2,
A面
気がつけば、吾輩は見知らぬ砂浜にて、
なぜか全裸でしゃがみ込んでいた。
しかも、どう見ても吾輩の肉体ではない。
腹は出ており、四肢は丸太のようで、
鏡がなくとも“太っている”と断言できる体つきである。
まずい。
非常にまずい。
つい先ほどまで吾輩は、会社の個室トイレにて、
デスマーチの果てに魂が抜けかけていたはずである。
それがどうしたことか、気がつけば海辺である。
しかも、よりによってこの格好だ。
目の前の海は赤く濁り、空は曇っていないのにどんよりとしている。
太陽など影も形もない。
まるで世界そのものが吾輩の精神状態を映しているかのようだ。
体勢を崩した拍子に、吾輩は砂浜に盛られた“何か”の上に腰を落とした。
詳細は語らぬが、察していただきたい。
とにかく、これはまずい。
吾輩は慌てて海へ駆け込み、腰まで浸かった。
季節は不明だが、冷たさを覚悟していた。
ところがどうだろう。
水温による寒さではなく、精神に直接くる寒さが吾輩を襲った。
言うなれば、日頃会社で浴びせられる精神的苦痛の類である。
――まあ、慣れているが。
むしろその寒さが、吾輩の内側で妙な熱を呼び起こした。
課長のやらかし、安請け合い案件、
そして何より課長の口臭に対する怒り。
デスマーチ中、吾輩はその怒りを燃料にして生き延びてきた。
今回も例外ではないらしい。
気がつけば、吾輩は全身海中に没していた。
しかし不思議と息苦しさはない。
むしろ心が安らかである。
この感覚には覚えがある。
――夢である。
夢うつつの時、人は万能になる。
遅刻しそうな朝、指を鳴らせば巨大ロボットの一つや二つ呼べる気がするし、
ロボットを駆って会社の駐車場に着いたら、
「車室三台分使うから怒られるな」などと真面目に考えてしまう、
あの妙な万能感である。
ゆえに、海中でも呼吸は不要。
実に明快な結論であった。
詮無きことをあれこれ考えながら、吾輩は海流に身を任せて漂っていた。
すると、前方より何やら不穏な影が迫ってくるのを認めた。
クジラのような流線型の体躯。
しかし、前面には人間の歯のようなものがずらりと並び、
くぼんだ眼窩には、光とも闇ともつかぬ虚ろな輝きが宿っている。
――む、これはもしや艦これのイ級ではないか。
吾輩の脳裏に、かつて深夜に周回した記憶がよみがえる。
あの忌々しいキラ付けを強要するイベント攻略でお世話になった1-1海域である。
編成失敗して目的の艦にMVPを取らせられないのはイ級のせいではないが、
あの海域を周回していれば忌々しくも感じてしまうのだ。
そして、どうやら向こうも吾輩を認識したらしい。
すでに臨戦態勢で、海中を加速しながら体当たりを仕掛けてくる。
――面白い。
「デスマーチ明けの吾輩は、いささか獰猛ですぞ?」
水中で声が届くかどうかは知らぬ。
そもそも言葉が通じるかどうかも怪しい。
だが、こういう時は言ってみるものである。
言霊というものは、案外侮れない。
謎の万能感に満ちた吾輩は、
水中での高速移動方法を即座に導き出した。
心のレバーを後ろに倒し、力を溜め、
前へ倒すと同時に、精神のPボタンを押すのである。
【スーパー頭突き】
これは某格闘ゲームに登場するE本田氏の技である。
出し終わりの無防備さが弱点だが、
海賊版の“Rainbow Edition”ならば縦横無尽に立体起動すら可能であろう。
夢の中である以上、吾輩はその恩恵を受ける資格がある。
吾輩は恐るべき速度で海中を突き進み、
イ級に見事な頭突きをお見舞いした。
敵は驚愕したのか、あるいは恐れをなしたのか、
そのまま海中を逃げ惑い、ついには沈黙した。
勝利である。
夢の中とはいえ、なかなか愉快な気分だ。
しかし、その直後である。
さらに強大な“何か”の気配が立ち上った。
圧倒的な存在感。
まるでラスボスの登場である。
――倒せばクリアだな。
吾輩は本能でそう理解した。
実にゲーム的な思考であるが、
夢の中である以上、何もおかしくはない。
海流に揺られ、また逆らいながら【スーパー頭突き】を駆使し、
吾輩は“何か”の気配へ向かった。
すると、砂浜で何やら砂煙があがっているのが見えた。
――戦隊ものの撮影か?
近づくにつれ、その姿が明らかになってきた。
砂浜に上陸し、何やら“誰か”をいたぶっている影。
下半身は先ほどのイ級に似た形状で、
上半身は女人のようでありながら、どこか暴力的なアトモスフィアを纏っている。
――む、これは軽巡棲鬼ではないか。
もしやと思ったが、やはり艦これである。
夢にまで出てくるほど熱中したのは、もう随分と昔の話だ。
装備強化だの設計図だの、課金だのイベントだの、
世の中の理不尽に耐えながら艦隊を育てていた時期もあった。
しかし、集金システムが過剰になり、
イベントギミックが複雑化し、
必須艦・必須装備が課金を要求していると察した瞬間、
吾輩は静かにアプリを閉じたのである。
いわゆる引退勢である。
特に思い入れがあるわけでもなく、
ただ、MMDで見た軽巡棲鬼が妙に可愛らしかった――
その程度の評価であった。
それにしても、夢の中にまで出てくるとは、
吾輩の潜在意識もなかなか物好きである。
心のどこかで、ギラドーガ乗りの幻影が叫んだ。
「やってみる価値ありますぜ!」
実に調子の良い声である。
――よし、やってみよう。
吾輩は静かに接近した。
軽巡棲鬼は、どうやら吹雪型らしき小柄な影を追い詰めるのに夢中で、
吾輩の存在など露ほども気づいていない。
波打ち際に差しかかる。
ここからは、タイミングを見て飛び出すだけだ。
しかし、待っている間に状況が悪化した。
吹雪らしき影が片手で持ち上げられ、
軽巡棲鬼はその艤装らしきものを奪い取り、
怪しげな光をまとわせている。
――これはいかん。
吾輩は波を待つのをやめ、静かに上陸した。
すり足で距離を詰め、頭突きの間合いに入る。
軽巡棲鬼がこちらを振り向いた瞬間、
吾輩は叫んだ。
「ドスコイ!」
頭突きが見事に決まり、軽巡棲鬼は体勢を崩した。
「ナニモノダ!」
実にゴウランガな展開である。
しかし、ここで名乗ってしまえば、
ただの全裸の男である。
吾輩は心を鬼にし、無言で取り組み姿勢を取った。
「……リキシカ!」
軽巡棲鬼は驚愕しつつも、奪った艤装を構えた。
しかしながら侵食は不十分であったらしく発砲は出来ない様子。
舌打ちしつつ下半身のイ級っぽい何かの正面をこちらに向けた。
「キサマゴトキコレデジュウブン!」
軽巡棲鬼は火砲らしきものを構え、
吾輩に向けて光の弾を放ってきた。
もちろん、現実なら危険極まりないが、
夢の中では話が違う。
吾輩はすり足で接近しつつ、
両手を広げて構えた。
【百裂張り手】
残像を残すほどの速度で繰り出される張り手が、
光弾を次々とはじき返す。
軽巡棲鬼は言葉を失った。
「クッ……コレナラドウダ!」
軽巡棲鬼は、侵食が完了した奪った火砲を構え、
いかにも物騒な光をまとわせて発砲した。
さすがに十二・七センチ単装高角砲――推定改三ともなれば、
吾輩の百裂張り手で迎撃するのは無理がある。
しかし、吾輩はこの瞬間を待っていたのである。
E本田氏は基礎攻撃力こそ高いが、
いわゆる“一撃必殺”の技を持たぬ。
至近距離から百裂張り手を全弾命中させれば倒せるやもしれぬが、
夢の中とはいえ、相手がゲームの挙動に付き合ってくれるとは限らない。
ここは、確実に意識を刈り取る一撃が必要である。
その回答が、今まさに披露される。
吾輩は対空火砲を張り手でいなしつつ、
すり足でじりじりと距離を詰めた。
深海棲艦との距離は、もはや一ザンギエフ程度。
間合いである。
軽巡棲鬼が砲撃モードを切り替えた瞬間、
吾輩は心の中でキャラチェンジを宣言した。
無論、赤いパンツの英雄である。
倒れ込むように身を低くし、
砲弾を紙一重で潜り抜けながらコマンドを入力する。
軽巡棲鬼が二撃目を撃とうとした時には、
すでに技は発動していた。
――吸い込まれた。
それが、軽巡棲鬼の最後の思考であった。
吾輩はそのまま相手を抱え上げ、
天地を反転させるように回転し、
砂浜へと叩きつけた。
【スクリューパイルドライバー】
ドスン。
実に見事な音である。
軽巡棲鬼は頭から砂に突き刺さり、
まるで海辺の現代アートのように静止した。
芸術点をつけるなら、なかなかの高得点であろう。
さて、格闘ゲームの技では大したダメージを与えられなかった相手に、
なぜ今回は一撃必殺となったのか。
答えは簡単である。
――ゆで理論である。
高さと回転を加えると、
ダメージ計算式が常識を逸脱するという、
あの不思議な理屈である。
同じプロレス技を媒介とし、
スクリューパイルドライバーに“ゆで理論”を加えることを思いついた吾輩は、
それを見事に成功させたのであった。
なぜそんなことが可能だったのか。
それは――思い込みというものが、実に優秀だからである。
所詮、夢なのだ。
勝利である。
夢とはいえ、実に爽快であった。
さて、軽巡棲鬼を砂浜に頭から突き刺し、
見事な“海辺のオブジェ”へと変貌させたわけであるが、
その直後、奇妙な現象が起きた。
彼女の下半身にまとわりついていた艤装が、
まるで霧のように消え失せ、
代わりに人間らしい脚部が現れたのである。
――これは興味深い。
吾輩は思わずそう呟いた。
夢の中とはいえ、未知の存在の構造が変化するなど、
学術的価値が高い。
人類の叡智のためにも、観察せねばなるまい。
軽巡棲鬼は砂浜版・犬神家のような姿勢から解放され、
あおむけに倒れていた。
呼吸は安定しており、外傷も見当たらない。
気を失っているだけのようだ。
胸部装甲に触れてみると、
蟹の甲羅を思わせる硬質さの中に、
わずかな弾力がある。
これは素材として実に興味深い。
装甲の構造を調べれば、
深海棲艦の生態に迫る手がかりになるかもしれない。
吾輩は、藤岡弘探検隊のような気分で、
慎重に観察を進めることにした。
――よし、まずは外装の構造を確認しよう。
やましい意図など一切ない。
純粋な学術調査である。
吾輩は息を整え、装甲の継ぎ目へと手を伸ばした。
その瞬間である。
すさまじい衝撃が延髄部を打ち抜き、
吾輩の世界は激しく回転する。
カンフー映画で派手に吹っ飛ばされる人はこのような視点なのだろう。
夢の中である以上、深刻に受け止める必要はない。
視界が暗転する直前、
吾輩の脳裏には、
吾輩を蹴り飛ばしたであろう御仁の、
淡い亜麻色の髪と高く蹴り上げた為に顕わになったスパッツが残った。
――夢とは、実に不可思議である。
そう思いながら、吾輩の意識は静かに沈んでいった。