることしかできなかった。ウミカやフィーナに至っては言葉を失ってしまっている。

 

 当然だ。あんなに明るく元気だった人物がここまで憔悴しきってしまうだなんて誰が想像できただろうか。

 

 そして彼女を苦しめる要因が先生達の想像を超えている事は疑いようがない真実なのである。

 

 先生はシズコを落ち着かせようと試みるが中々上手くいかない。むしろ時間が経つにつれて症状が悪化していく一方であり治療の見通しも立たなかった。このままではいずれ取り返しのつかない事態に陥ってしまうのではないかという危惧もあるだろう。

 

 そして遂にその時は来た。

 

「先生ぇ……お願いぃ……もう終わりにしてよぉ……」

 

 それは懇願であった。今までどんな困難があっても最後まで諦めなかった彼女が初めて見せる弱音。

 

 しかし、それは同時にこれ以上の苦痛を味わいたくないという魂の叫びでもあった。

 

「もう……もう嫌なのぉ……痛いのは……痛いのは嫌ぁ……っ! もう……嫌ぁあ……っ!」

 

「シズコ……っ」

 

「嫌なのぉ……助けて……っ」

 

 先生は彼女の身体を抱き寄せたまま静かに耳を傾ける。ウミカやフィーナも同じようにシズコに寄り添いながら話を聞く体勢に入った。

 

「私……ずっと……お祭りを広める活動するのが楽しかった……だから……一生懸命頑張ったのに……どうして私なの……なんで私がこんな目に遭うの……?」

 

 そう言って泣き崩れるシズコ。その涙には様々な感情が入り混じっておりとても複雑なものになっていた。悔しさや憎しみ等、様々な負の情念によって黒く濁ってしまったそれは純粋だった頃の彼女とは程遠いものとなっている。

 

 かつての快活さは影を潜めてしまい暗澹たる雰囲気を醸し出していた。

 

 そんな彼女に対して掛ける言葉も見つからない先生達は、只々黙って寄り添う他なかった。

 

 

 

 

 それからというもの、シズコの容態は悪化の一途を辿った。

 

 先生達の看病も虚しく日に日に衰弱していくばかりで全く改善する兆しは見えない。

 

 以前までの活発さは見る影もなく、痩せ細り骨と皮だけになったかのように華奢になってしまった。

 

 身体の傷も日増しに増えていった。自傷行為が増え、ついには両手を拘束せざるを得ない状況にまで追い込まれていたのだ。

 

 しかし、それでもなお、自傷行為は続く。手が使えないのであれば、口を使えばいいと考えたのか唇を噛み切り舌を嚙むといった行為も頻繁に行われる様になってきた。

 

 口周りを覆い隠す酸素吸入機付きの特殊な拘束具を使用し、何とか事なきを得ているものの、食事も水も碌に摂らなくなった彼女の生命維持機能が低下してきているのは明白だった。

 

 精神科医によるとPTSDという診断結果が出たものの根本的な治療法は見つかっていない。それどころか薬漬けにして誤魔化す事ぐらいしか出来ない有様で薬剤量は増加する一方だという。本来は精神的に大きなストレスを与えてしまった場合に処方される薬なのだが過剰摂取により副作用が表れている。

 

 その代表的な例が幻覚及び妄想の誘発という形で現れ始めたのである。

 

 シズコが見る世界では自分以外の人間が怪物のように見えるらしく常に怯えており、時には金切り声を上げながら暴れ回ることもあるそうだ。もちろん、怪物のそれは妄想の世界での話であって実際の話ではない。

 

 つまり、シズコの脳内で生成される幻想なのだ。

 

 だからこそ厄介なのである。そんな彼女を監視するために昼夜交代で看護師を配置しているわけだが当然24時間体制で拘束するのは不可能であるため、基本的に深夜帯は睡眠導入剤を使用している。

 

 だが最近ではその薬の効果すら薄まってきているのか就寝中に暴れる事もあり拘束衣を着せていない状態だと非常に危険なのである。

 

 また、昼夜問わず頻繁に起こす発作についても同様で鎮静剤を使って無理やり落ち着かせるしか方法はない。当然のことながら強い依存性があるため使いすぎれば中毒症状を引き起こしてしまう可能性が高い。実際にその危険性を孕んでおり少量でも重度の障害が生じる恐れもあるそうだ。

 

 それゆえ、服用させる頻度を最低限に抑えなければならないのである。当然ながら症状の緩和は見込めず進行を遅らせる程度の効能しかない。

 

 つまりは現状を打開するには程遠いという事である。

 

 先生はそんな現実に打ち拉がれつつ毎日を過ごすしかなかった。

 

 シズコの病状が悪化するにつれて先生が面会に行ける時間が減ってきた。それも仕方ないことではあるだろう。

 

 彼女が危険な状態にあり精神安定剤等を使用していることもあって無闇に刺激を与えないようにしているとの事だ。

 

 先生は彼女と少しでも多く会える時間を確保するために奔走し続けていた。

 

 シズコの病室に入れる機会を得る一方で他の生徒達のケアを行う事も忘れない。彼女が心配だったからといっても他の生徒達を放ったらかしにしていい理由にはならないからだ。

 

 シャーレと百鬼夜行の病院を往復する毎日。

 

 次第に先生にも疲れが溜まり始め疲労困憊となった体調不良に陥るまでになった頃である。

 

 その日もいつも通り業務に追われていた先生は突然襲ってきた倦怠感により倒れ込む羽目になってしまった。朦朧とした意識の中で視界の端に捉えたのは心配そうな顔で覗き込んでくる生徒の顔を最後に、先生は意識を失った。

 

 そして数時間後。朦朧とした意識のままぼんやりとした視界の中に見えたのは天井。どうやらベッドの上に横たわっているようだ。

 

 自分が倒れたことを理解するまでに少し時間を要したが特に外傷もないようでホッと安堵の溜息をつく。

 

 少し無理をし過ぎたかもしれない。しかし、生徒の事を思えば、この程度の無理はどうという事はない。

 

 それでも、今日は面会が出来る日だったのに。と、悔やんでしまう自分がいるのも確かなのだ。

 

 病院の先生と相談しよう。そして、近いうちにもう一度面会が出来るように手配してもらうんだ。

 

 と、そう思い、病院の先生に電話をしようと携帯に手を伸ばした刹那。

 

 携帯から着信音と共に、画面に見覚えのある名前が表示されたのだ。

 

 表示された人物の名前は、シズコが入院している病院の先生からである。

 

 嫌な予感がした。震える手で受話ボタンを押す。そしてスピーカー越しに聞こえてきた言葉はあまりにも唐突で残酷すぎる宣告であった。

 

―シズコの精神が崩壊した―

 

 久し振りに落ち着きを取り戻したと思った矢先、シズコは顔を上げた瞬間……。

 

「…………………………………………………あっ」

 

 と、声を発したかと思えば、その目は虚空を見つめ虚ろに変貌し始める。焦点が合わずどこを見ているかも分からずただ一点を見据えるその姿は不気味と言う他ないだろう。

 

 そして次の瞬間にはまるで糸が切れた操り人形のようにぐったりと脱力し頭部を垂らしたまま動かなくなってしまったのである。

 

 突然の異変に誰もが戸惑いを隠せずどうしていいかわからない状態になってしまう。

 

 そんな中で唯一動けたのは病院の先生だった。すぐさま駆け寄ると肩を揺さぶりながら声をかける。

 

 しかし、どんなに呼びかけても一切反応を示さず、ただ虚空を見つめ続けるだけ。

 

 呼吸も微弱になり脈拍も数値的にはギリギリであることを確認すると即座に人工呼吸器を用いて酸素供給を行い経過観察という状態になっているという。

 

 それが、ほんの少し前。本来であれば、先生が面接に来るはずだった時間の出来事だった。

 

 

 

 

「……シズコ」

 

 集中治療室に移されたシズコはベッドに横たわったまま昏睡状態に陥っていた。

 

 病院の先生の指示で点滴を受けていたが未だに起きる気配は見られない。

 

 その傍らで先生は彼女の手を握り続けていた。シズコの掌から伝わってくる体温を感じながら眠ったままの彼女に語り掛けるようにして言葉を紡ぐ。

 

「ごめんね。もっと早く来てれば良かった……本当にごめん……」

 

 謝罪の言葉を繰り返し述べるも当然返事はない。それでも尚、何度も謝り続けながら手を握る力を強めていく先生。そうしなければこの子が消えてなくなってしまいそうで怖かったのだ。

 

 シズコが目を覚ます事は無いと言われている。既に生命活動の大半を停止した状態でありいつ死亡してもおかしくないと宣告されていた。

 

 だがそんな絶望的な状況でも僅かに希望がある限り諦めたくはないと思っている。

 

 その僅かな可能性に賭けて必死に祈り続けているのだ。

 

 それが例え、彼女にとって最も残酷な未来だったとしても。




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