・仲正 イチカ
犯罪者は留まる事を知らない。日常的に犯罪が起き、その度に犯罪者を制圧する組織が出動する。ゲヘナであれば風紀委員会がそうであり、トリニティでは正義実現委員会がそれに該当する。組織として行動し、武力を以てして犯罪者を制圧する。如何に犯罪者が強者であろうとも、個人の力では組織には太刀打ち出来ない。
それだけに組織という存在は強大であり、そして時にそれが弱点に成り得るのだ。
―トリニティ 正義実現委員会本部―
この日、正義実現委員会の本部では緊急の会議が執り行われていた。議題は自治区内で発生する犯罪について。これまでの個人での犯罪とは異なり、組織だって行動する犯罪が急増しており、派遣された正義実現委員会のメンバーが返り討ちにあうという事例が多発していた。
この件を重く見た副委員長の羽川ハスミは臨時の会議を開いたのだった。
「――以上が今月の発生した事件とその関係者になります」
スクリーンに映し出されたデータが各事件ごとに詳細な報告書へと変わっていく。それはここ数週間の間に起きた全ての事件に関するもので、そこには犯人であると思われる人物の顔写真や名前、そして所属している組織などが記載されていた。
小規模な組織を吸収し、彼女達を指揮する人物がいる。そして、その人物はトリニティの自治区内に多くの部下を忍び込ませており、正義実現委員会の情報を逐一集めているとの事だった。
「ここ数週間だけでこれほどの被害が……」
「相手は我々が攻撃を仕掛ける場所も時間も把握しているようです。通報のあった地区に向かえば奇襲を受け、それを退けて別の地区に向かおうとした時には既に犯罪者の姿はありませんでした。完全にこちらの動きを見切られています」
「通信内容が傍受されている可能性もあります。なので、通信機器を使用しないで移動したのですが……結果は同じでした」
ハスミが苦々しく呟きながら首を振ると、他の者達も難しい表情をする。今回の敵は想像以上に厄介な相手のようだった。
その上、相手が委員長の剣先 ツルギが出動すると分かるや否や即時撤退の姿勢を見せ、まともに交戦しないのだ。単純な戦力でツルギに勝てる者はキヴォトス中を探しても少ない。余計な犠牲を出さずに対処するという意味合いでは、彼女と真っ向から立ち向かわない事が最善策でもあるのだ。
その事を相手は良く理解している。理解しているからこそ、ツルギの情報は常に共有し、犯罪を犯す際は彼女が巡回している地区から離れている地区で事を起こす。単純だが効果的な方法だ。これではどうしようもない。
「先ずは指示役と情報役、どちらかを捕らえるべきでしょうね。特に情報役は優先的に確保したいところですが」
「情報役の顔と名前までは割れてはいるのですが、それ以上の情報が中々集まらないのが現状です。指揮役に関しては顔が割れておらず、探ろうにも足取りを掴むのが困難な状況です」
「全く……面倒ですね。ですが、いつまでもこのままと言う訳にはいきません」
ハスミが溜息混じりに言うと、周囲の者達も同意するように頷く。このまま何もせず放置していてはいずれ大きな被害が出るのは確実だからだ。早急に何とかしなければならない問題ではあるものの、打つ手がないのもまた事実。
議題は進展せず、唯一の対策として一人で行動せず集団で動く事になった。解散し、各々の持ち場に戻る中、会議に参加していた仲正 イチカも席を立ち、持ち場に戻ろうと廊下に出ると、後輩の1人が遠慮がちな様子で話しかけてきた。
「あ、あの……イチカ先輩」
「ん、どうしたっすか?」
振り返って微笑みかけると、彼女は意を決したように口を開いた。
「その、次の巡回なんですが……私も同伴してもいいですか!?」
「別に構わないっすけど、どうして急にそんな事を?」
「実は、最近ちょっと怖くて……」
後輩はそう言って俯く。どうやらここ最近の連続した犯罪行為により不安を感じているようだ。無理もないだろう。以前までの犯罪者はただ暴れるだけであったのに今回は違うのだ。明らかに意図を持って動いているのが分かる上に、それが自分達の身近で起きていると考えれば尚更だ。委員長や副委員長とは話し辛く、対してイチカは社交性が高く面倒見も良い。相談を持ち掛ける上で最も接しやすかったのだろう。
「あぁ、そういう事っすね。まあ確かに、心配になるのは仕方ないっすよ。でも大丈夫っす。私が守るんで任せてください」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
後輩は嬉しそうに笑うとぺこりと頭を下げた。その後すぐに背筋を伸ばして敬礼すると、走って去っていく。その様子をイチカは苦笑しながら見送った。
―トリニティ学園自治区―
夕暮れ時の空は茜色に染まりつつあり、街並みを照らす光は次第に弱まってきていた。夜の帳が落ち始め、路地裏には影が伸び始める。
そんな中、イチカは後輩と共に街を巡回していた。二人は辺りを警戒しながら歩いているが、今のところ不審な人物等は見受けられない。
しかし、油断は禁物だ。いつどこで何が起こるのか分からない以上、注意しておくに越したことはない。一応、連絡用の端末はあるものの、これを傍受されている可能性もある為、万が一何か起きた場合を考えて回線はオフにしておく必要がある。
「イチカ先輩……本当に大丈夫でしょうか」
隣を歩く後輩が不安そうな表情で尋ねてくる。イチカはそんな彼女に安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫っすよ。もしもの時は私がなんとかするんで」
「そ、そうですよね。ありがとうございます」
それでもまだ不安なのか、後輩はぎこちなく笑って礼を述べる。そんなやり取りをしていると、ふと前方から複数人の話し声が聞こえて来た気がした。慌てて視線を向けた先には三人組の女子生徒が居た。制服を見る限り他校の生徒のようだ。
(こんな所で何してるんだろ?)
この辺りは治安が悪い訳ではない。寧ろ良い方と言っていいだろう。しかしこの時間帯となると流石に人通りは少なくなる。ましてや他校の生徒となれば尚更のこと。不審に思いながらも様子を窺っていると、突然その内の一人がこちらを見てきた。
「あのぉ、私らになんかようですか?」
見ていた事が気付かれたのか、やや喧嘩腰の様子で詰め寄ってくる女子生徒。それに対して後輩は狼狽えてしまうが、イチカは冷静に対応する。
「いやぁ、すいません。こんな時間にこんなところで珍しいと思って見ていただけなんすよ」
「はぁ? 何言ってんすか? 暇だからブラブラ歩いてるだけですよ」
「はい、本っ当に申し訳ないっす。最近、この辺りでも物騒なんでつい……」
「……ふぅん、私らがそんなに怪しかったって事ね」
女子生徒からは怒りの感情が読み取れる。口調も荒くなっている事から恐らく相当苛立っている様子だった。しかしそれも当然かもしれない。折角羽を伸ばしている最中に、不審な目で見られていたのだとしたら、誰だって不快に思うはずなのだから。
下手に刺激するのは悪手だろう。そもそも、他の自治区から遊びに来る生徒も少なくはない。
「すいません。本当に怪しい奴が多いんで警戒してしまっていたんです。許してくださいっす」
イチカは両手を合わせて頭を下げる。それに倣って後輩も謝罪の言葉を述べた。すると女子生徒達は不満げな態度を取りながらも引き下がってくれたようだ。どうやら許してくれたらしい。ホッと胸を撫で下ろすと、改めて巡回に戻る。
しかし、その後も成果はなく、結局そのまま一日が終わってしまった。
「イチカ先輩。今日はありがとうございました」
別れ際に後輩が感謝の言葉を伝えてくる。どうやら先程の一件以外は何もなかったようで、特にトラブルもなく終わったことに安堵しているようだ。
「いえいえ、此方こそ今日は助かったっすよ。もし何かあったらすぐ呼んで欲しいっす。駆け付けるっすから」
「はい! 分かりました!」
元気よく返事をすると、後輩は笑顔で帰路についた。それを見届けたイチカも踵を返すと自分の寮に戻るべく歩き出す。何事もなく無事に終わった事に安堵しつつ、他のメンバーからも連絡が無い事から何事もなかったことを察する。
相手も組織だって行動している。その上、自分達の被害を最小限に抑える為の対処も徹底しているときたものだ。下手な攻撃は逆効果になると分かっているからこそ、直接的な干渉をしてこないのだろう。
(とりあえず今日のところはもう大丈夫そうっすね)
安心感から自然と笑みが零れる。もう少し警戒すべきかも知れないが、何も無かった事を喜ぶ方が健全だろう。
そんな事を考えながら自分の事を慕ってくれる後輩の事を思い出しながら、無意識に口元が緩む。後輩からの信頼を得るというのはとても嬉しい事だし、何より頼られていると思うと自然と力が湧いてくるものだ。
それはきっと誰だって同じだろう。自分もそうだったから良く分かる。だからこそ、自分も後輩に良い影響を与えられるよう努力したいと思った。
翌日の放課後、イチカは引き続き後輩と共に巡回をしていた。昨日と同じような経路を辿りつつ、特に怪しい動きをする者はいないか目を光らせる。
やはり昨日同様に特に変わった点は無く、平和な時間が過ぎていくばかりだ。これなら明日も同じような感じになりそうだと思い始めた頃、不意に後輩が立ち止まった。
「ん、どうしたんすか?」
問い掛けると後輩は少し躊躇うような素振りを見せた後、言いにくそうに答えた。
「その……お腹痛くてトイレ行って来ていいですか?」
その言葉を聞いて思わず固まってしまう。まさかこういった展開になるとは予想外だったのだ。しかし、生理現象はどうしようもないものだし、我慢し続ける訳にもいかない。
「あはは、仕方がないっすね。近くに公衆トイレがあったはずっすから此処で待ってるっすよ」
「はい、すいません!」
後輩はそう言うと走って行く。その後ろ姿を見送ると、イチカは壁に凭れかかりながら待ち時間を潰す為にスマホを取り出した。時刻は既に十七時を回っている為、そろそろ暗くなってきてもおかしくない頃合いだ。
後輩がトイレから戻ったら巡回を切り上げて帰る事にしよう。
そう思い、後輩を待ち続けるイチカ。
1分、5分、10分……流石に遅すぎる。トイレが混んでいたのだろうか?
しかし、いくらなんでもここまで長引くものだろうか。嫌な予感が脳裏を過り、周囲を確認する。誰もいないし、異常も見当たらない。しかし、不安は拭えない。念の為連絡を入れようとスマホを取り出して電話を掛けようとするが繋がらない。
嫌な予感が的中した事を察すると同時に身体が動いていた。考えるよりも先に足が動き出し、全速力で走り出す。視界に映る公衆トイレ。誰もいない。混雑している様子もなければ誰かが居るようにも見えない。
全身から汗が噴き出す感覚。呼吸が乱れ、鼓動が激しくなる。そして焦燥感に突き動かされるようにして走る速度を上げると、銃を構えて入口へ飛び込んだ。そこには誰もいない。代わりに血痕が残されており、床には無数の弾痕が刻まれていた。
間違いなくここで戦闘が起きたのだ。そして、それは十中八九、後輩が絡んでいる筈だ。彼女の姿が無いことがそれを物語っている。
イチカは奥歯を噛み締めた。唇を強く噛み締め過ぎて血が滲むほどに。己の不甲斐なさを呪った。もっと早く動けば良かったと後悔した。しかし今はそんな事を考えている暇などない。一刻も早く探し出さなくてはならない。だが一体何処に居るというのだ。
行く当てもないと思った瞬間、携帯から音が鳴った。まさかと思いながら携帯を取り出すと着信画面には後輩の名前が表示されていた。迷わず通話ボタンを押すと聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
『……イチカ先輩』
それは紛れもなく後輩の声だった。震える声、怯えている様子が伝わってくる。
『イチカ……先輩……ごめ、ごめんなさ……わたし…わたっ……』
嗚咽混じりに後輩は言葉を紡ぐ。しかしそれは途中で途切れてしまい、代わりに聞こえてきたのは鈍い音。続いて悲鳴のような叫び声が上がり、何かが壊れる音が響く。
「もしもし!? 何があったんすか!? 返事して欲しいっす!!」
必死になって呼びかけるが反応は無い。代わりに聞こえてきたのは複数人の笑い声。それも不快極まりない嘲笑であった。怒りと憎悪に支配されそうになるのを堪えつつ、冷静になれと言い聞かせる。
落ち着け。今感情的になったところで何も解決しないぞ。まずは状況確認が最優先だ。深呼吸をして心を落ち着かせると、再び口を開いた。
「あの、後輩ちゃん。大丈夫っすか? 状況教えて貰えないっすかね?」
暫く沈黙が続くと、やがて後輩の声とは異なる声が聞こえてきた。
『はーい、聞こえますか〜? 私達が貴女の大事な後輩ちゃんをあずかってま~す!?』
「……何が目的っすか。要求があるなら聞くっすよ」
何処か陽気な声で、楽しんでいるような口調。イチカはその声の主を睨み付けたい衝動に駆られたが何とか抑え込み、努めて平静を装って尋ねた。すると向こう側からくすくすという笑い声が返ってきた。どうやらこちらの事情は筒抜けのようだ。
『要求……ねぇ……』
と、陽気な声が一転し、重々しい口調に変わる。まるで別人のように低いトーンとなり、イチカは思わず息を飲んだ。それは今まで聞いた事のない冷たい声音だったからだ。
次の瞬間、通話越しに再び鈍い音が響き渡り、それと同時に後輩の悲鳴が響き渡った。
『なにっ! 対等にっ! 話し合おうって考えてるんですかねぇ!! 状況をっ! 理解してないんですか!! こっちには人質がいるっ! 選択肢なんてないんですよ!!』
何度も、何度も、後輩の体が殴打される音がする。悲鳴、助けを求める声が聞こえてくる。それを聞きながらイチカは拳を握り締め、歯を食い縛った。頭の中では様々な感情が渦巻いているが、表には一切出さずにひたすら耐えるのみ。
それでも怒りだけは抑えきれず、爪が掌に食い込む程に力が籠もってしまう。痛みで気を紛らわせないと爆発してしまいそうだ。後輩の悲鳴が響く度に怒りの炎が燃え盛り、理性が焼き尽くされそうになる。
『あははっ! どうですかぁ! 可愛い後輩が苦しむ声が聞けて幸せですかぁ!?』
「………………っ」
陽気な声はそのままに、煽るような口調で喋り続ける。後輩がどんな目に遭っているのかを想像しただけで腸が煮えくり返りそうになる。
だがここで激情に身を任せてしまっては相手の思う壺だ。今は冷静さを保つしかない。何より後輩を助けるのが先決なのだから。
「……すみません。私は何をすればいいのでしょうか? どうか教えてください」
声が震えないように注意しながら静かに問いかける。すると向こう側から楽しげな笑い声が聞こえてきた。やはり愉快で仕方がないといった様子だ。
『簡単な事ですよ。貴女は私達が指名した場所に一人で来てもらいます。勿論、銃火器などの武器類は所持厳禁ですからね。誰かに伝えるのもダメです。来なかった場合は、この可愛い可愛い後輩ちゃんにはも~っと痛い目にあってもらいます。あ、残念なことに、もう大分痛い目にはあっているんですけどね』
と、通話を一方的に切られた後、少しして写真が送られてくる。
写真には下着姿で倒れている後輩の姿が写っていた。歯が部分的に欠け、肌は赤黒く変色しており、暴力を振るわれた事が容易に想像出来るほど酷い有様になっている。顔は涙と鼻水で濡れており、苦悶の表情を浮かべていた。
信じられない光景だった。僅か数分の間に此処まで出来る筈がない。恐らく、近くに監禁しているのだろう。写真を確認すると同時に再び着信音が鳴り響き、ディスプレイを確認するまでもなく通話ボタンを押した。
『ちゃんと来てくれないと……分かりますよね?』
電話越しに後輩の啜り泣く声が聞こえてくる。きっと恐怖と屈辱に塗れながら痛みに耐え続けているのだろう。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。だけど自分に出来る事は一つだけだ。後輩を救い出すこと。
「分かりました。場所を教えて下さい」
『あはっ、やっぱりイチカさんは聞き分けが良くて助かるなぁ……電話を切った後、モモトークに地図を送ります。早く来てくださいよぉ。イチカさんが来るまでの間、私らは私らで後輩ちゃんとお楽しみしてますんで。それじゃ、待ってますね?』
電話が切れた後、モモトークが届き、地図が送られてきた。マップを確認すると、そこは郊外にある廃工場だった。比較的近くではあるが、周囲には民家などは無い為、相手からすればそこで何をしたとしても人目を気にする必要はないのだろう。
イチカは住所を確認すると同時に駆け出した。早く行かなければ手遅れになってしまう。逸る気持ちを抑えつけながら全力疾走する。後輩の為にも急がなければならないのだ。
(待っててくださいっす……今助けに行くっすから!!)
―トリニティ学園自治区郊外 廃工場―
指定された場所へ到着すると、入口の前に見張りが二人立っていた。
既に情報は共有されていたのだろう。イチカが1人で来た事を確認すると、銃を下ろし、そのまま無防備に近付いてきた。
「まさか、本当に1人で来るとはね」
「約束っすからね。それよりも後輩は?」
「此処にはいねぇよ」
イチカは内心で舌打ちをする。考えてみれば当然だ。人質を解放した途端此方が暴れれば、少なからず被害が出るだろう。それを防ぐ上で後輩は別の場所に監禁し、何かあった際の保険として使ったのだ。此方からは手が出せず、一方的な優位に立つように仕向けられた。その時点でイチカに出来る事は何もないのだ。
「……後輩は無事なんすか? せめて、声だけでも聞かせてほしいっす」
イチカの懇願に対し、見張り達はニヤリと笑みを浮かべると携帯を取り出す。液晶には下着姿の後輩の姿が映し出された。その姿は見るに耐え難いものだった。
全身至る所に青痣が出来ており、顔は殴打された影響で変色している。特に口元は腫れ上がり、歯の何本かは欠けてしまっているようだ。
『イチカ、先ぱ……ごめ、ごめんなさっ』
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、謝罪の言葉を口にする後輩。その姿を見た瞬間、感情が抑えきれなくなりそうになる。しかし、ここで感情的になれば後輩を更に危険に晒してしまう。イチカは怒りをぐっと堪えると、努めて冷静に懇願した。
「……お願いします。後輩を解放して下さい。私の事は好きにして構わないっすから」
その場に跪くと、額を地面に擦り付けるようにして頼み込む。プライドなど関係ないとばかりに頭を下げる。屈辱的な行為だが、これで後輩が助かる可能性があるならば安いものだ。その為なら幾らでも自分の恥辱に耐えてみせる。そう思った上での行動だった。
イチカの行動に、見張りの1人が電話越しにどうするかと反応を待っている。恐らく電話の向こうにいる人物が最終的な判断を下すのだろう。イチカはジッと待ち続けた。そして数秒後、携帯から相手の声が聞こえてきた。
『えぇ、良いですよ。貴女の大事な後輩ちゃんは解放して上げましょう。そもそも、此方としては貴女の身柄を確保する事が前提だったのですからね』
返答は快諾。条件を呑んでくれた事を喜ぶべきなのだろうが、それはイチカ自身が交渉材料となっている事を意味する。それも仕方ない。そもそも最初から選択肢など無かったのだ。後輩の命がかかっている以上、選ぶ余地は無いのだ。
『それではイチカさん、銃と携帯を見張りの方に預けてください。あぁ、それと、ボディチェックは忘れずに。何を隠し持っているか分かったものではありませんから』
「分かったっす」
言われるままにイチカは銃と携帯を渡す。それを受け取った見張りは一旦それらを離れた場所に置くと、他に何か隠し持っているものはないかとボディチェックを行った。衣服の下やポケットなどを隅々まで調べた後、問題なしと判断すると見張りが小さく頷く。
「服も脱げ、全部だ。それで信用してやる」
「……はい」
見張りが言うが儘に服を脱ぐと、素肌が露わになる。羞恥心を堪えながら下着も外し、生まれたままの姿を晒す。念入りにチェックされ、特に隠し持っているものは無いと判断したのか、見張りは満足げに頷いた。
「よし、連れて行け」
命令を受けると、見張りは拘束具を取り出し、イチカの手足を固定していく。流石に抵抗する気はない為、大人しく従った。完全に自由を奪われた状態で担ぎ上げられると、建物ではなく、スモークフィルムが張られたワンボックスカーの後部座席に乗せられる。
「大人しくしてろ。変な気を起こしたら……分かってるな?」
「…………」
凄む見張りに対し、イチカは黙ってコクリと首肯する。此方を睨み付けながら見張りも乗り込むと、車はゆっくりと発進した。後部座席に座りながら、これから自分がどのような運命を辿るのかを考える。
恐らく酷い目に遭わされるのだろう。拷問されたり、辱めを受ける事もあるかもしれない。もしかすると殺される可能性だってある。それでも後輩さえ助かるのであればそれで構わないと思った。大切な後輩だ。それだけで価値がある。だからこそ、彼女を守る為ならばどんな事でもするつもりだった。
そう自分に言い聞かせながら、車はどんどん進んでいく。一体何処に向かっているのだろうか。少し不安を感じていると、唐突に見張りが口を開いた。
「もうすぐ目的地に着く。暴れたら殺すぞ」
「……」
その言葉にイチカは答えなかった。ただ黙って正面を見据える。緊張で身体が強張るのを感じながら、車は徐々にスピードを落としていき、遂に停止する。エンジン音が消え、車内に静寂が訪れた。その静けさが却って不安を煽ってくる。
(後輩……本当に無事なんすかね?)
一抹の不安を抱きつつ、後輩が無事かどうかだけが気になる。しかし、どれだけ考えたところで現時点で確かめる術はない。今はただ祈るしかないのだ。
そうこうしている内に、後部座席の扉が開かれ、強引に引っ張られる形で外へと連れ出される。手足を拘束された状態で上半身を起こされたイチカは、目の前に広がる光景に驚愕した。
そこに居たのは、数十人に及ぶ集団だった。全員が一様にヘルメットを被っており、素顔を確認する事は出来ない。ヘルメット団と言われればそれまでだが、彼女達はその手の類ではないだろう。所属する組織ですら隠蔽する狡猾さ。単独での行動を避ける狡賢さ。そして、人質を使って罠に嵌める陰湿さ。どれをとっても卑劣の一言に尽きるだろう。
イチカは嫌悪感を露わにしながら、眼前に立つヘルメットを睨み付ける。ヘルメットはニヤリと嗤うと、わざとらしく拍手をして歓迎の意を示してきた。
「初めまして、イチカさん。私は貴女の事を良く存じておりますよ。仲間を大切にしている素晴らしい性格だとか、困っている人は放っておけない優しさを持っているとか、色々と噂を聞いています」
「………………」
「まぁ、もっとも……それが仇となって貴女は捕まってしまったわけですが」
その言葉を聞いた瞬間、イチカの中で怒りが沸き上がる。大切な後輩を傷付けた事は勿論だが、後輩を道具として扱うその在り方に怒りを覚えたのだ。怒りによって顔が熱くなるのを感じながらも、必死に冷静を取り繕う。ここで激情に身を任せてはいけないと理性が警告を発している。
「ふざけないで欲しいっす。私の事はどうでもいいっすよ。それより後輩はどうなったんすか? 無事……なんすよね?」
「勿論、約束しましたからね。貴女の後輩は解放しますよ。無論、この後にですがね」
「っ!」
どうやら、未だ後輩を開放する気はないらしい。それどころか、此方を弄ぶつもりでいるようだ。少しでも不審な動きを見せれば後輩の身が危ない。それを理解した上で行動する事を強いられるのだ。イチカは歯噛みする。
「そう警戒しないでください。本当に無事なんですから」
そう言って、携帯の画面を表示し、後輩の姿が映し出される。相変わらず、下着姿のまま拘束されているがそれ以上の危害を加えられている様子はない。これで益々、下手な行動をとる事は困難となったわけだが、一先ず安心だ。
「さて、前置きはこのくらいにしておきましょう。イチカさん、これから貴女には見せしめになってもらうとしましょう。正義実現委員会の行動を制限するという意味合いでは下っ端よりも程よい管理職の貴女がうってつけですからね」
「……やっぱりそれが目的なんすね。つまり、後輩はお前らにとってはどうでも良かったって事っすか?」
「えぇ、そうです。最初から貴女が目的でしたから。わざわざ説明する必要もないでしょうが、貴女が私の言葉を聞かずに強硬手段を取った場合、人質である貴女の後輩は……ふふふ、悪役風に言えば酷い目にあう事になります。まぁ、内容はご想像にお任せしますが、聞いた話によると相当な仕打ちみたいですよ」
「その言い方、貴女がトップじゃないんすか?」
「当然です。この手の仕事は下っ端の役目ですからね。私の場合、この手の仕事をメインにしているいわば拷問役といった所でしょうか」
「拷問……」
思わず顔を顰める。やはり碌なものではないようだ。この状況下で抵抗するのは愚策だと分かっていても、どうにか脱出の機会を探る。だが、周りには武装したヘルメット団。しかも人質がいる以上、迂闊な行動は出来ない。歯痒い思いを抱えつつも、状況を把握しようと周囲を見回していると、拷問役を自称する不良生徒は言った。
「抵抗しても良いですよ。寧ろそっちの方が面白いので歓迎します。まぁ、その場合は人質の子も連帯責任ですがね」
その言葉にゾッとする。このヘルメットの下の素顔は間違いなく笑みを浮かべている。心底楽しそうに。人の不幸を見て悦に入るタイプの人間の典型例だ。イチカはゴクリと唾を飲み込み、ヘルメット団を睨み付ける。
「……良い目です。その眼が歪む所を想像するだけでゾクゾクしますよ。あぁ、楽しみですねぇ……さぁ、始めましょうか」
拷問役の指示に従い、周囲のヘルメット達が動き出す。拘束されたイチカを囲むように配置につくと、両腕と身体を抑え付け、身動きが取れないようにする。
それを確かめた後、拷問役の不良少女はナイフを取り出し、イチカの制服に刃を立てる。そしてゆっくりとナイフを引く事で服の繊維を断ち切っていく。胸元から腹部にかけて切り開かれていき、下着が露出する。
「いやぁ、良い身体ですねぇ。細身なのに女性的なラインが出ていますし、それでいて筋肉質な肉体。これは虐め甲斐がありそうです」
そう言いながら、拷問役は部下に道具を持ってこさせると、それをイチカの眼前へと突きつける。その形状を見たイチカは思わず息を呑んだ。それは工業用のはんだごてだ。高温によって金属を溶かす際に使用する器具で、普通であればこのような状況で出てくる事はないものだ。
「さて、それでは早速始めましょうか。先ずはその綺麗なお顔から……」
ゆっくりとはんだごての先がイチカの頬に押し当てられる。ジュウゥッという音と共に皮膚が焼け爛れ、肉が焼ける匂いが漂ってくる。あまりの激痛に思わず声を上げるも、すぐに口を塞がれる。さらに追加で数ヶ所に押し当てられると、熱と痛みが襲ってくる。それは耐え難い苦痛だった。
「~~~~~~~~~っ!!?!!!?!」
「ほら、もっと可愛い悲鳴を聴かせてくださいよぉ。あっ、でもそれだと悲鳴も上げられないですよね。可哀想に」
そう言って笑いながらはんだごてをグリグリと押し付けてくる。肉が焼かれる臭いに吐き気すら覚える程だが、何とか堪えようとしたその時、今度は喉元に鋭い痛みが走る。反射的に咳き込むが、それすらも封じられてしまった。口の中に鉄の味が広がり、視界がぼやける。しかし、意識はしっかりしている。気絶する事も出来ず、延々と責め苦に苛まれる。
「あははっ! 此方も焼きますよー」
「―――――――っ!!!」
はんだごてが耳朶に触れる。ジュワッと音を立てながら肉が焼かれ、ブスリと針を差し込まれたかのように激痛が走った。あまりの痛みに意識が朦朧としてくるが、気を失う直前には必ず新たな苦痛を与えられる為、気絶する事が叶わない。
「いやぁ、本当に耐久性が高いですねぇ……この程度ではまだまだ余裕そうなので、次に行きましょうか」
顔の至る所から肉の焦げた臭いが立ち籠り、鼻腔を刺激する。本来であれば不快極まりないであろう匂いにすら、どこか陶酔したような表情を浮かべている。それほどまでに狂気じみた行為なのだ。彼女達にとっては当たり前の事なのだ。こんな事を平然とやってのける彼女達にとっては、当たり前すぎて意識することもない。だが、それがどれだけ異常なのかを知らないまま彼女達は生きてきたのだろう。
「……そういえば、確か正義実現委員会のメンバーの中に下江 コハルちゃんって子がいましたねぇ。私、ずっと気になっていたんです。あの子のお腹にある縦のライン」
「それ、が……なんだって……んすか……っ」
塞がれていた口が解放され、漸くk賭場を吐く事が出来たイチカだが、その声は弱く掠れていた。無理もない。顔の彼方此方が焼かれた上に悲鳴すらまともに上げる事が出来なかったのだ。体力も消耗し、精神的な疲労も蓄積している事だろう。
それでも尚、虚勢を張ろうとしている姿に感嘆しつつ、ヘルメットは嗤った。
「いえいえ、ただ気になっただけですよ。あのライン。えぇ、是非試してみたいとね」
「……!?」
ヘルメットの言葉を理解した瞬間、血の気が引いた。それと同時に拷問役の子が持っていたはんだごてが動き出す。ゆっくりと首に向かって先端が迫る。熱さを伴う凶器が皮膚を焦がす感触をダイレクトに感じる。
「それでは……いきますよぉ」
無慈悲な宣告と共に、熱された先端が押し付けられた。思わず仰け反りそうになるも抑え込まれているためそれも叶わない。痛みを逃がすことも出来ず、ただ受け入れることしか出来ない。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!」
あまりの激痛に脳がショートしそうになる。意識が飛びそうな程の苦痛。耐え難い灼熱に、目の前が真っ白になりそうになる。それでも気絶することは許されず、意識はしっかりと覚醒させられている。
「まだ始まったばかりですからねぇ、これをこうやって下ろしていけばぁ」
はんだごてを動かす度に肉の焼ける音が耳障りな程に響く。煙が舞い上がり、独特の匂いが充満する空間。肉が焼ける匂い、焦げ付く匂い、全てが合わさり悪臭となる。首から胸に向かっておりていき、途中で下着のブラがそれを阻む。しかし、高温で熱せられたはんだごての先は、布地を容易く貫通し、肌を直接炙る。ついには鳩尾まで降りていき、そのまま臍へと下っていく。
ブラが二つに焼ききれ、イチカの胸が露出する。程よく張りのある乳房が震えるたびに鈍い痛みが走った。羞恥心と屈辱感が入り混じった感情に支配されながらも、何とか気丈に振る舞おうとするものの、その意思に反して身体は痛覚に正直だった。
「ほぅら、お腹の縦ラインが完成しましたよぉ」
「……ハァ……ハァ……っ」
下腹部まで伸びた火傷のライン。皮膚は焼け爛れ、赤黒く変色している。呼吸をする度にヒリつくような痛みを感じるが、何とか堪える。今の彼女は満身創痍だ。全身に力を込め、歯を食いしばりながら辛うじて耐えている状態。少しでも気を抜いたらすぐにでも崩れ落ちてしまうだろう。
「あはっ、本当素敵ですよぉ。その目。反抗心を秘めた瞳。でもいつまで持つんでしょうねぇ? これからもっと酷いことをされるのに」
そう言って、今度は焼けた鉄の棒を用意させると、熱加減を確認すべく、イチカの腹部に押し当てる。表面に焼き付き、蒸気が立ち上る。そのまま上下左右に動かし、更に深い傷跡を作り出していく。その行為に快楽を感じているのか、彼女は恍惚とした表情を浮かべる。
「あぁ、綺麗ですねぇ。とても綺麗な模様ができましたよ。はい。加減は十分ですね。それでは早速ですが……」
と、部下達に顔を上げさせるよう命令すると、鉄の棒を顔面へと近付ける。
「お口を開けてください。余計な事を喋らないようにお口を焼いてチャックしましょうってね」
「っ……それ、は……」
顔や腹部を焼かれただけで十分すぎる苦痛を感じた。それが口の中までもと考えると想像すらしたくない。しかし、その態度を不快に感じたのか、拷問役の子は携帯を取り出すと、何処かに連絡を入れる。
「プランA……よろしくです」
その言葉と同時に、携帯から後輩の悲鳴が聞こえてきた。声だけでは何をされているのか判断できない。しかし、拷問役の子の指示に従わない場合は後輩が何らかの拷問を受けるようだ。これではどうしようもない。イチカは諦めて口を開けるしかなかった。
「やめてください。口……開けるっすから」
そう言って、恐る恐る口を開ける。恐怖で口の中が渇き、口内が乾燥していく。心臓の鼓動が早くなり、動悸が激しくなるのを感じる。頭の中では警鐘が鳴り響く。逃げろと本能が訴えかけてくる。けれど身体は動かない。微塵も動かす事が出来ない。
「あぁ、良いですねぇ。その表情」
その台詞を最後に、灼熱の鉄が口腔内へと侵入してくる。舌に押し当てられたそれは、容赦なく粘膜を焼く。声にならない悲鳴を上げるイチカ。舌が千切れそうな程の激痛に悶える様を見て、拷問役の子は満足気に微笑む。そのまま喉の奥へと鉄の棒を挿入すると、ゆっくりと引き抜く動作を行う。柔らかい舌の上で擦れ合う灼熱の物体が激痛を与える。ジュウジュウと肉の焼ける音がする。鉄の棒を引き抜いた後も余韻が残り、焼け爛れた箇所からじわじわと染みるように痛みが広がっていく。
「んぐっ! あ……ガァ……ア……ゴェ……ッ! ぁ……ぁ……」
痛みで意識が飛びそうになる中、必死に自我を保とうとする。涙で視界がぼやけるが、それでも懸命に意識を保とうと努力する。呼吸は荒くなり、過呼吸寸前といったところだろう。それでも気絶しなかった理由は偏に後輩の存在が大きいからに違いない。もし自分が気絶してしまえば後輩がどんな目に遭うか分からない。だからこそ、無理矢理にでも意識を手放さないようにしていたのだ。
「素晴らしい。まさかここまで耐えるとは思っていませんでしたよ。大抵の子はこの辺りでギブアップするんですがねぇ。しかし、それも此処まで」
再び灼熱の鉄の棒がイチカの口の中へと突っ込まれる。先程よりも少し長い時間押し当てられた後、引き抜かれる。しかし、一度や二度では終わらなかった。三度、四度と繰り返されるうちに、口内の全てが焼け爛れてしまいそうだ。だが、それでは飽き足らず、今度は喉の奥へと無理矢理突っ込まれる。
そして六度目の最中に、拷問役の子が笑みを浮かべながら、残酷な提案を持ちかける。
「ではイチカさん。そのまま口を閉じてください」
「はっ……ハァ……ハァ……」
「さぁ、早く」
その言葉に促されるまま、イチカは鉄の棒を挟んだまま口を閉じる。その途端、イチカの口内で肉が弾ける音が聞こえた。ジュウジュウと肉を焼く音。唾液が蒸発し鼻腔から煙が噴出する。鼻孔を通り抜け、肺に入り込む熱波が体内を蹂躙する。熱によって喉が焼かれ、激痛が走る。目からは大量の涙が流れ落ちる。それでもなお、イチカは口を閉じ続けた。
「――っ!! ――っ!! ――っ!!」
声にならない叫びを上げ続けるイチカ。鉄の棒を噛み砕かんばかりに強く歯を食いしばる。痛みに耐えようと必死になるあまり、意識が朦朧としてくる。それでも尚、彼女は耐え忍ぶ。そんな姿を見て拷問役の子は嗤った。
「あはははっ、良いですねぇ。その表情。最高ですよ。さて、もう充分でしょう」
そう言って鉄の棒を引き抜くと、イチカの口からボタボタと血液混じりの唾液が垂れ落ちた。それは床に溜まって池を作る程であり、かなりの量が零れ落ちたことが窺える。イチカは肩で息をしながら、荒い呼吸を繰り返す。口の中に残る鉄の味。喉を潤すように液体を嚥下するも、当然のごとく吐き出される。口の中は焼けただれ、炎症を起こしており、喋る事も難しい。それでも何とか声を振り絞ろうとする。
「……ぁ…ゴホッ、ゴホッ……っ」
「ん? 何ですか?」
「……ォ゛……ァ゛……ェ゛……ッ」
イチカは言葉を発しようとするが、焼け爛れた喉ではまともに発声出来ない。咳き込む度に血痰が飛び散り、床を汚す。まるで老人のような嗄れた声を聞く度に、拷問役の子は楽しげに笑う。そしてまた新しい玩具を見つけたかのように目を輝かせた。
「あははっ、無様ですねぇ。喋りたくても喋れないなんて。それに、その舌ではもう味覚も何も感じないんじゃないですか? 残念ですねぇ。トリニティには美味しいものが沢山あるというのに。でも、安心してください。まだまだ終わりじゃないですから。寧ろこれからが始まりみたいなものですし」
そう言うと、拷問役の子は部下に何やら合図を出す。すると、イチカを仰向けに組み伏せると制服の袖を捲り上げた。
「まだまだ抵抗される可能性も考慮してますので、念には念をってやつですね。私としては、もう十分だとは思っているのですが、これも上の命令ですから」
「っ!?」
そうして露わになった腕に向かって何かが突き立てられる。鋭利な痛みと共に、それが注射器と理解した時には外筒内の液体が体内に注入されていた。
いったい何を?
喋れない口をパクパクさせながら拷問役の子に訴えかけるも、その答えは自身の身体に起きた異変をもって知る事となる。体温が急激に低下するのを感じる。寒気が止まらない。身体の芯から冷えていく感覚に震えが止まらない。肌の表面が粟立ち、鳥肌が立つ。そして寒さとは対照的に汗が滲み出す。暑い訳でもないのに次々と湧き出る汗が止まらない。
それらの症状と共に、全身から耐え難い激痛が襲ってきた。内臓が破裂しそうな程の衝撃。骨が軋む音。神経がズタズタに切り刻まれるような痛み。それらが同時に襲い掛かり、思考能力が著しく低下する。あまりの激痛に涙が溢れ、視界がぼやける。口からは血が流れ落ち、白目を剥く。舌は痙攣し、歯の根が合わなくなる。意識が遠退きそうになる。だが、その都度新しい痛みが加わり、現実世界に引き戻される。
「あははっ! 効果覿面みたいですねぇ。これは期待できそうです。どうですか? 苦しいですか? 言わずとも分かりますが、良い姿ですねぇ。しっかりと動画に収めておきますよ。今後の活動に必要不可欠ですからねぇ」
「オ゛ッ……ゴェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛……ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……」
口から血の泡を吹き出しながら悶えるイチカ。意識が飛ぶ寸前まで追い詰められる。最早自分が何者であるかすら忘れかけている状態だ。ただひたすらに苦痛に耐えることしか出来ない。そんなイチカを嘲笑うかのように、拷問役の子は言う。
「良いですねぇ良いですねぇ……その見苦しい姿は本当に映えますよ。その涙。嗚咽。悲鳴。素晴らしい。もっと苦しんでください」
耳元で囁かれる言葉にゾクッとする。背筋が凍る。心臓が脈打つ音が大きく聞こえる。全身の血の気が引いていくのが分かる。呼吸が乱れ、正常に機能していない。パニックに陥ったイチカの脳裏に様々なイメージが過ぎる。友人、学園、後輩、先輩……全てが走馬灯のように駆け巡る。そして最後に浮かび上がったのは先生の顔だった。
「ぁ……ぉ゛……ッ!」
「ん? どうしました? 何か言いたいことがあるならどうぞ?」
「……エ゛……ケ゛……ス゛……ィ゛……」
「あははっ、何を言ってるのか聞き取れませんよぉ」
先生の名を呼ぼうにも喉の痛みと舌の麻痺によって思うように言葉を紡げない。それでも必死に呼びかけようとするも、その姿に嗤いながら拷問役の子が耳元で囁く。
「まぁまぁ、水でも飲んで、少し落ち着いたらどうでしょうか?」
刹那、イチカの口の中にホースが突っ込まれる。そして、何処かで蛇口を捻る音と共に口の中に注がれた水を飲み込んだ瞬間、イチカは絶叫を上げた。喉に焼けた鉄の棒を通されたとき以上の苦痛が襲いかかってきたのだ。その感覚は比喩でもなんでもなく、喉が焼かれた時と同等以上の痛みであった。焼け爛れた皮膚が捲られ、そこに冷水をかけられるとどうなるか。想像に難くないだろう。激痛。まさにそう表現するに相応しいものであり、イチカは悲鳴をあげながら身悶える。
「あははっ、どうしました? 水が美味しくなかったですか? もっと飲みますか?」
そう言って再度ホースを喉奥へと突っ込み、容赦なく水を流し込んでいく。すると、今度は口からではなく胃袋を通して直接注がれる水が内臓を蹂躙する。焼け爛れた皮膚が水によって洗浄され、痛みが増幅する。その激痛に悶絶するも、一切容赦はなかった。寧ろ楽しんでいる節すらあった。イチカは苦痛と屈辱、そして絶望に塗れた顔で涙を流しながら悶えるのみだ。
そして、胃の許容量を超え、逆流した水が食道を登って行く感覚に襲われる。しかし、ホースは依然として口内にあり鼻を拷問役の子から鼻を抑えるよう指示された部下により逃げ道を塞がれた為、排出することは叶わない。吐き気を催すも、それを許さないと言わんばかりに圧迫される胸部。呼吸が出来ず、窒息しそうになる。だが、その苦しみすらも拷問役の子にとっては愉悦に等しいものなのだろう。徐々に腹部が膨らみ、破裂寸前まで膨張するとようやくホースは引き抜かれた。そして同時に胃から逆流した水が勢いよく吐き出される。嘔吐とは違い、噴射と形容すべき勢いで出てきた水は当然、周りの部下の制服を濡らすことになる。
「ハァ……ハァ……ゲホッ……ゴホッ……ゴエェェェ……ッ!」
「あぁ、いけませんねぇ。人の服を汚すなんて。罰が必要ですね」
噴き出した水で制服が汚れた部下に目配せをすると、イチカを押さえている他の部下達に合図を送る。すると、待ってましたと言わんばかりに彼女らはイチカの腰から生えている翼を無理矢理広げさせると骨の部分に杭を押し当て、ハンマーで打ち付ける。ドスンという音と共に杭が埋め込まれ、凄まじい激痛が襲う。身体がビクッと跳ね上がり、あまりの衝撃に一瞬意識が飛ぶも、すぐに覚醒してしまう。あまりの苦痛に再び涙が溢れ出るが、それでも拷問役の子は止めることはなく、逆に嬉々として見つめている。その後も何度も何度も杭を打ち込まれ、イチカの意識が薄れてきた頃、漸く拷問役の子は満足したのか、作業を止めた。
「素晴らしいですね。虫の標本みたいで。いや、実際に蝶の標本とかは美しくもあり可愛らしいものがありますが、今回はよりグロテスクな仕上がりになっています。まさしく芸術品と言ってもいいでしょう」
「ゲホッ……ッ…ォ゛……ォ゛……」
「おや、聞こえていませんか? 仕方ありませんね。これだけやれば当然でしょう」
そう言って、拷問役の子はイチカの胴体に馬乗りになると、懐からメリケンサックを取り出し、拳に装備する。
「さてさてさて、私、こう見えて結構ステゴロに自信があるんですよ。相手を殴る上でどうすれば壊れやすいかとかね。まぁ、口で言うより実際にした方が早いですね」
拷問役の子は、そう言いながら拳を握り締めると、勢い良くイチカの腹部目掛けて叩き込む。バキバキッと肋骨が折れる音が響き渡り、口から鮮血が吹き出す。さらにもう一発、今度は鳩尾に拳を叩き込む。すると、ベキョという鈍い音と共に胃袋が潰される感覚があった。イチカは内臓が破裂するような激痛に襲われ、断末魔のような絶叫を上げる。胃の中の水が逆流し、口から溢れ出してきた。
「ゲホッ……オ゛エ゛ェ゛……ッ!」
「あははっ、凄い声ですねぇ。まるで獣みたいです。しかし、これだけやってもまだ生きているんですね。感心しますよ」
更に続けて腹パンを繰り出す。腹筋が破壊され、内臓に深刻なダメージを与える。それでも尚、拷問役の子は殴り続ける。何度も何度も繰り返される暴力。そして十発を超えたあたりで、ようやく拷問役の子は攻撃を止めた。
「……と、まぁ、こんな感じですが、まだまだ、今度は別の余興でもしましょうか」
今度は袋から空の薬莢を掌一杯に取り出す。そしてか細い呼吸を繰り返すイチカの頬を握りしめ、無理矢理口を開かせると、薬莢を一つずつ詰め込んでいく。一つ一つ丁寧に奥の方へと押し込んでいくことで隙間なく詰め込まれる。そして、口いっぱいに空の薬莢を入れ終えると、ガムテープで口を塞ぎ、その状態でイチカの顔面を強打するのであった。殴られた衝撃で薬莢同士が擦れ合い、歯茎を削り取る。口の中には血が広がり、唾液と共に溢れ出す。口内の柔らかい部位が削られ、鋭い痛みが走る。
「ゴッ゛! オ゛ゴォ゛ォ゛オ゛オ゛!!? ェ゛ッ゛!? オ゛ッ゛!?」
口を塞がれたせいでまともに呼吸もできず、苦しそうに悶えるイチカ。それを尻目に、拷問役の子は顔面を殴打するペースを落とすことなく続けた。殴る度にガツンガツンと音が響き、口の中では血と唾液が混ざり合う。口の中が削られていく感覚。血と涎が混ざり合った液体が口角から滴り落ちる。口から流れ出る赤黒い液体は地面に大きな染みを作り上げていく。だが、それでもまだ拷問役の子は止まらない。むしろ、もっと痛めつけたいという欲求に駆られているようで、殴る速度が加速する一方だった。
「ゴホッ……オ゛ォ゛……ッ゛……ォ゛……ォ゛……ッ゛」
反応も鈍くなり、痙攣する身体を見て、今度は鼻先を潰すように拳を振り下ろした。グシャリという嫌な音と共に、顔全体に激痛が走る。鼻腔内が潰れる感覚に、思わず目を見開くも、視界は霞んでいる。そのせいで何も見えない。再び拳が振り下ろされる。左頬、右頬、額、そして再び正面へと繰り返し打撃を受け、眼球が破裂しないか不安になるほどの威力。骨が軋む音が鼓膜を震わせる。顔の原型が残っていないのではないかと思う程の痛みに苛まれる。顔中が腫れ上がり、視力すらも奪われている状態だ。
ヌチャリと拷問役の子の拳が粘液性の強い液体で濡れる。それを見て拷問役の子は、笑顔を浮かべる。そして、口のガムテープを剥がした。漸く出入口が解放され、口から血がゴポゴポと吐き出される。口内は当初の火傷による爛れた状態から空の薬莢で削り取られて、舌も歯茎も歯も、原型が判別つかないほどグチャグチャになっている。空の薬莢を取り出すも、数が足りない。恐らくいくつかは飲み込んでしまったのだろう。その惨状に、拷問役の子は頬を赤らめ、息を荒げた。
拷問役としての役割を与えられた立場ではあるが、その本質と役職はまさに嗜虐の鬼。自らの手で相手を追い詰め、苦痛に喘ぐ姿を見るのが何よりも大好きなのである。故に今回の任務は非常に好都合であった。自分の趣味嗜好を全面に出せるうえに、相手が本来自分よりも格上であること。そして何より、仲間思いであるということ。どれをとっても拷問役の子にとっては嬉しいことだらけなのだ。拷問役の子はこれまで幾度となく他人を甚振ってきた。様々な人物たちを見てきたが、ここまで美しいと思える人材は初めてだ。
だからこそ、彼女は執拗にいたぶり続けることにしているのだ。相手を限界まで追い詰めるために、敢えて殺さないように調節しつつ、ギリギリの線まで追い詰める。その快感は堪らないものがある。まるで自分が神になったかのような全能感。自分が相手の生死を操っているという優越感。これが堪らないのだ。今回も例外ではない。寧ろ普段よりも燃えていると言っていいほど熱くなっている。今までで一番楽しいと言ってもいいかもしれないくらいだ。目の前に横たわる絶世の美女を前に、拷問役の子は興奮していた。その結果、本来の目的ではない感情が芽生え、ボロボロとなったイチカの唇に自身の唇を重ねるのであった。
その光景に、流石の部下達もドン引きである。目の前の鬼畜が予定外の事を始めたからだ。本来、拷問役の子は痛みによって絶望に堕とすのが目的であったはず。しかし、今は痛みではなく、性的な快楽を与えようとしているではないか。流石に看過できない問題ではあるが、ここで邪魔をして逆鱗に触れれば自分達の身が危険に晒される事になるため、誰も手を出せずにいた。
そんな周囲の反応など気にする様子もなく、拷問役の子は行為を続ける。最初は軽く触れるだけのキスをした後に、舌を差し入れ、深く貪るようなキスへと移行していく。口の中は傷だらけであり、出血もしているため、鉄臭さはあるものの、それはそれで趣向が変わるもの。寧ろ、その味が癖になりそうなほどである。そんな考えに耽りつつ、しばらく続けたところで一旦離れると、お互いの間に銀糸が架かる。それを愛おしそうに舐め取りゆっくりと離れる。
「はぁ……いやぁ、満足出来ました。失礼失礼。これは本来、予定外のことでしたが、お楽しみいただけましたか?」
「……ぅ……ぁ…」
掠れた声で小さく返答するイチカに対し、拷問役の子は満足げに微笑むと、携帯を取り出し、連絡を取る。相手は後輩を誘拐したメンバーだろう。話を聞いた後、電話を切ると、改めてイチカの方へ向き直る。
「さて、名残惜しいですが、貴女の後輩は解放します。この場所も貴女の後輩に教えていますので、いずれお仲間が此処に救援に来るはずです。まぁ、はい。私達は今から撤退するわけなのですが……」
と、荷物から蠟燭を取り出すと、ライターで火をつけ、それをイチカへと近付ける。
「誠に残念です。ヘルメット越しとはいえ、貴女は私達を見ました。ですので、少しでもリスクを抑える為に目を潰させてもらいます」
「……っ! ……っ!」
抵抗しようとするも、拘束されたままでは身動きが取れない。やがて、火の点いた蝋燭が瞼に押し当てられる。その瞬間、ジュウゥウッという音と共に肉の焼ける匂いが立ち込める。あまりの激痛に絶叫するも、拷問役の子は手を止めない。そのまま完全に瞼が焼け焦げるまで押し付け続けた後、蝋燭を引き抜くと、そこには赤黒く爛れた皮膚があった。瞼は閉じることが出来ず、目を開くこともできない。完全に視力を奪われた形となる。そこに火のついた蝋燭を傾け、蝋を垂らせば、ドロリとした熱い液体が眼球を失った眼窩へと流れ込む。灼熱の塊が内部を焼いていく感覚に襲われる。潰された眼球の奥底まで溶かされてしまいそうな錯覚を覚え、痛みに耐えきれず何度も身体を跳ね上げさせた後、力尽きるように大人しくなる。
「ふぅ……これで良しっと。それじゃあ私はそろそろ行きますね。貴女はそのままで結構です。お仲間が来るまで辛抱してください。それでは失礼します」
拷問役の子は淡々と告げると、眼球の潰れた眼下に口付けをするとその場を後にする。残されたイチカは鼻水と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながら呻くことしか出来なかった。拘束を解かれたが、身体を起こすどころか指一本動かす気力すら湧いてこない。意識を保つだけで精一杯な状態である。全身を激痛が襲う中、それでも尚、彼女は助けを求め続けた。誰か来てくれないだろうか。だが、その願いは届かない。この空間には誰も訪れないからだ。この場に居るのは拷問を受けたイチカだけである。彼女は独りぼっちなのだ。孤独の中で、ただひたすら苦痛に耐えるしかない。
光の届かない闇の中。イチカは唯々呻く事しか出来ないのであった。
―トリニティ総合病院―
誘拐された後輩の報告の後、イチカを救出すべく動き出した正義実現委員会であったが、現場に到着した時には犯人グループの姿はなく、床に磔にされたまま放置されたイチカの姿があった。彼女を見た時、全員が愕然とした。救助後、急ぎ救護騎士団へ運び込まれ治療を施される事となったが、イチカの怪我はかなり酷いものだった。
両目は潰され、眼球が消失。顔の至る所に火傷痕があり、特に酷いのは口の中だ。舌は損傷し、歯茎の一部も破壊されている有様である。さらに喉まで焼かれており、気管支が傷つき、呼吸困難の状態に陥っていた。肋骨も数本骨折しており、腹部も激しく損傷している。内臓の損傷も激しく、一刻の猶予もなかった。医療班が懸命に手当を行い、どうにか一命を取り留めることはできたものの、しばらくは安静にしていなければならない状況だ。
現在の状態は意識不明の重体。治療後は集中治療室にて絶対安静が命じられている。そのため、入院期間中は関係者以外との面会は禁止となっていた。唯一、例外として認められたのはシャーレの先生のみ。
先生も当初は動揺し、困惑していたが、少しずつ冷静さを取り戻していき、彼女を救う為に行動することを決意した。各自治区から医療に携わる生徒を集め、最新の医療設備を整え、資金を集めるなどした。そうした甲斐あってか、数日後には回復傾向にあった。ただ、やはり重症の為か回復スピードは遅く、傷を癒すのに時間がかかるようだ。特に視力に関しては希望はないと見られている。
身体の傷……火傷も時間が経てば目立たなくなると言われているが、それも在学中に完治するかどうかは微妙なところ。視力が戻らない以上、日常生活に戻ることも容易ではないだろう。そして何より問題なのは精神的な傷だ。今回の事件で受けたトラウマは相当なものだ。心に深い傷を負った彼女がどのように立ち直ることができるのか。それは誰にもわからない。
「イチカ……」
先生は眠るイチカの手を握りながら呟く。返事はない。だが、確かにここにいるという確かな温もりが感じられる。今は傍にいることしか出来ない自分に悔しさを感じつつも、今はとにかく休ませてあげるべきだと考えていた。今はゆっくり休んで欲しい。そう願いながら、先生は静かに扉を閉めるのであった。
―???―
一日の業務が終わり、漸く休息を得られた彼女はシャワーでも浴びようかと制服を脱ぐ。正義実現委員会の証明である黒い制服。その服を脱げば、そこには敵対する組織に誘拐された際につけられた傷跡が露出する。傷跡を隠すように包帯が巻かれているが、それでもその悍ましい程の痕は健在であった。見るものを恐怖に陥れる程の壮絶な傷が身体中にあるのだ。こんなものを人に見せる訳にはいかない。
包帯を解き、全ての傷痕を露出させた後、浴室に向かおうとした彼女の携帯が鳴り響き。
普段使っている私用の携帯ではなく、別の携帯。
その携帯を手に取り、一息つくと、携帯を耳に当てた。
「……もしもし、お疲れ様です」
『はい、お疲れ様です……ボス』
「此処ではボスって言い方はやめてください。会話を聞かれる可能性があるのですから」
『失礼しました。それで、正義実現委員会の件ですが』
「えぇ、今回の一件で暫くは表向きの活動は出来なくなるでしょうね」
『では、暫くは地下での活動に切り替えると言うことで宜しいですか?』
「そうなります。ツルギさんやハスミさんは躍起になって私達を捕まえようとするでしょうが、こちらから下手に接触しなければバレることはないでしょう」
『承知しました。では、その旨を伝えておきます』
「お願いします。それでは失礼します」
通話を切り、携帯をテーブルの上に置くと、浴室へと向かう。湯船に浸かりながら彼女は考える。今回の騒動についてだ。
トリニティに蔓延る犯罪集団のトップ。それがまさか正義実現委員会に所属する生徒とは誰も想像しないだろう。しかも、自分自身を人質にする事でトリニティの中核を担うイチカを見せしめとして徹底的に痛めつけた。トリニティの平和を守る彼女を悪意を持って傷つけたのだ。その恐怖は計り知れない。噂によればイチカは未だに回復しておらず、今も病院で寝たきりになっているとのこと。
そして、自分自身も仲間達に傷付けさせることで同じ被害者という形で疑いの目を逸らす事に成功した。今後、今回の件で犯罪組織の情報が流れればそれを逐一確認する事が出来る。自分の為に傷付けられたイチカの仇と言う事で、正義実現委員会から情報を集められ、トリニティ自治区で裏社会の活動を活発化させられる。
今の組織では活動を控え、別の小規模組織を扇動し、トリニティ各所で犯罪を働かせれば、いずれは正義実現委員会の戦力の分散を狙える。それから各個撃破を行えば、組織の拡大が可能だ。彼女は頭の中で算段を練っていく。今回の騒動を利用して、唯々悪意をばらまく事が出来る。
それが愉快で愉快でたまらない。正義とは勝者が掲げる偽善である。弱者は搾取され、強者は好き勝手に暴れまわる。それが世界の理だ。ならばこそ、自分は正義を執行しよう。搾取する側となり、支配し、管理し、破壊し尽くそう。それが正義なのだから。
「ふふ……あぁ、楽しいなぁ」
この傷痕はその結果の証だ。あの時の事を思い出す度に笑みが零れる。最高だった。最高の一言に尽きる。何もかもが素晴らしかった。何もかもが美しかった。何もかもが愛おしかった。何もかもが完璧だった。何もかもが理想的だった。何もかもが幸せだった。何もかもが大好きだった。何もかもが尊かった。
自分の為に犠牲となったイチカ。彼女の存在もまた尊く愛おしく、大切にしたいものである。あんな風に傷付けられたのだから当然だ。だって、大切な先輩なのだから。だからこそ、彼女を思う存分利用する。使えるものは全部使う。それが悪人のやり方だ。何の文句もない。非難される謂れもない。ただ、正義の代弁者として当然のことをするだけなのだから。
「明日は何をしようかなぁ……」
新たなプランを考える。
正義実現委員会は楽しんだ。次は救護騎士団かシスターフッドか、それともティーパーティーを襲撃しようか。次の獲物を考えながら、彼女はシャワーを浴びながら笑みを浮かべる。浴室の鏡に映る自分が笑みを浮かべている。その笑みをより深くするように、水滴のついた指先で鏡に映る口元をなぞり、唇を歪める。
「フフッ」
彼女は明日も犯罪を働く。
明後日も、その先も。ずっとずっとその先も。彼女は己の欲望を満たし続けるだろう。その行為は止まらない。止められない。止まるはずがない。止まる道理がない。何故ならば自分こそが正義なのだから。
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